演歌界の貴公子こと氷川きよし、文化放送で彼の昭和の歌謡曲を歌うコーナーを耳にした。


懐メロ番組で、何度も聞いた「誰か故郷を想わざる」


「古賀先生の歌を歌わせていただく時、心が引き締まります。当時は歴史をひっぱていった歌謡曲

もちろん、その時の日本人の気持ちを想像するしかありませんが、さぞ不安でいっぱいだったろうと

思います。改めて日本人の精神の素晴らしさを感じます。」


 きよしのズンドコ節や、箱根八里の半次郎などの大ヒットした曲は耳にしたし、演歌には似合わ

ない王子のような衣装も当時は、違和感というより演歌が苦手な若い人たちにも大いにうけた。

ダサい、古臭い演歌は日本人の心を歌った、いわばジャスやシャンソンと同じジャンルだと思う。

いまも、老若男女に人気の彼もすでに35歳になったそうだ。

演歌界の中では若いが、十分に大人の男である。前述のような古い歌謡曲を歌う時の心境を語った

彼を見直したし、今でも人気が衰えない理由の一つはここにあるんだと思った。


 幼馴染のあの山、この川ああああー


 誰か故郷を思わざるぅー


 唱歌の「ふるさと」の大人版と言った詩である。


 「ふるさと」を歌ったり、聞いたりして胸が熱くなるように、この戦争歌謡曲も

 故郷を離れた兵士にとっては、戦火の中においても忘れられない家族や幼馴染を

目の前にうかばせたであろうことは十分に想像できる。

この歌ができたのは1940年、昭和15年、三国同盟が結ばれた年である。

当時の日本国内では我慢が当たり前の清貧生活をしていながらも、心に家族を想い、国を

思い、日本という国を信じて大国との戦いの不安を何とか払拭しながらけなげに生きていた。

ラジオで聞かなければ、この歌が戦争歌謡曲なんて知らずにいた。もちろん言葉自体も始めて

聞いた。

さて、当時の日本の葉書


可愛いけど、恐い戦争プロバガンダ


こんなの、骨董屋ではけっこう値がついている。持っていてもしょうがないと思うけど


コレクターがいるから、いろんな。

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 西條八十作詞、古賀政男作曲、歌手、霧島昇。

兵士を奮起させる詩ではなく、士気をさげるような詩にヒットしないだろうと思われたが

戦地の兵士の涙が大ヒットに火をつけ、逆輸入というかたちで国内でヒットした名曲である。

日本人でなくてもどこの国のどこの人間でも生まれ故郷を想わない人間はいない。

文語調で、反語である「想わざる」というのは、想わない人はいないという意味。

たしか、古文で習ったはず。


調べてみると、当時台湾で大流行したそうだ。

YOU TUBEからひっぱってきてみた。

霧島昇本人の歌声ではないらしいけど、映像は台湾らしい。





 今回の記事もまた戦争物になってしまったが、ワタシは右よりでも左よりでもない。

かといってどっちつかずの何も考えない中道でもけっしてない。

過去を忘れ前だけを向いて生きて行くことが、敗戦国の人間としての道だろうか?

歴史始まって以来のあの大戦争に、日本民族は国をあげて死力を尽くし大きな犠牲を払った。

戦後の何も知らない世代ではあるが、知らないままで生きていくことはできない。

本の中、絵画の中、映画の中に戦争を見る時、歴史を振り返らずにはいられない。

ただ、芸術・文化に接しなくても人は生きていけるけれども。それでは人間として淋しすぎる。




政権交代後、ふたたび返り咲いた阿部総理は「日本をとりもどそう」と言っている。

いつの日本をとりもどそうとしているのだろうか?

戦中にアメリカの人類学者であるルース・ベネディクトが書いた日本文化の型「菊と刀」に

表された日本人が美しい日本に住む本当の日本人なのだろうか?

ルース博士が書いた日本人に、今の日本人はけっこう爆笑してしまう場面もあるが、


義理・人情・道徳・礼節・清貧・愛国心などなど

微細に解説されているそれは日本人よりもわかっている。

しかし戦争と一緒に忘れてしまった目に見えない精神と交換した物質主義をどうやってまた

入れ替え、とりもどすことができるのだろうか?


グローバル化に走る日本人。


世界中のどこの国の人とも、堂々と友好関係を結んで、仕事をして

We are the world.なんかを歌って。

禅や茶道や柔道なんかをオーストラリア人なんかに教えてもらったり

芸者や、富士山なんて書いてあるTシャツを着たイギリス人とパブでビール飲んだり


・・・・・・

また、今日も愚痴ばかりのおばちゃん記事になってしまったけれど

いまさら、難しい武士道なんかを勉強しなくてもいいから

氷川きよしの歌う昭和の歌謡曲や演歌の背景を想像するだけでも、日本人の誇りを感じることが

できるような気がする。

日本をとりもどす、第一歩になるかもしれない。

ワタシ自身、今回小耳にはさんだ、「誰か故郷を想わざる」で本棚の中で眠っていた

「菊と刀」を何年ぶりに手にとった。

さっき書いたとおり、大爆笑してしまったところもおおいにある。