しばりやトーマスの斜陽産業・続 -45ページ目

前田有一の「本音の批評」って何?

 一時は毎週更新もしていた自称批評家・前田有一の超映画批評の更新が途絶えがちになって数年。以前より主張していたブログ化の気配もすでになく、言うだけ番長状態。

 今や前田がサイトやメルマガ(毎週更新を売りにスタートしたが、初めてから最初の配信は数週間後という体たらく)を更新するときは企画オモシロ映画道場の開催が迫った時か、コミケの直前に合わせての宣伝のために更新しているだけ。サイトを残しているのは「××万ヒットの人気サイトを運営している」という宣伝文句を使いたいためだけだからね。にしても超映画批評だの、オモシロ映画道場だの、こいつのネーミングセンスはゼロだな。

 

 それはともかくとして、久しぶりの更新は宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』についての駄文であった。以前から映画の内容を理解できなかった時は60点とか50点とか中途な点数をつける傾向がある前田は55点ですってよ。なるほど理解できなかったんですね。

 

 前田有一にとって最高のジブリ作品はナウシカやラピュタで止まっているので、最近の宮﨑作品が自分自身についての映画ばかりなので、楽しくないんだろうな~というのはわかった。にしても

 

感想のほとんどが「宮崎駿も老いたな~」っていってるだけ

 

 なのどういうこと?もう80過ぎてるんだからバリバリだった時の作品と比べてどうするの?あと、映画の観方もそうじゃないだろうと言いたくなる。

 

>映画のキーとなるのは「塔」で、これは「維新」(明治維新か?)の直後に空から降ってきたとの設定が中盤で明らかになる。以来、ある役目を果たしていることが徐々にこちらにもわかってくる。

明治維新から戦争にいたるまでの日本、もしくはその原動力となった思想などのエネルギー。そのアイロニー的な象徴がこの「塔」ということだろう。

そう考えると、ここで大叔父がいうところの「(汚れ無き)積み木」と「仕事」が何を比喩しているのかも、この時代背景(戦争4年目……日中戦争ではなく真珠湾攻撃=1941年=昭和16年から数えて4年目なのは明らかだろう)を考えれば、嫌でも察しが付く仕組みである。

 

 えっ、そうなの?僕はあの大叔父は監督自身で、「積み木」はこれまでの作品「仕事」はアニメのことなんだと思ったけど。

 

 老人となった大叔父の人生は残りわずかだから、眞人のような若者と違って未来に夢や希望も抱けない。過去を振り返って積み木を積むしかない(眞人が冒険する世界は若い時のキリコばあさんや少女のころの母親がいるから、「過去の世界」だろう)。自分が手掛けていた「仕事」で世界を変えようとしたけれど、うまくいかなかった。眞人(彼に代表される若い世代・・・米林宏昌とか、息子の吾朗だとか)に積み木を積んでいくか、辛い現実に帰って生きていくかを選択させて、眞人は現実に帰る道を選ぶ。話の合わない奴とも友達になることを選んで(話の合わない奴を象徴するアオサギは高畑勲のことだろう)。

「仕事」=アニメが誰かの心を啓蒙すると信じて。

 

 まあこれは解釈違いに過ぎないから、僕と前田では『君たちはどう生きるか』の意見が合わないってだけなんでしょう。でも「超映画批評としてもこの点数しかあげられない」が象徴するような、前田有一の批評のクセがどうしても受け入れがたい。一体どの立ち位置で点数をあげるだの、いってるんだか。

 

 前田有一は「本音の批評」を売りにしているけど、彼のいう本音って、

有名作品や巨匠を相手に上から目線で一刀両断するってことだから、頭の中身が思春期の中学生のまま止まっている

 だから宮崎駿の主張や意見がお気に召さないのだろう。

 

 映画について色んな意見を見たけど、ほとんどのライターやクリエイターの意見は「この年でこんな映画を作ってるのは凄い」と老いて尚パワフルさを保っていることを称賛しているのが、ほとんどだったんだけど・・・

 

 老いる前に干からびてるのは前田有一の頭の中身なので、本音の批評なんかで遊んでる前に映画の楽しさを面白く伝えることを学んでくれと言いたいね。

 

かつて鉄の仮面を被っていた!?仮面ライダーガッチャード制作発表

 仮面ライダーシリーズ最新作、令和ライダー5作目になる『仮面ライダーガッチャード』の製作発表が行われた。

 

 

 今回のモチーフは錬金術とカード。

 人工生命体<ケミー>はライドケミーカードの中に封じられていたがそれらが解き放たれる。普通の高校生だった一ノ瀬宝太郎はライダーベルトを与えられて101体のケミーを回収する役目を与えられる。101体!?

