【シルミド】
【シルミド―裏切りの実尾島】:イ・スグァン著
本書も前述の二冊と同じく、
シルミド事件について記された貴重な書物である。
よって、あらすじは前述の【シルミド】参照。
本書の冒頭で著者であるイ・スグァンが
「この小説が、実尾島の真実を、
最も正確に明らかにしたものであると自負している。」
と述べている。
自分は、著者自らそう陳述するというあたりに胡散臭さを感じ、
結果、猜疑心を常に持ちながらの読書となった。
読了にあたりまず一言
「おそらく著者の自負は妥当である。」
ということをここで述べておきたい。
制作年度の違いからかもしれないが、
この著書が一番多くの客観的事実を記載していると思う。
つまり、この著書で『国家機密により委細不明』
となっている情報は、未だに公開されておらず、
一般に知る術がないということなのだろう。
物語として一つの作品に仕上げる以上、
登場人物の行動に動機というのはどうしても必要となってくる。
訓練兵が脱走後、青瓦台に向かった経緯はどの書物でも
『パク・チョンヒ大統領に会いに』
というところは一致。動機もほぼ同じであると思う。
訓練兵の暴動の一つの要因として、一致している部分。
訓練兵に『用済みになった。殺される。』といった類の噂が、
流れたことは事実であると推測できる。
訓練兵4人が生き残ったのはどうやら事実らしい。
その後、処刑されたことも含め、である。
この作品では軍法会議にかけられた、とあるが
自分はそれには納得がいかない。
形式上の裁判が必要なのか?
軍籍を持たない寄せ集めの部隊であるにも関わらず・・・。
どうあれ訓練兵の陳述が非公開なまま処刑されたのは事実。
やはり、訓練兵の思惑は推量するしかないのである。
正確な情報が世に放たれなければ、
各々が個々の感性で捉え、各々の『シルミド事件』として
それぞれが胸に刻むことはできない、と自分は考える。
北派工作員の存在を認めたならば、
手元にある資料を全て公開するのが、
訓練兵や教育兵、ならびにその遺族に対する贖罪ではないのか。
今なおその事実を隠匿するのは、工作員の北派、
即ち過去の過ちが誤りと認められず、
現在も続けられているという証ではないのか。
この史実には一切の色づけ、ましてや塗り替えなどというのは、
決して行われるべきではないのだ。
過ちは「過ちでした。」と周囲に胸を張れるようになって初めて、
その呪縛を断ち切り自らの糧となる。
自分はそう、考える。
そのために、事後処理には最善を尽くすべきではないのだろうか。
セクソムニアについて
『セクソムニア』
―― 眠っているときにセックスをしてしまう、又は、
求めてしまう病気。症例の多くがベッドの中での事であり、
被害にあうのがパートナーであることから罪となることが少ない。
パートナーのストレスや睡眠不足などが問題となっているが、
羞恥心からか医師へ相談する人が少ないことなどから症例が少なく、
回復が非常に難しいとされている。
現在は、夢遊病の一種として専門の研究家も現れだしている。
この病気が社会的に病気として認知されるようになった事件が
カナダで起こった。
男性が隣で寝ていた女性にいきなり性行為を求めたことが発端。
二人はパーティーで出会い、それほど深い仲でもなかったため
これが問題となり、裁判沙汰になった。
女性の訴えに対し、カナダの睡眠行動の研究チームは、
「被疑者はこれまでに4人のガールフレンドとスリープセックスを
行ったことがあり、当日も女性に静止されトイレにかけこむまで、
自分がコンドームを着用していることすら知らなかったことが
明白であることなどから罪にならない。」と主張。
この主張が通る形で無罪の判決が下る。
しかし、被害者の女性は憤りを隠せない。
「この事件を判例として性犯罪に利用する人が増える。」
このような声も絶えない。
実際に眠っていたかどうか。
過去に遡り睡眠状態の有無を確かめる術がない現在、
このような判決は多少強引であろうと思う。
未だ日本ではこの症例は(おそらく)報告されていないが、
カナダでのこの一件が明るみに出るにつれ、
この疾患患者も多数報告されるだろう。
現在、カナダが主導となってこの症例の診断方法、
治療方針が研究されているが、
日本はこういった性疾患に対し冷やかな姿勢ではないか?
自分はそう思う。
この疾患を機に、日本も性疾患をありふれた普通の病気として、
診断、治療することが一般に受け入れられるよう、
大々的に取り組んでほしいと思う。
シルミドについて
今まで、シルミドに関する小説を読んできた。
ペク・トンホ著、キム・ヒジェ著、そして今作で三冊目になる。
【シルミド― 裏切りの実尾島】(イ・スグァン著)
この作品の冒頭でこう述べられている。
「この小説が、実尾島の真実を、
最も正確に明らかにしたものであると自負している。」
自分は自分なりに考え、今までの著書も(少なくともペク著は)
少し脚色されているものの、かなり真実に近いものであると捉えていた。
そのため、まだ本編を一行も読んでいない段階で、
今までの全てを批判されたのにはいささか腹が立った。
この作品では訓練兵に生き残りはいない、と書かれている。
しかし、ペク著の小説では、その生き残りの証言を元に物語が進む。
ここに、大きな相違点が生じる。
この作品は、でき得る限り脚色せずに世に出すべきであると考える。
過剰に同情心を煽るような表現は控え、
客観的な視点で、あの場所で起こった事象を描写する。
それが、あの物語にふさわしい描き方であると考えるからだ。
どちらが真で、どちらが偽、なのか。
どちらが無意味で無価値な脚色を加えているのか。
それをしっかり判断したいと思う。
自分が描いた当時の朝鮮半島の略図を記ておこうと思う。
著書を読んで地理のわかりにくさ、を感じたからだ。
自分で表現する、というのは絵にしても活字にしてもいいことだと感じた。
表現することで、頭の中でおぼろげだったモノが、描写しているうちに、
しっかりと線を結び、形どってくる。
こうすることで初めて、自分の知識として記憶されるような気がする。

