本屋の前で店員が百田尚樹の本を積んでいた。
 
 本屋大賞一位になった。


  デビュー作にしてミリオンを記録した『永遠の0』(講談社)で,戦争を書いていた。

もちろん読んだがピンとこなかったので、次の作品もその次も読んでいない。

構成作家らしい、物語であったとは思うが、皆が言うほど涙が止まらなかった話でもなかったし、

本当の戦争を描いていたとも思わなかった。

でも、たぶん映画かドラマになるだろうなと予感したら、ほんとに映画化された。

日本人はこのゼロ戦、特攻物が大好きだ。

若い、人気タレントを主役にして、山口県の回天の映画や特攻の映画をつくり

現代の平和ボケした日本人に一体何を訴えるつもりだろうか?

海軍の「海ゆかば~」も好きだ。山本五十六・東条英機

敗戦後は、もちろんA級戦犯である。

まあ、あれだけのバカバカしくて、無茶苦茶なケンカ、いえ戦争は史上例をみないとワタシは思う。

日本人は戦争が好きだ。

日本の実質的な支配者は軍部であり、それは好戦的な強硬派に支配されていると確信していた

のは、あのハル・ノートを書いたハル国務長官はもとより、ルーズベルトもしかり。

ソ連のスパイも登場するあの大東亜戦争。

近衛内閣から東條内閣になったことは、軍人内閣になった、いよいよだと確信したと想像できる。

わずか13歳で渡米した、松岡洋右は英語こそ達者であったが、アメリカは弱い者をバカにし

強い者を尊敬すると自らの体験で感じていた。そんなちょっと特異な彼が外務大臣を勤めていた。

ヒーロが大好きなアメリカ人。

そして、どうかしたら、あの人もこの人もヒーローになれるチャンスが転がってる国、アメリカ。

双方のパーセプション ギャップがあの真珠湾への道へと続く。

双方の認識のずれ、片方が重要だと考えることが、片方ではそうでもないこと。

アメリカの対日観、日本のアメリカ観、それぞれのイメージも大きくギャップがある。

日本の生死にかかわる、三国同盟、中国問題、南進政策の3本柱をことごとく、足をすくったような

ハル・ノートの内容。

受け取った東條は

「自分は目もくらむばかりの、失望に打たれた。これは国家的な自殺に等しい。

 最早、立ち上がる他ないということであった」と言っている。

一方、ハル長官は後に日本がそれほど深刻に受け止めるとは考えなかった。

はなはだしい、パーセプション・ギャップ。

その結果が、負けるに決まっている戦争に命をかけさせられた、軍人でない人たち。

無益な国民の血がどれほど流されたか。

人類史上、これほどの人的損害はこの大東亜戦争以外にない。

どんな理不尽も許される戦争

だが、ヒロシマとナガサキに原爆をぶち込んだ。

終戦。

勝利を得た国家が、敗北した国家を裁く。

前代未聞の東京裁判。

deth by hanginng


アメリカ人であるブレイクニー弁護士の原爆に触れた発言。


我々は広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。


投下を計画した参謀長の名も 承知している。


その国の元首の名前も我々は承知している。


彼らは殺人罪を意識していた か。してはいまい。


原爆を投下したものがいる!


この投下を計画し、その実行を命じこれを黙認した者がいる!


その者たちが裁いているのだ!


11人の判事のうちただ一人、被告全員無罪の判決(少数意見)を下したパール判事


「戦勝国は敗戦国に対して憐憫から復讐まで、どんなものでも施し得る。しかし勝者が敗者に与え


ることができない唯一のものは『正義』である」


 誇れる日本人の道徳心に、チョコレートをコーディングし、自らの誇りを捨ててしまったのだろ


うか?いいえそんなことはない。


と戦争を全く知らないワタシは信じたい。知らないから、真実を知りたい。


最低でも、広島、長崎県人は忘れてはいけない。


ヒロシマ、ナガサキ・・・世界中の人が知っている。


60年代、大江健三郎氏が書いた「ヒロシマノート」以来、広島をヒロシマと言うように


なったらしい。この本でノーベル賞を受賞したわけではない。だから最も売れたこの本を


どれだけの外国人が読んだだろうか?


若い広島人は世界遺産の原爆ドームを毎日見ていながら、戦争を忘れ去っている。


回天って、回転焼きのこと?「出口のない海」は全くヒットしなかった映画。


先日、他のブログで海外に行った高校生が皆から国家を


歌ってと言われたが、歌えなかった。恥ずかしかったのではなく、歌詞を覚えていなかったから。


という記事を読んだ。


・・・・・・


  永遠に書いてしまうであろうこの記事だが、ここらで筆を置く事にする。


  切りがない。


 変なおばさんです。


図書館で本を借りますが。戦争の本は借りません。家に持って帰ってもなぜかテーブルの上に


置いておけない。もう一人の家族に「また、戦争の本を読んでる」と思われたくない。


 図書館の一番奥に戦争・歴史のコーナーがあります。


ここには、よっぽど席がないかぎり誰も座らない4客の椅子とテーブルがあります。


ワタシの指定席です。


先日、満員だったのか、二人の主婦が生活雑誌を手に、「いいですか?」


しばらく、笑顔で話していた二人、テーブルの上のワタシが置いた本を見ている。


「知られざる証言者たち」「図説・玉砕の戦場」「「A級戦犯名簿」


手には「南京大虐殺・写真集」を持っていた。


ヒソヒソ話が始まった、時々ワタシの方を盗み見ている。


脇に置いた鞄をそっと手にして、主婦達は逃げるように席を立っていった。


 変なおばさん。たぶん同年輩のおばさんたち。



ふと見ると、今日のワタシ、破れたカーキのパンツに上はなんと古着屋で買ったお気に入りの


カモフラージュの戦闘服を着ていた。




  どっちが変だろうか?


  もちろんワタシだ。



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 いつも外国人でいっぱいの原爆ドーム、始めて写真を撮ってみた。


だが、彼らは建物を見て、原爆の恐ろしさを少しは感じているかもしれないが、


被爆者達の戦後をわかっているだろうか?

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日本の教科書には載ったが、アメリカの教科書には載ってはいない。