寒暖差が激しい日々が続いていますが、皆様お元気でしょうか。

 

昔はもうちょっと気候の変化、気配が感じられた気がするのですが、最近は全く流れのようなものがなく、天気予報におっかなびっくり。

時は常に動いているので、全ての人は「昔とは変わった」と思い続けるのでしょうけれど、こう気候が変わるとそりゃあ生態系も変わるよなあと。人間は道具を駆使して世界中に存在しますが、気候によって特性はそれぞれだろうなあ。

 

 

冬の曲ではないですが、今日心に流れている曲を。

 

チャイコフスキー「四季」より10月

 

 

 

オボーリンは私のドイツの師匠の師匠でもあります。

室内楽でも良い演奏がたくさん残っていますが、ソロもまことに素晴らしい…

 

今日からこのように少しずつ曲と演奏の紹介をしていこうと思っています。

 

…思いつきで終わりませんように笑

ウクライナ・ロシア、イスラエル・ガザ、中国の不動産…理解するのが難しい問題だらけで途方に暮れる。

 

大まかなニュースが大量に届けられ、少し踏み込もうと思えば正誤不明のもっともらしい情報がいくらでも出てくる。

自分の専門分野以外、何が正しい情報なのか、時間をかけねば私にはさっぱりわからない。わかったと感じたとて、何かに踊らされているのではないか、という不安は拭えない。情報は出し手の思惑によりいくらでも操作できるし、言い回しによって目眩しすることもあまりにも簡単である。

情報に信用がないからこそ、コメンテーターなり評論家、広く捉えれば他人のニュースに対するコメントが気になるのだと思う。

知った当初はYahooニュースのコメント欄なんて何の意味が…と思ったが、今では無意識にそこに目が向く自分がいる。そんなところ最も信用おけないに決まっているのに。

 

私は現在の情報過多な社会に不安、違和感を感じるが、これも人類が利便性を求め続ける限り致し方ないとも思う。しかし…どうも人間社会の行末がこれでいいとは思えない。

これは果たして「人」が望んでいるものなのだろうか。何か得体の知れない圧に押されてやむにやまれずこうなってしまっているのではないか。そして人間はその存在を感じ出しているように思う。(それが深いところでマグマとなり、昨今の民族主義的、排他的な思想の強化に繋がっているのではないか。行きすぎていなければその方が自然なのかもしれないが、私にはわからない。)

 

そんな現代、人間の凄さ、美しさに直感的に感動できるものを私は求めている。スポーツが一番気おわず楽しめるかもしれない。個人の限界に挑む姿、または勝利を求める心は誰しも共感しやすく、精神的にも情緒的感動がある。

ただ、今やどのスポーツも分析が進みすぎてしまって、人間を見るというより、人間がいかにデザイン、効率化されているかを見ているような気もするが…

 

芸術もまた、人間の素晴らしさの粋だと思う。いや、素晴らしくないものも全て映し出す芸術は人間の魂そのものであると思う。そうあってほしい。

芸術に触れた時の感情は本来純粋で、何も不安を感じる必要がないものだ。誰かが「これはいい芸術だ」と言ったものがよいものではない。わかるわからないを超えた、何か途方もない偉大なものなのだろう… 

何が本当なのかわからない現代だからこそ、芸術は人類に必要不可欠なのだと私は信じている。

 

長期間堂々巡りをしながら書いていたが、結局いつまでも下書きで終わりそうなので、一旦この辺りで投稿しておこう。

「らしさ」はどこからくるのだろう?

 

ドイツ音楽は、ドイツ「らしい」なあと思う演奏を良い演奏と感じていることが多いだろうし、その他もしかり。

その音楽「らしさ」を望んで演奏を聴いている気もする。

同じように、ある演奏家の演奏会にいくなら、その演奏家「らしさ」も聴きたい。

 

ただ、それを判断しているのはあくまで当事者であって、それらしさ、が本当にそのものの特徴を捉えているとは限らない。

仮に、曲・演奏家双方の特徴を捉えた演奏、が良いものだとすると、特に演奏家は正しい「それらしさ」を感じる心や知識を育む必要があるだろう。

 

その国らしさ、を感じる心を育むには語学、もしくはその言葉を音として聴くことは欠かせないと思う。

特に日本人は普段全く違う言葉、音に触れているからこそ、意識的に学ばなければいけないだろう…まあ、良い音楽をたくさん聴くことの方がずっと大事だし、その上で、の話だけれど。

 

 

…まとまりのない文になってしまったな。

 

何事も中途半端は良くない。

というのは何となく分かりつつも、バランス良く動こう、考えようとするのが日本人の特徴だろう。

ヨーロッパは何事もはっきりとしていて、気持ちが良い。

 

バランスの良さは体裁の良さにも繋がるので、もちろんいいところでもあるのは前提として、

中途半端な状態は、当然中途半端なリターンが返ってくる。それを求めているのならばいいが、少なくとも自分は求めていない。

中途半端でないようにするには、何事もシンプルにし、その決定に迷わないことに行き着くと思う。

 

…そして他人に対しては言えることも、自分に対して実行するのは極めて難しい。そして実行できているか確認することも怠りがちだ。

せめて音楽だけは、シンプルに表出できるようにしてみたいものである。

9/12


最終日なのに、朝は朝だなぁと変なことを考える。


9:00

スペインでの最後の朝を気持ちよく味わおうと思い、スペイン人には少し早い時間に出立しカフェで朝ごはん。そしてグラナダの大聖堂を少し見る。








なんと素晴らしい…。

そしてアフリカの影響が色濃い。オリエンタルとは何か、と昨日彼に聞いたが、正確に定義するよりは、何となく感じた方が的確に捉えられそう。確かにここは少々オリエンタルだ。


10:45

急いで荷物を回収しバス乗り場に向かうが、自分が調べた停留所には止まらない模様…なんでやねん。やっぱり事前に現地人に尋ねておけばよかった。仕方なくタクシーに乗り空港に向かう。


13:00 グラナダ

14:00 バルセロナ


5日間の友との旅も終わり。

5年間会えていなかったが、やはり特別な存在なんだと再確認。次会うのはどこになるやら…安っぽいが、絆を信じる。彼とのことはまた別に書く。


18:50 バルセロナ

20:50 ミュンヘン


バルセロナで最後の食事。



こういうハムも当分お別れだ。

定番のルフトハンザの遅延にやきもきしつつ楽しむ。


22:30 ミュンヘン

17:00(日本時間 関西


なかなか重たい旅だった。これをどういかすか…ここからまた人生再出発である。