本屋の前で店員が百田尚樹の本を積んでいた。
 
 本屋大賞一位になった。


  デビュー作にしてミリオンを記録した『永遠の0』(講談社)で,戦争を書いていた。

もちろん読んだがピンとこなかったので、次の作品もその次も読んでいない。

構成作家らしい、物語であったとは思うが、皆が言うほど涙が止まらなかった話でもなかったし、

本当の戦争を描いていたとも思わなかった。

でも、たぶん映画かドラマになるだろうなと予感したら、ほんとに映画化された。

日本人はこのゼロ戦、特攻物が大好きだ。

若い、人気タレントを主役にして、山口県の回天の映画や特攻の映画をつくり

現代の平和ボケした日本人に一体何を訴えるつもりだろうか?

海軍の「海ゆかば~」も好きだ。山本五十六・東条英機

敗戦後は、もちろんA級戦犯である。

まあ、あれだけのバカバカしくて、無茶苦茶なケンカ、いえ戦争は史上例をみないとワタシは思う。

日本人は戦争が好きだ。

日本の実質的な支配者は軍部であり、それは好戦的な強硬派に支配されていると確信していた

のは、あのハル・ノートを書いたハル国務長官はもとより、ルーズベルトもしかり。

ソ連のスパイも登場するあの大東亜戦争。

近衛内閣から東條内閣になったことは、軍人内閣になった、いよいよだと確信したと想像できる。

わずか13歳で渡米した、松岡洋右は英語こそ達者であったが、アメリカは弱い者をバカにし

強い者を尊敬すると自らの体験で感じていた。そんなちょっと特異な彼が外務大臣を勤めていた。

ヒーロが大好きなアメリカ人。

そして、どうかしたら、あの人もこの人もヒーローになれるチャンスが転がってる国、アメリカ。

双方のパーセプション ギャップがあの真珠湾への道へと続く。

双方の認識のずれ、片方が重要だと考えることが、片方ではそうでもないこと。

アメリカの対日観、日本のアメリカ観、それぞれのイメージも大きくギャップがある。

日本の生死にかかわる、三国同盟、中国問題、南進政策の3本柱をことごとく、足をすくったような

ハル・ノートの内容。

受け取った東條は

「自分は目もくらむばかりの、失望に打たれた。これは国家的な自殺に等しい。

 最早、立ち上がる他ないということであった」と言っている。

一方、ハル長官は後に日本がそれほど深刻に受け止めるとは考えなかった。

はなはだしい、パーセプション・ギャップ。

その結果が、負けるに決まっている戦争に命をかけさせられた、軍人でない人たち。

無益な国民の血がどれほど流されたか。

人類史上、これほどの人的損害はこの大東亜戦争以外にない。

どんな理不尽も許される戦争

だが、ヒロシマとナガサキに原爆をぶち込んだ。

終戦。

勝利を得た国家が、敗北した国家を裁く。

前代未聞の東京裁判。

deth by hanginng


アメリカ人であるブレイクニー弁護士の原爆に触れた発言。


我々は広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。


投下を計画した参謀長の名も 承知している。


その国の元首の名前も我々は承知している。


彼らは殺人罪を意識していた か。してはいまい。


原爆を投下したものがいる!


この投下を計画し、その実行を命じこれを黙認した者がいる!


その者たちが裁いているのだ!


11人の判事のうちただ一人、被告全員無罪の判決(少数意見)を下したパール判事


「戦勝国は敗戦国に対して憐憫から復讐まで、どんなものでも施し得る。しかし勝者が敗者に与え


ることができない唯一のものは『正義』である」


 誇れる日本人の道徳心に、チョコレートをコーディングし、自らの誇りを捨ててしまったのだろ


うか?いいえそんなことはない。


と戦争を全く知らないワタシは信じたい。知らないから、真実を知りたい。


最低でも、広島、長崎県人は忘れてはいけない。


ヒロシマ、ナガサキ・・・世界中の人が知っている。


60年代、大江健三郎氏が書いた「ヒロシマノート」以来、広島をヒロシマと言うように


なったらしい。この本でノーベル賞を受賞したわけではない。だから最も売れたこの本を


どれだけの外国人が読んだだろうか?


