Q1:
前回のお話の中で愛という単語が出てきましたが、
愛についてもう少し詳しく宜しくお願いします。



A1:
愛というものは中々つかみ所がないといいましょうかね、具値的に言うと目にも見えませんが、多くの人は愛というものが存在するという風に思っています。


たしかにこの世の中には目に見えないけど、存在するものっていうのがあるんですね
目に見えないと信じられないという方もいらっしゃいますが
多くの方々は実は目に見えないものの中で生活をしているんですね。

たとえば、皆さん方は電気というものを当然つかっていますね
でも電気を見たことがあるか?電気そのものは誰も見たことがないですね
目にも見えないですし、
電気が通って電球がつくとその電球のガラスが見えます。
しかし、電気その物あるいは光その物というのは見えないですね
光が反射した物体が見えているんです。
しかし光や電気というものは存在する。
皆さんはそう信じてらっしゃいます。
目には見えない、触ったこともない、匂いをかいだ事もないけども
存在すると信じてらっしゃる

愛も同じなんですね
愛というものは、存在はしているそして多くの人が信じてる


じゃあこのような物は一体どこから生まれてきたのか?
あるいはどこから来たのか?
こう考えると、宗教的に言えばイエスキリスト様もおっしゃっていた様に
愛は神 あるいは神は愛そのものであると
こう表現があったかと思いますね
この大宇宙を創られた神はもう愛の塊だと
愛でもってこの宇宙は創られた、地球は創られたあるいは生命体は創られた
という風にいえるかと思います。
ですからすべては愛によって出来ているということも言えると思います

科学的なとらえ方で言いますと全てはエネルギーによって出来ている
という事も私はそうだと思います

エネルギーというものと愛というもの、どっちでこの宇宙は出来てるのか?
私は愛というものとエネルギーというものは一緒だと思うんですね。
神のイエスキリスト様的に言うと
神の愛が、科学者からみたらエネルギーだという風に見えるんですね

愛には力があるんです。エネルギーにも力があります。

なぜ愛に力があるかというと、
愛情のある言葉で言われたら人は元気になったり、
あるいは愛を込めて語られたら、感動したりしますね
それには影響力といったものが伴っている訳です

この影響力というのは、目には見えませんが必ず人々に何かの作用をしています。
これを科学的にとらえるなら
エネルギーが動いた、あるいは変換した、そういう風な形になるかと思います。
ですから全ての宇宙はエナルギーによって創られているというのも正しいでしょう。
それを愛によって創られているというのも正しいだろうと言う風に思います

ですから科学と宗教というのは合い反するものではないと私は思っているんです
この宗教的に表現をしている世界を今の科学者の皆さん方が解明をしています。

エネルギーという物を通して神の愛というものを少しずつ解明してる所ではないかと思います。
地球の科学なんて言うものは、ほんのまだまだ神の愛全体図をつかまえるには未熟だと思います。
ですから宗教というのは非科学的だと言うようなことがあって
今の日本あるいは文明諸国といわれた所の多くの方々は
宗教的なものを否定する方もいらっしゃいますけども、
それはまだ科学が万能だと思う小さな考え方に原因があると思いますね。

科学で解き明かしているのは大きな神の愛の世界のごく一部だというとらえ方をすると、
けして宗教的なものが非科学的という風には私には思えないんですね

そのように愛というものは宗教的に言えば神そのものから来ていると言えます。
そしてそれは一人一人の私たちの心の中に宿っています

神の愛そういったものが宿っている

ただこの愛がどのレベルまで発揮できるかというのが
実は一人一人の心の修行と言うか、

反省をしたりして自分本来の優しい自分、本来の素晴らしい自分

こういったものが発揮できてくる方々はより高次元の世界の住人になれていく訳ですね

あの世に言った場合あるいは現在この三次元の中にいましても
人から愛をもらって生活しようという風な方々の心の中はまだまだ豊かさがたりないですね
しかし、人に愛を与えてあるいはボランティア活動を一生懸命していく、そういった事を喜びとするような方々はそれだけの分成長されているですね。

