傷つきながらもなんとか命を保って帰ってきた、といったところでしょうか。昨日の演奏会にご来場くださいました皆様、ありがとうございました。

 
最初にプログラミングしたときは、よしこれはバランスもいいしコンセプトもいいだろう、とご満悦だったのだが、いざ合わせをはじめてみると単純に重い。大きすぎるレベルのプログラムだったなと青ざめると。
4曲ともに、しっかりした個性を持った素晴らしい曲だなあと改めて感動しながら準備、演奏しておりましたがいかがだったでしょうか。
 
いやはやしかし、自分の指が付いてこない悔しさよ…とにかく、もっといい演奏が出来るようになりたい、その一心でさらに精進します。こちらが必死にやろうと、それ自体を伝えることに意味はないわけで、ただひたすらにもっと技術をつけねば。
 
今回初めて自分で企画してみたものの、事務作業が少ないながらも何だかんだ精神的に負担があり。なかなかこれは余裕がある時にしか出来んなと自覚。プログラミングにもこだわりつつしっかりした準備をと思うと…なかなか自主企画には手が出せなくなりそうで怖いところ。来年はベートーヴェンイヤーになるし何かやろうかとも思っていたがこれは再考が必要だな。
 
 
しっかり自分を見つめ直しつつ、しばし充電期間に入ります。

湿度が高すぎるし温度もぬるま湯みたい、外に踏み出すと温泉にいるかのような毎日ですが、なんですかねこの厳しい気候は。年々酷くなってる気がしますし、数年後はもう日本人が適応できる範囲を超えてしまうんじゃないかしら。

 
 
僕は見た目に反して?身体も心も過敏に色々と反応してしまうタイプなので恐らく気圧によって体調が一進一退する毎日です。起きた瞬間脳の機能が低い気がしてしまう日があれば、全てがクリアになる日もあり。
しかし精神的にも過敏というのはほんと、演奏家にはよくないな。本番中でもどうしても過敏になってしまって集中が途切れることもあるし、普段から気をつけて生きたい。
 
 
という文を書きかけで放置したのがおとといだったかしら。梅雨が明けたか、晴れてる分少しはマシな天気になりましたかね。
 
あっという間に明日が本番、何があってもふわふわせず集中して心をこめよう。

少し間が空いてしまった。

 
忙しくしていたからなかなかブログを書く気にならず…とはいうものの、セルフプロデュースも仕事のうちと考えればほぼ職務放棄。こいつはいかんと書き始めた次第。
なかなか宣伝やこういうブログ書きなどは苦手なもので、演奏と違う脳が必要。指導も違う脳がいるし、三分割できぬものか。それを言ったらそもそも演奏で10本指を使うのだから10分割したいところかもしれない。
 
さてはて、職務放棄していた期間にしていたこと?を感想など含めながらちょちょいと書いていこうかしら。
 
先週の木曜日は大阪で講座のアシスタント&演奏を。メトードローズを使って楽譜の読み取り方の指導法を私の師匠がレクチャーなさった。もちろんその講座が素晴らしかったのは言うまでもないが、私の仕事っぷりはどうなのだろうか笑。何度かついていかせていただいているが、いつももう少しアシスト出来たらなあと。講座後の一曲演奏も異常に緊張してしまうし、反省反省。
 
昨日は新潟にて、卯の花音楽祭という合唱が主の地元の音楽祭で演奏。いやはや、合唱、というか集団の力はやはりいいものだなあ…プロもアマチュアも関係なく、熱意と楽しさが音楽には一番大事と改めて。そんななか私は一人の舞台なので寂しさも怖さもありつつ、超満員のお客様に見守られて楽しく弾いてきました。プロとして弾くことのプレッシャーからふと解放されたような、そんな不思議な舞台でした。
 
 
今はその帰りで東京に向かっているのだが、長距離移動も含めた仕事前後の移動の時間が自分にとって結構大事。ちょっとした仕事をこなせるのはもちろん、基本的に一人移動なので準備、反省にもってこい。ふと景色をみていいイメージが湧くこともあるし。満員電車だと景色やら環境は最悪だけれど、それでもふっと人間模様やら色んなものが面白く感じられたり。自分の目の前にピアノがない環境を1日の中で作るのも大事。
 
そのために学生時代はあえて家ではなく学校で練習したりもしていたが、最近怠ってたなあ…。いや、立場上もちろん大学で練習しようなんて思ってませんが笑、散歩するなどピアノから完全に距離取る時間も持つようにしよう。
 
 
いやーいい景色だ。またフレッシュに頑張ります。
 
 

フォームで何となく音って決まるよなあと、何人も教えるようになって思う。

 
どのフォームがいいという答えはもちろんない。そらそうだ、どんな素晴らしいピッチャーも違うフォームだし。全盛期の石井一久のフォームよく真似してたなー…コントロール悪いところだけが似てしまった。何の話だよ。
 
 
楽なフォームがいい、と一般的によくいわれているように思う。
けどこれ曲者で、楽なフォームってまず1つじゃないし、自分か楽だと思っていても、もっと楽なものがあるかもしれないし。指の使い方が悪いからきついと感じているだけなのかもしれないし。
 
椅子の高さを決めるときに、鍵盤と肘をだいたい同じ高さに、ともよくいわれる。
打鍵の時に、鍵盤と肘の高さが違いすぎるのは重力の流れを考えるとよくなさそう。
個人的に、身体がわずかに前傾して肘が自然と身体のラインの前にぶら下がるくらいの位置が腰の角度としてはベストと思うので、その時の肘の高さと鍵盤の高さを比較すべきか。身長や上半身の長さだけでなく、肩から肘までの長さも考慮にいれるべきと、教えるようになって気づいた。
(自分は少し前傾した時に鍵盤より若干肘が高いくらいのピアニストの音が好みらしい。)
 
