一行さんにツンツンされたい未来『HELLO WORLD』
※これは前ブログの過去記事(2019年10月06日)の再録です

仮想現実の世界を舞台にしたSFボーイ・ミーツ・ガール。監督は『ソードアート・オンライン-オーディナル・スケール-』の伊藤智彦、脚本は『[映] アムリタ』5部作、『ファンタジスタドール イブ』の野崎まど、キャラクターデザインは『けいおん!』の堀口悠起子というゴールデントライアングル。
2027年の京都に住む男子高校生の堅書直実(CV:北村匠海)は主体性のない、優柔不断で決断力のないダメ男子。オタクが見るアニメ作品における典型的な主人公だ。「イヤ」といえない性格なのでクラスで図書委員の仕事を押し付けられてしまう。しかし図書委員の顔合わせの場で異常にキラキラしていて、誰もが一目ぼれする美少女、勘解由小路三鈴(まったく読めないと思うけど、かでのこうじ・みすずと読む)に出会う。何か話すとキラキラッ☆とエフェクトがかかる(笑)美少女(ちなみに声は福原遥!)の勘解由小路さんとLINEの交換をしようとするも、同じこと考えている男子生徒たちに阻まれて轟沈。
そんな冴えないダメ野郎の直実はある日、フードを被った怪しげな男(CV:松坂桃李)に出会う。彼は10年後(2037年)の世界から来た直実本人=ナオミだという。そして衝撃の事実を伝えるのだ。
「この世界は現実ではない。未来の人間がつくった過去の記録なんだ」
京都の歴史と街を保存する計画、クロニクル京都の一環として生み出された記憶装置「アルタラ」によってシミュレートされた過去の記録に過ぎないのだと。
アルタラは時間の概念も記録できるので、再現された2027年の直実と2037年の直実はほぼ同一の存在なのだ。この説明じゃわかりにくいという人は『マトリックス』を思い出してくれ。君が見ている現実は機械につながれて見せられている夢に過ぎない!
10年後からやってきたナオミの目的は三か月後に直実の恋人となる女子との思い出を残したいというもの。それってまさかキラキラ女子の勘解由小路さんですか!?といきり立つ直実。
「いや、交際するのは同じ図書委員の一行瑠璃(CV:浜辺美波)だ」
一行さんはキラキラ女子の勘解由小路さんとは違っていつもむすっとして無表情で、ツンツンしてる。直実と違ってイヤなことはイヤという、正反対の性格だ。ええ、一行さんは綺麗だとは思いますけど、僕のタイプじゃないなあ・・・とさえないくせに贅沢な直実を軽く叱りつけておいてナオミは彼女と交際を始めて最初のデートで、落雷事故に遭って命を落とす未来を告げる。一行さんの「事故で死ぬ」という未来を回避し、せめて仮想現実の世界だけでも幸せになる姿が見たい、というナオミに協力することにした直実は、アルタラ内で世界の記録を書き換えることができる「神の手(グッドデザイン)」を渡され、これを自由自在に使いこなせるようにした上で仮想現実の中で記録を書き換えた時に修正プログラムが働くので、この力でそれと戦うようにと。
こうして直実はナオミの言われるがままに「一行瑠璃と親密になり、交際しやがて事故の日を迎える」という記録を再現していく。直実にとっては未知の体験だがナオミには「過去の再現」なので、攻略法がわかっている恋愛ゲームのようにトゥルーエンディングを目指して、ナオミの勧めるがままに選択肢を選んでいく直実。例えば親密になる最初のきっかけ、通学バスの車内で直実は読んでいた文庫本を落とし、それを拾った時にバスが揺れ頭が一行さんのお尻に当たってしまう。
「・・・最低です!」
ビンタされた直実にナオミは「これで二人の距離が縮まった!」いや、全然縮まってないですから!むしろ離れてますよ!
