talk show -25ページ目

終末の唄_007


♯02

 静かな流れにかかる橋の少し手前で、バスは止まった。
 JRのG市駅を出発してちょうど五つ目にあたるこの停留所は、バスが山に入る前にこちら側で停車する最後の停留所になる。つまりここが、橋を渡って山へ入ろうとするものが、バスに乗り込むことができる最後の場所であり、また同時に、それ以外のものがバスを降りることができる最後の場所でもあるのだ。
 バスがその停留所で静かに停車すると、数人の乗客が席から立ち上がり降車した。そしてべつの数人がきちんと並んで順に乗車してきた。彼らがそれぞれ空いている座席を見つけてそこに座り終えると、バスはまた静かに動きだした。右にウインカーをだして停留所のくぼみから車道に出ると、ぼくらを乗せたイタチ色のバスはまたすぐに左に折れ、いつものようにその橋を渡りはじめる。
 この橋を渡るとき、バスは決まって奇妙な揺れ方をする。少し滑るように前へつんのめり、そのあと左右に五、六回、大きく揺れる。まるで、何かの抵抗にあうように――。ぼくらはそのときいつも、ここからは〈境界〉を越えて、違う世界に入っていくのだな、と少なからず思うのだ。
「やあ」
 薄曇りの午前の柔らかな日差しを窓越しに感じていると、うしろの席から突然声がした。意識が不確かでぼうっとしていても、それが柿ピーの声だとすぐにわかった。
「やあ、久しぶり」とぼくはうしろを振り向いて、言った。
「久しぶり? そう、とても久しぶりだ。この前あんたに会ったのは――はてさて? いったい、いつのことだったかな?」
 彼の声はいつもながらにひどく小さくて、バスのエンジン音に消え入りそうだった。
「さあ、いつだったかな? ぼくも憶えてないよ、そんなこと」ぼくは前を向き直して、言った。
「柿ピー」というのは、もちろん彼のほんとうの名前ではない。この山の中でだけの呼び名だ。
 この男には尾行癖があって、ふと気になった人間がいると、ついどこまでもそのひとのあとを尾行してしまうという病気を持っているのだ。彼はひどく小柄で、いつも俯き加減で、全体的に影が薄いので、その存在は極めて目立ちにくく、すぐ隣にいたとしても少しも気配を感じさせない(いまぼくがバスの中で彼の存在に気づかなかったように)。だから彼は、そういう行為をするのにはとても適しているのだ。
「ふと気になると、自分ではもうどうしようもないんだ。違うスイッチが入ったように、意識はおいてけぼりで、身体が勝手に動いちまう。ちょうど、オデが昔飼っていた犬と同じだよ。
 そいつは『柿ピー』という名前で――オデはそいつに、エサの代わりにいつも柿ピーをやってたんで、そう名づけたんだ――、ほんとうにだれにでも、どこへでもしっぽを振ってついていくヤツだった。ひとなつっこくてかわいいヤツだけれど、それだけでは犬としては失格だ。
 その頃オデは柿ピーを自然のままに飼っていたから、首輪もはめていなかったんだ。ある日、保健所のヤツらが野良犬の捕獲にオデの町にやってきた。柿ピーはもちろんヤツらにも、何もしらずに喜んでついていった。そして、いとも簡単に檻のついた軽トラに乗せられて、そのままどこかへ連れていかれちまった。そんなことをしらないオデは、二、三日必死で柿ピーを探したよ。けれどヤツは、もちろん、もうどこにもいなかった――。
 それが、オデと柿ピーとの別れだった。オデも、そんな柿ピーといっしょだよ。だれかに興味が湧くと、どこへでもついていっちまう。ヤツとおんなじさ。だからオデのことは、『柿ピー』と呼んでくれよ」
 それが、彼を柿ピーと呼びはじめたきっかけだった。そういうふうに、この山の上のクリニックに通うもの同士は、お互い自分のほんとうの名前など語ろうとはしない。そんなものは、この山あいの世界の中ではまったく何の意味もなく、必要のないものなのだ。

To be continued.

