Q1:
前回のお話で、次元という言葉が何度も出てきたのですが、次元について詳しい説明を宜しくお願いします。


A1:
はい。
私達が3次元に住んでいるという話は、みなさんよく聞かれた事があると思います。
では、何故3次元なのか、他の次元はどうなっているのだろうか・・・といった話はあまり聞かれた事がないと思います。



3次元という考え方は、例えばそこに ”点” があるとします。

これを ”0次元” と言っていいかもしれません。


そしてこの0次元の点から直線的な動きをしたら、それは ”線” となります。

この線が “1次元” となります。


これがどういう事かと言いますと、認識力の問題でよくこういう話がでますが、この “点” の世界にもし人間のように考える力がある生命体が存在するとしたら、その “点” の世界では “動く” というものが存在しないため、ただじっとしている限られた世界の中に存在しているという事になります。

その世界で認識できるものは、写真で撮ったような静止画の風景だけです。

これが線の世界、1次元の世界に変わったとすると、 ”線” の世界で存在している生命体は、静止画だったはずの風景が動いて見えるよう(認識できるよう)になります。

写真で撮ったものからビデオで撮ったものに、見える光景が変わるのです。


もしこの1次元の世界の内容を、0次元の世界に持っていったとしても、0次元に住んでいる生命体は動くという観念性がないので、1次元の “動く” というものに対し、認識も出来なければ、考える事も想像も出来ません。


ただし、1次元は “動く" 事が出来るとしても、それは1本真っ直ぐ伸びた直線的の動きの世界のみに限られています。

よって、1次元の生命体にとっては “横に動く” などという事は考える事も出来ず、ありえない世界となります。


では2次元の世界がどういう風になるかというと、この1次元の直線の世界に横の線が入った “面” の世界となります。

今まで1次元の世界の生命体は・・・例えば車に乗ったら、直進上を前進か後退しか出来ず、ハンドルをきって左右に曲がるというものが存在しない世界でした。

それが2次元の世界では、前進・後退に加え、左に曲がる・右に曲がるというものが存在する世界となるのです。


2次元に住んでいる生命体からすると、1次元に住む生命体の様子はよく分かります。

逆に1次元の生命体から2次元の生命体は見ることが出来ません。
そこに2次元の生命体が居たとしても認識することも出来ないし、触ることも出来ません。

なら2次元の世界は前後左右に自由に動けて、非常にいい世界だなーと思うかもしれません。

ですが、2次元にも見えない世界があります。


例えば、ひらべったいなめくじが2匹、オスとメスが前後左右自由に動き回っているとします。

オスをナメ夫、メスをクジ子とでも名前つけましょう(笑

そしてこのナメ夫とクジ子が一緒に遊んでいるとします。

そこに人間が来て一瞬でクジ子ちゃんをつまみ上げたとします。


そうすると、ナメ夫からすると、クジ子ちゃんがあたかも神かくしにあったかのようにふっと姿が消えて見えます。

そこでナメ夫はクジ子がどこにいったんだろうか探し回りますが、どこを探しても見つかりません。


そして、人間がまたぽんっとクジ子を元の位置に戻します。

そうするとナメ夫の前にぱっとクジ子が急に現れたように見えるのです。

ようは、2次元の世界に生きる生物にとって、 ”高さ” がある3次元の世界は認識できないのです。

垂直にジャンプしたり、自由に動き回れる我々の世界は、縦・横・高さがある世界で3次元となります。


現在の私達は飛行機に乗り自由に空を飛ぶことが出来る、宇宙にさえ進出できる最高の世界だと思っています。

ところが今まで挙げたように、今度は4次元の世界もあるのではないだろうかと予想できますね。

0次元・1次元・2次元・3次元があって、それぞれの世界に生命体が存在し、認識についてお話をしました。

我々は3次元の世界を最高だと思っていますが、本当はそうではなくて、我々も2次元の世界にはいつくばっていたなめくじ同然なのです。

実はこの上に4次元・5次元・6次元・・と存在していくわけです。

この4次元以降が、実は我々の言う霊界と呼んでいる世界なのです。

ありがとうございました。


Q1:
前前回のお話:で、キリスト様とお釈迦様はお互いに協力し合って仕事をされているという事ですが、現実世界でそのような事象が現れているのでしょうか?


