翻訳会社vs.翻訳者-(1) | 特許翻訳 A to Z

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1992年5月から、フリーランスで特許翻訳者をしています。

3代目「特許翻訳の世界」 > 通訳翻訳ジャーナル連載「翻訳さんぽみち」 
 > 「翻訳会社vs.翻訳者」-2000年3月号

復刻シリーズです。

※小見出しは、2000年当時『通訳翻訳ジャーナル』での掲載時に編集部で付けて下さったものをそのまま使います。

 

翻訳者は翻訳会社にとって
使い捨ての機械ではない

つい先日、アメリカの特許弁護士が発行しているニュースに、日本から出願された米国特許に見られる奇妙な文章についての記事が出ました。
要するに日本から送られてくる英文にはいかにおかしな文章が多いかという話なのですが、字面だけ追って訳したがために他社につぶされた特許や、翻訳の過程で全く別の発明になってしまった出願など、笑い事ではすまされない事実が掲載されていたのです。

このニュースの中には、翻訳者の目から見て発注側の問題を指摘したコメントもいくつか含まれていました。「品質は二の次でとにかく大量の特許を取得する」「適正な予算を取らない」「自分たちの間違った考えを強引に翻訳者に押し付ける」などです。「英訳で冠詞の使い方を38カ所も訂正されたが、このうちほぼ半分は間違いで、いずれもアメリカ人がおかしいことに気付いて元通りにした」というものまでありました。
 

低価格化がもたらす
多大な影響

もうひとつ、予算について、不景気を理由に翻訳にかけるコストを大幅に削減した企業が少なからずあるようです。でも、多くの場合は数を減らすのではなく単価を落としてコストを削っています。そして、これを逆手に取って低料金で営業攻勢をかけ、業界全体の品質低下と価格破壊を引き起こしている翻訳会社も出ています。

このような一部の同業他社が原因で仕事がやりにくくなったという話を、品質重視の某翻訳会社から聞いたのはもう1年も前のことです。発注側に品質を評価するだけの力がないため、料金の安い翻訳会社に仕事が流れるという図式です。
あれから1年。状況はますます悪くなり、最近では翻訳会社だけでなく個人翻訳者も適正なレートを維持しにくいことが珍しくないと聞きます。こうした低価格化の影響は、翻訳者だけではなくフリーのチェッカーにまでおよんでいます。

一時期、能力とは無関係にアメリカ人であれば高い給料を払って採用する英会話学校のやり方が問題視されたことがありましたが、ネイティブであることを盾に価格破壊を仕掛ける自称チェッカーが出始め、プロの仕事に影響が出ているそうです。

私がインターネット上で運営している談話室でも、少し前に品質とレートについての書き込みがあがりました。

———何年たっても、低料金でフィードバックもなく、しめきりでぎちぎちに固められた仕事をしていれば、仕事に対する意識も向上しませんから、質も荒れます———

この一言は、まさに現在の翻訳業界の問題を顕著に物語っています。
先月号で、忙しい時には依頼を断って品質を維持するのも配慮のうちという話をしましたが、そうはいっても次から次へと電話が鳴れば断り切れないこともあるでしょう。
また、気持ちの問題は別にしても、適正レベルを大きく下回る翻訳料しか提示してもらえなければ、生活のために数をこなすしかないという場合もあります。結果として納期に追われてとにかく訳すことを強いられ、品質はますます低下し、次第に仕事に対する意識も低下します。

当然ですが、相応の品質を維持するためには丁寧な作業が必要ですし、何より情報収集にかける十分な時間と費用が必要です。これは、専門系の大学を出ているような翻訳者でもせいぜい程度の違いがあるくらいで同じこと。
どんな場合でも、多かれ少なかれ情報収集が必要になるのは避けられませんので、あまり極端に翻訳料を下げられてしまうと、場合によっては作業に支障が出ます。そして、やむを得ず「まぁいいか・・・」という気になったとしても不思議はありません。

 

特急加算の問題

同じように感じているのは私だけではないだろうと思って調べてみると、事態は私が考えていた以上に深刻でした。まず、翻訳者が発注側の対応に疑問を持っていることで最も多いのは「特急加算」に関する問題です。
翻訳会社によっては、エンドユーザーからも特急料金を取らない代わりに翻訳者にも一律に特急加算はしないというところもあります。これはこれで方針としてはしっかりしているので、互いに合意できる基本料金であれば良いと思いますが、基本料金が相場より低いのに特急料金がない、あるいは同じ分量で同じ期間でも仕事によって特急扱いになったりならなかったりするということが珍しくないようです。