 今回の変身アイテムは<カード>。2枚のカードを組み合わせてフォームチェンジするスタイル。カードの左上に数字が記載されてあり、合計が10になる組み合わせでガッチャードに変身できる

 例えばホッパー1(1)スチームライナー(9)でスチームホッパー(デフォルトの状態)、スケボーズ(2)とアッパレブシドー(8)でアッパレスケボー、アントルーパー(5)、レスラーG(5)でアントレスラー

 101枚のカードなら5050通りの組み合わせがあるわけだが、この「合計で10」でないといけない縛りがあるために組み合わせが限られるわけだ。番組が進めばパワーアップのため合計10以上のモノも出てくると思うが・・・この組み合わせというのが素材同士を組み合わせる錬金術のイメージなんだね。上手いアイデアだな。

 カードリストにはレジェンドライダーやキングオージャーのカードもあってコレクターは大変だなあ。

レジェンドライダーカードファイズ。ナンバーはもちろん「5」

 

 今回アイテムがカードになったのはシンプルに売りたいんだろうね。カードだと原価も低いから刷り放題で売り放題だよ。遊戯王のカードが流行った時にコナミの工場でカードが刷られていくのを見て「お札を刷ってるみたい」と役員が言ったのは有名だけど、バンダイの工場は造幣局だな。

 

 キャスト面の話をすると主役の本島純政はアミューズ所属。佐藤健以来、アミューズ俳優は仮面ライダーには欠かせない。フレッシュさが弾ける天然キャラといった風貌はいかにもアミューズといった感じがするなあ。

 ヒロイン役の松本麗世は元ニコプチの15歳!15には全然見えない。テレビに慣れてないのか受け答えが初々しくてキュンキュンする。

 

 そして主人公の母親役は何の因果か南野陽子!東映でナンノといえば『スケバン刑事Ⅱ 少女鉄仮面伝説』!制作発表では「かつて鉄の仮面を被っていた」と笑いを誘っていた。

 今度も鉄の仮面を被るのか?劇場版で変身しそうだなあ。鉄の仮面とヨーヨーの組み合わせで!教えて!老害さん世代の僕たちは毎週ウキウキしながらテレビの前に集合だね!ギーツは全然ウキウキしなかったけど

 

 今回の悪役は悪女が三人という設定なんだが役名がアトロポス、クロトー、ラケシス。それってギリシア神話の運命の女神モイライのことだよね?

 錬金術がモチーフっていうからメソポタとかエジプト神話なのかと思ったらギリシア?その辺に何か仕込みネタがあるんじゃないかなあ。

外見はどう見てもエジプトです

 

 今年はヒロインも母親も悪役も美女揃い。もう楽しみでしょうがないな!メインライターはウルトラシリーズやアニメ、ライダーシリーズでおなじみのベテラン長谷川圭一。神話ネタ、錬金術などの合わせネタは長谷川さんの得意なところなのでストーリーも期待がもてそう。

 去年のライダーはいまひとつノレないまま終わりを迎えそうなので、今年は期待したいぜ!教えて老害さん世代の心をガッチャ(捕まえて)してくれ!

 

 

 

 

 

 

 

鍵は大事にしまっておけ『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』

 

 今や世界を代表する老齢(といったら失礼か。でも今年で61歳)アクションスターとなったトム・クルーズの人気シリーズ第7作目『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』はこれまで世界の危機を救ってきた秘密諜報組織・IMFが最大の敵(毎回最大の敵って言ってるけど)と戦う。今回の敵は最新の軍事AIで、あらゆるシステムに侵入、ハッキングしその痕跡すらも消し去ってしまう無敵のAI。だがそのAIは暴走し、犠牲者を生み出した上である場所に沈む。

 AIにアクセスできる二本の「鍵」のひとつは元MI6のエージェントで仲間だった女スパイ、イルサ(レベッカ・ファーガソン)が持っており、イエメンにいる彼女からIMFのイーサン(トム・クルーズ)は「鍵」を受け取る。

