
追悼アラン・ドロン其の二『さらば友よ』
先日亡くなったアラン・ドロンが88歳ということで浜村淳と同い年と聞き、すげえジジイだったんだなと改めて感じた。
スターにありがちなドロドロとした家族関係が明かされ、スターになってもいいことばかりじゃないんだな~
さて、今回はそんなドロドロには背を向けてドロンの残した作品についてまた語りたい。1968年公開の『さらば友よ』はドロンとチャールズ・ブロンソンの共演作。
絶世の美男子ドロンと不細工(失礼)のブロンソンって!どういう組み合わせよ?
冬のマルセイユ。アルジェリア事変から復員した軍医のバラン(ドロン)に同じく復員したプロップ(ブロンソン)が付きまとう。バランは手にした給料を「使い切りたい」とプロップに相談、チンピラじみた復員兵の賭博場へ連れていき、バランはすってんてんに。しかし悔しそうな感じもなく、晴れ晴れとした雰囲気。
プロップはバランが戦地から持ち帰った6発装填の銃に5発しか弾がないことを指摘。コンゴの戦地に向かうグループについてこないかと誘う。どうやらプロップは金で雇われる傭兵(外人部隊)のよう。バランは俺に付きまとうなとプロップをぶん殴る。
そんなバランに女性が声をかける。彼女の名はイザベル・モロー(オルガ・ジョルジュ・ピコ)といい、従軍した恋人のモーツァルト(音楽家と同じ名前の別人)を知らないかと。そんな男は知らないというバランだがイザベルは恋人に頼むはずだった仕事をバランに頼みたいという。それはある会社の金庫から彼女が拝借した5万フランの債券を歳が明ける前に戻しておきたいのだと。
その会社の医者としてもぐりこんだバランは助手として会社の取締役の娘で医学生のドミニク・アウステルリッツ(ブリジット・フォッセー)を宛がわれる。
会社が年末に行う健康診断を三日間で済ませる間、部屋に仕掛けたカメラで金庫を開ける7桁の番号を盗撮する。
この時点で何を考えているのかよくわからないドロンだが、とりあえずドミニクには手を出しておく(笑)。彼女はなぜかおどおどとしてドロンを受け入れるんだか嫌っているのだかよくわからない態度をとる。
イザベラからは盗撮した写真は不鮮明で7桁の番号のうち3つしかわからなかったという。その状態では1万通りの番号を試さないといけない。計画を中止しようというイザベラに「3日あればできる」とバランはクリスマス休暇で休業状態になる会社に潜り込んで1万通りの番号を試すと。そんな無茶な!
クリスマス休暇の金曜の夜、会社に潜り込んだバランは彼を追ってきたプロップと鉢合わせ。何やら金の匂いを嗅ぎつけたプロップは帰ろうとせず、バランから金庫を開けて債権を戻す計画を聞き出す。金庫には会社の金200万フランがあるはずだが、俺は金が目当てじゃないとバラン。一日に2回ある見回りを回避しながら二人は交代で金庫の鍵を開ける番号を探り出そうとする。
金庫破りなんだけど、中身を取るためじゃなくて中身を戻すための金庫破りというのがいい。ドロンとブロンソンは「クリスマスの夜におれたちは何をやってるんだ?」と交代で金庫の番号を一つ一つ試していく。うっかり寝入ってしまった相手をそのまま放置したり、自販機に入ってる飲食物を独り占めしたり、お前ら子供か!?と言いたくなる張り合いを続けるドロンとブロンソンが微笑ましい。ドロンが自販機の飲食物を全部箱に隠してブロンソンにはあげないんだけど、その箱を見回りの警備員に持ちさられるのもおかしすぎる。
