4月27日


帝王切開で、7匹の赤ちゃんを産んだかあしゃん。


名無しではありません、正式名が『かあしゃん』です。


我が家に、今までにないほのぼのしたものを運んできてくれた、かあしゃんです。





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目が開かないので、またポチタマクリニックへ

先生がこじ開けました。

かあしゃん、おめでとう。

最後に生き残った一匹だけの、あかちゃん。

ハミちゃんという名前。

いつもワタシがハミングしてるからツレが名づけたよ。

ハミングってなんか可愛いイメージだけど、即興で歌ってるのよ。コブシきかせて。

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ほら、目開いてるでしょ。

あんなに、かあしゃん綺麗なお顔してんのに、町内一のべっぴん猫。

この子も不憫。

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ハミちゃんがべーちゃんみたいな子にならなきゃいいけど。

似てるわ。

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この子にも似てるわ。

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ベー子の腕にだかれた、弥生君。

君って読んでるけど、玉なしなの。

ただ今7キロ。ハミちゃんのすぐ上のお兄ちゃんよ。きっと体質も似るわね。

可哀想。


      今日はママの日、ママ、おめでとう。そしてありがとう。


   
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   裏庭に、ママの好きなジャスミンが香っていますよ。


    「あかん、あかん、そんな猫ひろてきて返しておいで」


      って声が聞こえます。
 


 
 少し前、テレビの番組でそうそうたる、大女優と呼ばれる映画の主演級女優たちへのインタビュー

で、「一番あこがれる女優ナンバー1」になった。

 今年4月に恋愛小説『わりなき恋』(幻冬舎)が話題を呼んでいる。

70代の女性の恋を描いた小説らしい。彼女にとってはちょっと冒険のような本だと思った。

しかし、彼女、現在80歳になってるそうだ、テレビで見かける限りそんな歳だとは信じが

たいが、女80歳、70代の女性の愛と赤裸々な性の物語を書いてもおかしくない。

いや、書ける年齢であろう。宇野千代など、若い時から亡くなるまでテーマはそれであった。

 
 彼女の本は、「砂の界へ」という彼女自身が戦火のイランを往き、ナイルを遡ったノンフィク

ション、文春文庫を一冊手元にもっている。女優ではなく、ジャーナリストとして挑んでいる。

まあ、普通の女優なら、そんな戦乱の地へルポしには行かないと思う。というところも芸能界

しか知らない、大御所女優連中の羨望に値するのかもしれない。


「日本とフランスという、いづれも文化の襞の深い、人間がなまなかなことでは生まれっぱなし

 の素顔をむき出しにしない、洗練されすぎた二つの国だけを往復していると、私は自分の中の

 とがった大事なものが少しずつ萎え、まるく怠惰になり、高慢にさえなってくるのを感じるの

 です」

 とがった大事なもの、このとがったものは持っている人といない人がいる。男にも女にもいる。

良し悪し、関係なく、ワタシはとがったものを持っていない人は苦手であり、持っていない人は

たぶん、ワタシを理解できないと思う、彼女とワタシのとがったものが同じだというのではない。

