ひかりのようなもの/狂想ドッペル
1. 5:10p.m
2. 夏の日のこと
3. 1:19a.m
4. ララバイ
5. 4:45am
6. 明け方、空虚の先
狂想ドッペルとしては初のCD作品となる1stEP。
初回限定盤は、紙ジャケット仕様。
カバーを外した文庫本のようなデザインとなっており、彼らの文学的な世界観をパッケージでも表現していると言えるでしょう。
あまりCDのブックレットには使わない素材を用いて、"紙"を感じる仕様にしているのも味わい深いですね。
そして、それはアートワークだけに頼ったものではなく、その音楽に触れることで、より深く潜っていくことができるのです。
本作に収録された歌モノは3曲。
残りの3トラックは、環境音に朗読調の詩を重ねたものになっているのですが、リアリティを閉じ込めるためにテーマを伝えるためにふさわしい場所に出向いて、街の雑踏をそのまま取り入れているとのこと。
それぞれ、具体的な時間がタイトルになっていて、作品としての流れを示すのにも機能。
その時系列で情景を想像すると、ストーリーが受け入れやすかったのでは。
夕方のセンチメンタルな気持ちをエモーショナルに歌い上げるミディアムナンバー「夏の日のこと」。
深夜にもギラギラと輝くネオンと、皮を捲れば汚いものがウゾウゾ出てくる大人の世界を連想させる「ララバイ」。
そして、diverse effect in Doppelgänger名義でも発表していた「明け方、空虚の先」も、今のリアルを表現するために再録で。
ポエトリーリーディングによって文字数に囚われずにメッセージを伝える手法をすっかり武器にしている彼らですが、小手先ではなく、感情を吐き出すということに真摯に向き合っているのが、これを聴けばわかるのではないかと。
例えば、「明け方、空虚の先」にて語られていた"言葉の銃弾"というフレーズは、"本物の銃弾"が飛び交っているという昨今の情勢を踏まえてアップデート。
日本において、銃弾が飛び交うのがリアル、という世情は一過性のもの(であると信じたい)で、普遍的な歌詞として残すには抵抗があったりすると思うのですよ。
しかし、彼らにとっては、今、この言葉を選ばないと嘘になる、という信念がある。
文学的、という形容とは相反するのかもしれませんが、様式美やポーズではなく、とにかくリアリティが重要視されているのだな、と。
あとがき、としてセルフライナーノーツを起こしているのも、小説風なパッケージとリンク。
どこを切り取っても、こだわりが強い1枚です。
<過去の狂想ドッペル(diverse effect in Doppelgänger)に関するレビュー>