ついに金庫をあけることに成功する二人。しかし中身は空っぽだった!文句を言うブロンソンとドロンは言い争いになり、やってきた見張りから急いで隠れたために何もない部屋に閉じ込められてしまう。空調も壊れ、蒸し暑い部屋の中(冬なのに)で会社が開く火曜日の朝まではもたない。死を覚悟する二人。そんな中でプロップは「なぜ銃に5発しかなかったのか」を問いただす。イザベルの恋人だったモーツァルトとバランは本当は親友だったが、戦地で敵に襲われた時、彼を敵と間違えて撃ち殺してしまった。イザベルの依頼を受けたのは罪滅ぼしのためなのだと。
プロップが偶然部屋の通風孔の在りかを見つけ、壁を破壊して二人は脱出。ところが通風孔が通じている部屋で警備員が射殺されていた!死後二日は経っていることから金曜の夜には死んでいた。つまりバランが会社に潜り込んだ時間帯。
直前に会っていたイザベルが犯人で、金庫破りの計画は自分をハメるための罠だったのではと考えたバランは始業の時間を見計らって退社、時間をずらして会社から逃げたプロップとカフェで合流。
「これからは赤の他人のフリをしよう」
バランにプロップは「さらば友よ」と別れを告げる。バランはイザベルを追うため、プロップはコンゴに向かうため空港に向かうが会社の事件が発覚し、勤務医のバランは第一容疑者として指名手配されてしまう。空港でバランが尾行されていることを知ったプロップは「yeah!」と大声で叫んで警察の目を引き付ける。それに乗じてバランは逃亡に成功するがプロップは捕らえられる。
メローティス警部(ベルナール・フレッソン)はプロップを共犯者として取り調べするが、頑として口を割らない。クリスマスの間、部屋に閉じ込められ罪滅ぼしのために下らない金庫破りを引き受けたバランをプロップはいっぱしの男、友人と認めたからだ。
あの手この手で口を割らせようとするが成功しないメロ―ティスにプロップは賭けをしようという。コーヒーがなみなみと注がれたコップにコインを5枚入れて溢れなかったら俺の勝ち、溢れたらなんでも口を割るぜ、と。これ『ジョジョの奇妙な冒険』第三部のコイン落としの元ネタなんだよね。
映画の序盤にもバランを相手にコイン落としを成功させたプロップだが、今回はわずかにコーヒーがあふれてしまう。プロップは空港でなぜ逃げたのかと聞かれ金持ちの家でやった美人局行為について自白する。だがバランのことは決して口を割ろうとはしなかった。
そのころバランはドミニクの家に身を寄せてイザベラの行方を追っていた。そして事件の真犯人はドミニクで、イザベラに父親を人質に取られたために金庫破りをやり、警備員と鉢合わせになったためにやむなく撃ち殺したのだということが明かされていくのだった。
ミステリー、サスペンスとしては前半がモタモタしていて、ドロンがどういうキャラクターかが全く見えてこないので中盤までは実をいうとやや退屈ですらあるが、ドロンとブロンソンが閉じ込められ、大人げない意地の張り合いをし始める中盤以降が見どころだ。友人殺しの罪滅ぼしのために金庫破りを受けたドロンは終盤では捕らえられたブロンソンを救うために真犯人を見つけなければならない。
厳しい取り調べを受けるブロンソンが裏切って口を割らないかという不安はない。なにしろ「俺たちは赤の他人」と別れを告げたのだから。
