仕事は仕事、遊びは遊び
若いころ、上司から「仕事は仕事、遊びは遊び、ケジメをつけてやれ」と言われたことがある。
その時はそんなものかなと思っていたが、最近どうも引っかかる。確かに仕事と遊びはちがうのだから、区別して考えることは必要である。それをあえて言うということは、その根底には、「仕事はつらくて嫌なもの、我慢してやれ。その分遊びで発散しろ。」というような意味があるように感じる。本当にそうだろうか?
もし仕事がつらくて嫌なものだったら、普通、生きている時間の中で、寝ている分を差し引いた残りの時間の半分は仕事をしているわけであるから、人生の半分がつらくて嫌な人生になってしまう。
そんな馬鹿のことはない。仕事は仕事でおもしろい、遊びは遊びもおもしろい。そのおもしろさの質はちがうかもしれないけれど、どちらもおもしろい、と考えたほうが人生楽しいのではないだろうか。
家事も含めて、男も女も仕事とは切っては切れない縁がある。社会にかかわるという意味で、お金の関与がある無しにかかわらず、一生仕事を続けるであろう。その仕事がつらくて嫌なものだったらこんな不幸はない。
ラクを求める心
人は誰も「ラクを求める心」と「充実を求める心」を持っていて、それがいつも心の中で戦っている。
「ラクを求める心」が強すぎると、他人のことより自分のことを優先して考えるようになり、自分にとって利益がないことはやらないようになってしまう。仕事に関して言えば、ラクして得をとることばかり考えてしまう。生産性を上げるより報酬を得ることが目的になってしまう。
逆に、「充実を求める心」が強いと、明確な目標に向かって自発的に毎日精一杯努力するようになり、大きな困難ほど充実感が強くなってくる。そして、協力し合える仲間がいて、その目標達成の喜びを仲間と共有できれば、さらに充実感は強くなる。仕事に関して言えば、目標達成のためには面倒なことでもやりたいと考え、働くこと自体に生きがいを感じる。
ラクを求めれば求めるほど、ラクは遠のく。充実を求めると、ラクは近づく。
充実の心を満たすため、ラクを求めずあえて困難に立ち向かい、精一杯の努力をしなければならない。それによって自分の信用が高まり成果も高まる。結果的にラクに近づく。
楽しいと楽(ラク)
「楽しい」と「楽」はちがう。「つらい」と「つまらない」はちがう。同じ様な字を書くけれどまったく意味はちがう。そして、仕事は決して楽ではないけれど楽しい。つらいことが多いけれどそれが楽しい。楽なことはつまらない。
高校時代、野球部で夜遅くまで練習していた。決して楽ではなかった。はっきりいってつらかった。でも3年間楽しかった。うまくなりたい、試合に勝ちたいという目的をもって、つらい練習をすること自体が楽しかった。今から思うと、試合のことより、つらかった練習のことのほうをよく覚えている。
目的をもって、その達成のために苦労すること。その過程がひとつのおもしろさではないだろうか。そして、その苦労が自分を強くするのではないだろうか。
楽なことはつまらない、そして、人を堕落させる。
つらいことはおもしろい、そして、人を成長させる。
仕事と作業
もし今、仕事が「つらい」とか「つまらない」と感じている人は、仕事をしているのではなく、作業をしているからだろう。仕事と作業は違うのだ。
作業は言われたことを言われたとおりに行うこと、そのやり方を覚えてその通りに行うこと。
仕事は目的を考えて、その目的に合うように行うこと。言われたことはもちろんするが、それ以上に目的を考えて行うことが仕事である。
例えば、「この書類コピーとって」といわれて、ただコピーするだけは作業、誰でもできる。作業ロボットであり、代わりはいくらでもいる。その書類の内容をみて、お客様に送るものだとわかった、たまたま汚れがついている、これを修正液で修正してからコピーをとる、これが仕事。
仕事には必ず目的がある。その目的を考えて、その目的に合うようにするのが仕事。そして、仕事をする人は存在感がある。いなくてはならない人材になる。作業している人は別に誰でもできる。代わりはいくらでもいる。ロボットでもできる。
会社に入るなら、作業ロボットではなく、人間としてぜひ仕事をして欲しい。
作業 仕事
言われたことを行う プラス、言われる前に、言われる以上のことを行う
同じことの繰り返し プラス、工夫する、改善する
お金のために プラス、能力向上のために
方法を覚える プラス、目的を考える
行動観察メモ
この度、人事考課制度を導入することになり、人事考課制度の公平性、納得性を高める為に、考課者には行動観察メモを携帯させて日常の職務における行動の事実を記録してもらうことを義務付けています。
しかし、人材育成や評価のための行動記録というよりも、揚げ足取りめいたものになってしまっているのが現状です。
また、些細な行動も職務行動のひとつであることには間違いありませんが、評価の対象としていては非常に手間もかかるし、考課者自身の負担も増し、業務に影響が出るのでは、と心配です。
どのように指導していけば良いのでしょうか?