異質なものであって当たり前であるし、何にとがるかは人それぞれであるから。

丸く柔らかくなる自分が見えないし、考えられない。そこが嫌われる原因だとも思う。

かわいいおばあちゃんになりたいという多数の女性の望む老後にだけはなりたくない。

 変ったばあさんだけど、言ってることは違っちゃいない・・・というばあさんがいい。

どう望んでも、ナミナミならぬ努力も実を結ばないのが人の老いだから、偉そうなことは言えない。

思い描く老後の自分に出会える確率は、くじ引きに当たる確率より低い。


 フランス人の医師であり映画監督でもあるイブ・シャンピ氏のもとへ、人気絶頂だった映画女優の

岸恵子24歳は、惜しげもなくその地位を捨てて単身フランスへと旅立つ。

日本からフランス、プロペラ機で50時間の頃だ。

確かに、とがったものを持った女性だった。並のとんがりではない。

彼女の出世作である、佐田啓二との共演「君の名は」のすれ違いでイジイジするばかりの女主人公と

はあまりにかけ離れている。エッセイの中で彼女自身もそう書いている。

今年、本屋で手にした『わりなき恋』は小説だし、恋愛物語だから、図書館で順番を待って

読んでもいいと思ってそのままでいる。『わりなき』の意味は理無きと言う意味らしい。

 文章を読む度に彼女の非凡な才能を発見する、彼女らしい言葉を選んでいると思う。


 少し前、ツレが古い昭和の映画のポスター集をめくっていて、横からふと「雪国」を目にした。

川端康成の「雪国」の映画化だ。作家役は池辺良、芸者駒子の役が岸恵子だ。

「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった」という有名な書き出しの長編小説だ。

ノーベル文学賞を受賞した作品の一つでもあるので、読んでいる人も多いと思うけが

なぜか、日本人より外国人の方がよく知っている。数少ない外国人の知り合いは全員読んでいたが、

20代だったその当時の日本人のこれも数少ない知人は誰も読んではいなかった。

感想を聞かれて困ったことを覚えている。古典的なことが書き込まれていて説明に苦労した。

原作の話はさておいて、この映画は、大昔見ている。生まれる前の映画なので、たぶんテレビで見た

んだと思うが、岸恵子という、バタ臭い顔の若い女優が、駒子の役なんてと思いながら見た事を思い

出した。だが、後に佐久間良子や三田佳子や岩下志摩なんかが駒子役をドラマや舞台などで演じたの

を見て、なぜか、昔、若い時に見た岸恵子の駒子が一番、駒子らしいなと思っている。

 話は逸れるが、これも川端の短編私小説、「伊豆の踊り子」の映画化での踊り子かおるの役の一番

は内藤洋子だと思う。相手役の一高のわたし役の黒沢年男は一番似合わない、高橋英樹もである。

一番は山口百恵の相手役三浦友和だと思う。

百恵も悪くはないが、内藤洋子のあのおでこがない分、負けている。

 原作は両作品とも若い時に一回きりしか読んでいないので、川端文学独特の風景描写や心理描写を

思い出せないでいる。映画や演劇での印象が強すぎて、本の中での美しい部分がビジュアルになって

しまっている。駒子からかおるの話になってしまったが、岸恵子の映画ではもう一本好きな映画が

ある。原作は幸田文の「おとうと」の映画化での姉役「げん」が、本を読んでいてイメージが重なっ

た。ぴったりだと思った。これも古くも新しくもない微妙な時代、大正時代の負けん気の強い、健気

で、細やかな情を表現する娘役でむずかしい役にもかかわらず、フランスの香プンプンであるあの顔

でなぜ、日本の女のあの凛とした、体から匂いたつような一本筋の通った女が演じられるのだろう

か?市川昆監督の確かな審美眼で、あのエキゾチックな顔の岸恵子の中に日本人的な美しさを見て取