心が成長されています。

そしてその分喜びも大きいし神からの祝福も大きいだろうと思います。
そのように神の持っていらっしゃる愛というもの
そういったものによりどこまで自分が近づいて発揮が出来るのかというのが
この世に下りてきた私たちのひとつの修行課題なんですね。

それに向けてより高次な考え方やより多くの愛、広い、そして深い愛を
どこまで与えられるのかというのが我らの一つの目標にするべき事という風に思っております。

ありがとうございます



Q1:
今回は幸福になる秘訣というものをお聞かせいただけるという事ですが、具体的にどういった内容となるのでしょうか?


A1:
幸福になりたいという思いは人間誰しもあるものだと思います。
世界に今60数億もの人が生きているわけですけども、幸福になりたくないという人はいないと思います。


自殺をする人が日本にはたくさんいますが、実はその人達も幸福になりたいのです。
今の苦しみから逃れたくて、死を選ぶことによってこの苦しみから逃れられる、今より幸せになれるという思いで自殺をされるわけです。

しかし、幸せになりたいと思っていても、なかなかそうなる秘訣というものを見出すのは難しいです。

幸せになるためにまず多くの人が考えるのが、収入が増えれば幸せだ、マイホームを建てられたなら幸せだ、恋人が出来たら幸せだ、と色々だと思います。
いずれにせよ、これが欲しいあれが欲しい、こうなりたい・・・等の欲が出てきます。

それが手に入ったら幸せになれるのじゃないかと思い、追い求めるわけですね。


秘訣としては、これがそもそも逆なのです。


相手から愛をもらいたい、何かが欲しいではなくて逆に、相手に愛を与えることによって幸せになれる、という事なのです。

先日4次元までの話をさせていただきましたが、4次元ではまだまだ本来の“精神性”
というものが低いです。

次の5次元の世界では、基準となっている部分として、“精神性”があります。


“精神性”とは、善なるものを求める心のことです。


そういう精神性がある方が5次元の世界に住めるようになってきます。
4次元の世界ではまだ、愛が欲しい、もらいたい、そう思う部分の方が大きいです。


ですから簡単に幸福になる秘訣があるとするなら、それは『愛を与える事』です。
愛をもらう事ではなく、愛を与える事で人は幸せになっていくんですね。
これは宇宙の根本的な法則と言っていいと思います。


宗教的に言えば、汝の敵を愛せよとか、施しを与えなさいなど、色んな形でそういう話があります。
これを科学的に言えば、作用・反作用の法則と一致します。



押したら抵抗があって押し戻されますね。
作用があって、反作用がある
この相反する作用は常に存在します。
ですから、奪おうとすると奪い返される。
結局手元からまたなくなる。
同様に、与えるとそのぶんまた自分に戻ってもきます。
こうやって与えること、人によかれと善をなすことによって、また多くの善が自分に返ってきます。


ですので、これはとても簡単な秘訣です。
与えたものは与えられる。
愛を与えた人は幸せになれる。


こういう原理・原則が宇宙の中には存在しています。


世の中にはそういう精神性の高い方が、日本にもたくさんいらっしゃいます。
現に、そういう方は真摯に熱心にボランティア活動等をされています。


私のこのユーアースのサイトを通して、そういうボランティア活動をされている方を紹介したり支援していきたいと思っています。
ですので、全国でそういうボランティア活動をされている方々は、自分達の活動内容とかをユーアースを使ってご紹介していただいても、またこういう活動していますので参加してください等の呼びかけに使っていただいても構わないと考えています。
今後そういうコンテンツを充実させながら、ユーアース共々成長していけたらと思っています。


ありがとうございました。



Q1:
今4次元についてお話を伺っております。
我々3次元の人間からすると、4次元の世界がどうなっているかを創造するのが難しいのですが、
具体的に4次元の世界というものは、どのように広がっているのでしょうか。