回答
人事考課の大原則は「事実に基づく」ということであり、そのために、日ごろから部下(被考課者)の仕事ぶりを観察し、メモすることはとてもよいことであり、大事なことです。
すなわち、「事実の基づく、そのためには事実を記録する。さらに、そのために日ごろかが部下の仕事ぶりをよく観察する。」ということになります。(育成型人事考課制度の場合)
ここまでは十分ご承知のことと思います。色々な本にも書いてありますから、・・・。
大事なのは、人事考課をすることではなく、人事考課という仕組みを使って、業績が上がるようにする、またそのように人材のレベルアップを図ることです。
仮に、人事考課の仕組みがなくても、管理監督者は日ごろから部下の仕事ぶりをよく見て、叱る、ほめる、注意するなどのアクションを起こして、部下の指導や育成を図っているはずです。
まず、そのような管理活動をしっかり行うことが先決です。このように行った結果をメモして、評価にも活用するということであり、人事考課のために「部下を観察しメモする」わけではありません。
まして、叱る、ほめる、注意するなどのアクションを起こさず、こっそりメモして、評価に連動するようなことがあれば、逆に不信感を高め逆効果になってしまいます。
人事考課の前に管理監督者としての意識の向上と、管理監督者としての能力の向上を行う必要があります。
「業績を上げるために、管理監督者がしっかりと管理監督業務を行う。この管理監督業務をしっかり行うためのひとつの手法として人事考課という仕組みを利用する。」という風に考えるとよいと思います。
管理者の役割と人事考課 については、下記ホームページで解説しています。
http://www.sabcd.com/02jinnji/35teiann.htm#23
以上、よろしくお願いいたします。
人事考課の調整
人事考課の結果、各部門でバラツキがあります。技術系、事務系等部門間で平均点に差があり、全社一括で評価した場合に妥当かどうか疑問が残ります。このような場合、どうやって部門間格差を是正するのでしょうか。
ご相談にお答えします。
人事考課の調整は、「評価基準の明確化」や「考課者訓練」など事前に行う「事前調整」をしっかり実施すべきであり、考課後の「事後調整」は、理屈上は意味がないものです。
しかし、実際は、評価基準の不明確や考課力不足のため、甘辛やバラツキが生じ、処遇に活用するとき、事後調整せざるを得ない場合が見受けられます。この場合、次善の策として次のような方法で調整を行います。
1.数学的手法で行う
・ 各集団の平均値を求め、全体の平均点との差を個人の点数にプラスマイナスする。
・ 各集団の平均値を求め、目標平均点60点との差を個人の点数にプラスマイナスする。
・ 各個人の偏差値を求め、その点数で使う。
2.人物比較法
・ 事前に等級ごとに標準人物を選定し、その標準者と各集団から3~4人選定し人を比較して、甘辛度をチェックする。特に問題なければ、その集団からの考課結果を認める。問題ある場合は、その集団全員のチェックを行い再評価する。
・ あるいは、総合評価の区切り点の前後の人に関して、標準者と比較して調整する。
3.事後調整における留意点・・・調整結果のフィードバック
・ 事後調整を行った場合は必ずその結果を考課者にフィードバックすることが必要である。
・ これは、部下の質問に対して説明するためであり、上司として当然知っておく事柄である。
・ また、今後の考課の改善のためにも調整結果をフィードバックすべきである。
・ 特に「あまい」管理者には厳重に注意する必要がある。あまくなる原因は「期待水準の低さ」と「部下へのゴマすり」が考えられるが、管理能力の低い上司ほど期待水準が低くなり、リーダーシップのない管理者ほど部下にゴマをするようになってくる。
したがって、人事考課の「甘い」管理者は管理者失格であることをしっかり認識させるべきである。
以上、よろしくお願いします。
人事考課と評価
評価とは「物の善悪・美醜などを考え、価値を定めること」、人事考課とはその評価の中で「仕事上の行動や結果、能力を評価すること」である。古くは「律令制で、毎年各官司の長官が官吏の勤務成績を評価すること。」を考課と言った。
仕事をする中で、誰をどのように評価するかということは、基本的に自由であり、気に入ったとか、ウマが合うとか、いろいろあるであろうが、どう思うかは自由である。そして、それにあった付き合いをすればよいことである。自分にとって都合がいい人、都合よく対応してくれる人が、よい評価になるので当然のことである。
ただ問題は、そのような個人の判断で、企業で行う人事考課を行ってしまうことある。人事考課と評価とは別物である。年に2回か3回、人事考課を行う時は、そのような個人的な判断ではなく、決められたルールと基準で行うことが「人事考課」なのだ。
それを混同してしまうから、問題が生じる。人事考課は一定のルールと基準によって仕事上の行動や結果を評価することであって決して人物評価や好き嫌いの評価ではない。
