★阿武隈川の水運で財を成した豪商の館★
場所・ 宮城県井具郡丸森町字町西25
電話・ 0224-72-6636
竣工・ 江戸時代以降増築
構造・ 土蔵造り2階建て他 洋館も
料金・ 600円 9~17時 (月)休み *当時の情報
最終訪問・ 2009.05
宮城県南部、阿武隈川で福島県とつながる内陸部にあります
阿武隈川の水利を利用した商いで、江戸時代から、昭和25年まで豪商でありつつ、大地主、山林持ちとして財をなし、丸森町の発展に貢献し続けてきた斎藤家
昭和61年、「斎理」第7代・斎藤理助氏に寄って町に寄贈された家は、当時の瀟洒な生活を垣間見ることができるタイムカプセルのようです
鬼瓦も懸魚も立派なもの 水利の家だけに波の意匠か
全長239キロの長大な阿武隈川を御蔵米の他、木材や石材(白御影石)などを塩釜港、はては江戸まで運ぶ河口の港として丸森は重要な場所でした
文化元年(1804)、水害のため、渡し場変更に伴い、斎理家は現在の町場の中心に移りました
初代より斎藤理助を襲名し、その名より「斎理」の屋号を用いました
家業は呉服太物商が主で、早くから養蚕を始め、味噌、醤油の醸造から、繭、生糸、米の相場も手掛けました
幕末から明治の初期には手前金(純財産)が毎年一万両という現在の上場企業並みの財をなし、後には金融業をも兼ねるようになりました
そのため年貢米を入れる蔵が必要となり、板倉を合わせると十数棟が広大な敷地に点在しました
当時、年貢米も2000俵を超えました
豪商として商いも拡張し、土地の所有も増加し、地方きっての大地主となります(伊達南部の豪農的な感じか)
まるで家の敷地内なのに町並みのような蔵の回廊
さらに町のため製糸工場・武陽館の建設や清滝電燈株式会社、明神社の合祀移転、阿武隈川に舟橋を架設する隅共社、丸森小学校校舎新築工事などに関わり、社会事業家として畏敬されたといいます(利益を地元に還元、町のリーダーなんだ)
昭和61年、七代目当主である「だんぽ・旦那さん」より斎理屋敷の土地(6535m2)、家屋9棟、そして蔵に残された膨大な数の収蔵品がすべて町に寄贈されました
蔵品は高価なものから生活用品まで多岐にわたり、現時点で台帳登録分として、1111件、6555点を数えます
どれも近世から近代の生活を物語る貴重なものです
町では2年かけて建物の修復と収蔵品の調査整備を進め、一般公開しました
正面にある嘉永元年(1848)に造られた「店蔵」には昔のように「斎に○」の字が染め抜かれた大暖簾が掛かり、
「嫁の蔵」は調度品の展示場へ、
復元された居宅は大広間と展示場、
明治初期建築の「住の蔵」は住生活がテーマ、
「童の蔵」や明治元年の柱時計が時を刻む「時の蔵」にも斎理の歴史が込められています
また御影石の石風呂もあるそうです(水回り気になる)
町の宝物として甦った家は、今日も人々が集う場として賑わっています
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この「斎理屋敷」を知らなければ行くことも知ることもなかったであろう東北の小さな田舎町
今回の宮城の旅の最後に立寄りました
こじんまりとした静かな町は、私の地元を思い出すような落ち着きのある町でした
そんな町中に現れる豪壮な豪商の屋敷は見応えがあります
余りに広すぎてまるで家の敷地の中が町並みのようになっています
資料館を見るのは有料ですが、このように外観だけ見るなら無料です(内部もいつかまた行けたら見たいなあ)
周囲にも洋館が2軒ほどあり収穫でした
帰りは東北道のインターまで阿武隈川沿いの細い山道を通り、「これが有名な阿武隈川かあ」と車窓に見ることができました
確かに大きな川でここのところの雨で増水し暴れ川かもと思いました
条件の良い日は川下りもできるようでした
丸森町はあまり観光や温泉巡りでも訪れる機会の少ない町ですが興味のある方はぜひ訪ねてみて下さい
豪商・邸宅・古民家好きの方にもオススメです(^^♪