 アメリカ政府はエンティティ(実体)と呼ばれるAIが敵国に渡っては大変なことになると手中に収める計画を発動させるが、イーサンはエンティティの存在自体が危険だとし、処分することを考え、CIA長官のキトリッジ(ヘンリー・ツェニー。シリーズ一作目で指令の声を担当していた)に自分たちは政府から離れ、独自の行動を取ると宣言する。

 

「鍵」は二つ合わせて完成するため、もうひとつの「鍵」を手に入れるミッションをIMFメンバーのルーサー(ヴィング・レイムス)、ベンジー(サイモン・ペッグ)らと発動。「鍵」の取引現場であるアラブのアブダビ空港にやってきたイーサンたちだが、肝心の「鍵」は謎の女スリ、グレース(ヘイリー・アトウェル)によって盗まれてしまう。グレースに接触したイーサンは「鍵」の用途と危険性を理解していない彼女を説得しようと試みるが、空港でかつての因縁の相手であるガブリエル(イーサイ・モラレス)の幻に惑わされているうちに「鍵」をグレースに持ち去られてしまう。

 

 グレースを追ってイタリア・ローマにたどり着いたイーサンたちをガブリエルの配下である凄腕の殺し屋パリス(ポム・クレメンティエフ)らが襲い、CIAの追跡者らもやってくる。孤立無援の状態でイーサンは結局グレースを取り逃がしてしまう。ボロボロの彼の前に現れたのは、イエメンで死んだことにして行方をくらましたイルサだった・・・

 

 

 今回の話の中心は「鍵」の取り合いである。「鍵」を手にしたものは軍事AIを手にして世界を火の海に沈めることもできる。そんなAIにアクセスできる鍵だから、取られないようにケースにしまっておくとかすると思うのだが、

この映画の登場人物はみんな鍵をポケットに入れる

 手の中に隠れるほどの小さな鍵だからポケットに入れた程度じゃ簡単に取られてしまう。かくしてこの映画はポケットに入れた鍵をすって、すられて、すりかえして、またすられる、といったイタチごっこを繰り返す。2時間44分も

 家の鍵ですらポケットに入れた程度じゃ失くすことがあるんだから、そんな大事な鍵はチェーンをつけて首にかけとけ!(それでも取られるだろうけど)

 

 世界の破滅がかかった鍵の扱いがそんな雑でいいのか。シリーズ二作目の『MI:2』の監督だったジョン・ウーの『ブロークン・アロー』という映画では核ミサイルの起爆スイッチがリモコンになっていて、クライマックスはそのリモコンを二人の男が奪い合うのだが、世界の破滅がリモコンの取り合いでええんかい!『鉄人28号』の「良いも悪いも リモコン次第」じゃないんだから。
 

 おかげでこの映画、ストーリーがほとんど進まない。2時間44分、鍵のすりあいだけだから。

 しかし異常なテンションでリズムよく進むので退屈ではない。敵が進化、暴走したAIというのもタイムリーすぎる。アメリカは現在、俳優組合によるストライキが行われていて、理由のひとつがAIによって人間の仕事が奪われているということで争っているから。

 エキストラなどに実在の俳優のデータを取って、以後はそのデータを再利用する。データの使用権はスタジオが持つ。当然ギャラはデータを取った一回分しか払わない。脚本もAIが描く。AIに「学ばせる」ための初期のデータは人間が打ちこむが、以後は使い回し・・・

 そのうちAIだけで作られた映画が出てくるのもそう遠くない気がする。『ミッション:インポッシブル』シリーズはそんな時代の流れに60代を越えたアナログ人間のトム・クルーズがひたすら抗うシリーズだ。

 

 スタントを使えばいいのに自分で危険なスタントに挑む。そのうち

「そんな危険なことしなくても、AIがやってくれるさ」

 って言われるだろう。世界中で大ヒットした『トップガン マーヴェリック』は無人戦闘機が幅を利かせる時代に年老いたパイロットである自分の居場所が失われていくことに「人間には、まだ出来ることがある!」と主張する映画だった。劇中で展開されるオリエント急行の上で戦う場面や、崖の上からバイクで疾走してそのままダイブする場面など、そんなことする必要全くないとしか思えないのにやってしまう。

 