でも現実は、そのようなルールや基準によって判断するのではなく、考課者の好き嫌いや、価値観や、自分に都合のよいと思われる評価付けになっているケースが多い。
だから、会社に仕事をしにきているはずなのに、仕事よりは上司にうまく取り入った方が、評価がよかったり、要領のよい人が出世したりする。
そしてその要領のよさで出世した人が、また、部下の評価をするわけだから、同じことの繰り返しになってしまう。
人事考課する前に、人事考課のルールと基準を明確にすることが大前提である。(それから、評価する人の意識改革も必要)
勤務態度考課の評価段階
当社では能力主義の人事考課を行っています。各考課項目とも5段階(1~5)評価で行っていますが、勤務態度考課(規律性、責任性、協調性、積極性)の基準では、共に5の評価は該当しないとなっています。
こちらのホームページでも5段階評価(SABCD)にもかかわらず、規律性、責任性などの情意考課では「S」は発生しないとなっています。この「S」は発生しない、「5は該当しない」というのはどのような考えによるものでしょうか。
勤務態度考課の評価段階の件ですが、会社の決め事ですから、5段階でも10段階でもいいと思います。ただ、絶対考課で行うのであれば、各段階の定義を明確にする必要があります。
「B・3」を期待通りとした場合、「A・4」は期待を上回る、申し分ない、ということになります。ここまでは問題ありません。
それでは、「S・5」はどうなるでしょうか。
「S・5」を「かなり上回る」とした場合、「かなり」とはどの程度のことをいうのでしょうか。ちょっと、想定がつきません。そこで、「S・5」は上位等級として「A・4」に該当すると定義することにします。
ちなみに、「C・2」は期待を下回る、「D・1」は「大幅に下回る」ではなく、「期待を下回りさらに業務に支障をきたす程度」と定義します。
このような定義の仕方は、5段階評価で行っている多くの企業で採用されている考え方で、多分、ご相談者の企業も同じだと思います。このHPの「能力主義の人事考課」の考え方でも同じです。
で、ここまでは、よろしいかと思います。
能力や成績の場合については、等級ごとに求めるものがちがいますので、これでいいのですが、勤務態度考課の場合はどうでしょうか。
例えば、1等級と2等級では、求める勤務態度の基準がちがうのでしょうか。
行う仕事や求める能力はちがっても、規則を守ることや、仕事を一生懸命することなど、期待水準は同じではないではないでしょうか。
1等級と2等級と期待水準が同じであれば、上位等級として「A・4」という考え方は、通用しません。
したがって、「S・5」は該当しないということになります。
逆に、等級ごとに求める勤務態度の基準が違い、それを定義できるのであれば、上位等級として「A・4」という考え方が通用します。社内で作成すれば「S・5」を意義付けることができます。
(他社では見たことがありませんが)
ブーメラン効果
相手のことを説得しようと懸命になればなるほど逆効果になってしまうことを「ブーメラン効果」という。
説得者の意図した方向と逆の方向に受けての態度が変容してしまう現象。投げると戻ってくるブーメランに例えて「ブーメラン効果」と呼ぶ。
例えば、必要以上に「やる気だ、やる気だ、ガンバレ、ガンバレ」とくり返すと、逆に相手はやる気をなくしてしまうというようなケースである。(ちょっとちがうかな?)
また、「経済援助や海外投資を行ったときに、その投資が生産力化して商品が資本輸出国に流れてきたり、資本輸出国の産業と競合したりすること。」をブーメラン効果という。
成果とは
「成果」という言葉の意味を辞書(角川類語国語辞典)で調べたら次のように書いてあった。
結果 ある物事が原因となって生じた状態。
成果 できあがった(よい)結果。まとまった結果。
ということは、成果は結果に含まれる。
「結果の中で、良い結果、または、まとまった結果のことを成果という」ということである。
例えば、営業の仕事で考えた場合、「売上が上がった」は成果である。「売上を上げるために営業活動(訪問)をしっかり行った」は成果ではなくて、行動や努力である。それでは、「売上は上がらなかったが、見込み客ができた、効果的な販促ツールができた」は成果といえるのだろうか。
結果というのは、「ある物事が原因となって生じた状態」ということであり、「見込み客ができた、効果的な販促ツールができた」ということも、「営業活動を行ったことにより生じた状態」と考えることができる。ということは、「見込み客ができた、効果的な販促ツールができた」は結果であり、成果ということになる。
しかし、「売上が上がった」という成果と、「見込み客ができた、効果的な販促ツールができた」という成果とは、ちょっと性質がちがうようである。
すなわち、成果には、企業業績に直結する「最終成果」と、その最終成果を上げるための「プロセス成果」があるということだ。
今までの失敗例を見ると、「最終成果」のみを成果として捕らえ、俗いう「結果主義」になってしまったというケースが多い。
うまく成果主義を機能させるためには、成果を「最終成果」と「プロセス成果」に分けて考え考えることが必要だ。