文春文庫 1997年12月発行(1993年8月文芸春秋社より単行本発行)
〔目次〕
生命との出会い
故郷の母
「わが名をよびてたまはれ」
最後のプレゼント
まんどろお月さま
光に逆転するとき
魔女の魔法
幸福のいる場所
海辺の少年
心の闇
「なるほど先生」
伊豆の漁師
母国
鎮魂歌
『パンドラの匣』
運命の善意
「過ぎ越し」の記録―四通の手紙
あとがき
〔著者について〕
1932年(昭和7年)生まれ。日本文学研究者で、聖心女子大学の教授などを経て、国際コミュニニオン学会名誉会長。カトリックの女子修道会である聖心会のシスターでもあり、セラピストとしても活躍。日本に初めて「エニアグラム」を紹介した方でもある。
〔本書について〕
死が近づいた病人には、一時的に回復したような時間が訪れる。その時間を著者は「仲よし時間」と呼び、その人の人生最後の仕事として、し残したことや言い残したこと、したいことを成し遂げることがあるという。著者は死に瀕した病人に寄り添い、仲よし時間を共有して、「新しい世界にまっすぐ進んでいく助けとなる静かな励ましと勇気づけ」を行っていくことによって、安らぎを与える活動を行ってきた。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一節に「南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいといい」という言葉があるが、人生の最後を迎える人には安らかに旅立てるような支援が必要とされており、著者はその活動を実践してきた人である。
本書では著者がこれまで人生の最後を見送った人たちの中から、心に残った人たちの歩んできた人生と最後の迎え方を取り上げている。
まったく違った人生を送ってきた一般の人たちであるが、いずれの人も独自の個性があり、その人らしく死を通して“いのち”の重みを教えてくれる。どんな人でも自分の生きたいように一生を生きることはできないし、ほとんどの人はこれまでの人生での後悔や別れの苦しみを抱えながら生きているだろう。
人生の最後にあたって、苦しみから解放されて自分のこれまでの人生を意味あるものとして受け入れられることにより、その人の人生全体が完成されたものとなり、安心して次の世界に旅立っていけることを著者は教えてくれる。どんな人の人生にも個性的で語るべきドラマがあり、そのドラマを納得する形で完結させたいということが人間の本源的な欲求であるのだろう。
また人間の本質である“魂”と呼ぶべきものは、普段は表に出てくることはないが、人生の最後を迎えるときにおいては“魂”が本当の自分を語り出すのだということが理解できる。その最後の語りをじっくりと聴いて受け入れることが、人生の総決算を完成させるための手助けとなるのである。
本書では、家族を捨てその償いで苦しみ続けた人、間違った思い込みから一生他人を信用できなかった人、自分を産むときに母親が亡くなり一生涯呪縛に苦しめられた人、がんに冒されて恨みや怒り憎しみにつきまとわれている人など、苦しみの中に生き続けてきた人たちが、最後の瞬間においては自分を受け入れて安らかに亡くなっている姿が描かれている。
また人は最後の瞬間に不思議な輝きをみせることがある。詩を高々と朗読した重度の認知症の男性、瀕死の青年が「美しい、美しい」と最後に語ったこと、事故で意識を失っている間に全人生を再体験し満足感を感じて最期を迎えた女性など、著者の臨死体験も取り上げられているが、死は恐ろしいものでないということも著者のメッセージの一つであろう。
『死者からの言葉』は、亡くなっていく人たち一人一人の人生を締めくくる言葉であるが、いずれの言葉も読む人に深い感銘を与えるものであり、今生きる意味や死とは何かを考えさせてくれるものである。
近年になって死が避けられない患者への医療では、患者の苦しみの一つに「スピリチュアルペイン」(魂の痛み:人生の意味を見失ったり、死への恐怖からくる苦痛)があり、その対応の必要性が訴えられてきているが、まだまだ多くの人たちが“魂の痛み”に苦しみながら病気と闘っている。著者の行ってきた活動は今後より一層重要になっていくものであり、拡がりが期待されている。
著者は本書刊行から4年後に本書の続編ともいえる『死にゆく者との対話』を発刊しているが、そこでは本書を読んだ人たちが深い感銘を受けて自分の体験を紹介する人、人生の考え方が変わったというメッセージ、外国人にも影響を与え外国でも出版されたことが紹介されている。
なお前半では、青森県の岩木山山麓で「森のイスキア」を主宰し、多くの救いを求め訪れる人に癒しを与えてきた佐藤初女さん(本書では大原紫苑さん)とともに死にゆく人たちを見送った体験が紹介されているが、佐藤初女さんは今年2月に惜しくも94歳で逝去されている。