 AIに、世界を好きにはさせない!という自分自身を懸けた戦いなのだ。鍵をすったところで、

人間の大切な物は失われないという魂の叫び

 なのだ。

 来年公開されるPART TWOでトムが映画でも、現実のストライキにも勝利する姿を見せてくれることは間違いない。なにしろ不可能なミッションに挑む男なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

あやねるヘブン『映画 王様戦隊キングオージャー アドベンチャー・ヘブン』

 現在放送中のスーパー戦隊シリーズ最新作『王様戦隊キングオージャー』夏の劇場版である『アドベンチャー・ヘブン』は劇場版シリーズ初のノーロケ映画だ。撮影はすべてLEDウォール使用のスタジオ撮影になっている。

 

 決闘裁判を経てシュゴッダムの王様となったギラ(酒井大成)の戴冠式が行われているコーカサスカブト城に謎めいた一人の女性が現れる。彼女の名はデボニカ(佐倉綾音)、死の国ハ―カバーカの案内人。シュゴッダムでは新たな王が即位する際、先祖から王国の歴史を聞く必要があると伝えられ、ギラとキングオージャーの仲間たちはハ―カバーカへ向かう。道中でギラはかつて施設で共に過ごしていた少女がデボニカであることを思い出すが、彼女は過去を探られることを嫌がるのであった。

 ハ―カバーカにたどり着いた仲間たちが思い出の中にいる亡霊に悩まされる中、ギラは初代国王、ライオニール(中村獅童)と対面。ギラではシュゴッダムの危機を救えないとするライオニールはデボニカの魂を犠牲にして現世に蘇ろうとする。犠牲になることが使命だと信じるデボニカだが、ギラはすべての命を救うという矜持に従い、ライオニールと対決する。

 

 人気声優のあやねること佐倉綾音さんがゲスト出演する本作、ゲストというよりほとんどヒロイン、主役級の扱いで約30分出ずっぱり!

 その上、劇場版用のオリジナルソングまで歌い、踊って、ちょっとしたアクションまで披露する。使命に目覚める前はぼやっとしてぐうたらというキャラクターはほぼあやねるなので、本人のアテガキか?これは!

 設定上19歳の少女というのは若干アイタタと言う気がしなくもないが・・・

 

 劇場版では劇場版専用の巨大ロボ戦が行われることもあるが、今回も巨大ロボ戦がなく、その分あやねるのドラマ部分が多く観られた。公開前宣伝では中村獅童やライダー俳優の嫁、雛形あきこのゲスト出演などが話題になっていたが、どちらも拘束三日間といった感じのコンパクト出番だった。あやねる意外記憶に残らない。

 これはもうあやねるを見るためのあやねる映画、あやねるヘブンと言っても過言ではないのではなかろうか・・・

 

 あまりにあやねるが素晴らしかったので直後に始まるギーツの映画がどうでもよくなった。

 

 

 

 

 

 

 

悪魔は何でも知っている『ヴァチカンのエクソシスト』

 

 1973年に公開された『エクソシスト』はカトリックによる悪魔祓いを映像化して世界中の人間を震え上がらせた。スクリーンンに悪魔が降臨してから50年。再び神の使徒が悪魔と対峙する!

 

 映画『ヴァチカンのエクソシスト』はカトリックの総本山であるヴァチカンのローマ教皇に使えた実在の神父、ガブリエーレ・アモルト神父が生涯数万回行ったとされる悪魔祓いについての回顧録『エクソシストは語るThe Pope's Exorcistの映像化。回顧録の中で、アモルト神父は行った悪魔祓いの98%は実際の悪魔祓いではなかったという。悪魔に取り憑かれたという患者の多くは思い込みの激しい人だとか、精神的な病によるものであった。アモルト神父(ラッセル・クロウ)はそういった人々に「あなたに憑いてるのは悪魔じゃありませんよ。ただの病気なのでお医者さんを紹介しますね」みたいなことは言わない。傷つけるから。

 ではどうするかというと、お芝居をする

 

「悪魔よこの人の体から立ち去れ!エイッヤァ!」

 

 と悪魔を豚に憑依させて撃ち殺す。何の罪もない豚よ哀れ。と98%はこういう芝居をやって済ませる。もしくは精神医学の専門家とかに紹介して治す。そう、98%は。残りの2%は?