二人が最後に友情の誓いを交わす名場面は有名だけど、それ以前、閉じ込められた場所で本心を晒した時間帯にすべてがあった。後半では二人は最後まで顔を合わせないのに、完全に通じ合っているんだよね。
女の信用できなさに比べてやっぱり最後まで通用するのは男の友情だよな!「yeah!」
ドロンとブロンソンのもう一つの共演作
追悼アラン・ドロン『冒険者たち』
フランスの俳優、アラン・ドロンが死去。88歳。
ドロンといえば美男っぷりに相応しい浮名を流したプレイボーイで、ワルな風貌を漂わせてるのも日本人に受け、往年の映画雑誌スクリーンやらロードショーの俳優人気投票で常に上位にいた美男俳優。日本に「フランス人の男はみんなイケメン」という間違ったイメージを植え付けた人物だ。
大衆受けする娯楽作品のスターと一風違って社会派ドラマやアート系作品にも出てるのがフランス流の美男俳優なんだなあ。そんなドロンの魅力がバッチリ伝わる代表作といえば『ふくろうの河』の巨匠、ロベール・アンリコ監督の『冒険者たち』でしょう。
ドロンの役どころは腕に覚えのある気障なパイロット、マヌー。そこに元レーサーで画期的なレーシングマシンの開発に挑む男ローラン(リノ・ヴァンチュラ)と新進気鋭の前衛芸術家レティシア(ジョアンナ・シムカス)と出会い意気投合。シムカス演じるヒロインがとにかく魅力的で、劇中テーマ曲のように繰り返されるメロディにヒロインの名前がつけられるぐらい。スタッフもぞっこんなのである。
マヌーは所属する飛行機クラブのヴェルタンの紹介で映画会社の撮影の依頼を請け負う。それは凱旋門の真下を複葉機で潜り抜けるというもので警察のお縄になるのを覚悟でマヌーは飛ぶが、直前に凱旋門の真下でフランス国旗が掲げられ、唯一のチャンスを失いマヌーは市街で危険な飛行をしたとしててライセンスを永久停止されてしまう。映画会社から賠償金をもらおうとし、映画会社社長のキヨバシさんに連絡するもそんな依頼はしていないの一言。ヴェルタンの嫌がらせだったのだ。理由は明らかにされないが、ドロンがイケメンだからだろう。
ところで日本人風のキヨバシ、誰だよ。『ティファニーで朝食を』のユニオシぐらい意味不明の日本人ネームだ。
一方ローランは画期的なレーシングマシンの開発に挑む。どれぐらい画期的かというと骨組みだけで外装がほとんどない。「こんな車に乗りたくない」と言われるぐらい画期的で、走行テストに失敗して爆発する。
ツイてない二人は一発逆転を狙ってカジノに。素人の必勝法「黒に賭け続ける」で挑むも14回連続赤というイカサマとしか思えない出目で惨敗。さらにやめた途端に赤が来るというツキがないにもほどがある!
そしてレティシアも念願の個展を開くが、批評家やメディアに総スカンにされ自身を失うのだった。
ここまでが一幕。夢への道を閉ざされた三人はコンゴの海に沈んだ飛行機から富豪の財産を引き揚げるというミッションに挑むのが第二幕。沈んだ飛行機のパイロットだったという男(セルジュ・レジアニ)から沈んだ地点を聞き出したマヌーたちは飛行機を発見する。
船の上でマヌーはもし財産を手に入れたら何に使うかとレティシアに尋ねる。彼女は故郷に家を買うという。
「海に浮かぶ家を買うわ」「海に囲まれた昔の要塞を改装して創作をして暮らす。もう発表はしないわ」
そんなレティシアにマヌーは「大きな家にひとりぼっちなんて寂しいよ」と暗に「一緒になろうよ」と誘うのだが返って来た言葉は「二人とも歓迎するわ」。二人?