また、納期的にそれほど余裕のない仕事を依頼してある中、同じクライアントからその仕事よりも納期の短い仕事を特急加算なしで割り込まれ、最初に依頼した仕事の納期はそのままということも。

ひどいところになると、専門系の大学を卒業してさえいれば、「有償トライアル」という名目で無条件に仕事を出し、内部でチェック・校正のプロセスを経ずにそのまま納品している翻訳会社すらあるそうです。その後も翻訳料は安いトライアル料金のままで据え置きで、要するに品質とは無関係に専門系の大学を出ているだけで「アルバイト」ができるというから驚きです。私にはとても信じられませんが、これが個人規模の小さな翻訳会社ではなく大手だというからさらに驚きです。

 


【2017年の目線から】
上の記事は2000年の今頃に書いたもので、かれこれ17年を経ています。
17年を経た今からすれば表現や洞察の甘さが目につきますし、決して綺麗な文章とは言いがたいのですが、あえて引っ張り出してきたことには理由があります。

新弁理士法の施行で「弁理士報酬額表(特許事務標準額表、料金表)」が廃止されたのが2001年でしたので、2000年は弁理士報酬額表に沿った単価設定がなされていた時代です。

当時、私は十数カ所の取引先と付き合っていて、そのうち翻訳会社は3社、企業知財部が1社、大学が1つで、残りはすべて特許事務所でした。
そして少なくとも私のクライアントは、上にあげたような無理な要求は、してきませんでした。

このため、上の記事は運営していた会議室などを通して知り合った方々からの「二次情報」でしかないのですが、ただ、相当数の方々が出入りしていましたし、オフ会もわりと頻繁に行っていましたから、業界の中に荒れた側面があったのは事実でしょう。

・・・・・ところが、です。
17年前と比べて翻訳業界がどうなっているかというと、「悪化」しているとしか言えない印象を拭えません

特許翻訳でいえば、2000年はいわゆる「ロンドンアグリーメント」が翻訳業界事情を大きく変えていった境目の年でした。
また、17年の間に、誤訳訂正の制度ができて施行された国もいくつもあります。

1994年から商用利用の始まったインターネットは、2000年以降はブロードバンドの登場で一気に浸透し、Windows NTがなくなり、文字がユニコードになったのも、同じ時期。
そしてさまざまなソフトウェアが雨後の竹の子のように、登場しました。

まさに時代が大きく変化しつつある時期で、とうとう昨日「翻訳メモリ利用、著作権はどうなる?」で言及したような側面も、出てきています。

誤解のないように添えておくと、現在でも、少なくとも私のまわりの特許事務所は、当時と同じかそれ以上の単価で仕事を外注しています。
質問などへの対応も、電子メールが普及したなどの理由で、昔よりお互いやりやすくなりました。

ですので、すべてが「悪化した」わけではないことは、わかっています。
わかっていますが、こうしてあらためて昔の状況を掘り出してきてみると、考えさせられることが多くあるのも、そのとおりではないかなと。

ただし、現状に対する否定や批判の意図は、皆無です。
ゆうべ「続・できることが増えて、よかったね」で書いたように、「ない」を指摘するのは簡単とはいえ、それだけではあまり意味があるとは思えない。

現状の業界を「翻訳会社が翻訳者から利益を搾取している」といった感じでとらえている翻訳者たちもいるのは事実ですが、翻訳会社には翻訳会社なりの理由があり、もっといえば、元請けになっている企業には企業なりの言い分が、あるはずなのです。

それが客観的に見てどうなのかは別にして、それぞれに、自らは正当だとする理由がある。
もっといえば、「○○だから、そうせざるを得ない」「○○だから、仕方がない」も、相当数で隠れているでしょう。

この「○○だから、仕方がない」が、本当に、そうなのか
ほんの少し発想を転換すれば、関わる人すべてにとってプラスになる「違う方法」が、あるのでは?
こうしたことを考え、探していこうとしています。

これが、決して綺麗な文章とは言えないと自分で思いながらも、あえて引っ張り出してきた理由です。


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