先日、年に一度の大イベントである教室の発表会が終了した。

今年度は、新型コロナウィルスの感染拡大の影響を受け、生徒様ならびにご家族様にはマスクの着用やソーシャルディスタンシングのご協力を頂き、無事に終えることができた。

私自身もさることながら、生徒さん一人一人の日常生活の意識の高さが、今回の発表会開催にも繋がったように思う。

 

毎年思うことだが、今年も皆さんの上達は著しいもので、一年という歳月が人をここまで変化させると改めて感じさせられた。

私は、ピアノの上達は、技術の習得だけではなく、人間の五感すべての総合的なものだと思っている。

その五感すべては繋がっていて、互いに影響され刺激しあい、そして変化し続けていく。

日常の些細な事でも、五感は常に刺激されている。

感動したり、新しい事を知ったり、見たり聞いたり、怒ったり笑ったり。

日々、少しずつ変化していくもの。いや、変化(更新)しなければならない?!

前者は自動、後者は手動。

 

『進化論』で有名な、ダーウィンの名言にもある、

「最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるのでもない。

唯一生き残ることが出来るのは、
変化できる者である。」

 

変化というより、"今風" に言うなら「アップデート」だろうか。

余談だが、

数年前に買った携帯電話を一度もアップデートしなかったら、先日使えなくなってしまった。

 

人間も、更新してバージョンアップしなければならないか。

『新型コロナウィルス感染抑制の熱き闘い』

 

新型コロナウィルスとの闘いも長期戦に入った。

既に日常化しているマスクの着用、手指の消毒、そしてソーシャルディスタンシング。

“ウィズコロナ”、 “ニューノーマル”、  “大阪モデル”、  “三密” と、最近よく耳にする言葉。

そんな中、私のPandemic Pastime(パンデミック下での娯楽?)を見つけたいものだが。

アメリカでは、ピックルボール(テニスと卓球の間のようなスポーツ)が今流行っているそうだ。

私には、そんな庭も家族も持ち合わせていない・・・。

 

やっぱり、ピアノの練習か?!・・・。

 

さて、梅雨明けも間近に迎え、今年も発表会が近づいてきた。

今年の発表会は“大荒れ”になりそうだ。

ホールの客席は、事前に配布する座席番号による、完全指定席。

連弾も集合写真撮影もできない。

また、年に一度の発表会でしか会えない、生徒さん同士の挨拶や会話も最小限。

 

一体、このウィルスは私達に何を学ばせようとしているのか。

 

動画やビデオ通話などが日常的な、オンライン化した世の中で、

「ただ会える」ということが、どんなに素晴らしいことか。

 

私にとってのPandemic Pastimeは、『“一娯一会”』のレッスンそのもの。

連日、新型コロナウィルスの感染拡大のニュースが取り沙汰され、軽い「コロナ疲れ」が生じてきた。

しかし、この「コロナ疲れ」はマスメディアの煽りによる影響が大きい。

 

私は、感染拡大され始めた頃から“正しく、恐れる”ことにしている。

飛沫、接触感染であることから、防ぐ手立てはいくつかある。

互いにマスクをし、場所を移動した際は、都度、手を洗える環境があれば手を洗い、なければアルコール消毒を可能な限り行う。

また、マスクを外さなければならない所へは行かない、やむを得ない場合は細心の注意を払う。

 

『彼を知り己を知れば百戦殆うからず』(孫子)

(お互いの情勢を知っていれば、戦いに勝てる)

 

これが、まさに「正しく、恐れる」であり、私の直感でもある。

ようは、「人と話さず、物に触るな」ということで、この新型ウィルスは、人間の特性にうまく “付け込んできた” のだ。

 

Because of COVID-19, there is a bunch of things to study. 「新型コロナウィルスのお陰?で、色んな学びがある。」

(「こういう時、英語で言うと楽だ。because of ~、お陰様で・・、そのせいで・・、とどちらとも訳せる。」)

 

その学びとは・・・、

周りの人への配慮、大切な人を守る行動、自分自身の行動、信頼関係、信用性、情報の取捨選択、直感力・・・

一事が万事、全ての行動が繋がっていく。(ピアノ演奏にも似てるなぁ。)

この騒動が過ぎ去り、あとで恥じない行動だけはしておきたい。

 

自分の行動や考え方を、改めて見直し前進する時かもしれない。