まあ、ラブコメにおける男女の出会いとしては100%完璧ですが・・・
こんな感じで徐々に二人は距離を縮めていき、一行さんのことを常にツンツンしている近寄りがたい女子だと思っていたけれど、彼女は教室にいない間にクラスメイトが自分の椅子に座っていた時には「それ、私の椅子なんだけど」ということができるし、購買で昼食のパン争いの場で「ねじりん棒ください!」とハッキリ口にできる。直実は孤独なだけだが、一行さんは孤高の存在なんだと。
この一行さんのツンツンぶりは徹底していて、ラストまでデレるそぶりを見せないのだ。もうツンデレで喜んでいる場合ではない。ツンツンしかない!元祖ツンデレ声優・釘宮理恵が本作でどのような存在なのか確認してもらいたい。
事故が起きるまでの過程で、あえて彼女を悲しませるようなイベントをこなしていかなくてはならない状況に不満を持つようになる直実は「これも死を回避するために必要なことだ」と冷静に事故までの日々を再現するナオミの態度に疑問を抱くようになる。直実は自分が本当に一行さんのことを好きになっていることに気づくのだ。
そして花火大会の日、一行さんが死ぬ未来を回避しようと起こした行動で、アルタラの修正プログラムが発動する。「神の手(グッドデザイン)」によって妨害をはねのけ、一行さんを死の運命から救うことに成功するが、ナオミの本当の目的が明かされる。実は2037年の世界に一行さんは脳死状態のまま生き続けており、現実世界と同期しているアルタラの仮想現実内で一行さんの死を回避すれば、現実世界で意識不明の一行さんの記憶が上書きされてよみがえるはず・・・!
そのためには2027年の仮想現実から一行さんの記録を丸ごと2037年にもっていかないといけないので、直実がいる2027年の世界は崩壊してしまう。このたくらみはまんまと成功し、2037年の世界で一行さんは目を覚ます。
しかし蘇った一行さんはナオミを「あなたは堅書ではない」と拒絶。世界は崩壊をはじめる。ナオミが現実だと認識していた世界もまた、2037年の世界をシミュレートした仮想現実に過ぎなかった・・・という入れ子構造の物語を極めてわかりやすく描写しており、『ソードアート・オンライン』で現実の世界で眠り続けるアスナを仮想現実の世界で救えば眠りから覚める・・・という展開にも似ている。伊藤智彦監督にとってこだわりのある世界の再現であったといえましょう。
ソーシャル化によって個人と情報は密接につながって、世界を構築しているのが現代社会なので、もはや仮想現実は仮想とはいえないのでは?『HELLO WORLD』はそんな社会の到来を幸福感いっぱいに描いた作品なのです。
僕も一行さんにツンツンされたいんや!でも現実にああいう子がいたら大変そうですねえ・・・やっぱりアニメの方がいい!
20年封印されたメイキング ジム・キャリー大暴れ『ジム&アンディ』
※これは前ブログの過去記事(2019年10月02日)の再録です

ネットフリックスで配信されているドキュメンタリー『ジム&アンディ』(2017)を観た。
これは1999年公開(日本は2000年)の実在したコメディアン、アンディ・カウフマンの自伝映画『マン・オン・ザ・ムーン』のメイキングだが、諸事情につき当時撮影された素材の多くがお蔵入りにされており、20年経ってようやく解禁されたというもの。
アンディ自身はエンターテイナー、パフォーマーを自称してテレビの舞台に立っていたが、ネタの多くは舌っ足らずの声で「たんきゅう・べりまっち」といったりするだけで、他にはプレスリーのレコードに合わせて口パクしたり、『華麗なるギャツビー』を一冊丸ごと朗読したり、狂ったようにボンゴを叩く(だけ)・・・まるで面白くなかった。今ではファンの多くが「アンディ・カウフマンは面白くない。それが面白いんだ」とわけのわからない理由で支持されているのだが。しかしテレビ番組に出演して人気が出たアンディはトーク番組などに引っ張りだこに。あまりに忙しくて全部に出演できないので「俺の知り合いに面白いやつがいる。トニー・クリフトンっていうんだ」と友人を紹介した。
トニーは酔っぱらって現れ、コールガールを脇に抱え「アンディなんか面白くもなんともない!あいつは最低だ!」とわめき散らした。酔っ払いの毒舌男としてトニーはアンディ以上に暴れまわる。そのトニーは、どう見てもヅラを被ってサングラスをかけたアンディにしか見えなかった。司会者も「あなたアンディさんですよね?」というとセットの横からアンディが登場!生放送中にトニーとアンディはつかみ合いのケンカを繰り広げる。その時はアンディのブレーンであるボブ・ズムダがトニーを演じた。
