明治・大正の文豪の素晴らしさを、ワタシごときがわかったふりをして語るのはこっけい以外の


なにものでもないので、とにかく好きな文豪の中の一人、志賀直哉のことを今日は書こうと思う。


どこが好きだと書くぶんには、誰も笑わないだとうと思うから。


現国の試験の例によって、作者と作品の題名を⇒でむすべとか、ちょっと難しくなると、カッコの


中にどちらかを漢字で書き込めという問題が必ずあった。作者か作品名かを。


大正時代だと、『こころ』夏目漱石 『羅生門』芥川龍之介 『友情』武者小路実篤・・・


そして、『暗夜行路』の志賀直哉 航路と書いて失点した記憶がある。


志賀直哉と言えば、『暗夜行路』だが、ワタシは『小僧の神様』と言う短編集が好きだ。


 彼は「小説の神様」と呼ばれた作家で、資質を高く評価していた二人がいた。


一人は和辻哲朗、もう一人は芥川龍之介だ。


芥川がある日、師である漱石に


「志賀さんの文章みたいなのは、書きたくても書けない。どうしたらああいう文章が書けるので


 しょうかね」


「文章を書こうと思わずに、思うままに書くからああいう風に書けるんだろう。俺もああいうのは


 書けない」


と答えたそうだ。褒めているのだと思うが、一方、小説家として、読者にわかりやすく書くという


作業がなされてないとも言える。『暗夜行路』はわからない箇所ばかり。


ただし、長編のわかりずらい小説は『暗夜行路』だけ。


ただ、思うままに、感じたことを大切に簡潔にして、的確に、読者が目の前にあざやかに


状況や心情を思い浮かべることができる短編小説の数々がある。


どれもこれも何度読んでも飽きない。読むたびに、年代によって、思いが違う。


その骨頂が、『小僧の神様』だと、ワタシは思う。


人間観察、とくに個性というものに拘り、深くほりさげ、描写したと考える。


なんて、生意気なことを言うと、自分で恥ずかしくなるが、本当にそう思う。


小僧というのは神田の秤屋のでっち奉公をしている仙吉のことだ。


 先輩の番頭たちの話を聞いて、彼らが行く寿司屋で鮪の脂身を食べてみたいと強く思う。


小僧の身分で、寿司屋へ入り、鮪の脂身を食べることが果たしてできるだろうか?


仙吉は思い切って、配達時の電車賃を貯めて店に入り、何度も寿司屋で食べてる風を装って


厚い欅の板の上に三つ並んだ、鮪の寿司を一つつまむ、「ひとつ、六銭だよ」と言う亭主の声に


仙吉は持った鮨をそのまま返してしまう。


「一度持ったものを置いちゃあ、仕様がねぇな」といわれ、すごすごと暖簾の外へ出てしまう。


 その様子を見ていた若い貴族院議員のAは、仙吉を不憫に思い、あることを思いつき仙吉に


寿司を腹いっぱいご馳走する。秤を買って一緒に家まで運ばせるふりをさせ、車屋まで行き


秤をそこへ下ろさせてから、お礼と言って寿司屋の中に入れて自分は帰ってしまう。


仙吉は、一人誰はばかることなく、夢中で三人前の鮨を平らげた。


仙吉の小さくて大きな夢は、親切なAによってかなえられた。


「又来てくれないと、こっちが困るんだよ、御代をまだたくさんいただいてるんですからね」


と言うかみさんの言葉に只無闇とお辞儀をして帰る。


ふと見た、まだまだ子どもな奉公人の仙吉を気の毒の思い、とにかくご馳走したくなったAの


気持ちがよくわかる。ただ、その後、Aは淋しい気持ちになる。


小僧も満足、名乗ることもなしにご馳走した自分も満足なはずなのに、なぜかいやな気持ちになる。


一方、仙吉も先日、寿司屋で恥をかいたことを思い出す、番頭たちが言っていたあの寿司屋へ


連れて行ってくれたAというりっぱな形をした男は果たして何者なんだろうか?


まるで、番頭の話も知っていて、自分が恥をかいたことも知っていて・・・?


自分の心までも見通していたあの男は?


超自然的な気持ち、不思議な気持ちになってくる、もしかしたらお稲荷さんかもしれない。


仙吉とAの気持ちの複雑さを、志賀直哉は、きれいな言葉でわかりやすく、殺伐とした昭和・平成


に暮らす読者に、人が人を思うこころの真髄を教えてくれた。


それは、ふと目にした人の気持ちに自分の心が動く、そしてどうしてもそのことに始末をつけたい。


ほおっておく気にならない、人を喜ばすことは絶対に悪いことではない、ないはずなのに。


悪いことをした後のようないやな気持ちになってしまう。


「そんなことないわよ」と言う細君の言葉に


「俺のような気の小さい人間は全く軽々しくそんなことをするもんじゃないよ」と言った。


仙吉は、御代がまだあるというあの寿司屋へは二度と行かなかったけれど、悲しいこと、


苦しいことがあると必ずAを思い出した。思うだけで慰めになった。と書いてある。


自分の事を気の小さな人間といったAのどこまでも謙虚で綺麗な心は仙吉の心の支えになった


生きる希望になった。「またあのAが思わぬ恵をもって現れることを信じた」


仙吉のとっての神様になった。


 記事の最初に書いた、「小説の神様」と呼ばれた、志賀直哉は多くの小説家から手本とされ


直哉の文章を書き写すことで、文章の練習をする小説家志望もいたということです。


絵画教室で、ブラックの真似をして、花瓶のバラの淵を黒く描いて、先生に怒られたことを


思い出します。好きな芸術を真似することが、一番大切な練習だとワタシは思います。


 あこがれは自分にとって神様だとおもうからです。