しばりやトーマスの斜陽産業・続 -96ページ目

日本語ミュージカル映画の可能性は、落下して消えた!『映画 少年たち』

※この記事は前ブログの過去記事(2019年04月05日)の再録です

 1969年に初演され、その後も改訂されながら上演され続けているジャニーズアイドルのミュージカル『少年たち』のミュージカル映画版。若手ジャニーズの登竜門的舞台だという。少年刑務所を舞台に少年同士のケンカ、そして友情の物語(その間に突然歌いだしたり、踊ったりするわけです)。ジャニーズで20前後の顔の綺麗な若者たちが不良の真似事をしているのを、僕は光GENJIの時代から見ているので違和感もない(嘘つけ)のだが、EXILE系のオラオラがまかり通っている現代、こんな不良で満足できるのでしょうか?



 とある少年刑務所ではジョー(SixTONES・ジェシー)がリーダー格の赤房と、コウタ(Snow Man・岩本照)がリーダー役の青房の少年たちがいつも争っており、黒房の少年たちは争いを静観していた。
 ある日、赤房に新入りのジュン(SixTONES・京本大我。京本政樹の息子)がやってくる。彼は誰にも心を開かず、部屋の隅で日記を綴っていた。新しく赴任してきた看守長の中林(関ジャニ∞・横山裕)は若い看守時代に刑務所の少年たちに襲撃され、足を折られたことがあり、その復讐を果たすかのように少年たちを暴力で支配しようとする。

「お前らはクズだ!動物だ!動物には躾けが必要だ!」

 と眠たそうな目で中林は理不尽なイビリをはじめる。ジュンは中林に目を付けられ、赤房のメンバーがいる前で日記を読み上げられる。ジュンを孤立させようとする中林は、赤房メンバーへの悪口をジュンがこっそり日記に綴っているかのようにねつ造する。おびえたジュンは「嘘だ。僕はそんなこと書いていない」と告げると、ジョーは「わかってる。お前のことを信じてる」というのだが、この間ジュンとジョーは仲良くなったり、信頼関係が出来上がってるような様子がないので、なんでジュンのことを素直に信じるのか、わけがわからない。

 

 ジョーは在日米軍の兵隊だった父親を持つハーフだが、父は早くに死に、シングルマザーの母親(森口瑤子)は生活のために様々な男の家に入り浸る。そんな母親を嫌うジョーは面会でも母親を罵り、ついに面会にも来なくなると清々したと言わんばかり。
 青房のタスクは身重の妻・美咲(山下リオ)を塀の外に残している。演じているSnow Man・深沢辰哉は身重の妻がいるようにはどうしても見えないが…タスクは自分にとって最初の子供が生まれる時に愛する妻のそばで出産を勇気づけたいのだが、仮出所はまだ先だ。

 刑務所入りする少年たちは様々な理由で罪を犯して年少にいる。といってもせいぜい怒りに任せて誰かを殴った程度の罪ですが。ジュンは一緒に店をやろう、といっていた友人に開店資金をバイトの中から少しずつ手渡すが、悪い奴らに引っかかってしまった友人はそいつらに金を巻き上げられていた!「あいつ、ジュンはバカだからちょろまかすのは簡単だっていってたぜ」(意訳)と友人の悪口を言われたジュンは「あいつはそんなやつじゃない!」と激怒してチンピラ連中を全員叩きのめす(お前強いな!)。
 こんなヌルイ理由で年少入りした人間もいれば、カツアゲされていた相手をロープで括って原付で引きずり回したことが理由のやつもいる!少年たちの犯した罪の強弱が激しすぎるだろ…

 黒房の体が弱いケンタ(関西ジャニーズjr.・室龍太)は休むことを許されず、倒れてしまい医療少年院に放り込まれる。ジョーは面倒を見てくれている弁護士から母親が病気でもう長くないと知らされ、面会に来なくなったのはもう親として面倒を見ることができないから、ジョーを独り立ちさせるために距離を置いていたのだと気づく。

 