「何これ?わけがわからない」
アンディはあらゆる常識を破壊して暴れまわった。82年にはメンフィスで女性差別発言をしプロレスに挑戦、リングに女性をあげて勝ちまくった。「世界無性別級王者」を名乗り、誰の挑戦も受けると宣言。当時メンフィスで新団体CWAを立ち上げていたエース、ジェリー・ローラーを相手に戦って首の骨を折る重傷を負った。
アンディは癌で早死にするが、それすら「どうせネタに決まってるよ」と信じてもらえなかった。実の家族まで彼の死を信じなかったぐらい。
そんな誰にも笑ってもらえないアンディの生涯を描いた作品『マン・オン・ザ・ムーン』でアンディの役をコメディアンのジム・キャリーが演じた。当時のジム・キャリーは『エース・ベンチュラ』『マスク』などでヒットを飛ばしていたが、「下品な顔芸役者」としか認知されず、業界では嫌われていた。この作品にかけていたキャリーはアンディの芸を完コピしたビデオを送ってオーディションに勝ち残った。
演奏家としての夢をあきらめて家族のために就職したキャリーの父親はその職を失業する羽目になり、一家はどん底の貧困に追い込まれる。キャリーは木を相手に独り言をいったりして「人を殺したくなるほど」絶望的な気分を忘れようとした
「アンディも同じようなことをしていた。笑ってほしいんだけど誰も笑ってくれない。僕はアンディなんだよ」
撮影で完全に役になり切っていたキャリーはスタッフに「ジムさん」と呼ばれても「ジムって誰だ?僕はアンディだ!」と大声をあげた。トニー役で撮影をしている時もなり切って実際のトニーのようにアンディの悪口を言いまくり、時には自分自身(キャリー)の悪口すら言った。紙袋を被ってスタジオに現れ「僕はバットマンだ!」と叫び、ユニバーサルの撮影所にスピルバーグのアンブリン社のオフィスがあるのを見つけると「会いに行こうぜ!」と乗り込んだ。
「大衆相手のクソ映画ばっかり撮ってないで、『ジョーズ』のころを思い出せよ!って言ってやるよ」
幸いスピルバーグはいなかったので事なきを得たが、許可も取らずにカメラを回していたのでアンブリンの人間がカメラは止めてくださいと叫ぶのが映っている。監督のミロシュ・フォアマンはクランクイン2週間後に「君は何をやりたいんだ?わけがわからないよ」と泣きを入れた。『カッコーの巣の上で』『アマデウス』で二度アカデミー賞に輝いた巨匠が!
フォアマンが匙を投げた現場でキャリーはアンディに、トニーになって暴れまわった。スタジオの外でもだ。『プレイボーイ』の編集者ヒュー・ヘフナーの『プレイボーイ・マンション』のパーティに招待されたときはアンディの代わりにトニーを行かせたが、ヘフナーはキャリーの変装だと思って歓待した。ところがその後本物のジム・キャリーが登場したので大騒ぎ。この時のトニーはボブ・ズムダ(今も健在)が昔のようにトニーを演じていたのだが、不審者としてトニー=ボブはたたき出されてしまう。悪ふざけもここに極まれり。
ジェリー・ローラー本人がやってきてメンフィスのプロレスリングを再現する場面では当時のようにアンディになり切ったキャリーがローラーを罵倒しまくり、つれの彼女に水をぶっかける!スープレックスでアンディを投げる場面ではもちろん持ち上げた瞬間に撮影を止めて、スタントがその後を演じるわけだがキャリーはそれが不満で本当に俺を投げろと要求。拒否するローラーを「保険会社が怖いのか?」「根性なし!」と罵りだす。ついにブチ切れたローラーはキャリーをリング外で「制裁」する。かつてのメンフィスのように首を負傷して撮影がストップした様子は「ジム・キャリー、撮影中に負傷」と伝えられ、翌日テレビのカメラマンがスタジオの周囲を取り囲む事態に。「和解」を兼ねたテレビ番組でキャリーとローラーがトークした時もキャリーはローラーを煽りまくり、怒ったローラーがキャリーをビンタしてしまう。もちろん二人は打ち合わせの上で撮影しているのだけど、何も知らない周囲は唖然、茫然とするばかり。
共演しているダニー・デヴィートやポール・ジアマッティもポカーンとしてるだけ。ただひとりアンディの彼女役で登場するコートニー・ラブだけはニコニコしてたけど(変人に付き合うのが慣れてるのか)。
何が本当で何が嘘なのかわからなくなってしまうアンディの虚実をキャリーは完全に再現した。周囲も完全に巻き込まれてしまい、アンディの父親役を演じたジェリー・ベーカーがトレーラーハウスの中でキャリーを「息子のように」叱り飛ばす(何があったんだ)とアンディの実際の妹が「いつもアンディはあんな風に父に叱られていたわ」とキャリーのガチっぷりに本物の涙を流す。一体なんなの!!