若い広島人は世界遺産の原爆ドームを毎日見ていながら、戦争を忘れ去っている。


回天って、回転焼きのこと?「出口のない海」は全くヒットしなかった映画。


先日、他のブログで海外に行った高校生が皆から国家を


歌ってと言われたが、歌えなかった。恥ずかしかったのではなく、歌詞を覚えていなかったから。


という記事を読んだ。


・・・・・・


  永遠に書いてしまうであろうこの記事だが、ここらで筆を置く事にする。


  切りがない。


 変なおばさんです。


図書館で本を借りますが。戦争の本は借りません。家に持って帰ってもなぜかテーブルの上に


置いておけない。もう一人の家族に「また、戦争の本を読んでる」と思われたくない。


 図書館の一番奥に戦争・歴史のコーナーがあります。


ここには、よっぽど席がないかぎり誰も座らない4客の椅子とテーブルがあります。


ワタシの指定席です。


先日、満員だったのか、二人の主婦が生活雑誌を手に、「いいですか?」


しばらく、笑顔で話していた二人、テーブルの上のワタシが置いた本を見ている。


「知られざる証言者たち」「図説・玉砕の戦場」「「A級戦犯名簿」


手には「南京大虐殺・写真集」を持っていた。


ヒソヒソ話が始まった、時々ワタシの方を盗み見ている。


脇に置いた鞄をそっと手にして、主婦達は逃げるように席を立っていった。


 変なおばさん。たぶん同年輩のおばさんたち。



ふと見ると、今日のワタシ、破れたカーキのパンツに上はなんと古着屋で買ったお気に入りの


カモフラージュの戦闘服を着ていた。




  どっちが変だろうか?


  もちろんワタシだ。



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 いつも外国人でいっぱいの原爆ドーム、始めて写真を撮ってみた。


だが、彼らは建物を見て、原爆の恐ろしさを少しは感じているかもしれないが、


被爆者達の戦後をわかっているだろうか?

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日本の教科書には載ったが、アメリカの教科書には載ってはいない。
 ブログ読者の中でも、自分で書き始めたころからの仲良しはそういない。


実生活で、人との付き合いができないワタシにとって、ここでのコメントのやり取りは唯一


人と触れ合う場面である。その数人の中で、最初から全く変らずワタシをわかってくれている


ブロガーさんにToshyさんというイタリア語、英語、日本語の堪能な女性がいます。


もちろん、仕事は通訳です。記事はイタリアの歴史から最新事情まで映画や本や芸術・グルメ


彼女の視点で、ユーモアのきいた楽しい記事を書いて読者を喜ばせてくれます。


彼女、神戸っ子でもあり、ワタシへのコメントはいつも関西弁。


 もう一人、たぶん一番年下のブロガーさんだと思います。夜空さんという方がいます。


読んでる本がよく似た傾向だったり、もの言いが、歯に物着せぬ言い方もよく似ています。


親子ほど年齢差はあれ、物の考え方が似てるのにはちょっとびっくり、彼女が大人っぽいのか


ワタシが子どもっぽいのか?


さて、彼女が昨夜書いていた記事を読んで、あっ、あの人のことだ。


日露同時通訳者でもあり、エッセイストとしても名をはせた女性「米原万里」さん。


「幼児に英語を学ばせる愚」 米原 万里 と記事に書かれていました。


沢山のエッセイを書かれた彼女、こんな題名の本があったかもしれないけど


ワタシは処女作である「不実な美女か貞淑な醜女か」と「うちのめされるようなすごい本」の


二冊を読んだ。これもまた遠い昔、さっそく本棚から2冊を取り出し読み直し。


夜空さんは、彼女のこの一説には、一言一句、賛同する。と記事をくくっている。


 当時、ワタシは小さな子どもに英語を教える仕事をしており、なぜか頭にターバンを巻いた


インド人とのペアレッスン。彼にとっては英語は第二外国語のはずだが・・・?


小さな子どもの「きゅうり」や「トマト」の発音の指導していたっけ。


インド人のおっさんと、日本人のおねえちゃんが発音を教えてる・・・?