 激しさを増す中林らによる暴力支配に我慢の限界となった少年たち(とはいっても掃除のときに監視したり、横山裕が眠たそうな目で少年たちを睨んでるぐらい。これが「高圧的な態度による鬼看守の暴力的な支配」だというのか?)。
 親が亡くなる前に一度、会いたい…と今さら母親想いになるジョー、仮出所まで我慢できない!今すぐ身重の妻のところへ駆け付けたいと願うタスク!
 ジュンも友人が裏切ったというのは勘違いだったことを知り、直接会って謝りたいと考える。
 ここに敵対していた赤房と青房は結託し、脱走することに。ケンタの一件で看守への不信感を募らせた黒房も傍観者になるのを止めてこの計画に乗る。三房のメンバーは新月の夜に脱走を計画する。赤房の情報屋(SixTONES・田中樹)が各所で同時に騒ぎを起こして看守らの警戒を分散させ、その隙にジョーとタスクだけでも脱走させようとする。
 よほど綿密な計画案があるのかなと思いきや、情報屋が最終的には「出たとこ勝負だ」と、場当たり的なことを言い出すあたり、痺れちゃう。君たちいい加減すぎ。

 そんな計画なので当然最後の最後で破綻するわけだが、ここでジュンが刑務所の屋根を上って看守の目を引き付ける。その間にジョー達を逃がそうという腹だが、足を滑らせたジュンはスローモーションで落下して死ぬ(!)。この内容なら最後にジュンが友人に会って気持ちを伝えなきゃ嘘でしょ!なんで死んでるの!?タスクは無事妻の元に駆け付けるんだけど、すでに子供は生まれていた!じゃあ脱走してきた意味ないだろ!ジョーが母親に会えたかどうかはわかりません!もう何がなんだか!

 眠たそうな目をした鬼看守の横山裕も最後には都合よく善人になって出所する少年にちょっといいこと言ったりして、キャラクターのブレ方が半端ないです。

 少年刑務所内でいがみ合ってた少年たちが友情で結ばれたり、鬼看守が善人になるのもいいですけど、なぜそうなったのか、の過程が実にいい加減。肝心のところをきちんと描いてくれないと…
 適当にケンカして、適当に仲良くなって、適当に踊ってハッピーエンド!日本版『ラ・ラ・ランド』を目指したそうですが…どこが『ラ・ラ・ランド』?いや、理想と現実の違い、ほろ苦さを描いた『ラ・ラ・ランド』っぽいと言えなくもないか!
 ミュージカルでは歌やダンスで大胆に省略して許されることも、映画ではそれなりに説明しないといけないからなあ。あまりにひどすぎて、却って笑いながら楽しむことはできたので、エンターテイメントとしては成立している。その辺はさすがエンターテイメントの雄、ジャニーズだと思う。

 

 

 

 

おかずが欲しかっただけなのに

※この記事は前ブログの過去記事(2019年04月27日)の再録です

 とある地下アイドル?のカフェイベントで出てきた料理がいくらなんでもひどくない?と話題になっています。

アイドルカフェイベを全否定するわけではないけど、いくらアイドルが作った料理とはいえ明らかに何これ?みたいなもんもあるし、味付けおかしいのに周りみたら宗教みたくうまいうまい言ってるオタクいるし、行っただけでチャージ1000、ワンドリンク800プラスワンオーダーとかあるしなぁ…これで3500…

 うーん、これはなかなか・・・
 道端で「おいしいスイーツ」や「新選なフルーツ」をリヤカー曳いてたり、箱に入れて売り歩いている人、たまに見ますが、誰も買っているのを見たことがない。聞くところによると、あれは某宗教団体がやらせているそうで、なるほど、資金源獲得のためにしているのか、と思ったら売れなくてもいいのだそうです。「え?売れなかったら意味ないのでは?」と思われるかもしれませんが、あれはその人間が立派な信者になれるのかどうかを試しているのだという。売れなくても毎日毎日重い箱を持って行脚できるかどうか、を試しており、売れなくても続けられるやつは、よりハードな修行のルートをたどることになり、信者としてステップアップするのだと・・・

 このアイドルカフェイベントもそうではないのかな?この刑務所のメシよりも少ないおかずで3,500・・・このメシをマジで許せないのはおかずが少なすぎ!量よりも品目が少ない。せめて白飯におかずは4品ですよ。
 この少ないおかずに3,500円を大人しく払える人々だけが「敬虔な信者」として携挙される(終末の際に神のみ使いによって天に召され、不死の命を与えられること。詳しくはニコラス・ケイジ主演の『レフト・ビハインド』を観てくれ)のである。僕みたいな人間は終末の世界に取り残され、選ばれなかったものたちと醜い争いを繰り広げるのです。おかずを増やしてほしかっただけなのに。