ほかに個人的にほぼ納得して意識していることとしては、
腰が後ろに落ちることは避けるべき
胸は反らないようにすべき、
くらいか。
 
腰が後ろに落ちると重心が定まらなくなって肩に力が入りがち。腹式呼吸がしにくくなって重心が上がる原因にもなる。また、腰を軸に上半身が楽に動かせなくなるので、結果無理して身体を痛めやすい、と思う。(しないように気をつけてるから痛めたことはない)
胸を反ると肩甲骨の自由が失われて自由が効かなくなる。猫背はよくないと言われがちだが、個人的には反ることの方が避けるべきのように思う。反るとどうも音が平べったく聴こえる。
 
となると腰は真っ直ぐに近い前傾、肩は丸めに、肘は高め…  うむ、なんとなく自分が好きな音を出すピアニストに似ていく。
 
 
どんなプロセスでもいいから、いい音を出したければ、自分なりに一度考えるべきことだと思う。少しだけ自分のフォームが安定してきた今、もっと若いうちから深く考えておけばなと思う笑
 
 
ちなみに自分は本番の椅子調整が猛烈に苦手。
リハーサルでぴったりに調節したつもりが、いざ本番舞台で座ってみるとなんだか高い。で下げて弾きはじめたらやっぱり低いと。
緊張ではじめ肩が上がってるからそうなるのか、ただ本番では椅子下げたくなる病なのかよくわからなかったから、学生の頃はリハーサルで敢えて高めにしてみたりもしたなあ。
 
結局本番は色々起きるんだから、完璧なものを追い求めずに、どんな状態でもある程度弾けるようにする方が逆に安定するんだろうね。と書いたことを全て無意味と葬って、この記事は終わりとします。
 

自分は学者でもないし、作家でもないので、特に有意義な文にする気はないけれども、自分の感じていることなど。

 

・歌曲の大家

・若くして(1797-1828)亡くなった

 →にも関わらず多作。後期の作品はしっかり晩年の色が

・経済的に恵まれた作曲家ではない

・歌曲だけでなく器楽曲、室内楽も多く、とにかく一曲一曲が長い。もちろん名曲揃い。

・独特の転調

・モーツァルト、ベートーヴェンへの尊敬

 

まあざっとこれくらいが知識としてあることだろうか。

 

シューベルトの後期の作品は、狂気を感じる曲ばかりである。シューマンのように本当に"飛んでしまっている"感覚のある狂気ではなく、シューベルトが正気で感じている狂気といえばいいだろうか。ちょうど今、歌曲集「冬の旅」を聴きながら書いているのだが、恐ろしくてたまらない。「死」と「さすらい」がシューベルトの作品を理解する上でのキーワードとも言われるが、(特に「さすらい」の方はピアノ曲「さすらい人幻想曲」で有名だけれども、「さすらい人」という歌曲が2楽章に使われているにすぎない。)とにかく暗い。

シューベルトの晩年の狂気は長調の曲からも感じられる。とにかくとんでもなく美しく、そして際限がなく永遠に続いていく感覚。ベートーヴェンの後期の音楽のように救い(?)があるのではなく、ただひたすら果てしない。

 

これが自分と同じ歳に書かれた曲とは到底思えない。いやそりゃ自分と比べるなんておこがましいどころの騒ぎではないのだけれど笑、他の作曲家と比べても明らかに異質なのだ。死を感じると無条件にこのような世界が見えてしまうのだろうか。モーツァルトもそうだが、もし中期、気力が充実している期間がより長かったらどんな作品が生まれたのだろうか。

後期云々つらつら書いたが、シューベルトの後期作品、晩年の作といえるのは2年くらいのことではないかと思う。その二年間でとんでもない量の名作が作られているので、その辺りは興味があったら是非調べてみてほしい。

 

これは私だけかもしれないが、晩年の狂気、広がり、長大さに引っ張られシューベルトの基本傾向がそうであるとおもってしまっていた。それゆえに「さすらい人幻想曲」のぶっ飛んだほとんどマッチョなエネルギーに違和感を感じていたのだが、シューベルトの晩年以外の作品を聞くとそのような凄まじいエネルギーの曲も多い。特にハ長調のエネルギーは彼にとって大きかったのだろうか、さすらい人幻想曲、ハ長調の大交響曲(8番、9番、ナンバリングは様々だが、大交響曲、と呼ばれる曲)、ヴァイオリンとピアノの幻想曲の最後の部分。とんでもない熱量だし、そこには広がりのようなものは感じない。正のエネルギーを感じるし、そのまま演奏してしまっていいのだろう。

若い頃の作品一覧を見ると、舞曲がたくさん作られているのも目を引く。もちろん死の影は感じないし、愉快な曲、激しい曲も。親密さを感じることができる。後期が突然訪れたような作曲家ではあるが、一人の人間なわけで、その若い頃の作品を経て突然訪れた狂気、と思うとまた曲に深く入り込めるかもしれない。

 

 

さてここまで来て読み返してみたが内容が薄いし読みにくいな・・・。

書き始めて40分ほど経過してますが、冬の旅は延々と恐ろしい世界が続いています。気分を上げるために大交響曲でも聴いて午後の練習に入るとしよう。