今、思い出しても摩訶不思議な光景。流れるのは冷や汗。熱血英語教師だったワタシ。


大きなブルドーサーで掘ってもらわなければ埋まりません。


 他にも理由はあったけれど、子どものための英語教室を辞めて、予備校の英語教師になった


のは米原万里さんの本であった。そのことを思い出した。


  空気のような母なる言葉・・・(なんと綺麗な表現でしょう)


米原万里の師匠である、外山滋比古は


幼児にいくつもの言語を詰め込むことの危険性に警鐘を鳴らしている。


本文から引用してみよう。


 幼児にはまず三つ児の魂(個性的基本)をつくるのが最重要である。

これはなるべく私的な言語がよい。標準語より方言がよい。方言より母親の愛語がよい。

ここで、外国語が混入するのは最もまずいことと思われる・・・(中略)

方言・標準語・外国語が三つ巴になって幼児の頭を混乱させるからである。・・・(中略)

家族連れで海外生活をしてきた家庭の子どもにしばしば思考力の不安定なものが見受けられるのは

幼児の外国語教育がもし徹底して行われると、とういうことになるかというひとつの警告とうけとる

べきであろう・

(外山滋比古著 『日本語の倫理』中央公論社)



米原万里が本で紹介してくれなければ、『日本語の倫理』なんて本はまず手に取らない本。


 当時、知り合いから、子どもにすこしでも早く英語を学ばせたいと相談されると


「同じ授業料を払うなら、スイミングスクールを勧めます」と言って呆れ顔をされたことも


ある。不親切なワタシ、こんなこと書いてる本があります、じゃなくて親ならちゃんと調べて


子どもを教育しなよ。


 英語の下手な日本人を笑うけれど、たぶん日本語も下手な輩だと思うな?


何年か前の、化学ノーベル賞を受賞した、日本人化学者、パスポートも持ってなければ、もちろん


英語でスピーチなんてどんでもない。ただひたすら日のあたらない処で研究してきただけ。


二人目のノーベル文学者である大江健三郎氏の受賞当時のコメントで、


「もっと、もっと読まなくてはならない本が山とあります、小説を書くのを辞めてそれらの


 本を読んでいきたいと思っています」


ノーベル賞をとった人が皆立派な人間だとは思わない、完全無欠な人間なんていないんだから。


自分のやりたいことに、外国語が必要な場合じゃなければ、母国語をもっともっと愛することを


勧めます。お母さんの言葉を。

 
 生まれて最初に聞いた言語、自分の心情を吐露し、ものを考えるときに意識的にも無意識的にも


血が流れるがごとく自然に頭の中で紡いでいける母なる言葉。


第二言語は第一言語より、けっしてけっして上手くはならない。単刀直入に申せば日本語の下手な人


は外国語を身につけられるけれども、その日本語の下手さ加減よりもさらに下手にしか身につかない


と言うことでしょか。英語習得に挫折したワタシならではの言葉です。


ともあれ、通訳のToshyさんの頭脳明晰さは記事やコメントの文章で認知済。


その上、彼女のどこまでも謙虚な態度に、いつも学ぶところ多いにあり。


彼女もきっと、通訳の現場での苦労話や、おもしろおかしな話があるんだろうな。


「不実な美女か、貞淑な醜女か」は抱腹絶倒な、大声あげて笑う本です。


 群ようこの次に、笑い涙が出る本です。


ちなみに、この二人のエッセイスト、猫好きですぜ、がたちゃん。(がたねぐらのブログも


笑える)


  ふろく:YOU TUBUにて米原万里の「わが心の旅」をみることが出来ます。

     
      彼女、2006年に亡くなっています。


      若くて、綺麗で、聡明な日本の女が・・・残念、悲しい。


  日本人が大好きなさくら・桜・さくら。


 人に夢と書いて、儚い・・・はかないものが好き。


 やはり日本人、仏教徒が多いせいか、諸行無常が大好きです。


 この世の無常観、咲いたかと思ったら、もう散ってしまう、変りいく諸行・・・


 日本人の美意識の根底でもあるようです。


 ワタシ、コテコテの日本人のつもりです、ちょっと前はどんな人が混じっているのかわかり


 ませんので、純血ですと言い切れませんが、ほぼ日本人で間違いないでしょう。


  さて、全国的に春真っ盛りです。

 
  人はなぜ春を待つのでしょうか?

  
  出会いと別れ、一期一会。


  さよならだけが、人生さ。

 
  和服を着た母親をほとんど見かけませんが、入学式、卒業式があちこちであります。


  民族衣装とはいえないけど、もっと着物を着てほしいなと思います。


  どんなオカチめんこでも、着物が似合うんですよね。当たり前ですけど。

  
  着物といえば、何年ぶりに、お茶会に誘われました。


  ソロプチの皆さんの中で、考えただけでも、息が出来ません。


  お誘いくだすった方に「死んだといっておいて」と言ってお断りしたら、

 
  「じゃあ、宇宙に行ったと言っておきます、ホ、ホ、ホ」


  当時、皆さん、ワタシのこと宇宙人って言ってましたよね。


  何年ぶりに、宇宙人のうわさをしたのでしょうか?


