talk show -26ページ目

終末の唄_005

 その理髪店はとくに変わったところがない、ごく普通のありふれた理髪店に見えた。店先には動脈と静脈と包帯を表すおきまりのサインスタンドがくるくると回っていて、狭い店内の左の壁面にはこじんまりとした鏡と洗面台があり、その前に年期のはいったバーバーチェアが三台並んでいる。作業ワゴンの上には手入れのいきとどいたぴかぴかの道具が整然と並んでいる。流行りのヘアカタログのような類のものは一切置いてなくて、それらしい週刊誌が何冊かきちんとマガジンラックに差してある。そして不自然な髪型をした映画俳優のようなモデルのパネルが、反対側の壁にいくつか飾ってある。つまりこの店は、髪を茶色に染めてほしいと若い客がくるような種類の店なのではなくて、何十年来の客が「またきたよ」と入ってくるような、昔ながらの古くさい理髪店だ、ということだ。
 死体は店の入口に一番近いバーバーチェアの上に、息を引き取ったときのままのかたちで、シートを被って座っていた。真栄田刑事は彼に近づき、そのまわりをぐるりとひとまわりした。シートをちらりとめくると、被害者は目を見開いて苦悶の表情を浮かべたまま固まっていた。しゃがみ込んで傷口を眺めると、首とヘッドレストの間にはぞっとするような血の溜まりができていた。

 真栄田刑事はそそくさと立ち上がってシートを元に戻し、目を細めてため息をひとつ漏らした。正面の鏡や壁のクロスには、勢いよく飛び散った血飛沫の跡が赤黒くこびりついている。そのチェアのすぐ下のリノリウムの床には、アルファベットのAと書かれた黒いプレートが置かれ、その横に、血糊のついた鋭い刃をした凶器のカミソリが静止している。そして床中に散らばっている切り落とされた無数の髪の毛が、真栄田には何とはなしに不気味に感じられた。
 この一ヶ月足らずの間に、これと同じような惨殺事件が、このG市を中心とした近隣で連続的に発生していた。今回の事件で九件目になる。

 事件の状況は今回とほぼ同様で、何事もない平穏な状況下で、突然だれかが、何の関わりもないだれかを惨殺、撲殺したのだ。
いずれも犯人はすぐに現行犯逮捕されてはいるものの、彼らの証言はみんなそろって、〝身に覚えがない〟というものだった。マスコミは無差別殺人とも違うこの一連の奇妙な殺人事件を、犯人らのその証言から、〝夢遊殺人事件〟と呼び、ニュースやワイドショーで大袈裟に煽り立てている。同地域の住人らは、「自分のまわりにいるだれかが、いつ自分を殺しにかかるやもしれない」という疑心暗鬼に捕らわれて、みなその恐怖に震え上がっているのだ。

To be continued.

終末の唄_004


♯01


「やれやれ、またこの事件かい?」
 ひょろっと背の高い高年の刑事が、その面長な顔――額と頬骨がひとより少し出っ張っていて、瞼が奥まった目の上に重く垂れ込めている――に、不快極まりないという表情を浮かべながら、しわがれた声で吐き捨てるように呟いた。
「――これは、ほんとうにひどいっスね。また、血の海だ」
 茶色い髪と無精髭を伸ばした若い方の刑事が、白い手袋をはめながら、言った。
 ふたりの刑事はべつの事件の聞き込みをしていたところ、署から殺人事件発生の緊急連絡を受け、G市内にある現場のこの理髪店に急行してきたところだった。
 理髪店の入口には黄色いテープが張り巡らされ、その前を数人の警察官が警備している。何事かと集まってきた大勢の野次馬が、そのまわりをざわざわと取り巻いている。通りには数台のパトカーが駐車されていて、その開け放たれた窓から聞こえてくる無線のくぐもった声が、現場の緊張感をいくぶん高めていた。
 理髪店の中は男性用化粧品やシェービングクリームの清潔な匂いがした。店の造りは古い狭い造りだったので、警官や関係者が中に数人いるだけで自由に身動きがとれない状態だった。
 若い茶髪の刑事の名は、津川といった。彼はベージュ色のコートの内ポケットから手帳を取り出し、現場にいた警官に事件についてのおおまかな状況を訊いて書き留め、それを真栄田という高年の刑事に報告した。
「犯人は、理髪店の店主――S。事件後、店に居合わせた客の通報で、店主Sは駆けつけた警官に現行犯逮捕されました。

 殺された被害者の男――Dは、この理髪店の常連客で、店主との間には、とくに人間関係上のトラブルはなかった、ということです。今日もいつものとおり、とりとめのない世間話をしながら、穏やかに髭を剃ってもらっていたそうですよ。