 

 

 

 

 

押井守が恋のキューピッド!?『花束みたいな恋をした』

 

「あの二人は音楽のことが好きじゃないね」

 カフェであるカップルがスマホから流れる音楽をイヤホンの左右を分け合って聴いているのを見ていた別のカップルの男(菅田将暉)がいう。すると別のテーブルにいるカップルの女(有村架純)も「イヤホンのLRでは流れている音楽が違うからミキサーがプロの技術でつくりあげた本当の音楽を聴いたことにはならない」と面倒くさいことを口にする。菅田は我慢できずに教えてやろうと席を立つ。有村も同じことを考えて腰を上げる。二人は顔を見合わせる。そこから物語は5年前の2015年に遡る。

 

『花束みたいな恋をした』はフジテレビのドラマ『同・級・生』『東京ラブストーリー』をヒットさせた坂元裕二の脚本、『いま、会いにゆきます』『涙そうそう』『ハナミズキ』といった映画で知られる土井裕泰というトレンディでおしゃれなラブストーリーのヒットメーカー二人によってつくられた作品で、普段なら僕は絶対見ないタイプの映画なんだが、サブカルカップルがテーマだというので重い腰を上げて劇場に行った。

 

 終電を逃してしまった大学生の菅田と有村は同じように終電に乗りそこなったサラリーマンとOL、合わせて四人で朝までやってるバーに行く。そこで映画の話題になるのだが、サラリーマンは「オレ結構マニアックなやつ見てますよ」と言いながら堂々と『ショーシャンクの空に』を挙げるのだった。

 

 それのどこがマニアックじゃい!マニアックというならせめて同年に公開して高評価を得ながらアカデミー賞では『タイタニック』に蹴散らされた『ブギーナイツ』でも挙げてみろや!と映画マニアック警察の立場から言わせてもらう。するとOLの方も私も『魔女の宅急便』を見たと言い出し、トホホとなるところ「朝の連ドラに出た子が主演で・・・」と言い出してそれって実写版の方やん!突然のサブカル(というか邦キチ的)ワードが出てきて腰抜かす。

これだよこれ

 

 菅田の方はそんなどうでもいい話を聞いていない。何故ならそうのバーには彼にとっての「神」が居たからだ。なんと同じ店で押井守が業界人と飲んでいた!(本人登場。話し相手の業界人が辻本貴則監督っていうのがねぇ、もうw)映画マニアの菅田は動揺を隠せない。リーマンとOLの映画趣味なんかどうでもええわ!もう一人動揺していたのが居た。有村架純だ。店を出ると菅田に話しかける。

 

「さっき、押井監督いましたよね?」

 

 押井守の外見がわかる女子大生!二人は共通のサブカル趣味があるということで仲良くなっていく。映画、漫画、小説、舞台・・・サブカル趣味の観客が気恥ずかしくなってくるレベルの恋模様。二人はファミレスの店員がインディーズバンドのボーカルだと聞いてYouTubeで動画を検索、それをひとつのイヤホンを分け合って聴くのだが、隣にいた見知らぬオッサンにイヤホンのLRは違う音が聴こえて・・・という話を無理やり聞かされ1時間も無駄にするが二人は交際するようになる。

 有村は就職活動を始めるが、圧迫面接に苦しめられ電話越しに泣く。菅田は

 

「そんなやつ、今村夏子の『ピクニック』を読んだって何も感じないようなやつだよ!そんなの気にすることないよ」

 

 今村夏子の『ピクニック』はお笑い芸人でつきあってる、と妄想する女性店員の恋愛を応援するフリして馬鹿にしている同僚女子の悪意をそうとはわからないように描いた小説だが、まあ内容については触れなくてもいい。映画の中でもどういう話かは語られない。菅田と有村の間では「今村夏子の『ピクニック』」というキーワードが説明しなくてもわかるサブカル者のキーワードとして成立しているのだ。こういうキーワードが映画のそこかしらに出てくる。『宝石の国』とか『ゴールデンカムイ』とか、押井守という名前もそうだよね。この物語は2015年から2020年の間のサブカル的キーワードが理解できなくても大丈夫。あなたの好きな漫画や映画のタイトルを入れといてください。

 