A1:
はい。
そうですね、次元というものは確かに分かりにくいものだと思います。
そこで何かに例えて話しましょう。


トンボの幼虫でヤゴというものがいますね。
ヤゴは川の中に住んでいます。

トンボは水中に卵を産み、そこでヤゴが生まれます。
生まれたヤゴは水中で生活をし、餌を食べ、仲間と共に精一杯生きています。

このヤゴから見ると自分の世界は水の中です。
水の中でエラ呼吸をしています。

このヤゴを、あるとき人間の子供が網ですくいました。
網ですくわれたため、仲間のヤゴからは、住んでいる水中の世界からぱっと突然消えたかのように見えます。

これが実は4次元以降の世界へ神隠しにあったような感じです。


ヤゴを網ですくった人間の子供は、「なんだ魚じゃないんだ、なら捨てちゃえ」と
ヤゴを元の水中に戻しました。
そうすると、今まで水中から消えていたヤゴが、仲間からすると急にパッと現れたように見えます。
仲間のヤゴ達はどこ行ってたんだよーとびっくりします。

ヤゴ達からすると、水の中がこの世の全てなのです。


そしてそこから数ヶ月の時が経ちます。
ヤゴもだんだんと年老いていきます。

年老いていくと、ヤゴは水中にある草を足場にしながら水面へと上っていきます。

それを見ながら仲間のヤゴ達は

「あーあいつも年とったから、いよいよ死ぬんだなぁ」

と思います。


そしてこのヤゴは水面の上へ出て、そこから時間と共に羽を伸ばして広げて大空を舞います。
この大空を飛び回って生活するという事は、トンボとして生活をするという事です。


そのときが実は霊界に入ったときなのです。


仲間からすると死んでいなくなったと、残った抜け殻を遺体だと思います。

ですが本当は、このヤゴは成虫になって自由に大空を飛びまわっています。

実はこの世界のほうが蜻蛉の一生からすると本当の世界です。

この空気の中という世界に比べて、水の中は抵抗があり、非常に生きるのが大変でした。

トンボになったことで、狩りで素早く獲物を仕留める事が出来るようになり、行動範囲は数万倍と広がりました。


これが4次元の世界です。


3次元にいるヤゴの仲間からは、この4次元にいったトンボの事は分からないのです。

ですから3次元に生きる私達人間の中で、4次元の世界がないと考えてる方々は
たくさんいると思われますが、実際に4次元の世界はある、という事をこのトンボの話を通して知っていただければと思います。

ありがとうございました。


Q1:
前回4次元の世界についてお話を伺いましたが、4次元の世界ではどういったことが行われているのでしょうか?


A1:
はい、4次元の世界には、この世を卒業したといいましょうか、この世から亡くなった方々が4次元の世界へいらっしゃいます。


以前も簡単に話しをしたと思いますが、3次元的に死を迎えるというものは、肉体を離れて24時間くらいして霊子線がきれた時に初めて決定します。

横たわっている臨終が近い人を見ると、魂がふっと抜けていくような、そんな肉体を離れるときの様子が見えます。


魂が抜けるときは普通は頭のほうから抜けていき、天井のほうへ抜け出る最中、そこから自分の横たわっている肉体を見て、びっくりされる方が多いです。

とくに『死後の世界』や『死んでも意識があること』、それらを信じていない人にとってはびっくり仰天の世界ですね。


自分は自分の姿を2mくらい上から眺めている。

自分は下にいるのにどうしてここにいるんだろう、自分の肉体の周りでは家族が「死なないで」と騒い
でる。
医者は「心臓が停止しました。」あるいは「ご臨終です。」と話している。
例え自分が死んでないよって思っていても医者はもう亡くなったと言っている。。


まだ24時間以内は霊子線がつながっていますから自分の家に帰ってみたり、友人のところを訪ねてみたりする事が出来ます。
そうしながら、どうもこれは死んだなといった感じを自覚しはじめ、24時間経った頃に霊子線が切れます。