メイキング用に撮影された映像をユニバーサル側が宣伝にならないから回収すると言ってきたんだ!とキャリーは怒り心頭でボブに告げる。そりゃあこれ見たらキャリーは完全にキ〇〇イとしか思えないもんな。この映像が20年近く封印されてたのもわかるわ。ユニバーサル側の態度に憤慨するボブにキャリーは
「うっそだよ~ん!ダマされた?」
一杯食わされたボブが大笑い。ジム・キャリー、何がやりたいんだよ!
外宇宙よりも内宇宙を見よ『アド・アストラ』
※これは前ブログの過去記事(2019年10月01日)の再録です
日米ほぼ同時に公開された本作。アメリカでは評論家筋から高い評価を受けている一方、一般の観客からは「ようわからん」「退屈」「寝た」という声も聞かれる。なぜ両者の間で評価が分かれたのか?
人類が宇宙へ進出して月、火星に拠点を築き、そこからさらに外宇宙へ向かっていこうとしている時代。ブラッド・ピット演じる宇宙飛行士のロイはどんな危機も冷静沈着に対処する男である。冒頭、大気圏外で作業中に宇宙の果てから飛来するサージ電流による事故が起き、そのまま地球へ落っこちるという危機に見舞われても表情一つ変えずにパラシュート(!)を開いて無事帰還する。事故後の精神安定テストも合格し、再び宇宙へ戻ろうとする中、所属する宇宙軍から16年前に宇宙で消息を絶った父親クリフォードが今も生きているという話を聞かされる。父親役は宇宙人ジョーンズことトミー・リー・ジョーンズ。
父親は地球外生命体の存在を調査するリマ計画の責任者として関わっていたが、任務を放棄し計画に参加していた人間をすべて殺し海王星まで逃亡、そこからサージ電流を地球に向けて放っているという。ロイの任務は火星までたどり着き、海王星にいる父に連絡を送ること。
かつて父の同僚だった宇宙飛行士プルーイット(ドナルド・サザーランド)とともに地球を経つ。月に到着した二人は軍の警備で月の基地へ向かうが、観光地と化した月では貧富の差がすさまじく、観光地の裏側では盗賊らによる略奪が起こっていた。それに巻き込まれたロイは同行する人間の多くを失い、プルーイットも負傷のため任務を外れることに。去り際にプルーイットは「軍は君を信用していない」とささやく。
火星に向かうまでもさらなるトラブルに巻き込まれるのだが、いずれの場合もロイはたいして表情も変えずに対処していく。たとえ人が死のうとも、だ。
ロイが何故冷静に対処できるかというと、他人に一切興味がないからだ。自閉症を患っているロイは他人への共感や感傷がなく、広大な宇宙に出ても関心は自分にしか向かない。英雄とされた父親は仕事人間で家庭を顧みないため、長い間関係を絶っていて、自分が妻(リブ・タイラー)と別れたのもそのせいかと。そんな自分を変えたいと思っていても・・・変えるための行動をする意欲がわかない。
60~70年代にSF界に起こったニューウェーブ運動は「SFは外宇宙より内宇宙をめざすべきだ」という言葉が象徴するように、人類にとって大事なものはアウタースペースよりもインナースペースにあるとした。宇宙よりも人間の内面に探索すべき真実がある。
ロイは地球外生命体がいるかどうかより、父親に再会して分かり合えるかどうか、自分は人を愛することができるのか、それだけを見つめている。『アド・アストラ』はあらゆる意味で『地獄の黙示録』に似ている。ジャングルの奥地で軍のコントロールを離れ勝手に王国を作っているカーツ大佐の抹殺を命じられたウィラード大尉は川を遡って奥地を目指す。旅の過程でアメリカ軍の暴虐を目の当たりにするがウィラードの心は揺れない。冷静だったウィラードもやがて心の平衡を保てず、村で少女をレイプしようとした兵に「どうかしている」と蛮行をやめさせる。
ロイも火星で父親へ軍に一字一句コントロールされたメッセージを送り続けるが、反応はない。最後にロイは命令に逆らい「会いたい」と告げる。その時初めて返信が来るのだが、軍はロイの任務は終わったと地球に帰ってくるようにいう。軍の目的はクリフォードの居場所を突き止め、核を打ち込んで抹殺することだった。ロイは軍の宇宙船に乗り込み、乗組員を全員殺し父の元にたどり着く。
SFマニアや映画マニアな人たちは恍惚すら浮かべる作品だろう。ニューウェーブとしては完璧な映画なのだから。宇宙人より、自分の内面にこそ探索すべく謎があるのだから。自分の内面に何があるのかわからない人にとっては宇宙の果てまで来てその景色にすら興味がまるでなく、自分の内面だけを見つめているブラピに感情移入できるだろう。
だからといって娯楽として面白いかどうかは別の話なので、退屈といえば退屈だろう。『地獄の黙示録』や『2001年宇宙の旅』(SF映画の金字塔!)がすごいけど、退屈なのと同じ。けれど娯楽よりも重要なものは自分の内面にあるのだ。
誤解した前田有一がダメにするのは前田有一だけだ!