  暇だから、他に考えることねーのかな?






  さくらぁーさくらぁー


  わたしゃ、この歌、100回はカラオケで歌わされました。


  ワタシ的にはこの歌、好きじゃないんですけど。

  
  まあ、上手いからね。感情移入してないけど、演技うまし。
  
      
 



  歌上手し人って、ひっぱりだこでして。

  
  どんな飲み会にも、連れていかれました。


  見かけはアン・ルイスを歌うんだろうなって感じで、股旅ものなんかを間に入れると

 
  おじさんたち、しびれてしまいます。



 
  さくらはウチの隣の家の、しょぼくれたさくらが可愛いです。

  
  共産党だった一家、もう20年も空き家です。


  家人がいなくなっても、必死に咲いています。おぼろ咲きですが。


  その玄関の前のさくらです。

 
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 玄関には「アメリカのいいなりになるな」と看板がかけてあります。


 よって、空に向かって写真を撮ったのはそのせいです。


 看板が入ってしまうので。

 

 これ見てみろって、誇らしげに咲いている、さくら並木のさくらたち。


 あんたたち、嫌いです。


 市役所の連中が、大事に手入れしてるんでしょうね。


 山里の藪の中で、日があまりあたらなくて、こんな風にしか咲けませんでしたけど


 ごめんなさい、これでせいいっぱいです。


 さくらはそうでなくては、日本のさくらではありません。



 おっと、また隣の共産党一家に同調したような記事になりそうなので


 春、マッサラナ春。


 だから野菜もみんな、新じゃが、新たまねぎ、新ごぼう・・・


  
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 新ごぼうと、京人参の入った、混ぜご飯です。

 
 そして、もういっちょう。

 
 みぶなのお漬けものです、塩をした後、美味しい自家製のタレにつけてというか

 
 ジッパー付きのビニール袋の中に入れて冷蔵庫へポン。

 
 次の日には、もうご飯が3杯いけちゃいます。

 
 
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 みぶなは京野菜ですけど、最近は八百屋さんに売っています。


 壬生地方のお野菜ですよ。


 日本に生まれてよかった。


 でも、今朝は、朝マックしました。


 二人で640円・・・安い。

 
 

 デパートでも簡易包装・・・お印にテープだけ。のちょっと味気ない買い物になりました。


ワタシがお勤めしているころは、どんな形の箱であれ、お品であれ、デパートオリジナルの包装紙で


お包みしたものです。お客様の前で、あっと言う間に包装、おリボンなどをしつらえるととても喜ば


れたものです。包装紙と言えば、お使いに行った時に、ちょっとしたお菓子やら、何かを包んでくれ


たり、食器棚の引き出しに敷いたり、天ぷらの敷き紙にしたりして案外使い道があったものです。


 今では、デパートの包装紙を取っておかなくても、ありとあらゆる柄の包装紙が安く売ってます。


映画の中で、キュートな女の子が、彼にもらったプレゼントの包装紙を目の前でバリバリ破いて


中身を取り出してる様子はちょっと「いやだぁ、もったいないぃー」


日本人のもったいない精神は、お台所や納戸の中が膨れ上がるんですが、これも一昔前の話です。


一昔、精神は二昔前かもしれません、ワタシ。


包装紙はもちろんのこと、どんな小さな紙切れでも、好きな色や柄があるととっておきます。


クッキーの缶や、箱の中はそんな紙切れでいっぱいです。布着れもそうです。


 さて、移り気なワタシの何度か目の職場であるMデパートの包装紙は、あの猪熊源一郎の


デザインです。


おうどんで有名な丸亀市に猪熊源一郎美術館があります。3年前にツレと二人、おうどん経由


美術館行きの小さな旅をしました。ワタシたちはたいてい、美術館へ行く時には、とにかく


先に、名物、それから美術館です。この間の宍道湖のほとりの島根県立美術館の時のあの美しい


鰻重もしかり、美術と名物とはセットになっています。


ワタシにとって、美味しいものがノドを通る時の、至福の喜びと、美術を見た時の目から心へ通る


あの感動が全く同じなんです。だから、不味いものを食べた時と不細工な美術を見た時のあの


どんよりした、飲込めない感覚も一緒なんです。


 1950年代から、Mデパートの「華ひらく」と題された包装紙とショッパーの色、柄は今も変り


ません。ちょうどその時代でしょう1952年、黒澤明監督の「生きる」という映画が作られたの


は。その時のポスターの画が猪熊源一郎なんです。

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 なぜか、日活のポルノ映画のとなりに貼ってますが、ツレが両方好きなもんで。