っていたのだろうか?その演技で女優岸恵子はみごとに、多数の賞を勝ち取る。


1960年 「おとうと」ブルーリボン主演女優賞 ・・・一作目

2001年 「かあちゃん」日本アカデミー賞最優秀主演女優賞 ・・・最新作


  その他計8作の映画と撮っている。「悪魔の手鞠唄」は知ってると思うけれども。



 18年間の結婚生活で、彼女は離婚を決意した。原因は夫の女性関係、妻以外の女性との恋愛だが

どちらがどうだということではなく、夫婦とか愛とかいうものを通り越して、もっとどうにもならな

い血の命とか、彼女の中に流れる日本人の血がアンコミニカビリティを引き起こしたのだろうことが

想像できる。夫のシャンピ氏にも当然、愛すれど理解できない日本の女の部分があったであろう。

母から譲り受けた、姫鏡台と10歳になった娘の手をひいて、お城のようなシャンピ家を出る。

彼女はエッセイの中で、夫が雑誌に書いた文章のくだりを載せている。

『彼女の大変パリっ子的な物事の見方、考え方などの底に、つねに流れる日本的な魂は、おそらく

  何者によってもそこなわれない固さで、いつまでも彼女の深みに存在していくであろう』

 42歳で離婚した彼女は大好きなあじさいの花を山ほど買い、テーブルに日本文学全集を積み上げ

たと書いています。その後の彼女の活躍は、女優だけにとどまらず、ジャーナリストとして、ノンフ

ィクション作家として、日本とパリを往復する生活が続く。

夫シャンピ氏の最後の言葉「僕は、君の日本にとうてい勝てない」


 どこの国で暮らそうと、誰と愛し合おうと、岸恵子はそのエレガントの極みである美貌でフランス

人の著名人、文化人、要人を魅了してきた。彼女のフランス語は洗練されており、パリっ子でも舌を

巻くほどのユーモアと教養に溢れているそうだ。

完璧なまでの美貌、教養、ユーモア、だかそれだけなら、岸恵子でなくても他にいそうである。

彼女の中の、祖国日本がぶれていない、過ぎし日の時代の女を見事に演じる力が、女優魂が根底に

ある、それが見事に人間としての誇り高い高貴な光りみたいなものを相手に見せているのではなか

ろうか?ワタシなりの解釈だが、当たらずとも遠からずと自負している。


 彼女の小説も楽しみだが、市川昆監督との最後の映画「かあちゃん」をレンタルして見ようと思っ

ている。最初に読んだ「砂の界へ」のノンフィクションで、はっきり言って度肝を抜かれたのは

間違いない。









  最近は安売りDVDが本屋さんのコーナーや、へたすると、ホームセンターの片隅にも

あります、ちょっとのぞくと、世界中の名画が勢ぞろい。

その中でも、チャップリンの全集なんかが、なんと2,980円で買えます。

ウチのDVDのタンスの中にも入ってます。

「街の灯り」あり、「ライムライト」あり、あの有名なスピーチの「独裁者」あり。

そのスピーチのせいでアメリカ追放となってしまいましたが。後に拍手大喝采で向かえアカデミー

賞をあげたりするんですが、そのトロフィをドアストッパーにした話は有名です。

映画ファンならずとも、世界の喜劇王チャップリンの山高帽を被った独特なスタイルは知っているは

ず。ロックミュージシャンで言えば、プレスリーでしょうか、比較するのはおかしいですね。

プレスリーは世界中のロックミュージシャンのあこがれの人物です。チャップリンは

 世界中の喜劇役者の指針となった人と言っても過言ではないでしょう。でもチャップリンは

喜劇役者の枠を超え、世界中の人に人間とは平和とはを唱えた人でもあるんです。

こんなことはいまさらワタシがここに書かなくても誰もが知っていることです。

 ただ、チャップリンの運転手であった、高野虎市さんという日本人をご存知でしょうか?