これでもうこの世に戻ってこれなくなります。


霊子線が切れない間はまだ戻ってくる可能性があり、生き返る可能性があります。


そしてその人が亡くなるということで、あの世では既にその人がなくなる死期というものが分かっており、あの世の人からすると、もうすぐあの人が帰ってくるよとか、その人のお父さんお母さんや守護霊となる人、あるいはおじいちゃんやおばあちゃん、親しかった人達が先に亡くなっているとしたら、その人達は迎えの準備をしており、もうあなたは亡くなったんだよという話がそこで始まります。


この時、あの世の事を分かって勉強していた人には話しはスムーズにいくのですが、あの世なんかないと言った人は、非常に説得に困ったりします。


死んだのだったら何も考えられないはずだから今物事を考える事が出来てる自分は生きてるはずだ、と こう言い張って、火葬場に肉体が連れていかれたとしても、自分は生きていると、肉体がお骨になってもそのまま墓場にいたり、あるいは家に帰ったり、そんなことをして、地縛霊となる方もいます。


こうなると霊界には入れません。

地縛霊というものは結構長く、何年も何十年もいたりする人もいます

たいがいの人は2、3週間や30日や49日、人それぞれ違いますが、だいたいそれくらいの期間で残された家族や友人・知人の枕に立ちお別れを言い、あの世へ入っていきます。


そこで自分がこれから広大な霊界の中でどこに行ってどのような修行をするのかを決められるために、自分が今までどのような行いをやってきたかを、スクリーンのようなものに映し出され、見る事ととなります。


その中で自分は結構悪い事をしたから、一度地獄界と言われる所へ行って反省しようという人もいれば、結構言い出来だなということで天国の精霊界という所へ行き、霊界の勉強をし始めたり、あるいは非常に立派な行いや悟りをされたかたは精霊界を通り越して、もっと上の霊界に入られたり、あるいは地獄界の中でも極悪非道なことをやってきたという人はそういうスクリーンを見せられることもなくあっという間に地獄の深い所へ落ちていくという事もあります。


たいがいはスクリーンを見て反省をしながら守護霊と相談をし、自分のいくべきふさわしい所をまず選んで、次の勉強をしていきます。


地獄界というものも、霊界の中ではごく一部です。

地獄と天国というものは2大勢力のごとく思っている方もいると思われますが、決してそうではなくて、ほとんどは天国です。あるいは天上界と言われています。

その広大な霊界の中の下の方の一部が、反省する場として特別に、地獄界と呼ばれ存在しているのです。

もちろん地獄界には行った人にとっては、底なし沼とも思わせるくらい広く感じられはするんですけど、全体からみるとごく僅かなのです。


地獄界というものは罰を与えるという場所ではなくて仏や神からみると、心が傷ついた人、心が病気の方などを治すための病院、あるいはリハビリセンターなようなものとしてあり、まだ愛があるからこそ、存在する場所なのです。

ありがとうございました。



Q1:
前回1次元・2次元・3次元と次元の話を伺いましたが、3次元以降の世界というものも存在するのでしょうか?


A1:
そうですね、前回次元についてお話ししましたが、この世は3次元の世界であると、そこまでは皆さん理解できてる部分だと思います。
では4次元以降の世界がどうなっているか?


ここから先が実は、「霊界の世界」に入ってくるわけです。

4次元の世界というものは、今まで話した3次元の世界+何が要素になってくるかというと、『時間』というものが加わってきます。

縦・横・高さという存在の中に時間という概念が入ってくるのが4次元の世界です。

具体的にいいますと、縦・横・高さだけで存在というものがあると認識できますが、3次元世界において時間というものを考えてみますと、過去の時間について認識が出来ません。

記憶としては残っていますが、過去を見ることは出来ない ということです。

ではこれに時間が加わった4次元の世界はどうであるかと言うと、簡単に言えば、過去も未来も見れる、それが4次元の世界です。

4次元以降の世界には、時間というものが含まれています。

5次元・6次元といったもっと上の霊界もありますが、それはまた別の機会に話しましょう。


3次元の世界にも確かに時間というものはあるのですが、4次元での時間の特徴は、過去・現在・未来が同時存在をしているという点です。

例えば、あの世では亡くなられた過去のご先祖様がそのまま4次元の世界で生きてらっしゃいます。
江戸時代に生きてた人も、そのままの姿で4次元の世界で生きてたりします。