このブログではプロの域に達していない自称映画批評家の前田有一が如何にダメなのかをその都度考察、分析してきた。映像制作専門誌のビデオサロンにて前田はなんと7年間も連載してきたのだが、4月号でついに連載が終了。もう毎月、前田の文章を読まなくて済むのでそれはありがたいのだが、最終回分が連載史上もっともひどかったので書いてみたい。以下引用する。
>今回は最終回ということで、これまで一度も語ってみなかった、ある原因について書いてみたいと思う。それは、私たち「批評側が抱える問題点」についてだ。
7年前に比べて、プロアマ問わず映画について語る人たち、自由に語れる場は劇的に増えた。言うまでもなく、SNSの普及によるものだ。それに伴い、的外れな批評により映画興行がダメージを受けたり、世間的な評価までもが不当に貶められるケースも増えている
>これは明らかに作品にとって深刻な実害であり、一度当事者として言及しておかなければならないと思ってきた。というのもこの17年間、私はおそらく誰よりもこの問題を認識しながら情報発信をしてきたからだ。
(赤字は筆者によるもの)
言うまでもなく、的外れな映画批評をしてきた(しかも17年間も)のは前田有一であり、世間的かどうかはともかく、不当に貶めてきたのも前田有一本人ではないか。『おかえり、はやぶさ』では竹内結子が擬人化した「はやぶさくん」のセリフを語らせることで映画上で何が起きているかを説明しているのに、前田ははやぶさ自身がしゃべっている(しかも竹内結子のセリフをアニメ声と詰っている)と勘違いして「せっかくの美談が漫画チックな駄作になってしまいました」と批判していた。本作をはじめ、はやぶさ映画はどれもこれも失敗したが、こんなデタラメを真に受けた人もいたかもしれない。評価を不当に貶めたのは前田有一本人ではないか。この一件では樋口真嗣氏に
「こいつ馬鹿だろ。映画観てりゃ誰のセリフかわかるじゃん。映画を観る知能のない馬鹿が足引っ張るのが一番許せん!」
「好き嫌いの話じゃない。映画で起きていることをきちんと捉えているかどうかの問題だろう。」
と酷評されもした。
そんな前田は自分自身の問題点には無自覚でこんなことを言い出す。
>さかのぼること2003年、私が批評サイトを開設したときは、SNSやら類似サイトが少なかったこともあり、相対的な意味での影響力が非常に大きかった。当時、国内最大のアクセスを持っていた批評サイトだったので、私が酷評したある邦画大作の予想興収が半減したことについて「40億円を減らした男」などと、未だに会うたびに悪態をつく関係者までいるぐらいだ。
当時だって服部浩一郎とかいたけどね。服部より前田の影響力が大きかったかどうかは個人の判断によるかな。服部同様、あまりにバカなことを書いているのでアクセスがあったことだけは事実だけど、決して評価されていたわけではなかったはず。
あと酷評した邦画大作、これって実写進撃の巨人のことなんだけど、こいつ、未だにこのこと根に持ってるんだね。前述した『おかえり、はやぶさ』の一件で樋口氏からボロクソに言われたものの当時、一切反論しなかった前田は興行的には期待外れだった実写進撃もここぞとばかりにバッシングしたのであった。脚本を担当したのは映画評論家の町山智浩氏だが、彼からも前田は『パッション』の雑な批評を巡って批判されていた。
「映画批評家の前田有一氏はこう言う。『この映画はキリスト教の信者か、聖書の知識がある人でなければ見ても内容がよくわかりません。そもそも聖書に関する知識がなければ“解釈”をめぐって論争になりようがありませんからね。かなり高いレベルの教養を求められる作品です』」
……つまり、「私にはわかりませんでした」という意味ですね……。
前田の実写進撃に対する過剰な反応は業界で前田と違ってきちんと評価されている二人への私怨による悪口でしかなかった。さらに前田の被害妄想は続く。