船で二人きりになったローランから同じように金の使い道を聞かれ、レティシアは答える。
「アトリエを買ってあなたと暮らすわ」
えー!ドロンと一緒になるんじゃないの?無鉄砲で命知らず、女癖もあまりよくなさそうな(物語の冒頭から他の女がいることが示される)ドロンより、エンジニアで同じものつくりに情熱を注ぐヴァンチュラ演じるローランの方がいいってことなのね。
普通の映画ならドロンとシムカスがくっついてしまうところをそうならないようにするのが『冒険者たち』を名作にした所以であろうか。
そして映画はある騒動を経て第三幕へと進む。3人の夢は結局叶わなかったという結末になる。世代も性別も違う者たちが夢を追い、夢に破れる様はあまりにも切ない。男も女も若者も中年も、どの世代の人間が見ても突き刺さる。ドロンは文句なしに最高だし(ラストシーンの名台詞に嗚咽する)、シムカスは美しく(潜水服を着て沈むシーンが特に)、ヴァンチュラは悲しい。『冒険者たち』というタイトルに若い世代は挑戦することの尊さを見て、いい歳した人たちは青春を思い浮かべるのだ。
映画のロマンティックすぎる脚色に抗議した原作者のジョゼ・ジョバンニは原作の第二部にあたる部分を自ら監督し、『生き残った者の掟』のタイトルで原作通りのハードなバイオレンスに仕立て上げている。元ゲシュタポというアウトロー作家のジョバンニからしたらドロンなんかヌルすぎるってことだろう。
しかし 『冒険者たち』が今もDVDなどでソフト化されて語り継がれているのに比べ、続編の方はビデオで出たっきり、現在では配信でも観られないのであった。原作者の希望通りにつくられても評価されるとは限らんのね(しかしノワールモノの傑作としての評価はされている)。
ヴァンチュラ、そしてドロンもこの世を去ったがシムカスは健在。亡くなったとしても冒険者たちは観客の心に残っているのだった。
ドンソク無双、かに道楽『無双の鉄拳』
『犯罪都市』シリーズ、『悪人伝』など、力任せに相手を吹っ飛ばして事態を解決する役柄でおなじみのマ・ドンソク主演の“いつものやつ”を楽しめるのが『無双の鉄拳』だ。
タイトル通りドンソクが無双する映画なんでしょ?って聞かれたらハイその通り!ドンソクの役は魚市場で働く男だが、人の良さが災いして騙されてばかり。キングクラブの輸入に絡んだいい加減な儲け話に乗ったドンソクは手付金を払うも一向にカニはやってこない。儲け話をもってきた社長に返済を迫っても強く出られないのであしらわれてばかり。弟分(演じてるのが『犯罪都市』シリーズのマヌケなヤクザ、イス社長役のパク・ジファンなのが笑える)にも呆れられる。
愛する妻の誕生日に奮発してデカいカニを食える店の予約を取るもキングクラブの一件でなけなしの金を払ったのがバレて怒りをかってしまう(途中で奥さんは店を飛び出す)。タイミング悪すぎでしょ!何をやらせてもダメダメなドンソクはこれまでのイメージを覆す役どころで、観客は不安になるばかり。この映画大丈夫?
内容が一変するのはここから。先に帰った奥さんは謎の集団に誘拐されてしまう。犯人は身代金を要求・・・するのではなく、金をやるから奥さんの事は忘れろというのだ。逆でしょ普通は。
レストランに呼び出されたドンソクは大金の入ったカバンを引き取らされる。警察に相談するも「金を受け取ったら取引が成立したってことだろ」とわけのわからんことを言われて逆に責められる始末(バッグの金は警察に預けることに)。監視カメラの映像は「雨が降ってたからよくわからん」とまるで話にならない。警察に頼るのをやめたドンソクは腕利きの探偵に頼むことに。しかしそれには大金がいる。金なんかない。
ここまで頼りないドンソクを見せられてきた観客のストレスが溜まって来たところでついに豹変!キングクラブの金を返さない社長宅に乗り込み、用心棒をあっという間にぶちのめして金を回収!以降はワル、チンピラ、用心棒をことごとく丸太のような腕で叩きのめすドンソク無双が開始されるのだった。
ドンソクの役は元々喧嘩自慢のワルだったが、愛する奥さんと出会って心を入れ替えた、という説明がつく。そんな彼が奥さんのために封印してきた拳を解禁するってわけでこいつは盛り上がるぜ。ドンソクの前に立ちはだかるのは金で人の心は買えると思い込むイカれ野郎で、こいつは奥さんや恋人を攫っては男や旦那に大金と引き換えに諦めさせ、「愛だのなんだの言っても所詮金で人は変わるんだ」ということを実感しては喜ぶ鬼畜!この悪役の設定はかなり趣味が悪い!欧米映画ではあまり見かけない描写。
ところがたったひとり金で変わらない人間がドンソクだった!犯人はドンソクという男の正体を見抜けなかった罪に相応しい罰を受けることになる。
中盤以降のドンソク無双はすさまじいことになっており、警察に預けた金を回収するために駐車場の車を吹き飛ばしたり、扉ごと相手をぶっ飛ばしたりと無茶苦茶に極みがかかってる。アクションは『犯罪都市」シリーズで組んだホ・ミョンヘンで、ハリウッドで流行りのスタイリッシュ風リアルなアクションなんかは関係ねぇ!と言わんばかりの純粋な暴力だけで解決していく展開にはシビれるね。これぞドンソクの鉄拳無双!