A1:
はい、これは現在只今も働きは起こっているのですが、その話は追々するとして・・・歴史の中では興味深いことがあります。



前回少しお話しましたが、鎌倉時代に仏教が盛んになりました。
教えは再興され、そこに中興の祖と言われるお釈迦様のお弟子さん達が多く現れたのです。
実はその中に2つの大きな意味合いが違う教えが出てきます。


1つは自力門の道元禅師が説かれた教え
もう1つが他力門の親鸞聖人が説かれた教え


この2つの教えを見ますと、まるで正反対の内容の教えが書かれています。


仏教は基本的には努力して自分の悟りを高めていくという修行論がある程度中心になると思われます。
そこに、阿弥陀如来を信じて南無阿弥陀仏と唱えるだけで救われるという親鸞聖人の教え、実はこれはキリスト教の教えなのです。


キリスト教系の教えについて霊界での働きがありました。
また、本当はもっと前の飛鳥時代にあった日本神道がある日本に、仏教が入ってきたのです。


神道と仏教が混ざり合いながら流れてきた時代がありました。
いよいよキリスト教の教えを日本入り込ませる必要性が出来、企画が出来ました。

そのときのイエス様のお弟子様が鎌倉仏教の中興の祖として現れたのが親鸞聖人なのです。
仏教の衣を着ながら、キリスト教の教えを忍び込ませた・・・と言ったら言葉が悪いですが、組み込んで言ったわけです。


いきなりキリスト教として入ってきたら排撃されますよね。
ですから巧妙にそういう作戦をとられたわけです。


そうやって入ってきた教えの方法が、真相であります。

そういうのも全て、霊界での計画の表れだと私は思っています。



日本の中に、こうして色んな宗教を取り入れた土壌を作る必要性があったのです。

これは、その後の、もっと重要な計画を成就するための布石であると言っていいでしょう。


かつて日本神道の中に仏教が入ってきまして、その後に今度はキリスト教が入ってきて、今の日本人の宗教観というものは非常になんでもかんでも混じってるような宗教観があります。


全てを受け入れていて、日常生活の中でもそれを取り入れてます。


たとえば正月ですと神社にいって、鈴を鳴らして拍手を打って、お賽銭を入れてきて、元旦は初詣に行ったりしますね。
そしてお盆になりますと、みんな里帰りをして、仏教のしきたりに乗っ取ってお盆を迎えます。
そして12月24日、25日になりますと、イエス様の誕生日ですが、クリスマスということでデートをしたりパーティをしたりしますね。


こういうものを全部受け入れられるような民族っていうのは非常に珍しいです。
世界中でも稀な方なのです。


このような形も、実は天上界の計画があって、その準備のために成されてきたものであり、それは着々と進んでいると言えるでしょう。



ありがとうございました。



Q1:
現在世界に広がっている仏教やキリスト教など、大きな宗教が何千年にも渡って広がっている理由とはどういったものなのでしょうか?


A1:
はい、大きな理由を言うならば、教祖の格が高いということです。


前回申し上げましたように、キリスト教を説いたイエス様は地球系霊団の最高とされる9次元
にいらっしゃいます、お釈迦様も同じく9次元ですね。
イスラム教のマホメット様は8次元です。


非常に皆様霊格が高いですね。

ですからそんな方々が発せられる言葉は人類にとって宝物のような教えとなります。

そういう中身が高度な内容があるということが理由の1点でもあります。


そういうものが地上に降りてイエス様・お釈迦様・或いはマホメット様が説かれた。
そしてこの教えは人間にとって本当に必要なものだ、素晴らしいと多くの人々が感じ広めていくわけです。

しかしイエス様にせよお釈迦様にせよ、何十年か経つと地上を去って天上界に還られます。
その後は残った信者の人が教えていくことになります。

素晴らしい教えというものは長い期間残っていきます。

ただ、信者のみで教えを説いていくとなると、伝え聞いて、伝え聞いて、やがて何百年も経つと途絶えていくものと思います。

そこで天上界に還られたイエス様やお釈迦様等の方々は、このままでは教えが途絶えると危惧しますので、自分の弟子にあたる方々に、この世界に降りていって、もう一度教えを立て直すように広めなおしなさいと使命を与えるのです。

お弟子さんはそれを分かりましたと受けて、降りるのです。

例えば日本でも鎌倉時代にありました。
すごく仏教が盛んになった時代です。


有名な方々の名前を挙げるなら、

日蓮宗を作られた日蓮上人。
浄土真宗を作られた親鸞聖人。
禅宗となる曹洞宗を作られた道元。
時宗を作られた一遍上人。


多くの方々がいらっしゃいました。

こういう鎌倉時代のお坊さんの方々は地球系霊団の次元構造でいくと、7次元の方々が中心となってもう一度法を・仏教を立て直そうということで大挙して降りてこられたんですね。

7次元の方は、先ほど述べた8次元、9次元の方々に比べると少し霊格は落ちますけど、普通の感覚から言いますと、かなりの魂修行をされた高次元の方々です。


7次元から降りられた当時の方々は、それぞれ・・・日蓮上人はいろんな宗派を徹底的に攻撃をし、道元様は自分自身が努力をし向上する自力論、親鸞聖人は阿弥陀如来という方を信仰することによって阿弥陀様が救ってくださるという他力論、と言った感じで互いに相容れないような考えで同じ時代に仏教として現れました。


