何故人がそう感じるのか、何はともあれモーツァルトは間違いなく「天才」である。モーツァルトの音楽が現代人にとってのクラシックの印象を大きく占めている(と感じる)が、モーツァルトの音楽は特別で、これがクラシックの本流かというと、どうも違うように思う。モーツァルトだけ別の軸にポンと存在するような…。(ショパンも同じようなところがあるかもしれぬ。)

 

天才の音楽には全てが整っていて、余分も矛盾もない。解き明かせば解き明かすほど色褪せる。だから演奏するとしたら何も無理することなく、そのまま弾けばいい。

大人には、その「そのまま」が難しい。

放置する、もしくは無関心に何もしないのではなく、そのまま全てをしなければいけないからだ。

 

愛の反対は無関心、という言葉がふと浮かんだが、これは「そのまま」にも繋がる話だ。無関心な演奏は愛のない演奏に等しい。

 

子どもの方がモーツァルトらしく聞こえることが多いのは、モーツァルトが子どもっぽいからではなく、子どもが純粋で愛があるからからだろう。

 

さて、大人の私がどう演奏しよう、と考えている時点でどこか違う気もするが、色々試してみようではないか。