両方とも名作だといってききません。


 余命3ヶ月と宣告された、平凡に生きる、市民課の課長役に当時初の主役を演じた志村喬と


その3ヶ月の命を、本当の意味で「生きる」ことができた、きっかけをつくった一少女の役を


チャコちゃんのお母さんの小田切みきが演じています。ブランコに二人がのっているシーンです。


映画本編では二人でブランコにのるシーンはありませんが、このポスター、画も達者な黒澤が


あえて画家、猪熊に依頼したのも始めて、猪熊も映画のポスターは最初で最後の仕事です。


時代の先を歩んでいた、若き監督と画家の一度だけのコラボレーションです。


 精力的に芸術人生を生き抜いた猪熊は90歳、8歳年下の黒澤は88歳で亡くなっています。


何かをなしとげることが、生きる意味とは思っていません、何もしなくても、生きることこそ


一人、一人に意味がある。つまらない人生などひとつもないとワタシは考えます。


しかるに、二人の人生の、ワタシたちに与えた影響の大きさは、偉大なものといえます。


ともに明治、大正、昭和、平成を繊細かつ大胆に花道を生きた二人といえましょう。




  おまけ:



映画「生きる」についての感想文は、映画ファンが泣きそうな文章を沢山書かれているので、


ワタシのような、エセ映画ファンがあれやこれやと、知ったぶりで書くのは恥に恥を重ねるような


ものなので書きませんが、この映画と「天国と地獄」を見て、黒澤明がちょっとわかったような


気がしました。「羅生門」は国語の教科書で原作を知っていたので、「ふーん」と言う感じでした。


京マチコのこの世のものとは思えないほどの妖艶さと三船敏郎のはぁはぁばっかりの演技しか記憶に


ありません。森雅之はこの役以外は全部好きです。やっぱり映画をわかってないなぁ、ワタシ。



  おまけ2:ここからは個人的なメッセージになります。


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 がたちゃん、えろたん、真ん中の子がな、野良猫やって、病気になって家猫になったチャコや