このように非常に違う考えや排斥し合った関係のようなものが当時生まれましたが、ところが後で見てみると、この7次元の方々はあの世では友達のような関係であったかもしれません。


このような形で弟子すじになると、自分の得意分野などを主につかまえて説きなおすため、宗派がたくさん分かれていく現象がおきますが、彼らが出ることによって実はそこでまた盛んに仏教が花開いていくわけです。


いろんな宗派に分かれながら、仏教が賑わいを見せて、多くの信者がまた大挙して出てくる、そしてさらにその信者の方々が多くの人々に教えて伝えていく・・・そうやってこの流れを何回かに分けて、その都度立派な方々が出てくると、何千年も残っていくことになるという形になっていきます。


ですから、何千年も残っている宗教というのは、一度説いただけでは終わらないで、立派な方々が何回か降りてきますので、その結果何千年も長持ちしているということは、それだけの計画性があり、それだけ
正しい宗教の要素をもっていると考えていいと思います。


ありがとうございました。

Q1:
前回宗教にもいい宗教、悪い宗教があるとの話をうかがいましたが、現在規模の大きな宗教にも、
そのようにいい宗教悪い宗教というものがあるのでしょうか?


A1:
はい、そうですね。
ではまず世界にある規模が大きな宗教を挙げます。
それは俗にいう3大宗教というものです。

キリスト教・仏教・イスラム教です。
その3大宗教をもともとの説いた方はそれぞれ立派な方ですね。

キリスト教を説かれたイエス様、この方は私達の分類でいきますと、9次元という地球系霊団の中では最高峰の高みにいらっしゃって、法を説かれた方です。

その説かれたものがキリスト教となって、今でも世界中に広がっています。


キリスト教は主に『愛』を中心に説かれました。


世界の全ての方々が愛というものは、とても大切なものであると認識されてると思いますけど、その愛の大家というべきものが実はイエス様なのですね。


もちろんひとえにキリスト教といっても、いろんな派に分かれています。

なのでイエス様の説いた内容そのものが、全て正しく伝わっているかというと、そうではないのが現状でしょう。

ただ、愛が大切だという基本的な教えがどれにも入ってるゆえに、世界中の様々な人に支持され、信仰されています。

この事実から、イエス様の説かれたものはもともと素晴らしい宗教であったと言えます。


次に仏教ですが、これは2600年程前に、インドでお釈迦様が説かれた教えですね。


お釈迦様が地上に降りられたときに主に説かれたのは『法』です。


或いは『慈悲』というものもよく説かれました。

天上界ではこのお釈迦様の魂とイエス様の魂は協力関係にあります。
先ほど述べたように、イエス様を愛の大家とするなら、お釈迦様は法の大家と言えます。


法を網の目のように地球上に張り巡らせ、その中に実はイエス様の愛が、血液のように流れていくような、そのような関係であると言っていいかもしれません。

そのような強力なお2人が9次元霊として存在され、地球を導いていく大きな働きをされています。


そういう意味で、仏教もキリスト教のように、世界中に広まっています。

この教えというのも、もともと素晴らしい内容を含んでいたゆえに、2600年経った今でも、多くの人々に支持されていることになります。


もちろん時代が下ってきますので、いろんな宗派に分かれていき、その過程でもともとのお釈迦様の教えを正確に伝えている宗派は少なくなっています。


ですから今の日本に残ってる仏教にしても、葬式仏教とか言われることがあります。


これは日頃の教えとしての働きは少なくなってきており、盆やお葬式のときとかにだけ力を発揮してるという事です。

どうしても時代が長くなっていくと、その時代に合わなくなっていく部分はあると思います。


イエス様にしろ、お釈迦様にしろ、その時代の方々に向かって説かれる事が中心でしたので、時代が経つと文明や科学が発達し、また社会の悩みそのものが変わってくるわけです。


たとえば経済的な悩みであった場合、その悩みを解決するために説いていた教えがあったとして、今度はその解決策ではない部分で解決したいところが出てくる時代に変化していくのです。
ですので、その時代に応じた考え方や教えというものが本当は求められてくるのです。


そのときに、イエス様やお釈迦様の弟子が何百年かごとに降りてきて、正しくその時代に応じたものとして説きなおされるのです。


もちろんその時代に応じたものだとしても、いろいろな考えを持つ人がいるものですから、弟子としては自分の得意分野として形を変えて教えを説いていきますから、少しづついろいろな宗派に分かれていくことになっていったりします。

