理系の読書入門。 -3ページ目

【anego】

【anego】:林 真理子著


職場恋愛、見合い、不倫・・・様々な問題を抱えた恋愛、結婚。


その一つ一つに真っ直ぐに立ち向かっていく不器用な女性の物語。



―― 結婚。

つい最近まで自分には関係のないこと、だった。


しかし、もうすぐ二十歳になる以上、

愛する女性との一つの形として、しっかり考えなければならない。


結婚ということについて以前より深く考える

きっかけとしては大いに意義のある読書だったと思う。


しかし、弱冠十九歳の男である自分にとって、

四十を目前に控えた女性の気持ちというのは、

理解の範疇を大きく超えている。


どれだけ鮮明な描写であろうと、自分にとってはあくまで他人事。


そういった意味では実に内容の薄い話であったとも思う。


理解に、読者がある一定の条件を要する著書であった。

自分は極端に恋愛経験が少ない、というわけでもないだけに、

この作品の持つテーマの重みは、

この年齢では理解できないモノなのだと感じる。


そういった意味で、

私的には同年代の同姓にこの作品はお薦めできない。

○○狩り

―― 『○○狩り』

こういった言葉はよく使われているように思う。


『狩る』という言葉は、

一つの集団内で自分達が認めていない対象に対して使うことが多い。


15世紀頃ヨーロッパ各地で起こった『魔女狩り』がその最たる例である。


これは社会が『魔女』の存在を怖れ、行った弾圧を指す語で、


転じて、グループ内で偏見や不正に基づいて行われる、

悪質な糾弾行為をも指すらしい。


このように古くから『○○狩り』という言葉は、

各地で頻繁に使われている言葉であった。


しかし、この言葉の対象となったモノは、

暗にそのグループからの糾弾、弾圧を受けているとも取れる。


つまり、この言葉はある種の差別的用語であって、

マスメディアなどが多用すべき言葉ではないように思うのだ。


この言葉がマスコミに使われるようになったのはいつ頃からだろうか。


ここ4~5年で急増した中年を狙った少年犯罪。


―― 『おやじ狩り』

これがきっかけとなりマスコミがこの言葉を乱用するようになったのでは?



最近、巷を騒がしている秋葉原。

これは、ここを舞台としたドラマが大ヒットしたのが原因だろう。


しかし、そこにつけこんで罪を犯す人がいる。


―― 『メイド狩り』

某TV局がそう報道したのがきっかけでそう呼ばれるようになったらしい。


未だ下手人はあがっていない、未解決な事件で詳細は不明なのだが、

(もしかしたらもう犯人は捕まってるのかもしれないが・・・。)

秋葉原のメイド喫茶で働いている女性が刃物で脅され体を触られる。

そんな事件があいついで発生したのだ。


『おやじ狩り』や『オタク狩り(これも秋葉原で起こった事件)』

この場合は、犯人が相手に嫌悪感を少なからず抱いている場合が多い。

そのため、報道という目的にふさわしい言葉かどうかはともかく、

一応、言葉としての意味は通っているのだと思う。・・・しかし!

メイドを『狩って』いる人はどちらかと言うとメイドを好いているわけで、

何もメイドを淘汰しようとしている謎のグループが動き出した、

という訳ではないのだから、このような言葉は不適切だと自分は思う。


『狩る』という言葉は今ではよく耳にする言葉なのかもしれない。

しかし、これは冒頭でも述べたように差別的な意味合いが強い語、である。

耳障りもあまりよくない。

だからこそ人々の嫌悪感を掻き立てるためマスコミは使いたがるのだろう。

多くの人の目に止まり、耳に入る媒介である以上、

マスメディアにはもう少し言葉の意味を考え、よく選んで、使ってほしいと思う。


よく若者の言葉の乱れ、を激しく批判する大人をTVや雑誌等で見かけるが、

社会を象徴するマスメディアがこのように乱れているのだから、

それを見て、聞いて、育った今の世代の若者が、

古き良き美しい日本語を使いこなせる訳がないだろうと思う。

【ビタミンF】

【ビタミンF】:重松 清著


今の自分の世代にとっていわゆる『おじさん』である『お父さん』。


遠い存在になってゆく我が子を横目で見るしか出来ない存在。


息子、娘である我が子とのすれ違い、行き違い。


我が子のいじめ。夫婦の離婚。


正しさを取り繕う親父にキレる息子。


それらの問題に多少保守的な面を出しながらも


解決策をめぐる『親父』の姿、それを取り巻く家族の形、を描いた作品。



―― 『父親』『おじさん』。

そこに畏怖の念をこめた眼差しを子どもが投げかけていた時代は


きっともう終わったのだろう、と子どもである自分自身そう思う。


父を人として尊敬する、そういう子どもはもう少ないように思う。


自分も、その一人。


父の不器用で正直な生き方は凄いと思う。


ただ、ところどころに見え隠れする保守的な姿勢。


それが年老いることへの嫌悪に繋がり、


弱々しく老いた父の背中を小さく丸く見せているのだろう。


父から見て『子ども』である自分の同級生を尊敬するのに、


父は尊敬できない、というのは、それはとても親不孝なのだろう。


一回りも二回りも上の人に敬意をはらうこと、それは大事だと思う。


ただ、それはあくまで上っ面。


つまり今の社会に適応しようとしない者には不要で無意味。


今の努力社会日本で、日々向上することを責務としてすりこまれた


自分たち子どもにとって、向上心を忘れた『おじさん』達は、


尊敬に値しないことは仕方がないこと。


もうすぐ成人する自分ですらそう感じるのだから、


今の『少年』にとってその問題はもっと深刻で顕著なのだろう。



この作品のテーマ、時代と『少年』の変化とそれにともなった家族の変化。


そのテーマに性行為が『子ども』の変化として書かれたことが気に食わない。


これは時代の変化に囚われない個人の意識の問題だと思うからだ。


乱れていない子どもだって沢山いる。


ただ、古き良き時代を生きた大人の、『乱れる→悪いこと』という概念は、


こと『性』に関しては、もはや通用しないということに気付いてほしいと思う。