ウクライナ・ロシア、イスラエル・ガザ、中国の不動産…理解するのが難しい問題だらけで途方に暮れる。

 

大まかなニュースが大量に届けられ、少し踏み込もうと思えば正誤不明のもっともらしい情報がいくらでも出てくる。

自分の専門分野以外、何が正しい情報なのか、時間をかけねば私にはさっぱりわからない。わかったと感じたとて、何かに踊らされているのではないか、という不安は拭えない。情報は出し手の思惑によりいくらでも操作できるし、言い回しによって目眩しすることもあまりにも簡単である。

情報に信用がないからこそ、コメンテーターなり評論家、広く捉えれば他人のニュースに対するコメントが気になるのだと思う。

知った当初はYahooニュースのコメント欄なんて何の意味が…と思ったが、今では無意識にそこに目が向く自分がいる。そんなところ最も信用おけないに決まっているのに。

 

私は現在の情報過多な社会に不安、違和感を感じるが、これも人類が利便性を求め続ける限り致し方ないとも思う。しかし…どうも人間社会の行末がこれでいいとは思えない。

これは果たして「人」が望んでいるものなのだろうか。何か得体の知れない圧に押されてやむにやまれずこうなってしまっているのではないか。そして人間はその存在を感じ出しているように思う。(それが深いところでマグマとなり、昨今の民族主義的、排他的な思想の強化に繋がっているのではないか。行きすぎていなければその方が自然なのかもしれないが、私にはわからない。)

 

そんな現代、人間の凄さ、美しさに直感的に感動できるものを私は求めている。スポーツが一番気おわず楽しめるかもしれない。個人の限界に挑む姿、または勝利を求める心は誰しも共感しやすく、精神的にも情緒的感動がある。

ただ、今やどのスポーツも分析が進みすぎてしまって、人間を見るというより、人間がいかにデザイン、効率化されているかを見ているような気もするが…

 

芸術もまた、人間の素晴らしさの粋だと思う。いや、素晴らしくないものも全て映し出す芸術は人間の魂そのものであると思う。そうあってほしい。

芸術に触れた時の感情は本来純粋で、何も不安を感じる必要がないものだ。誰かが「これはいい芸術だ」と言ったものがよいものではない。わかるわからないを超えた、何か途方もない偉大なものなのだろう… 

何が本当なのかわからない現代だからこそ、芸術は人類に必要不可欠なのだと私は信じている。

 

長期間堂々巡りをしながら書いていたが、結局いつまでも下書きで終わりそうなので、一旦この辺りで投稿しておこう。