あとは3大宗教の最後の1つにイスラム教というものがあります。

これはマホメットという8次元という高いところで存在しておられる方ですから、この方の教えももともとは素晴らしいものであったと言えるでしょう。

今現実としてはイスラム教の中にもテロ事件を起こしたり非常に評判が悪くなっていってますけど、これもごく一部の方々が、数千年という教えの中の一部をとり先鋭化した考えとして行動を起こしてるものですから、今のこの一部の行動だけを見てイスラム教全体を判断するというのも偏った見方だと思っています。


こうやって見ていきますと、世界に広がってるこれらの宗教が、もともと素晴らしい教えであり、その根本的なものが数千年経った今でも語り継がれているのだと見てもいいでしょう。

ただ先ほども述べましたように、数千年も経つわけですから、だんだん教えの内容が合わなくなってきて、多くの人が求めている事とは違うものになってきています。


そんな流れる時代の中にイエス様方が自ら、或いは弟子を下ろしていき、教えをつなぎとめてくことが繰り返されている、そう考えるのが一般的であると考えてもいいと思われます。


ありがとうございました。






Q1:
前回今後の日本にはより宗教が必要だという話を伺いましたが、宗教にも様々な種類があると思います。
日本にはどういった宗教があって、そしてどういった宗教が必要となってくるのでしょうか?


A1:

日本にもたくさんの宗教も団体もあります。
個別の名前をあげてどうこういう事はありませんが、宗教というもの全てが正しいかといえばそうではない事が事実です。


例えばある教祖に例示が降りたとします。

そして宗教というものを作っていって、信者さんも何人もついていって宗教団体となったりします。


現実に人間というのも、肉体と精神と魂、それらが合体して生きてますから、あの世も実際に存在しインスピレーションだって受けます。

そうすると霊感の強い方なんかはあの世の霊人の声などが聞こえたりします。


そしてそれを神のお告げだと思う方が出てきますね。


それは仕方ない部分もあるとは思いますが、そういう声によりこういうお告げがありましたといろんな人に言い、「あなたはこうしないと不幸になるよ」「先祖をもっと大事にしなさい」とか或いは「あなたが探してるものはあそこにあるよ」とか物当てのようなものもあり、言ったとします。

当たる場合もあります。

それにより「当たった!すごいなぁ」と噂が広まり、当てた人は教祖として奉られ、そこから宗教団体が出来てきたりすることもあります。

たしかに当てた人はインスピレーションなどにより声を聞いたかもしれません。

ですが、その人が必ずしも素晴らしい教えを持っているかどうかというものは、理性的に判断しなければいけません。


あの世の霊人から見ると、なくなったものがどこにあるか等見ればすぐに分かるものですから、それを伝え聞く事が出来るとしたら、人間には分からない物当て等が簡単に出来たりします。

物当て等は割と動物霊でも出来る事なので、次元的には高級霊はそんなところには携わっては居ない、と考えていいです。


気をつけなければいけないのは、物当て程度なら害毒も少ないのですけど、あの世の地獄にいる霊がこの世の人にインスピレーションを与えて、いかにも神様のお告げかのごとく思わせて、そして宗教を作っていくというパターンがあります。

こうなると、この通信を送っている存在はあの世の地獄から送っていますから、いわゆる悪霊ですね。
悪例の教え、考え方がその教祖を通して地上に広がっていきますから、これは非常に地上界にとってもマイナスになっていきます。


ですから、いい宗教、悪い宗教というのは現実にたくさんあります。

むしろいい宗教というものは少ないかもしれませ
ん。

んただ単に物当てをしてみせたり、先祖供養さえしてれば大丈夫だ、といった感じの教えしかしてないようなところは、本来の宗教の在り方とは少し違います。

なので、もう少し高等な教えをや考えを言ってるところがあるかどうか、そういった事を考え見極めなければいけません。

いい宗教、悪い宗教、それを判断するには私は3つの要素を押さえておけば大丈夫だと思います。


1つ目はその教祖と呼ばれる方がどのような方か。
話す仕草や、性格、人となりを見たり本を出されてるなら読んでみたりする事で分かると思います。


2つ目は教えの内容です。
その教えの内容を検証して、もし日本中に、世界中に、この教えが広がっていったときに、多くの人がより幸せになれるかどうか、より人格者になっていける教えなのかどうか、それを考える事です。


3つ目はその教えを信じてる信者がどうなっているかを見るという事です。
信者の人は幸せになってる人が多いのか、不幸になってる人が多いのか
或いは立派な人が多いのか 変な人が多いのか


こういう教祖を見る、教えを見る、信者を見る、といった3つのポイントがいい宗教かどうかを判断する部分だと思っています。


これは仏教用語で言うと、仏・法・僧といいます。

仏が教祖。
法が教え。
僧が弟子。

ということからです。
この仏法僧を頭においておくことにより、いい宗教かどうかを見極めていってもらいたい、そう思います。

ありがとうございました。