きりん

きりん
『きりん』

動物園、いってきました。ほっこり・・・。

終末の唄_006

 事件現場に居合わせた客や店員が店の奥でまだ事情聴取を受けていた。狭い店の中は彼らのひといきれで蒸していた。だれからも忘れ去られ、出しっ放しになったままの洗髪用の湯が、余計にその空気を上気させていた。

 真栄田刑事は洗面台のその蛇口をひねって湯を止めたあと、写真撮影をしている係員を避けながら、第一通報者の男の方へとゆっくりとした調子で近づいた。
「あのー、すみません。ちょっと、いいですか?」

 真栄田刑事は帽子を軽く上げ、ひどくにこやかな表情を浮かべて、言った。

「いくつか、訊きたいことがあるんですがね」
「ええ、よろしいですが……」と客の男が、言った。
「えー、まず最初に――」

 真栄田刑事は根元ぎりぎりまで吸ったタバコを店の灰皿の縁で揉み消して、訊いた。

「ちょっと思い出してほしいんですがね。事件発生当時のことですが、店の中には、何人の人間がいましたか?」
「ええとー、店の人間が――店主のSさんと、従業員の、あのふたり」
 男は事情聴取を受けている店員を指さした。その内のひとりは、店主を押さえにかかったときにカミソリで斬りつけられたようで、左腕をぐるぐると包帯で巻きつけていた。
「それから、客はわたしと、死んだDさんと、近所のじいさんです。ああ、あと、しらない男がひとりいました。だから――全部で七人です」
「そうですか。七人ねえ。バーバーチェアは三台しかないから、だれか、順番を待っていたわけだ」
「そうです。じいさんが、そこの待合いのイスに座って、新聞を読んでましたよ」
「なるほど。それで、事件が起こる前まで、何かとくにに変わったことはなかったですかね?」
「ええ、何もなかったですよ。いつもといっしょでさあ。何ひとつ変わってない。なのに、どうしてこんなことに……」

 男は少し目を潤ませて、言った。
「まったく、ひどいことになっちまいましたねえ。ところで、その、しらない男というのは、以前にこの店で見かけたことがありますか?」
「いいえ、わたしははじめて見ましたよ。でも、あまりよく憶えていないなあ」

 事件が起こったのは洗髪の途中だったらしく、男は禿げた頭に残っていたシャンプーの泡をタオルでごしごしと拭きながら、そう答えた。
「それでは――いいですか? これをよく見てください」

 真栄田刑事は手帳に挟んでいた似顔絵をその客の男の目の前につきだして、訊いた。

その男、こんな顔じゃなかったですか?
「おお、そうそう、この男だ。大きなマスクをしていて、散髪の途中もそのマスクをはずそうとしないんで、変なヤツだって思ってたんですよ。この男に間違いないですよ、刑事さん」
 津川刑事は真栄田刑事の肩越しにその似顔絵を覗き込み、きょとんとしている。
「そうですか。やっぱりねえ。わかりました。いやあ、なるほどねえ。ようくわかりましたよ」
 真栄田刑事は似顔絵をもと通り手帳に挟み込むと、それをコートの内ポケットになおした。
「いや、ご協力、どうもありがとうございました」

 真栄田刑事は帽子を軽く上げて、言った。
 また、あの男だ。ここでもあの男の影がちらついている。実行犯は確かに、あの理髪店の店主なのだろう。けれど、ほんとうの犯人はべつにいるはずだ、と真栄田刑事は確信している。
「この似顔絵、お前さんも持っておけ」
 真栄田刑事は津川刑事にマスクの男の似顔絵を渡した。
「これ、だれなんっスか?」
「さあ? たぶん――ただの、殺人鬼だ
「え? 殺人鬼――ですか?」
「ああ。鬼だ。気をつけろよう」

 真栄田刑事は子どもを脅かすときのように低い声で目をむいて、言った。
「はあ……」
 真栄田刑事は振り返って、またゆっくりとした調子で入口へと向かった。そのあとを津川刑事もついていった。真栄田刑事は黄色いテープをくぐって店を出ると、おもむろに靴を脱ぎ、両方の靴を手に持ってシンバルのように叩いて靴底に貼りついた髪の毛をきれいに払い落とした。そして大きくひとつ、深呼吸をする。三月も過ぎ去ろうとしている見上げた空は、雲ひとつなく晴れ渡っていた。
「その、見えないほんとうの犯人を、我々は捕まえなければなあ」と真栄田刑事が、言った。
「え? 何っスか?」と津川刑事が、訊いた。
「いや、ひとりごとですよ。ひとりごと」


To be continued.