 就職なんかしないで俺と一緒に暮らそう、と誘われた有村は菅田と駅まで徒歩30分ある多摩川沿いのマンションで同棲生活をはじめる。そんなにお金はないけれど(といいながらしょっちゅう映画や舞台を見に行っているという結構いい暮らしをしているので坂元の考える貧乏って何?とモヤモヤする)幸せな日々を送る。有村は資格を取って歯科医師の受付の仕事に就く。菅田は夢だったイラストレーターの仕事をするが「3カット1000円」という現実に打ちのめされ、就職を決意する。ネット通販の会社で営業職に就くが、忙しい日々の繰り返しで二人の生活はすれ違いが生まれる。一緒に映画も舞台も見に行けないし、『ゴールデンカムイ』を菅田は7巻までしか読んでないのに、気が付けば10数巻まで出ている。

 

「俺、もう今村夏子の『ピクニック』を読んでも何も感じないかもな」

 

 やがて有村は受付の仕事をやめてイベント会社社長(オダギリジョーがいかにもイベント会社にいそうな胡散臭い社長を好演)のスカウトで転職を決める。「好きなこと仕事にしたいから」という有村に「そんなの遊んでるだけじゃん?仕事には責任があるんだよ」と毒づく菅田。二人の生活のために自分は責任ある仕事をしているという菅田はそんなに好きなことがしたいなら結婚しよう(まだしてなかったのね)、俺が稼ぐから家で好きなことしたらいいじゃん?と最低なプロポーズをしてしまう。

 

 佐野元春の『情けない週末』を思い出す。生活といううすのろが二人を邪魔するのだ。

 

 

 やがて二人は別れを決意する。ファミレスで2015年の二人みたいな初々しいカップルの会話を聞いて、まだ付き合う前だった二人が一人で部屋にいる時に「彼女は何をしているんだろう?」「彼は何を考えているんだろう?」と互いのことだけを考えていた時期を思い出す。そうでなくなったのなら、別れるしかないじゃないか!

 坂元裕二は飯野賢治と組んで製作したゲーム『リアルサウンド~風のリグレット』でも去って行こうとする彼女を追いかけなかった男が後になってからやり直そうというのだけど「もう遅いよ」と彼女が拒絶した場面が印象的だったように、別れの場面を描くのがうまいな。

 

 押井守がキューピッドになるような恋愛は破綻するってこと?いやいや、この5年間は何よりも代えがたい5年だったという結末になっていて全サブカル世代の宿題なので劇場に行け!

 

 

 

 

前作制作者の意に沿わない続編。『けものフレンズ2』は『ブレアウィッチ2』だった!

※この記事は前ブログの過去記事(2019年04月03日)の再録です

 2019年冬アニメ最大の話題作として放送された『けものフレンズ2』は大ヒットした前作最大の立役者とされるたつき監督の降板騒動以降、いまだ制作委員会やKADOKAWAへの批判が続いている中での続編制作とあって制作決定の時点で批判が加速するのであった。
 しかし『2』のメインスタッフのうち、監督は『アイカツ!』シリーズを大成功に導いた木村隆一、シリーズ構成、脚本は『ゾンビランドサガ』に関わっていたますもとたくやだと発表されるとひょっとして期待できるかも…というムードが高まり、「まあまあ落ち着いて。作品を見るまでは批判はやめておこう」といった冷静な人たちが現れたのだが、一部の「絶対許さないマン」たちが奇声を上げる中、初回放送日を迎えた。


 前作からの登場人物であるサーバルに加えて、新フレンズのカラカルが登場し、前作主人公のかばんちゃんに代わる新しいヒトキャラ、キュルルが登場。彼女はかばんちゃん同様正体不明で記憶のないキャラクターであり、彼女が持つスケッチブックに書かれた「記録」を元にジャパリパークのどこかにあるキュルルの「おうち」を探す旅にサーバル・カラカルが同行するというストーリー。
 この部分は前作までのプロットを踏襲しており、特に問題もないが、微妙に感じるのがキュルルのスケッチブックと絵である。前作では動物が擬人化したフレンズとヒトの間には明確な文化、生態の違いがあり、前作ではヒトが「道具を使って何かをする」という行為がフレンズにとって理外であり、ジャパリパークの地図をホルダーから取ったりするだけでサーバルが不思議がるといった描写があった。かばんちゃんにはフレンズのような力や行動力がなく、それを「何もできない」とフレンズから残念ながられたりしていたが、力を補う器用さと知恵でフレンズたちの問題や騒動を解決していく(ヒトの知恵がなければフレンズの抱える問題は解決しない)、という展開があった。
 ところが『2』ではキュルルが「紙に絵を描く」というフレンズにとって理外である行為をサーバルたちが普通に受け入れており、それに対するフォローが劇中では示されない。キュルルがクレヨンで器用に絵を描いていくのを見ても、それを不思議がる様子すらない。ならばフレンズたちの知能や経験が前作よりもプラスされたという説明が必要なんだけど、『2』では一切そんな様子がない。