そういう人達と一緒に会話をしたり、食事をしたりする事も可能です。


このように、時間という概念が4次元世界の大きな特徴であると言えます。



もう少し違った説明として、時間を自分なりに“あ、こういう事か”と一種の悟りのようなものですが、それを感じたときの私の実体験の話をしましょう。


とある静かな渓流のある場所に行きまして、自分の心をみつめるような修行をしていました。

静かな山の中で川幅10メートルくらいの清流がありました。私は、その上流から下流まで見渡せる岩の上に座り、静かにその光景を眺めながら思慮していました。

そのときに私は『時間』というものが過去・現在・未来 どれも共に同時存在しているのだとつかんだ感じになりました。

どういう事かといいますと、20メートル程上流から1枚の木の葉が流れてきており、目の前を通り過ぎ、下流のほうに流れていきました。

その光景を眺めた後、木の葉が流れてきた上流のほうを見ると、上流は岩場が少し険しくなっていて、その岩と岩の間の高差50cm程を落ちながら木の葉が流れてきていました。

上流にはそういう関所みたいなところがありました。

その木の葉はやがて私の目の前の、岩がまばらになった所にさしかかり、木の葉は岩の間をゆれるように流れていきました。

下流のほうに行くと、そこは砂地で波がだいぶおさまって静かに木の葉が流れていく様子が見えました。

そういう光景をずっと見ていました。


上流の木の葉を水の一滴に例え、さらに上流の険しい関所を流れ落ちた一粒の水を一人の人間だとします。

一滴の水を一人の人間として例えるので、時間の感覚も違う単位で例えましょう。

1秒水滴が流れ落ちる時間を、100年に例えます。


こう考えたとき、上流で水滴が岩の間の50cmの高差を1秒流れ落ちて、その水滴が蒸発したとします。

水滴が人間とし、仮にその1秒が100年と考えますと、
100歳で亡くなってあの世に帰った一人の人間だと例えることができます。


この時蒸発した一滴の水(一人の人間)が、2秒(200年)くらい経って、20メートル先の私の目の前に雨粒となってスンッと降ってきたとします。

これが現在です。

この水滴にとっては20メートル(200年)前が過去世ですね。

この水滴を人間に例えた人生で言うならば、過去に上流である関所のようなところでショッキングな人生を送り、そしてあの世に帰り、20メートル(200年)未来の現在に生まれたら、ある程度なだらかな人生を送ることになったと言えます。

そしてこの水滴はまた蒸発して、更なる未来で雨粒となって下流である砂地のもっとなだらかな流れの中に落ちるかもしれません。

こう考えたとき、一滴の水だけ見ると、この水滴が過去で流れ落ちて蒸発し、現在を流れる。

この水滴からすると過去は見えないと思いますが、私の立場からはその過去である関所のようなところもなだらかになった現在も、見えるのです。

そしてその関所のような環境は、今もその場所に存在しつづけて、そこに生まれて来る水滴(人々)をその環境の中を通ることで人生の経験をつませていると考えることができます。


たとえば、戦国時代が100年続いているような環境が今も、その場所には存在しているのです。



そして現在流れていってる水滴も見えます。

この水滴にとって未来だと思ってる20メートル先の現在も、そこにはたくさんの水滴が流れている、人々がたくさん生きている。

これが私の目からは実は、過去、現在、未来が同時に存在していることが分かっているとなります。

戦国時代は上流を見れば、今も存在し、現在は目の前に存在し、未来は下流に今も存在しているのが私には見えたのです。

ですから4次元の世界から見ると、過去もあるし現在もあるし未来もあるのです。

同時存在しており、それを見る事ができる世界なのです。


ありがとうございました。