偉そうな知ったかぶりはいたしません、かくゆうワタシも、一番好きな映画「独裁者」がらみで

虎市さんのことを知りました。さすが、連れ合いはフルネームで彼の事を知っていました。

 1900年、若干15歳で、廣島から移民として渡米した貧しい一青年です。

当時は移民の三分の一は廣島県人といわれるほど、廣島からの移民が多かった時代です。

夢をいだいて、渡米するも、当時の日本人の仕事と言えば、メイドやクリーニング店の店員か

農作業の下働きです。

その、その他大勢、肉体労働者の一人であった虎市さんは、カタコト英語ではなく、独学で

英語を学び、運転免許を取得します。大きな会社の社長付きの運転手となりますが、ある日

彼が31歳の時、新聞であのチャーリー・チャップリンが運転手を募集していました。


「ほう、車の運転ができるの?」という彼独特のユーモアで、幸運にも面接に合格、東洋人である

虎市さんは晴れて、喜劇王チャップリンの運転手となります。

ところが、彼の才能は、イギリス人であるチャップリンをも驚かすほどのユーモアを解する

東洋の人間であり、しかも運転だけではない、身の回りの世話をはじめ、彼の手紙の処理や電話の

管理、ついには経理さえもみごとにやってのけます。まもなく虎市はチャップリンの秘書となり

ます。もともと小泉八雲の「怪談」を読み、日本に興味をもっていたチャップリンですが、虎市の

陰日日向のない誠実な仕事ぶりと一途な心に触れ、日本人を深く信頼し始めます。

なんと、使用人17名、全員が日本人であったといいます。


 「みながみな、親切で正直だ。何をやるにつけ信用ができる。そのため自然と日本人が

  好きになった。こんな人たちを作り出している日本という国は一体どんな国だろう

  一度言ってみたいものだ」と思い始めました。


 しかし、18年間、虎市が50歳になる前に、この信頼関係は破綻してしまいます。

原因は彼の妻ポーレットの浪費癖を虎市が注意したことに発します。

世界の喜劇王チャップリンは何度も結婚離婚を繰り返した男性、最後の若くて綺麗な女優である

ポーレットと虎市を秤にかけてしまったのでしょうか?

名言を数多く残しているチャップリンですが、

「女性は好きだが、理解しようとすると、破滅する」と言ってます。

世界の喜劇王チャップリンも女性の前では一人の、愚かな男であったのでしょうか?

それとも、女というものは、魔性をもっている生き物なのでしょうか?

女であるワタシも女に心を許すことができません、今だ友人なしの変人です。

全ての女に公平に魔性があるとしたら、まだ魔性が表に出てこないままです。

このまま魔性が薄れたまま歳をとってしまうのは少し淋しい気がします。

ともあれ、チャップリンは虎市と別れてしまいますが、遺書に虎市を相続人の一人として

名前を書いています。

どれほど、虎市を失ったことを後悔したことでしょう、何度もオファーを重ねましたが

虎市は首を立てに振りませんでした。そこが日本人の日本人たるところだとワタシは思います。

頑固なまでに一途、こうと決めたら最後まで曲げることはありません。たとえ心の底から

チャップリンを想い、尊敬していたとしても。


さて、親日家になったチャップリンは4度も日本を訪問しています。

てんぷらが好きだったことや歌舞伎や一茶の俳句などにも理解を示しています。

世界の偉人には親日家が多くいますが、日本に来たこともないのに、日本や日本人のことを

書いたのはマルコ・ポーロとルース・ベネディクトくらいのもんでしょうか。

マルコにおいては、黄金の国ジパングはいいんですが、人の肉を食っているなど、バカげたことを

言ったり、ベネディクトにいたっては、「恥の文化」などともっともらしいことを書いていますが

中身を読むと「恥知らず文化」「罪の意識を全くもたない人種」などアメリカ人を喜ばす内容です。

ワタシは怒りではなく爆笑してしまう章が多々あります。

日本人読者それぞれが、いろんな解釈を持っていいんですが、

「菊と刀」を日本人の教科書、バイブル扱いする人を理解できません。

義理、人情、恩義、忠義心、愛国心など、日本人よりも分析をしていますが、理解はしていません。

日本人はあえて分析する必要がありません。

日本は日本人独自の精神社会で形成されているように書いていますが、70年前の日本人です。

菊を育て、刀を磨く日本人。

日本的であること、独特であること、異質だかそこには確固たるものがある。

分析はできても、理解することとは別次元であります。そこに愛があれば別ですが。

当時のルースさんが、敗戦国日本を愛を持って分析したとは思いがたい。

 さて、話がチャップリンから反れたようですが、前述した喜劇役者の枠を超えた偉人と呼ぶに

ふさわしい人物だと感動させられるのはなにも「独裁者」の中のスピーチのことだけではありま

せん。

チャップリンは日本の将来を案じてこんなことを言っています。

外国に影響され、同化されてしまった文化や精神には、何の感動もありません。

外国にはない文化、芸術、精神だからこそ、その個性的なところに惹かれ、感銘するのです。


「日本はその固有な文明、古典的芸術をあくまで保持して、外国の悪い影響を受けないで欲しい」


100年も前に、今の日本を想像していたのかもしれません。

最も、日本を愛してくれた偉人の一人でありましょう。

そんなチャップリンに恥ないような日本人であらねばと考えます。

まさかとは思いますが、チャップリンを知らない人のために

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欧米食が長い現代の日本人、こんな顔した人けっこう見かけます。