金より愛の方が大事だろ、というメッセージなわけね。最後にかに道楽で誘拐された女の人たちが働いてるんだけど、あの人たちの男って愛より金の方を選んだので、なんか辛すぎ。
人間狩りの未来を救え『ヒューマン・ハンター』
ニコラス・ケイジ主演、2017年、カナダで制作されたSF映画。
気候変動と経済の破綻によって極端な食糧難に陥った近未来の世界。アメリカはこの危機を脱するために一つの機関によって国を統制するようにした。人民省である。国境に壁をつくり人口の流出を統制した人民省はさらに国民を二つに分けて査定した。役に立つものと立たないものに。役に立たないものは「体制維持の負担になる非生産者」という名目でニュー・エデンと呼ばれる「良い生活を送れる」地域に送られるのだった。
ディストピアSFを想起させる本作は広大な草原を貫く道を一台の車が走っていくシーンからはじまる。まるで『ブレードランナー』のラストカット風の映像。『ブレードランナー』や『ソイレント・グリーン』『未来世紀ブラジル』がイメージさせる。
人民省の役人ノア・クロス(ケイジ)は非生産的な国民にニュー・エデンへの移住を斡旋するため、それぞれの元に赴く。わざわざ一件一件、足を使って訪ねるのだ(ひどく非効率的)。モーテル暮らしの老人チェスター・ヒルズに会いに行くクロスだが、ヒルズ老人は移住を拒否。
「かつてアメリカは自由の国だった。私はホワイトハウスに招かれたこともあるんだぞ」
そんな老人の部屋には「MAKE AMERICA GREAT」(偉大なるアメリカ)と書かれたポスターが張られ、トランプ大統領とのツーショット写真が見える。
この映画で描かれる未来はトランプ政権のアメリカのなれの果てだ。ポスターの文字はトランプ政権のスローガン「Make America Great Again」から。
強制送還しようとするクロスに「私は真実を知っている」と告げるヒルズはショットガンを撃つが反撃され死亡。そんなクロスを上官のアダム(ヒュー・ディロン)は(なぜか)褒めたたえる。
別の日、クロスはある家族の元へ査定に行く。レイチェル(サラ・リンド)とルーカス(ジェイコブ・デイヴィーズ)のウェラー親子だ。都市部から離れているであろうところにぽつんと立つ家屋で明らかに貧しい暮らしをしている親子は目一杯生活に問題がないことを装うが、クロスは12時間以内のニュー・エデン移住を通告する。
しかしルーカスが明日学校で合唱の発表会があると言われ、情にほだされたクロスは一日だけ待ってやることに。自宅に戻ると部屋の中にはアダムが待っていた。鍵を勝手に開けられ、自身の判断で送還を延期したことを知られているクロスは不穏なものを感じる。ヒルズ老人が胸ポケットに隠していたメッセージ
「決して屈するな」
が気になってしまうクロス。
政府の請負業者ラベッチの元にたどり着いたクロスは「これが真実だ」と一枚のメモリーカードを受け取る。ラベッチは人民省の真実を告発するレジスタンスでメモリーカードの中身を見たクロスは驚愕するのだった。
翌日、ルーカスの発表会にいったクロスは親子の家に戻り、すぐに出る用意をしろという。すると人民省のエージェントが家を取り囲もうとしていた。家屋に乗り込んできたアダムは二人を強制的に連行しようとするがルーカスの反撃にあって片目を潰される。
なんとか車で逃げ出した3人は道中、車を替えながら旅先で出会う人たちの助けを借り、国境を越え自由のあるカナダを目指そうとする。アダムは上役からクロスらの確保を命じられ、失敗すればお前をニュー・エデンに送るぞと通達される。