>『デビルマン』(04年)に100点満点中2点をつけたり、『バタフライエフェクト』(04年)に99点の評をだしたときは、それを読んである種の安心感を得たと思しき人々(マスコミ含む)が、遠慮なく自分たちも叩いたりほめたりし始めたものだ。こうした連鎖反応を何度も目の当たりにしてつくづく思うのは、最初に言うのは嫌がるが、誰かがいえばついていく。付和雷同の日本人気質というやつだ。
>これは、私のように言い出しっぺを担当する批評家にとってはたいへん恐ろしいことで、もし何かの勘違いで誤った論評を行った場合、責任は重大となる。いくらなんでも、40億円の責任などとれるわけがない。
そして、その恐ろしさを知らずに発信している人が、昨今あまりに多すぎるというわけだ。
こいついつまでもデビルマンとバタフライエフェクトのことを言ってるんだな。どちらも04年のことで、04年あたりが前田有一のピークだったかもしれない。
確かに実写デビルマンが批判されるときに前田の4点は引き合いに出されることはあるが、こいつが批判の言い出しっぺだったはずはない。僕が知る限り実写デビルマン批判で先行していたのは当時の2ちゃんねるだ。映画板では予告の時点で「こいつはヤバい」と騒がれ、試写を見た人から「うわさ通りのヤバさ」が伝わり、公開前後に激しく燃え上がった。牧村邸襲撃のように。そこには当時のサブカル映画ファンの最先端だった映画秘宝の読者も交じって「監督は東映の社長とゴルフ仲間だったので採用された」「制作前の段階で様々なクリエイターが脚本に関わったが、明と了のバディものや、エヴァみたいな話が来たが、最終的に見送られた」「スタッフに必要かどうかわからないフードコーディネーターがいたが、金を懐にしまうための手段だったのでは」などの噂話が投下され、出来に不満を持ったちゃんねらによる「理想のデビルマンスレ」は批判スレッドよりも勢いがあった。
別に前田の批判に相乗りしたわけでもなんでもない。自画自賛はやめてくれないかな。
もし何かの勘違いで誤った論評を行った場合、ってあんたいっつも勘違いで誤った論評してるだろ!
特に最高なのは『マラヴィータ』の感想。冒頭である家族がマフィアの襲撃を受けて死ぬんだけど、それはよく似ていた別の家族だった、というオチ。前田はこれが理解できずに映画はラストから始まってつながっていくと勘違い。世界中どこを探してもこんな勘違いをするやついない。前田は2ちゃんねるのスレッドで間違いを指摘されるとその部分をこっそり修正して再アップ。初めから間違っていなかったように装ったのだ。まったく恐ろしさを知らずに発信している人が昨今あまりに多すぎますよね。
なぜこんな素人でもやらない間違いを犯すのか。それは前田が自分が一番偉く、一番ものを知っていると勘違いして他人の意見に目を通すとか、参考にするとかがないからだろう。それを自ら語っている。
>私は普段、他人の批評は読まない。無意識のうちに評価や言い回し等が似てしまうのを避けるためだが、そもそも一般公開前に批評しているので、他者による批評自体が、まだ存在しないというのもある。
いるよね。こういう人。影響を受けたくないから他人の意見は読まない、っていうやつ。誰かに、何かに影響を受けない人間などいるわけない。一般常識があればそんなことはわかりそうなものだが、前田は俺様の世界に閉じこもっている全裸の王様(裸ではない。裸の王様は他者から指摘されて恥に気づくが、前田は他人の意見を観ないのだから全裸だろう)なので自分が他者よりも先行し、他者には言えない意見を書いていると思い込んでいるのだ。第一、一般公開前に観てるといっても日本国内の業務試写なんだから、洋画の場合はアメリカ在住の評論家やライターが先に観てるやん。他者の批評はすでに存在しているのだ。