 ならば『2』とは前作とは世界観が共通されているだけのパラレルワールドなのかというと、前作にも登場した場所やフレンズが出てきたり、ある建物が水没していたりなど、前作からの時間の流れを感じさせている。「前作からの続き」であることが示されているのに、整合性が取れていない。
 しかも第6話では前作の主人公、かばんちゃんが再登場。サンドスターやセルリアンに関する研究をしているという設定で前作からの成長がうかがえる。サーバルに関するなんらかの記憶があるが、サーバルにはないといった前作からの視聴者がモヤモヤする展開があるのに、やはりこのことについて追及されることはなく、シリーズの中の1エピソードとして処理されるのであった。

 前作が受けた要素のひとつに「散りばめられた伏線が最後にすべて回収されていく」という展開の面白さがあったのですが、『2』では何も伏線が貼られず、謎だけを提示されてそれを疑問に思っても「まあいいや」と気にも留めず主人公たちは次に進んでいく。この伏線をどれだけ回収しなかったかについては最終回放送直後にTwitterに貼られ、放送後に更新されたある画像をご覧ください。


 およそこれだけの謎が提示されながらひとつも回収されずに放置されたのです…『2』は放送直後は様子見の視聴者から生暖かい視線で観られていたものの、回を経るごとにバッシングする意見が目に付くようになり、アンチと化した人々の執拗な口撃に木村隆一監督が反発、その意見に一貫性がないことからさらなる炎上を呼ぶという悪循環に陥りました。

『けものフレンズ2』関係者の言ってることはバラバラで情報共有されてない(けものフレンズちゃんねる記事まとめ)
https://togetter.com/li/1328517

 木村監督はよくこの内容で自信満々に語ったり、アンチを相手に煽るような意見を書き込んだものだな…と思う。いっそネット上ではだんまりを通して雑誌・メディア媒体でのみ前向きなコメントだけ出しておけばこんなに揉めなかったのでは?
 一部の「最終回ではある程度疑問が解消されるはず」といった期待を裏切るように最終回でも投げっぱなしのまま終わってしまい、4月2日のニコニコ動画最終回上映会ではアンケートで「良くなかった 95.3」というアンケート史上最低だった『遊戯王 ARC-V』の94.2を越える記録を叩き出すのであった。

 この大人気だった前作の続編として期待されながら続編はどうしようもなくダメになる、といった現象を僕は見たことがある。『ブレアウィッチ2』だ。99年に公開され、世界中に反響を巻き起こした『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の続編として公開されたが、前作の制作者であったエドゥアルド・サンチェスとダニエル・マイリックは関わっておらず、「意に沿わない続編だった」「続編の制作にはもう少し落ちついてからがいいと思ってたが、スタジオが「鉄は熱いうちに打て」とゴーサインを出したんだ」とコメントしており、前作と関係があるような、ないような…別物の作品になっており、評価はボロクソ、ラジー賞の「最低リメイク・続編映画」を受賞。あっという間にブレア・ウィッチ人気は終息、正当な続編が誕生するまで16年もかかることになるのだった。

『けものフレンズ2』はそういう意味で『ブレアウィッチ2』に似ている。前作のヒットをなかったことにするほどのダメな続編というと『グレムリン2』『ベスト・キッド2』『スピード2』『スターシップ・トゥルーパーズ2』とかあるけど、「前作の制作者に意に沿わない続編」な上に評価もボロクソ、というと『ブレアウィッチ2』しか思い浮かばない。

