随分暑くなってきましたねえ〜

寒がりの私には有難いのですが、何でかこの季節は毎年くしゃみが止まらない。花粉が治っても何だか違うくしゃみが出るのが何だかなあ…いつか腰をいわしそう。

汗に反応してるのかな、自律神経が弱いのかな、とりあえず筋トレ増やそうか。

 

最近はなかなか調子良く練習できていて快調快調。こういう時に行けるところまで進めようっと

 

 

 

 

スクリャービンとは思えない終楽章に注目笑

28日にエヴァ・ポブウォッカ先生の演奏会を聴いた。

それはそれは幸せな空間で、素晴らしい時間…終わってほしくない時間、とはなんと尊いことか。

 

バッハ、モーツァルト、シューベルト、ベッリーニ、フィールド、ショパン

という流れ。まさに「天才的な」系譜だと思う。前回ブログに書いた内容と若干リンクするところがあり、奇妙な偶然も感じた。

 

この流れと異なるもう一本として、

バッハ、ベートーヴェン、リストとワーグナー

があるように思う。後者が(キリスト教的ではなく)宗教的な側面が強いことも面白い。手法も主題労作的で、意志を強く感じる。

そしてこの二つの流れがラフマニノフ、スクリャービンで再合流するような大きなクラシックの流れを見る、と言ったら言い過ぎかな笑

 

どちらにいても違和感が全くないバッハは改めて音楽の父であると、深く敬意を表すると同時に、もっとバッハを弾きたいと感じるこのところであるが…難しいんだよねえ…笑

 

 

 

何故人がそう感じるのか、何はともあれモーツァルトは間違いなく「天才」である。モーツァルトの音楽が現代人にとってのクラシックの印象を大きく占めている(と感じる)が、モーツァルトの音楽は特別で、これがクラシックの本流かというと、どうも違うように思う。モーツァルトだけ別の軸にポンと存在するような…。(ショパンも同じようなところがあるかもしれぬ。)

 

天才の音楽には全てが整っていて、余分も矛盾もない。解き明かせば解き明かすほど色褪せる。だから演奏するとしたら何も無理することなく、そのまま弾けばいい。

大人には、その「そのまま」が難しい。

放置する、もしくは無関心に何もしないのではなく、そのまま全てをしなければいけないからだ。

 

愛の反対は無関心、という言葉がふと浮かんだが、これは「そのまま」にも繋がる話だ。無関心な演奏は愛のない演奏に等しい。

 

子どもの方がモーツァルトらしく聞こえることが多いのは、モーツァルトが子どもっぽいからではなく、子どもが純粋で愛があるからからだろう。

 

さて、大人の私がどう演奏しよう、と考えている時点でどこか違う気もするが、色々試してみようではないか。

 

 

 

 

 

昨日は1時間ほどソロの演奏でした。

お聴きいただいた方が楽しんでいただけていましたら何よりです。


今回のプログラム、そう大変ではないだろう、と考えていましたが、実際始めてみると中々準備はタフでした。

これの繰り返しでレパートリーが産まれていくので、準備は多少苦しいくらいがちょうどいいでしょう。


演奏中は僕自身の存在も消え音楽の世界だけになったなと思う瞬間もあり、幸せな時間でした。


ここから先少し準備期間を経て、異なる編成、異なるプログラムが続いていきます。


今後も何卒応援いただけましたら幸いです!


今回アンコールで弾こうか悩んで弾かなかった曲を。

https://youtu.be/WI4Hrn4a7DI?si=Qua8EAOLrPynvKcX



梅雨に入ったのかなというような重たい天気かと思えば、急に寒くなったり…日本ってこんな不規則に天候変わりますっけ?笑


今朝は結構な冷え込みだなーと感じて天気予報を見ると…夏日?何が何だかわかりません。


近年暗譜がますます苦しくなってきていますが、これはきっと自分の脳のせいではなく天候のせいということにしようかな。そう思いたくなるくらい、記憶能力は落ちてきているかも…特に身体記憶の方は落ちているんだろうな。なんとか視覚的に記憶してみたり、工夫してこなしていきたいですね。


最近割と暗譜しなくても良いのでは…?という風潮があり、自分も確かにそう思う。そこに不安を感じるより、音楽的に良いことを追い求める方が優先。

ただ、長い間暗譜で先達が弾いてきたことには意味はあるんだろうと思う。それに縛られておくのも悪いことではないかな。





古い動画ですが、これは貴重だなあ…

こういう演奏が「普通」な時代もあったんだろう。