この後、最終回に取り上げた作品『ノマドランド』の感想になるのだが、前田は
>自分の評価が(影響を受けぬレベルにまで)固まった後に、すでに公開されているアメリカ国内の批評を眺めてみた。
と言い訳してアメリカ国内の批評を観た、というのだがこいつがいつもいう「アメリカ国内の批評」って何?それってRIVERとかフロントロウに載ってる記事じゃないの?英語なんかロクにわかりもしなさそうな前田が本国のレビューやロッテントマトのユーザーレビューを読めるわけもないんだから、まるでアメリカ国内の意見に精通しているような書き方はやめたら?誰も騙されないから。
この後もウダウダと事情通ぶったことを書き連ねているが、前田が言いたいことは
自分は他の誰よりもスゴイ批評家で、他者の意見に影響されて書いているような素人レビュアー、ブロガーとは違い映画を正当に評価できる本物のプロである
と恥ずかしげもなくのたまっているのだ。それは単なる自画自賛でしかない。
>映画は誤解した批評家がダメにすることもある。自戒を込めて初心を忘れずに終えたい。
としているが、前田は自分のサイトに目的として書いた以下の分を忘れたのか。
私の職業(映画批評家)の最も重要な役割は、映画業界の活性化です。このサイトでは、マーケットのボリュームゾーンである「年に数回程度鑑賞する」お客さんにターゲットを絞った情報提供を行い、彼らにあと数回劇場に足を運んでいただく事を目的としています。「映画を観る予定はなかったけれど、このページを読んで興味を持った作品を観に行ったら面白かった」と感じていただける事が理想です。
今や当初の目的を喪失し、自サイトの更新は1年間ストップし、新しく始めたメルマガすらロクに更新できず、自分は他の誰よりもスゴイと言い張って自惚れの沼に首まで浸かっているのが前田有一という男である。当然底なしなので脱出することもできない。誰かの意見を参考にして助けてもらうことを勧めます。連載の締めくくりに映画のセリフを引用してましたけど、もう誰かがやってますからそういうの。誤解した前田有一がダメにするのは、前田自身でしかないというのが唯一の救いです。
ビデオサロンの連載をまとめた本
前田が言っているような冒頭ではありません
竹内結子の熱演も前田にかかるとこの通り。誤解した批評家がダメにすることがある(笑)
エロバカコメディは不滅だ!『セックス イズ ゼロ』
韓国で2002年に公開、ひと月だけで400万人が見たというロングランヒットコメディ『セックス イズ ゼロ』(原題:色即是空)を観た。セックスへの妄想で頭と股間がパンパンの大学生のバカでマヌケな日々を描いた作品で、日本でいうところの『毎度おさわがせします』『パンツの穴』とか、アメリカでいうところの『ポーキーズ』『アメリカン・パイ』みたいなやつです。
ただし、バカさ加減では韓国が遥かに上回りますが。
軍隊を除隊後に大学入りした晩学のウンシク(イム・チャンジョン)は大学に軍隊時代の先輩ソングク(チャン・ソングク)に可愛がられ、彼が作った大道芸にしか見えない借力部に入部させられる。借力とは、チャクリキと読む。柔道の金メダリスト、ウィリアム・ルスカが新日本プロレスで猪木相手に異種格闘技戦やった時にセコンドを務めたクリス・ドールマンが経営してるドージョー・チャクリキってあるでしょ。あれのことです。
晩学で回りの学生からすると「おっさん」な上、歓迎会で酔っ払って部屋で寝ているところ、定期的に寮の部屋を消毒されるのを火事だと勘違いして窓から飛び降りる。金玉が腫れてしまって奇病扱いされ悪名をとどろかせたウンシク、ますます浮いてしまう。
ウンシクとルームメイトの学生たちはすさまじいほどのバカ。どれぐらいバカかというと朝飯を食パンに乗せる卵を切らしてるからと自慰行為で出した精子をフライパンで炙って乗せる。「成分は同じだ」って全然同じじゃねーよ!
