長州藩と歴代総理大臣の系譜








過去、長州藩(山口県)出身といえる総理経験者は以下の8人いました。




伊藤博文、

山縣有朋、

桂太郎、

寺内正毅、

田中義一、

岸信介、

佐藤栄作、

安倍晋三、




最初の総理が伊藤博文で1885年に総理になってから以後、4次にわたって内閣を運営しました。

岸信介と佐藤栄作は兄弟であり、現在の安倍晋三氏は岸の孫で佐藤の甥にあたります。

この中で一番若い時に総理になったのが伊藤博文(44歳時)で、この記録は歴代総理になった人物の中でもまだ破られていません。


最初の伊藤博文から5人目までは完全な長州閥の人間といえます。

「長州閥」というと、現代ではあまり聞きなれない言葉ですが、明治維新後、長州藩つまり今でいう山口県出身の人間達が力をもった時期がありました。

当時の薩摩藩つまり現在の鹿児島県出身の人間達とともに国内政治の世界で幅を利かせていた時代です。

長州藩と薩摩藩、この二つの藩の出身者が中心となって政治の実権を握ってその影響が以後も続きました。これらは『薩長政権』あるいは『藩閥政治』という呼ばれ方もしたのです。


実は歴代総理大臣経験者で長州藩(山口県)出身は他県と比べても歴代で一番多いのです。薩摩藩出身は3人にとどまっており、二番目に多いのは東京都ですがそれと比べても倍近い人数です。




上記の八人の歴代総理と吉田松陰。意外なことがわかります。



伊藤博文や山県有朋などは直接の指導を受けていましたし、桂太郎以下の寺内正毅、田中義一なども郷里の教育者として知られていた松蔭を尊敬し、軍部の山県有朋の閥の人間として彼の時代から松蔭の影響を強く受けていました。


岸信介と佐藤栄作は兄弟ですが、この二人も松蔭とは縁が深いのです。この二人の曽祖父には佐藤信寛という人がいましたがこの人物は松蔭が十六歳の頃に「長沼流」兵学を指導したといわれています。つまりは松蔭に兵学を教えた一人であったのです。佐藤信寛は木戸孝允や伊藤博文らとも親しかったといわれ、岸信介の「信」の字はこの曽祖父の佐藤信寛からきていました。彼は太平洋戦争後の日本を牽引し、安保改定や新憲法制定に尽力した総理として知られていますが、弟の佐藤栄作は外交政策や沖縄返還を実現し、経済の安定成長を促し、連続就任日数最長記録の総理でもありました。


また他県出身ではありますが太平洋戦争直後の総理・吉田茂の婿・麻生太郎氏は安倍晋三氏と遠縁にあたります。安倍晋三氏が官房長官時代の総理・小泉純一郎氏は神奈川出身ですが歴史を辿ると小泉家は松蔭ゆかりの人物に教育を受けたことがわかります。

歴史を辿ると意外な関係が現代にも続いていることを感じます。