 前作をたつき監督は3年もかけてつくったので、たった2年で続編が作られるわけもなく、監督降板については様々な理由が語られるものの、降板の理由として強調されるのは短期間にシリーズを量産したいKADOKAWAが前作をつくったヤオヨロズでは量産ができないと判断されたのかも。でもそれなら単に『2』では別の会社でやりますといえばいいだけで、実際2期や続編で制作会社の変わるアニメなんて珍しくないしね。『みなみけ』とか『生徒会の一存』とか…
 なのに降板理由として「関係各所への情報共有や連絡がないままでの作品利用」というのが公式の見解として挙げられ、まるでたつき監督、ヤオヨロズ側に非があるような書き方されちゃったのは関係者同士で感情的なもつれがあったんじゃないのかな?大人の対応では済まないような。ヤマカンが「監督の域に達してない」と言われた『らき☆すた』降板騒動と同じで。

 本当に「もう少しどうにかならなかったのか?」と言いたくなるほど辛い出来でしたねえ。期待した僕が愚かだったのでしょうか?

 

 

 

 

 

存在しない病気で泣く!空虚で薄っぺらな死『君は月夜に光り輝く』

※この記事は前ブログの過去記事(2019年04月01日)の再録です



 懲りもせず、飽きもせずに作られ続ける難病映画。この手の難病モノ映画で本当に腹立たしいのは、作り手側が病気や患者のことを真剣に考えて向き合うつもりがないこと。闘病の様子はいつも適当に描かれ、『恋空』では恋人のガッキーが余命僅かの彼氏の病室でリンゴを剥く姿が「看病」とされていた。それがどういう病気なのか、治療に何が必要なのか、看病する家族や知人は何をすればいいのか?そういうのがきちんと書かれた映画ってほとんどない。そういうことを啓蒙する映画じゃないと言われればそれまでか?ならその映画は若い人を残酷に死なせて泣かせるだけが目的なのだろう。じゃあスラッシャー映画の死にもみんな泣けといいたい。
 

 そしてこの『君は月夜に光り輝く』ではついに存在しない病気が出てくる。発光病!死期が迫ると全身が光りだして最後には死ぬ!体が光るって!ホタルかよ!
 高校生の渡良瀬まみず(永野芽郁)は発光病にかかって、闘病と、政府による検査を受けるため入院生活をしている。クラスメイト岡田卓也(北村匠海)が彼女の元に届け物をしに来たことで卓也との交友が始まる。

「わたし、余命ゼロなんだ」

 余命ゼロでは死んでいるのではないのか?そんな意味不明のことをのたまう彼女は入院しているのでどこにも行けない。友達もいない。だから彼女は卓也に「自分が死ぬまでにしたいことリスト」に書いてあることを代行してもらう。まみずと同じように友達がいない卓也は代行を引き受ける。彼の姉(松本穂香)は自殺している。発光病で死んだ彼氏の後を追ったのだ。実際は交通事故で死んだので、自殺とはいえないし自殺だと思い込む母親に「自殺じゃなくて事故だ」というが、亡くなる前に姉は中原中也の詩集を読んでいた…

愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない

 ベ…ベタな!それ以来生きることの意味を見失っていた卓也はまみずの代行をすることで生きる目的を見つけていく。それ以上の内容は何もなく、主人公の空虚さを表すような中身の薄っぺらさにため息が混じる。代行リストでメイド喫茶のアルバイトをさせられる卓也が知り合ったメイドとちょっといい仲になったりするんだけど、そこから話が膨らむわけでもなく(膨らませろよ!)売り出し中の若手女優、今田美桜まで使ってるのに完全に無駄遣い。
 無理を押して病院の屋上に連れ出した彼女に夜空の星を見せてやったら体が光りだして病状悪化するという安易にもほどがあるセカチューのオマージュ。「彼女は14日間光り続けて死んだ」というクライマックスはもう、笑いを抑えるのに必死で…存在しない病気の死で泣いてるように、ここには物語も感動も、何も存在していない。ただただ空虚なだけ!


 この映画をはじめとする邦画の難病モノが如何に薄っぺらで空虚な絵空事にすぎないのかは、水泳の池江璃花子に起きてる現実を見ればわかる。彼女の現実の前には『君は月夜に光り輝く』なんて光り輝くどころかくすんで見えるだけだ。今後この手の難病映画は激減すると思われる。単にこの手の企画ばかりで食傷気味ってだけでもなくて、病気のことを真面目に考えるつもりもない映画を大量生産してきた人たちのせいだから。難病映画に光り輝く未来はまるでなさそう。