さらに寮にネズミが出るので、ネズミ捕りのために仕掛けた猫いらずを挟んだパン(それにも精子をかけとく)をウンシクは知らずにパクリ。
「おいやめろ!死んじまうぞ!」
止めようとするルームメイトに「パンを取られて悔しいのか。そうはいかねえ」と逃げ回る。すぐさま病院入り(アホ)
こんなアホなウンシクも恋をする。エアロビ部所属で大学きっての美人、ウニョだ。ウニョ役はなんとハ・ジウォン!アン・ビョンギ監督のホラー映画『友引忌-ともびき-』『ボイス』に主演して人気女優となったあの人。ちなみにこの映画でトップクラスの出演料4億ウォンになったそうです。 こんなバカエロコメディで4億ウォン!というよりなぜ出たんだジウォン!
ジウォンは軟体ストレッチするときに胸の谷間を見せちゃうようなサービスカットを連発。ウニョはウンシクなんか眼中にもないんだけど痴漢と間違えて股間を蹴り飛ばしたことから知り合うように。彼女の計らいで借力部はエアロビ部と共同で練習室を借りられるように。
これで二人の距離は急接近!?…とはならない。ウニョは学内一のイケメン、ハム・サンウク(チョン・ミン)と付き合うようになるからだ。サンウクは頭と股間が精子と妄想でパンパンの人間では太刀打ちできないオールマイティのイケメンなのだが、女癖が悪く学園一の美女とウニョを二股かけて平然としているようないけ好かない奴である。
が、女の常で悪そうなやつにホイホイ引かれてしまうウニョは体もあっさり許してしまう。結構モロなベッドシーンが出てくるので驚きです。韓国のエロ映画って日本の濡れ場とは比べ物にならない露出とアクションで男女ともどう見ても挿入されてるやんけ、な角度で腰を振っているので何だこの映画は、『白日夢』か!?
ウンシクが先輩相手に借力に付き合わされてる間にウニョは妊娠が発覚。当然のようにサンウクは堕胎してくれというのだがウニョは自分の誕生日にサンウクを病院に連れて行って「私には誕生日があるけれどこの子にはないわ。だって殺すんだものね」とサンウクを責めるがロクデナシのイケメン君はカードを一枚渡すのみ。「お金が欲しいわけじゃない」と突っぱねるウニョ。
そんなウニョの絶望的状況を知らないバカのウンシクは誕生日にプロポーズしようとサプライズパーティを計画。250万ウォンもする指輪を買ってしまう。病院からとぼとぼ帰ってくるウニョの顔面にケーキをぶつけ(意味がわかんねえ…なんでぶつけるの?)、指輪をドン!ウニョはウンシクを平手打ち!(そりゃそうだよ)
人の好過ぎるウンシクはウニョが赤ちゃんを堕ろしに行く病院にまで付き合わされる。しかも医者から「若いからって将来のこと考えないとダメだよ!」とキスひとつしてないのに相手の男と勘違いされ説教される!「はぁ…すみません」どこまでいい奴なんだよウンシク!
体調を崩し、誰にも相談できないウニョは部屋にこもり続ける。そんな彼女をウンシクは懇切丁寧に看病してメシもつくってやるのだった。
エアロビの大会に個人種目で出る予定だったウニョはとても出場できないので、ウンシクは男は行動で見せるしかない!とエキシビジョン枠で借力部の出番が得られたため猛特訓を開始。それでも当日、見事に大失敗をやらかすのであった(どんな失敗か本編を見てくれ)。
ウニョは本調子でないが、大会に出場して見事に大活躍。しかしトイレで大量出血。ウンシクはウニョを抱えて病院を走る。が、もちろんバカでマヌケなウンシクなので駆け付けたウニョの母親に相手の男と勘違いされて殴られる(トホホ)。ウニョの現状を知らず(興味もない)酒を飲んだくれてるサンウクに「酒なんか飲んでる場合か。彼女をなんだと思ってるんだ」と男らしく詰め寄るのだが、イケメンに嫉妬してると勘違いされた友人にまたまた殴られる。どこまで…どこまでツイてないんだウンシク!
優しさ、それだけしかない男が一点突破でヒロインと結ばれ、「やっぱり男は外面より内面よね!」と気づかされるという、本当に素晴らしい映画です。これが興行ランキングベスト10入りしているというし何もかも最高。エロもバカも振り切ったリアクションを見せてくれる韓国映画の底力を観た気分。
監督のユン・ジェギュンはこれが2作目で、のちに韓国激動の時代を生き抜いた男のドラマ『国際市場で逢いましょう』を撮ることになるんだから世の中わからない。エロをバカにする人間はエロに泣くぞ!



