廣済堂文庫 2008年4月(2002年3月、廣済堂出版より刊行)
〔目次〕
はじめに―「うつ病」という病について―
第一章 根底
父
監視下の中学、自由な高校
親友との出会い
OZAKI
親友の望み
冬の河原
独立の日
友の発病
与えられた苦悩の時間
親友の自殺
葬儀
償うための決意
第二章 きざし
研修医としてのスタート
大切なキーワード
残酷な結果
二年目の壁
彼女との出会い
誰のせいでもないということ
第三章 発病
期待と不安
「責任」というプレッシャー
秋風
うつの暗闇
再会
迷い
再び、大学病院
限界
生と死の狭間で
「辞める」か「死ぬ」か
決断
第四章 闘病生活
「医者」から「患者」へ
だめかもしれない
回復のきざし
モノトーンの沖縄
夕陽が見たい
心の支えと回復
回復への確信
第五章 復職
「悲しみのピエロ」
原点に立ち帰って
想い川
復帰
終章 二人への手紙
陽さんの新しい一歩
最後のお祝い
親友への手紙
おわりに
文庫版あとがき
〔著者について〕
1969年生まれの精神科医。1998年秋頃からうつ病になり、病状悪化により1999年11月から2000年1月まで休職、病状回復により2000年2月から復職を果たしている
〔本書について〕
精神科医が書いたうつ病の闘病記であるが、上質な小説を読んだような感動を受けることができる作品である。精神科医である僕と親友、僕の彼女と親友の彼女の4人の人間模様により織りなされる出来事はドラマのように展開していく。何よりも4人の純真な心、ひた向きな努力、深い愛情によって著者の魂が癒されながら再生していく内容は、闘病記である以上に生き方の本としても価値が高いと思う。
うつ病患者は近年大きく増加しており、闘病記として出版されているものも多く存在している。日本では1998年(平成10年)に自殺者数が跳ね上がり3万人を超え、その後も3万人を超えた水準が続いていて、自殺は大きな社会問題となっていた。この本は2002年3月に出版されているが、その当時では闘病記はそれほど世に出ておらず、中でも精神科医がうつ病に罹ったことを告白する本として大きな意義を持つ本であった。著者の勇気のある行動には敬意を表したいと思うし、「僕自身がうつ病であることを告白し、偏見の目があったとしても、元気に生き続けていくことで、患者さんやその家族に、ほんの少しでも前向きに生きる勇気を持ってもらえたらいいと思っている」という想いは本書を読めば十分と伝わってくるものだと思う。医師が書いたものであるにも関わらず、難しい専門用語もほとんどないのも、わかりやすさを十分配慮してのことであろう。
「はじめに」において「この本の中で僕の唯一の親友が命を奪われた「うつ病」という病と、僕自身が味わった「うつの暗闇の世界」を描いてみたいと思います」と書いているとおり、著者の親友は就職して間もなく、うつ病により自殺する。当時医学生であった著者は、親友を支えようと努力していたものの、結果として彼を救うことができなかった。著者は「彼を殺したのは、誰のせいでもなくこの僕だ」と心に深い傷を負うことになる。そして罪を償うために精神科医になることを決意する。
著者は親友の命を奪ったうつ病に苦しむ患者の治療に、全力で取り組んでいく。精神科医となってから患者に対し「ただの一度も、心を込めて返事しなかったことはなかった」という位に患者に全身全霊で向き合った。だが著者は「責任感がある・几帳面・対他配慮がある」といううつ病になりやすいを性格を持っていたうえに、過重な労働を続けることにより、自分自身がうつ病に罹るに至ってしまったのである。
著者は責任感の強さから、うつ病の薬を飲み、うつ病に苦しみながら、仕事を続けていくが、やがて、患者に心を込めた返事ができなくなっていた。死ぬことばかりに頭の中が支配されてくるようにもなっていた。精神科医である著者は、死にたいのもこれはうつ病の症状だから、早まるなと考えるものの、ついには著者は「“辞める”か“死ぬ”か」というところまで追い詰められたのである。
著者には、ベテランの精神科のナースである彼女がいた。仕事を休職した著者は、その彼女の献身的な支えによって、死ぬことばかりを考えるという病気の最も辛い時期を乗り越えることができた。 「彼女の愛情は本当に僕の想像を超えている」「彼女はただじっと、そばにいてくれる。それだけで僕は勇気づけられ、とても幸せだった」と書いているとおり、これほどの素晴らしい人に支えられた著者は何という幸福なのだろうかと思うほど、理想的な支え方の例を示しているものだと思う。彼女は常に著者の心に寄り添って、著者が死の世界に連れていかれないように守り続け、ついには重い病から回復に向かっていくこととなったのである。
そして著者は徐々に復職していくが、精神科医として続けていくか、精神科医としてどう働いていくかを逡巡する。今までの働き方をしていけば、再び同じ苦しみに陥る可能性もあると悩んでいる中で 「川の流れを、そっとそばで見守ってあげる精神療法もある」という言葉に出会い、再び精神科医として働く道を選んだ。
著者の精神科医の原点としては“親友の自殺” を救うことができなかったことであるが、このことが著者自身を救ったと感じるようになっていた。「精神科医になっていなければこの世にはいなかっただろうと思う。もし親友が心の病で自殺していなければ、僕は間違いなく精神科医にならなかったと思う」と著者の命を救い、「「今の僕なら彼を救うことができた」と思える日が来るまで、僕はやはりこの仕事を辞めることはできない」と著者の精神科医としての命を救ったのである。
最後に、同じ病気で苦しむ患者との家族向けのメッセージとして次のことを強調する。「真似てはいけないことは「休息なしに抗うつ薬を服みながら強引に働くこと」であり、「強引にでも仕事を休ませ、精神科を受診させることが、悲しい自殺を減らす、たった一つの方法」であるという。
うつ病患者がどのように苦しみ、どのように感じるかがよく理解できる本であるし、うつ病は治る病気であるということを教えてくれる本である。また周りの人がどのように患者を支えていくかを考える上でも参考となる本である。そして何よりも、人と人が支えあって、人が人によって癒されていく素晴らしさを教えてくれる。