食べるモノが人を作ります。

今や、世界のセレブや知識人たち御用達の日本食を、食べましょう。

 でわ、この辺で。

大型連休が始まり、ツレは仕事仲間と一泊で次回の仕事の下見に出かけました。

うちには、今までいなかった二人以外の家族が6匹もいるので、片方が泊りがけだと

もう、片方は家にいないといけません。



 猫達が我が家にいつくきっかけとなった、おかあしゃん猫、4回目の妊娠です。

彼女の娘と息子達の4匹は家猫となっています。

どの子も、知らん顔してれば死んでしまった、幸せに見放された子達。



今回、お腹の大きさが今までのそれとはちょっと違う。

おかあしゃんは自由で勝気で、母性愛に溢れというより全部母性愛で出来ているジェリクル猫。


「キャッツ」の猫達の中でとびっきり心の綺麗な天国へのチケットを手に入れた

特別な猫です。

 ウチの前を通る散歩中の犬にも飛び掛って、子ども達を守ります。

犬にとびかかってく猫なんて見た事も、聞いたこともありません。



 子ども達を助けてくれたツレに恩義を感じているのか、じっと目を見つめるしぐさに

ツレは、どの子よりもおかあしゃんにメロメロです。

「あんた、今回のかあしゃんはちょっと違うよ、オレなんか嫌な予感がする」

ってことで、いつもお世話になっているポチタマ先生のところへ。

「かあしゃんがダメになるようなら帝王切開してください、子どもより、かあしゃんが大事です」


 診察後、7匹の子猫がいることがわかりました。今までも多産だったかもしれませんが、毎回

3匹を連れてやってきます。のら生活なので、どこかワタシたちの知らない所で出産しています。

家猫の弥生は1匹だけでした。この子は土の中に埋まった状態で、もう少し救出が遅かったら

危なかったかもしれません。かあちゃんが助けてと何度も、子猫の場所をワタシに知らせたんです。


 昨日、先生が帝王切開で7つの子を取り上げてくれました。

今日はツレと二人で朝と夕2回、お見まいに行きました。

生まれて2日目の赤ちゃんです。

1週間入院したら、全員連れて帰ります。


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「あーー、ワタシにもだっこさせてや」

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全員公開は、後ほど。

 
 なんだか手の指の数が、とんでもない数に写ってますが、心霊写真じゃなくて

両手を重ねてるんですよ。「おちょうだい」みたいな感じで。

今夜の記事は、スウィートでピースな記事。

ひょっこりと立ち寄って読んでくだすってる方達もホットされることでしょう。



ロシア、韓国、北朝鮮、皆何考えてんだか?