 ところが、突然店主の形相が急変し、大きな叫び声をあげたかと思うと、その手に持っていた鋭く研ぎあげられたカミソリで、Dの首筋をすっぱりと、いきなり斬りつけたんだそうです」
 そこで津川刑事は眉間に皺をよせ、苦しげな表情でネクタイを緩めた。真栄田刑事も同じように苦々しい表情を浮かべ、エンジ色のネクタイを緩めた。真栄田刑事のネクタイは背が高い分、中途半端に短く首からぶら下がっている。

「ふうむ」
 真栄田刑事は右手で帽子を少し持ち上げ、頭頂部が薄くなった頭を左手で掻きながら、うなずいた。そしてコートのポケットからタバコを取り出して、どこかのバーでもらった紙マッチで器用に火をつけた。深く吸って、ゆっくりと煙を吐き出しながら、彼は現場の状況を奥まった、けれども隙のない目で、じっと見回した。


To be continued.

終末の唄_003

「さあ?」
「さあって――あなた、ほんとうにしらないの?」
「うん」
「これを配っていたその事務員さんとやらは、何にも言ってなかったの?」
「いいや、何も」とぼくは言った。

「その事務員のような女のひと――肌が妙に白く、大きな黒い瞳をして、顎が尖っていて、どこかキリンに似ている――は、左手にそのブルーのチケットの束を握っていた。ぼくはそれはおおかた、どこかのファストフードか、あるいはクイックマッサージの割引チケットか何かだと思っていたんだ。だいたいぼくは、街頭で配られているそういった類のものは、普段はもらわないようにしているんだよ?」
「それなのに、どうしてこれはもらっちゃったわけ?」
 かをりはわけがわかんないわ、と言いたげな表情で、言った。
「さあ? それがぼくにも、よくわからないんだ。そのキリン顔の事務員は、いま思うと、だれかれかまわずそのチケットを配っていたわけではなかったような気がする。彼女はぼくを見つけると、狙いを定めたように近づいてきて、そのチケットを差し出したんだ。そして次の瞬間、ぼくはどういうわけだか、そのチケットを手にしていたんだよ」
「あなた、よっぽど標的にしやすかったのね」かをりはため息交じりに、言った。
ほんとうに、それだけのことだったのかなあ?
 ぼくは水の入ったゴブレットをテーブルの中心に追いやって、今度はアイスカフェラテが入ったグラスを手前に引きよせ、ストローで氷をからからとかき混ぜた。
「こんな言い方、ちょっと変なんだけれど――、彼女はまるで、ぼくだけのために、そこに立っているみたいだった
 三月の初旬にしては暖かだったこの日も、夕闇が深く降りてきて、屋外のカフェテラスにいると少し肌寒くなってきた。浜風が吹くと、かをりはキャメル色の革のジャケットの前見頃を合わせ、ぼくは紺のパーカーのジッパーを首もとまで上げた。

 気がつくと、まわりのテーブルにはだれもいなくなっていた。いつの間にかみんな、ガラスに仕切られた暖かな世界へとすごすごと逃げ込んでいたのだ。黒い雲の塊がだんだんとぼくたちの頭上に近づいて、山の向こうから雨の匂いが流れてきた。どこかの屋根の上で、鳩のくぐもった鳴き声がする。
「何だかよくわからないけれど、こんなチケット、もう捨てちゃいなさいよ。ちょっと、気味が悪いわ」
 かをりはそのチケットをテーブルの上に軽く投げ出し、きっぱりとそう言った。彼女はいつもそうなのだ。迷いのない、きっぱりとした女性なのだ。
「――そうだね」
 ぼくは少し考えてから、そう言った。ぼくはいつもそうなのだ。何かをするのに、少し考えてからでなければ動けないのだ。
 そのとき、コルトレーンにかわって、またあの曲が流れてきた。最近あちらこちらでよく耳にする、少し気になっている曲――。
「ねえ、この曲、しってる?」とぼくはかをりに訊いてみた。
「さあ? そういえば、なんとなく聴いたことのあるメロディーね。でも、よくしらないわ。さあ、もういきましょう?」
 かをりが傘とバッグを持って、先に立ち上がった。
「ああ」
 背中を向けたかをりを見て、ぼくはテーブルの上に残されたブルーのチケットを取り上げ、ゆっくりと立ち上がった。そのチケットを軽く空にかざし、ぼんやりと滲んだ月明かりに透かすようにして、もう一度眺めてみた。
 そして、ぼくは、チケットの半券をもぎった――。


To be continued.