新元号令和につられたのか、兼ねてから思っていた断捨離を突然したくなった。

数十年分の私の “想い出” とのお別れだと、たいそうに考えていたが、それどころか断捨離は新しい出会いだった。

新しい出会いと言っても、ただ『自分』を発見させられただけなのだが。

 

断捨離する際、決めた事がある。

「思い出に浸り懐かしむのはいいが、過去に拘らないでおこう」と。

そして、衣類、写真、食器類、書類、ぞれぞれに捨てるテーマを設けた。

衣類・・・クタビレ、毛玉、色あせ

写真・・・この先思い出さなくても大丈夫な人が写っている

食器類・・・機械で作られたもの

書類・・・将来的に必要性のないもの

 

このテーマは、見事に断捨離を捗らせた。

そして断捨離して気付いた事、知った事がある。

それは、自分の癖だ。 いや、“悪い癖” に近い。

これを、まざまざと自分の溜めてきた私物から見せつけられたのだ。

言うなれば、もう一人の(過去の)自分から、(今の)自分に苦言を呈されるような感じだろうか。

 

自分の性格や癖というのは分かりにくいもので、またそれを人から言われて直すというのも困難を極める。

また、改善したくても、何をどう改善すれば良いのか分からないもの。

しかし、それをありありと見せられたのならば、率先して自ら明確に直したくなるもの。

 

『経験者は語る』というが、正に『自分は語る』で、

当たり前だが、自分の過去は、自分自身の経験者である。

私は、よく「手作り物」に興味を惹かれる。

中でもとりわけ陶磁器には、陶工ひとりひとりの個性と技が光り、そのパワーと温もりを感じる。

 

先日、また陶磁器を見るため、二度目となる愛知県知多半島の常滑市を訪れた。

実は数年前に訪れた際、数軒立ち並ぶある店で、色・形・大きさ・感触すべてに魅せられて購入したお茶碗があり、それを今でも愛用している。

 

今回もまず、そのお茶碗を購入したお店から周ろうとしたが、お店が特定できない。

片っ端から一軒一軒入って確かめるが、記憶があやふや。

一通り見終わり、特に気に入った陶磁器もなく、帰ろうと “ウィンドウショッピング” しながら駐車場へ向かい始める。

すると、外からガラス越しに、あるお茶碗に目が止まり、引き寄せられるように中へと。 

 

お店の一番奥の、一番下の棚に陳列されていた、似たような五種類ほどのお茶碗。

私は吸い込まれるように、全てのお茶碗を手に取り感触を確かめた。

どれも良いが、私の直感はその一つに決定付けられた。

色や形は全然違うが、どうも以前買ったお茶碗と感触(焼き方)が似ている・・・。

 

お会計の際、店員さんに確かめた。

私 「こちらにある作品は、全て同じ作家さんのものですか?」

お店の方 「いいえ、色んな作家さんのものが置いてあります。」

私 「以前こちらで、同じ作家さんのお茶碗を買ったかもしれなくて。」

お店の方 「あぁ・・・、色んな作家さんのものがありますのでね、何とも・・・。」(ご名答)

私 「そしたら、お茶碗の“裏印” を確かめればいいですね?」

お店の方 「(淡々と)そうですね。」

 

私だけが舞い上がっていた自覚は十分にあった。

「年齢も性別も知らないが、これで同じ作家さんだったら、この世に私と同じ感覚を持っている人がいるんだな。」と。

 

数年前に買ったお茶碗とは、色合いも形も全く違う。

しかし外見から何かに引き寄せられ、手に取った瞬間自分にフィットする感触を得た。

「間違いない。」

 

さっそく家に帰り、裏印を確かめた。

 

先週2月28日、カリフォルニア州アーバインで行われた、ジョージ・リーのコンサートに行った。

曲目は、ショパンのピアノコンチェルト第一番、そしてアンコール曲のワルツop.42(ショパン)。

 

今回は、現地にて当日チケットを購入したため、中央部で聴ける席は3階席しかなかった。

これまで聴いた座席は、全て前方部だったが、今回は随分離れた場所からの観覧となった。

これは “計算通り” で、彼の演奏を一度離れたところから聴いてみたいというのもあり、敢えて3階席にした。

 

彼の生の演奏に触れるのは、もう5回以上にはなるが、彼が小さく見える座席は今回が初めてだった。

こんなに小さく見えるのに、ピアノの音は滑らかに一音一音ハッキリと飛んでくる。

『滑らかにハッキリ』聴こえるのが、私が最も魅了される理由である。

「滑らかさ」と「明瞭さ」と「上品さ」を兼ね揃えたのが、正に彼の演奏なのだ。

 

私は速弾きの演奏に心を打たれることが少なく、たいていの速い演奏は滑らかさに欠ける。

「Legato(なめらかに)」という音楽表記があるが、これほどの難しい奏法はあるだろうか。

 

もちろん、弾き方も聴き方も人それぞれであり、人それぞれの楽しみ方があるのが、クラシック音楽。

何に着目して演奏を聴くかは、千差万別。

何に着目して演奏するかも、千差万別。

 

彼の演奏を聴きに行く度感じる事なのだが。

始めと途中で、聴衆の反応が変わっていくこと。

地方でのコンサートは、たいてい地元の人が多く、彼の事を知らない聴衆がほとんど。

オープニングで初めてステージに出てくる際は、決まって拍手はバラバラである。

しかし、一曲目が終わった途端、拍手は明らかに彼の演奏に化学反応を起こしている。

終演時は、これも決まってスタンディングオーベーションとなる。

 

今回、終演後の帰り際、私の左に座っていた、たいそうな御婦人がわざわざ私に話しかけてきた。

「あなた、ピアノ弾くの?彼の演奏、Marvelousだったわね?!彼のワルツは私が今まで聴いた中で最高だったわ!他のピアニストとリズム感が違う。」と。

(Marvelousは、最上級的に使われる褒め言葉。)

 

それを、私に言うのか?と思いながら、「彼の演奏を聴くのは初めてですか?」と問いかけると、「ええ、初めてよ。」と・・・。

私はニヤリ、「私は何度も聴いているが、あなたは音楽をよく分かってらっしゃる。はい、他のピアニストとは違います。」と、ただ申し上げた。 「だから、こんな所までわざわざ来ているんですよ・・」と言いかけたが、そんな事は知る由もないだろう。

 

ダイナミックでもいい、速くてもいい、ただ・・。

アンドラーシュ・シフもいつも言っているが、「上品で気品のある音」なら何でもいい。