王寺小学校 閉校カミングディ | 奏楽山西光寺BLOG

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浄土真宗本願寺派西光寺(奈良県香芝市関屋)は、早期から檀家制を廃止し、現在は門徒会で護持されています
環境問題へのささやかな取り組みとして超小型モビリティを導入
グランドピアノを常設し地域交流を意識した音楽イベントなども企画発信中

今回は寺院活動とは関係のない記事です。

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当山の前々住職、私の祖父にあたる徂徠俊勇(そらいとしお)のお話です。

行年から推測するに、明治37年頃の生まれかと思います。

後列のいちばん左が長男である祖父、前列左から二番目がその父(私の曾祖父)慧照です。

次男は陸軍(戦車部隊)に所属したあと尾張名古屋に根をおろし戦後日本の高度成長をささえました。

三男は絵画が得意で、戦後に日本画家として教鞭をとり奈良の秋篠に暮らしました。

女性三人は、大和郡山・大和高田・王寺(子息が町長)にそれぞれ嫁がれたそうです。

祖父は戦時中、目方(体重)があまりにも軽すぎた為、戦地におもむくことなく内地訓練(竹槍)。

 

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大和(奈良県)の真宗寺院は、そのほとんどが小規模な兼業寺院で・・・寺子屋からの流れでしょうか?ひと昔前の住職は決まって学校の先生をしていました。

祖父も例にもれず、師範学校をでて教員に。

 

そのかたわら・・・西光寺を継職したのが、戦後間もないこの写真の時だと思います。登禮盤をしている祖父の後ろ姿。

【蓮如上人四百五十回遠忌法要修行】と書かれていますが、継職はこういった節目の法要のときに併修されることが多いのです。

これは、あくまで私の推測です。

 

それにしても、本山か?と勘違いするほどぎゅうぎゅう詰めの参詣者・・・小さな村にこんだけも人が集っていたのですね、驚きですあせる古い本堂で、よく床が抜けなかったなと。

 

この法要の同日庭儀・・・お立ち寄り時の集合写真。

 

昭和47年、門信徒のご尽力により新本堂を建設。

 

私が小6だった昭和54年1月13日に往生の素懐を遂げました。

相撲の初場所をTVで見ながら、拍手をしていたのが今生の最期でした。

それから、もうかなりの月日が経ち、ほぼ祖父のことはわすれて過ごしています。

 

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ところが数日前、香芝市の北に位置する王寺町の王寺小学校が統廃合の対象(九年制の義務教育学校が新設される)となることを知り・・・王寺?王寺小?ん?・・・突然に祖父のことが頭をよぎりました。校長?校歌?、教育者としてご縁があった話を人づてに聞いたような。。。

 

12/4(土)法務の合間に時間ができたので、確かめるべく『閉校カミングディ』に寄せてもらいました。

※校内画像はすべて許可をえて撮影しています。

 

歴代校長のブースに祖父の写真は見当たりません、下田小学校や二上小学校の校長を歴任したことは伝え聞いています。

 

校歌をたしかめるべく体育館にむかいました。

額の文字がとても薄くなっていますが、徂徠?

やはりだ❕名前が確認できます❕作詞:徂徠俊勇

 

在校生の方々が、一字ずつ書いておこされた校歌下矢印

なんだか、ひさしぶりに祖父に出会ったような気がしました。

と、同時にこの校歌が無くなることに一抹の寂しさも感じます。

 

歌詞の一番二番に対し、三番が特異な作風です。

これまた、あくまで私の推測ですが・・・戦後(祖父の時代に)につくりなおされた校歌である可能性高し。

王寺小学校の歴史は、近隣寺院である放光寺さんの寺子屋がルーツだそうで・・・140年をも越える時が刻まれているのだとか。

祖父の奉職時期とはかみ合いませんし、なにぶん【民主日本建設】が特徴的です。

 

祖父は、この王寺小学校のほかに・・・

関屋小学校校歌

関屋小学校の校歌 | 香芝市公式サイト (kashiba.lg.jp)

二上小学校校歌

二上小学校の校歌 | 香芝市公式サイト (kashiba.lg.jp)

・・・を作詞しています。

 

※余談になりますが、前住職である徂徠俊彦は音楽教師として大阪府柏原市にある堅下北中学校の校歌を作曲。

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私の知る祖父・徂徠俊勇を綴っておきます。

❖愛煙家・・・銘柄はハイライト。煙管コレクションも。

❖癖・・・頭髪をかく。鼻を意味なくくすくす鳴らす。

❖しゃっぽん・・・帽子のことをしゃっぽんと呼ぶ。

❖茶道・・・抹茶をたてて、ひと口だけ飲ませてくれた。

❖趣味・・・囲碁、新国劇鑑賞。

❖時間に正確(異常なぐらい!)・・・「三時に帰る」と家をでると、三時ちょうどに玄関がガラガラと開き「いまや~」と祖父の声。

❖長身で細身・・・校長時代、朝礼のとき風が吹くといちいちよろけて台から落ち、生徒が笑いをこらえた。←我が家に伝わる話。

❖好きな食べ物・・・芋汁(山芋をだし汁でといたもの。よく擂鉢を押さえさせられた。)

❖座右の銘・・・和顔愛語(仏説無量寿経にでてくる言葉)

❖性格・・・和顔愛語といいながら、かなりの短気!箒を持った鬼の形相の祖父に何度追いかけまわされたことかあせる怒るとドリフターズいかりや長介さんにちょっと似ている。

❖印象にのこる言葉・・・死ぬのはぜんぜん怖くないが、オマエ等と別れるのがさみしい。←僕にだけポロっとこぼした言葉。

❖愛車・・・ポンコツ自転車。←兼務していた田尻・宝林寺まではチャリで。

 

釋俊彰ほんわか