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自分は学者でもないし、作家でもないので、特に有意義な文にする気はないけれども、自分の感じていることなど。
・歌曲の大家
・若くして(1797-1828)亡くなった
→にも関わらず多作。後期の作品はしっかり晩年の色が
・経済的に恵まれた作曲家ではない
・歌曲だけでなく器楽曲、室内楽も多く、とにかく一曲一曲が長い。もちろん名曲揃い。
・独特の転調
・モーツァルト、ベートーヴェンへの尊敬
まあざっとこれくらいが知識としてあることだろうか。
シューベルトの後期の作品は、狂気を感じる曲ばかりである。シューマンのように本当に"飛んでしまっている"感覚のある狂気ではなく、シューベルトが正気で感じている狂気といえばいいだろうか。ちょうど今、歌曲集「冬の旅」を聴きながら書いているのだが、恐ろしくてたまらない。「死」と「さすらい」がシューベルトの作品を理解する上でのキーワードとも言われるが、(特に「さすらい」の方はピアノ曲「さすらい人幻想曲」で有名だけれども、「さすらい人」という歌曲が2楽章に使われているにすぎない。)とにかく暗い。
シューベルトの晩年の狂気は長調の曲からも感じられる。とにかくとんでもなく美しく、そして際限がなく永遠に続いていく感覚。ベートーヴェンの後期の音楽のように救い(?)があるのではなく、ただひたすら果てしない。
これが自分と同じ歳に書かれた曲とは到底思えない。いやそりゃ自分と比べるなんておこがましいどころの騒ぎではないのだけれど笑、他の作曲家と比べても明らかに異質なのだ。死を感じると無条件にこのような世界が見えてしまうのだろうか。モーツァルトもそうだが、もし中期、気力が充実している期間がより長かったらどんな作品が生まれたのだろうか。
後期云々つらつら書いたが、シューベルトの後期作品、晩年の作といえるのは2年くらいのことではないかと思う。その二年間でとんでもない量の名作が作られているので、その辺りは興味があったら是非調べてみてほしい。
これは私だけかもしれないが、晩年の狂気、広がり、長大さに引っ張られシューベルトの基本傾向がそうであるとおもってしまっていた。それゆえに「さすらい人幻想曲」のぶっ飛んだほとんどマッチョなエネルギーに違和感を感じていたのだが、シューベルトの晩年以外の作品を聞くとそのような凄まじいエネルギーの曲も多い。特にハ長調のエネルギーは彼にとって大きかったのだろうか、さすらい人幻想曲、ハ長調の大交響曲(8番、9番、ナンバリングは様々だが、大交響曲、と呼ばれる曲)、ヴァイオリンとピアノの幻想曲の最後の部分。とんでもない熱量だし、そこには広がりのようなものは感じない。正のエネルギーを感じるし、そのまま演奏してしまっていいのだろう。
若い頃の作品一覧を見ると、舞曲がたくさん作られているのも目を引く。もちろん死の影は感じないし、愉快な曲、激しい曲も。親密さを感じることができる。後期が突然訪れたような作曲家ではあるが、一人の人間なわけで、その若い頃の作品を経て突然訪れた狂気、と思うとまた曲に深く入り込めるかもしれない。
さてここまで来て読み返してみたが内容が薄いし読みにくいな・・・。
書き始めて40分ほど経過してますが、冬の旅は延々と恐ろしい世界が続いています。気分を上げるために大交響曲でも聴いて午後の練習に入るとしよう。