ハワイの次の星三つですぅー

じゃなくて51番目の星にいつの間にかなっちゃってるってことなきにしもあらず。

このままじゃだめだぞ、ジパング。

  
 最後にはまた毒を添えます。

アップルパイにアイスを添えるように。 


 演歌界の貴公子こと氷川きよし、文化放送で彼の昭和の歌謡曲を歌うコーナーを耳にした。


懐メロ番組で、何度も聞いた「誰か故郷を想わざる」


「古賀先生の歌を歌わせていただく時、心が引き締まります。当時は歴史をひっぱていった歌謡曲

もちろん、その時の日本人の気持ちを想像するしかありませんが、さぞ不安でいっぱいだったろうと

思います。改めて日本人の精神の素晴らしさを感じます。」


 きよしのズンドコ節や、箱根八里の半次郎などの大ヒットした曲は耳にしたし、演歌には似合わ

ない王子のような衣装も当時は、違和感というより演歌が苦手な若い人たちにも大いにうけた。

ダサい、古臭い演歌は日本人の心を歌った、いわばジャスやシャンソンと同じジャンルだと思う。

いまも、老若男女に人気の彼もすでに35歳になったそうだ。

演歌界の中では若いが、十分に大人の男である。前述のような古い歌謡曲を歌う時の心境を語った

彼を見直したし、今でも人気が衰えない理由の一つはここにあるんだと思った。


 幼馴染のあの山、この川ああああー


 誰か故郷を思わざるぅー


 唱歌の「ふるさと」の大人版と言った詩である。


 「ふるさと」を歌ったり、聞いたりして胸が熱くなるように、この戦争歌謡曲も

 故郷を離れた兵士にとっては、戦火の中においても忘れられない家族や幼馴染を

目の前にうかばせたであろうことは十分に想像できる。

この歌ができたのは1940年、昭和15年、三国同盟が結ばれた年である。

当時の日本国内では我慢が当たり前の清貧生活をしていながらも、心に家族を想い、国を

思い、日本という国を信じて大国との戦いの不安を何とか払拭しながらけなげに生きていた。

ラジオで聞かなければ、この歌が戦争歌謡曲なんて知らずにいた。もちろん言葉自体も始めて

聞いた。

さて、当時の日本の葉書


可愛いけど、恐い戦争プロバガンダ


こんなの、骨董屋ではけっこう値がついている。持っていてもしょうがないと思うけど


コレクターがいるから、いろんな。

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 西條八十作詞、古賀政男作曲、歌手、霧島昇。

兵士を奮起させる詩ではなく、士気をさげるような詩にヒットしないだろうと思われたが

戦地の兵士の涙が大ヒットに火をつけ、逆輸入というかたちで国内でヒットした名曲である。

日本人でなくてもどこの国のどこの人間でも生まれ故郷を想わない人間はいない。

文語調で、反語である「想わざる」というのは、想わない人はいないという意味。

たしか、古文で習ったはず。


調べてみると、当時台湾で大流行したそうだ。

YOU TUBEからひっぱってきてみた。

霧島昇本人の歌声ではないらしいけど、映像は台湾らしい。





 今回の記事もまた戦争物になってしまったが、ワタシは右よりでも左よりでもない。

かといってどっちつかずの何も考えない中道でもけっしてない。

過去を忘れ前だけを向いて生きて行くことが、敗戦国の人間としての道だろうか?

歴史始まって以来のあの大戦争に、日本民族は国をあげて死力を尽くし大きな犠牲を払った。

戦後の何も知らない世代ではあるが、知らないままで生きていくことはできない。

本の中、絵画の中、映画の中に戦争を見る時、歴史を振り返らずにはいられない。

ただ、芸術・文化に接しなくても人は生きていけるけれども。それでは人間として淋しすぎる。




政権交代後、ふたたび返り咲いた阿部総理は「日本をとりもどそう」と言っている。

いつの日本をとりもどそうとしているのだろうか?

戦中にアメリカの人類学者であるルース・ベネディクトが書いた日本文化の型「菊と刀」に

表された日本人が美しい日本に住む本当の日本人なのだろうか?

ルース博士が書いた日本人に、今の日本人はけっこう爆笑してしまう場面もあるが、


義理・人情・道徳・礼節・清貧・愛国心などなど

微細に解説されているそれは日本人よりもわかっている。

しかし戦争と一緒に忘れてしまった目に見えない精神と交換した物質主義をどうやってまた

入れ替え、とりもどすことができるのだろうか?


グローバル化に走る日本人。


世界中のどこの国の人とも、堂々と友好関係を結んで、仕事をして

We are the world.なんかを歌って。

禅や茶道や柔道なんかをオーストラリア人なんかに教えてもらったり

芸者や、富士山なんて書いてあるTシャツを着たイギリス人とパブでビール飲んだり


・・・・・・

また、今日も愚痴ばかりのおばちゃん記事になってしまったけれど

いまさら、難しい武士道なんかを勉強しなくてもいいから

氷川きよしの歌う昭和の歌謡曲や演歌の背景を想像するだけでも、日本人の誇りを感じることが

できるような気がする。

日本をとりもどす、第一歩になるかもしれない。

ワタシ自身、今回小耳にはさんだ、「誰か故郷を想わざる」で本棚の中で眠っていた

「菊と刀」を何年ぶりに手にとった。

さっき書いたとおり、大爆笑してしまったところもおおいにある。