壮大な世界観を持つ物語だが、カナダで制作されていることからもわかるとおり、かなりの低予算作品であるため描写の数々が安っぽいのが残念。やたらと自然に囲まれた場所が出てくるし、統制された社会のくせにわざわざ査定を伝えにいかないと連れ去ったりできないなんて手間暇かかり過ぎ。実際、査定員が反発したためにトラブルが起きてるし。人民省の上役が会話しているところなんてただのだだっ広い広場だし。
それでもなんとか限られた予算の中でSFらしく見せようという努力は買いだ。
誰でも予想はつくとおもうけど、ニュー・エデンは恵まれた約束の地ではなく、ガス室と焼却炉で構成された非生産的国民を抹殺する施設だった(だからヒルズを殺したクロスをアダムは「よくやった」と褒めたたえたのだ)。
この展開は『ソイレント・グリーン』に比べればパンチが効いておらず、償却した遺灰を箱に詰めて集めているところはナチスっぽいというか、ムダなことしてるな・・・という感じ。
情にほだされただけで親子をクロスが命がけで救う意味も弱いな・・・と思ったら実はルーカスはクロスの実の息子でレイチェルの正体はアマンダという本当のレイチェルの隣に住んでいた人(!)で、生活苦からレイチェル(クロスの嫁)は2歳のルーカスを売り飛ばして食費に替えようとしていたところ、助けようと思い立ち、レイチェルが事故で亡くなったのをいいことに死んだレイチェルになりすましていたのだった。
クロスは実の息子を救うためにニュー・エデンに送ろうとしたが真実を知ったがために彼を助けようとしたってわけ。
後半は雑なドミノ倒しみたいに事態が解決していって、まったく納得できないオチなのが残念。途中まではよかったのに。最後はクロスが残したメッセージで革命が起きるんだけどあの程度で倒される政権、あまり大したことがなさそう。
とはいえ製作者の「トランプ政権を批判したい」というメッセージだけは伝わってきて、僕も同意するよ(トランプ政権真っただ中の時代に作られただけのことはある)
家族(と人類の未来)のために犠牲になろうとするケイジの姿は涙なしには見られない。ケイジ度☆7つ。
高橋遥人のしかのこのこのここしたんたん
先日、高校野球で大阪桐蔭高校吹奏楽部がアニメ『しかのこのこのここしたんたん』のOP『シカ色デイズ』を演奏して衝撃を起こしていましたが…
その衝撃再び。今度はプロ野球のスタジアムで。11日、京セラドーム大阪の阪神-広島戦で阪神タイガースの高橋遥人が1009日ぶりの一軍登板を果たしたのですが、高橋の打席用登場曲が『シカ色デイズ』だった…ヌンッ!
テレビ放送見ていた時、聞きなれたイントロが流れてきたので何事かと目を、いや耳を疑った。ちなみに高橋遥人の打席用登場曲は以下のような歴史がある
違う、そうじゃない(2020)
崖の上のポニョ(2021)
シカ色デイズ(2024)←new!
鈴木雅之から大橋のぞみになったのは、チームメイトで同郷の先輩、岩崎のアイデアなのは有名な話。
つまり岩崎がアニオタなのか。岩崎はリリーフ、抑えなので打席用登場曲はないのだが、登板用登場曲に河野万里奈の「アイキャントライ」を使っていた時期があった。『Aチャンネル』の主題歌歌ってた河野がレコード会社移籍してメジャーデビューした時のカップリング曲ってアンタやっぱりオタクだろ!
今後高橋遥人が打席に立つ度に変な笑いが起きるのかと思うとたまりませんね。高橋よ虎視虎子になれ!
岩崎先輩のつ!



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