 

 善意の神父アモルトはヴァチカンの神父たちから白眼視されている。現代になると(映画の舞台は1980年代)神父の中にも悪魔というものを信じない者が出てきて、アモルト神父の悪魔祓いは「非科学的な行為に手を染めるならず者」みたいに扱われているのだった。

 しかしローマ教皇直属であるアモルトは頭の固い神父たちの小言など、どこ吹く風。「文句があるならボスに言え」と糾弾の場を後にする。ローマ教皇(演じるのは『続・荒野の用心棒』のフランコ・ネロ!棺から出した機関銃で悪魔を倒すのかと思ったら、そんなことはなかった)の信頼も厚いアモルトは、教皇からスペインにあるサン・セバスチャン教会に患者がいるから助けて欲しいと依頼を受ける。

 修道院は閉鎖されてからかなりの年月が経っており、アメリカ人の親子が修復作業を買って出て、住み着いていた。母ジュリアには反抗期の長女エイミーと、父の死後、ふさぎ込みがちな次男ヘンリーがいたが、ある夜ヘンリーは聞いたこともないような声で喚き始め、自傷行為を繰り返す。医者に見せても原因はわからず、ヘンリー自ら別人のような声で神父を呼んで来いと告げる。

 教区の若い神父、トマース(ダニエル・エズキベル)がやってくるが、「お前じゃない!」と異常な力で跳ねのけられる。トマースはヴァチカンに本職のエクソシスト派遣を依頼、そしてフェラーリの原付に乗ったアモルト神父がやってくる。アモルトはトマースが若く悪魔の知識もなく、ラテン語も話せないとわかると、悪魔の言葉には耳を貸すな、祈りの言葉だけを繰り返せとアドバイス。

 ヘンリーと対峙したアモルトは少年に憑依した悪魔と思しき者から誰も知らない過去のトラウマを掘り返される。こいつは本物の悪魔なのか!?トマースも別れた恋人の幻に苛まれ、思わず手を挙げてしまう。悪魔と対峙するにはその名を知る必要がある。正体不明の悪魔とエクソシストの対決が幕を開ける!

 

 

 映画に出てくる悪魔祓いの描写は『エクソシスト』とほぼ同じなので、オールドファンにはお馴染みのやつ。悪魔が神父のトラウマをチクチクと責めてくるところとか。カラス神父が病気の母親を病院に押し付けて介護しなかったことを悔いていると、悪魔パズスが母親の幻を見せて「お前はひどい息子だよ。母親をこんなところに閉じ込めて」とネチネチ責め立てたように。

 

 が、後半は一転し、サン・セバスチャン教会に纏わる暗部をアモルトとトマースが暴いていく。教会には悪魔の力によってなされた不祥事を隠蔽したという過去があり、悪魔は再びそれを再現しようとしていた。今度はヴァチカンで。だから悪魔は過去のトラウマに苛まれているアモルトを利用しようと呼び出したのだ。でもアモルトが来るかどうか、そもそも彼のトラウマは誰にも話していなかったのに、なぜ知っているのか?それは悪魔だから!悪魔は何でも知っている!

 

 本作には悪魔祓いの要素とともに、アモルト神父とトマース神父の二人が教会の暗部を暴き出す、謎解きの要素もあり、二人によるバディものでもある。主人公はアモルトだが、観客は相棒のトマースにより感情移入できるようになっている。最初は経験もなく、ラテン語すら話せない、はっきりいって戦力外の存在だった彼が最後には成長して、過去のトラウマ、そして悪魔に向き合い真正面から戦いを挑むようになるのだ。

 実在の悪魔祓いの回顧録を元にしつつ、かなり話を盛って、よりエンタメの方向に舵を切ったのが『ヴァチカンのエクソシスト』だ。アモルト神父の回顧録は色んな人が映画にしようとしたらしいが、本人の許可が出なかったという。しかし本作のプロデューサー、マイケル・パトリック・カチュマレクが交渉の末、映画化権を獲得。その後本人は亡くなったため、この映画を観ることはなかったが、もし観てたらどう思うだろう?教会や異端審問といった描写に対してかなり大胆な脚色を施しているので、コレ、カトリックから怒られないのかな?まあ、映画はフィクションだからね!目くじら立てないでよ!

 

 あと、結末を見る限り、シリーズ化しようと企んでいるので、リブートした『ハロウィン』のデヴィット・ゴードン・グリーン監督の『エクソシスト』三部作と競い合ってほしいなあ。