茶太郎、または茶吉と呼んでたあのがたちゃんとこのマーマ丼と同じ種の猫。


今日も病院へ連れていったんよ、だっこしても、痩せてしもてな、「長生き音頭」作詞作曲ベー子


の歌をずっと聞かせてんねんよ。


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寝床はこの「粒より小餅」が好きみたい。


 明治・大正の文豪の素晴らしさを、ワタシごときがわかったふりをして語るのはこっけい以外の


なにものでもないので、とにかく好きな文豪の中の一人、志賀直哉のことを今日は書こうと思う。


どこが好きだと書くぶんには、誰も笑わないだとうと思うから。


現国の試験の例によって、作者と作品の題名を⇒でむすべとか、ちょっと難しくなると、カッコの


中にどちらかを漢字で書き込めという問題が必ずあった。作者か作品名かを。


大正時代だと、『こころ』夏目漱石 『羅生門』芥川龍之介 『友情』武者小路実篤・・・


そして、『暗夜行路』の志賀直哉 航路と書いて失点した記憶がある。


志賀直哉と言えば、『暗夜行路』だが、ワタシは『小僧の神様』と言う短編集が好きだ。


 彼は「小説の神様」と呼ばれた作家で、資質を高く評価していた二人がいた。


一人は和辻哲朗、もう一人は芥川龍之介だ。


芥川がある日、師である漱石に


「志賀さんの文章みたいなのは、書きたくても書けない。どうしたらああいう文章が書けるので


 しょうかね」


「文章を書こうと思わずに、思うままに書くからああいう風に書けるんだろう。俺もああいうのは


 書けない」


と答えたそうだ。褒めているのだと思うが、一方、小説家として、読者にわかりやすく書くという


作業がなされてないとも言える。『暗夜行路』はわからない箇所ばかり。


ただし、長編のわかりずらい小説は『暗夜行路』だけ。


ただ、思うままに、感じたことを大切に簡潔にして、的確に、読者が目の前にあざやかに


状況や心情を思い浮かべることができる短編小説の数々がある。


どれもこれも何度読んでも飽きない。読むたびに、年代によって、思いが違う。


その骨頂が、『小僧の神様』だと、ワタシは思う。


人間観察、とくに個性というものに拘り、深くほりさげ、描写したと考える。


なんて、生意気なことを言うと、自分で恥ずかしくなるが、本当にそう思う。


小僧というのは神田の秤屋のでっち奉公をしている仙吉のことだ。


 先輩の番頭たちの話を聞いて、彼らが行く寿司屋で鮪の脂身を食べてみたいと強く思う。


小僧の身分で、寿司屋へ入り、鮪の脂身を食べることが果たしてできるだろうか?


仙吉は思い切って、配達時の電車賃を貯めて店に入り、何度も寿司屋で食べてる風を装って


厚い欅の板の上に三つ並んだ、鮪の寿司を一つつまむ、「ひとつ、六銭だよ」と言う亭主の声に


仙吉は持った鮨をそのまま返してしまう。


「一度持ったものを置いちゃあ、仕様がねぇな」といわれ、すごすごと暖簾の外へ出てしまう。


 その様子を見ていた若い貴族院議員のAは、仙吉を不憫に思い、あることを思いつき仙吉に


寿司を腹いっぱいご馳走する。秤を買って一緒に家まで運ばせるふりをさせ、車屋まで行き


秤をそこへ下ろさせてから、お礼と言って寿司屋の中に入れて自分は帰ってしまう。


仙吉は、一人誰はばかることなく、夢中で三人前の鮨を平らげた。


仙吉の小さくて大きな夢は、親切なAによってかなえられた。


「又来てくれないと、こっちが困るんだよ、御代をまだたくさんいただいてるんですからね」


と言うかみさんの言葉に只無闇とお辞儀をして帰る。


ふと見た、まだまだ子どもな奉公人の仙吉を気の毒の思い、とにかくご馳走したくなったAの


気持ちがよくわかる。ただ、その後、Aは淋しい気持ちになる。


小僧も満足、名乗ることもなしにご馳走した自分も満足なはずなのに、なぜかいやな気持ちになる。


一方、仙吉も先日、寿司屋で恥をかいたことを思い出す、番頭たちが言っていたあの寿司屋へ


連れて行ってくれたAというりっぱな形をした男は果たして何者なんだろうか?


まるで、番頭の話も知っていて、自分が恥をかいたことも知っていて・・・?


自分の心までも見通していたあの男は?


超自然的な気持ち、不思議な気持ちになってくる、もしかしたらお稲荷さんかもしれない。


仙吉とAの気持ちの複雑さを、志賀直哉は、きれいな言葉でわかりやすく、殺伐とした昭和・平成


に暮らす読者に、人が人を思うこころの真髄を教えてくれた。


それは、ふと目にした人の気持ちに自分の心が動く、そしてどうしてもそのことに始末をつけたい。


ほおっておく気にならない、人を喜ばすことは絶対に悪いことではない、ないはずなのに。


悪いことをした後のようないやな気持ちになってしまう。


「そんなことないわよ」と言う細君の言葉に


「俺のような気の小さい人間は全く軽々しくそんなことをするもんじゃないよ」と言った。


仙吉は、御代がまだあるというあの寿司屋へは二度と行かなかったけれど、悲しいこと、


苦しいことがあると必ずAを思い出した。思うだけで慰めになった。と書いてある。


自分の事を気の小さな人間といったAのどこまでも謙虚で綺麗な心は仙吉の心の支えになった


生きる希望になった。「またあのAが思わぬ恵をもって現れることを信じた」


仙吉のとっての神様になった。


 記事の最初に書いた、「小説の神様」と呼ばれた、志賀直哉は多くの小説家から手本とされ


直哉の文章を書き写すことで、文章の練習をする小説家志望もいたということです。


絵画教室で、ブラックの真似をして、花瓶のバラの淵を黒く描いて、先生に怒られたことを


思い出します。好きな芸術を真似することが、一番大切な練習だとワタシは思います。


 あこがれは自分にとって神様だとおもうからです。