talk show -23ページ目

街の風景

モミジ
『モミジ』
今年さいごの秋を見つけに歩いたよ

そして、もうすぐ・・・

きらきら
『きらきら』
X'mas

終末の唄_011


♯03

「この女を調査してちょうだい」

 依頼人の女が差し出した写真を受け取りながら、探偵の長谷は思った。やれやれ、どうやらまた、浮気調査のようだな。それも今回のは、自分の亭主(もしくは彼氏か?)の尾行ではなくて、すでに浮気相手の女にターゲットを絞っての調査か。

「浮気――調査ですか?」長谷が興味なげに依頼人に質問した。

「いいえ。そうではないわ」と女が、言う。

 木曜日の夜の九時過ぎだけれど、G市駅の駅ビルの一階にあるこのコーヒーショップは、わりに混み合っていた。
 大きなガラスの壁際の真っ赤なソファーの席に、探偵と依頼人は向かい合って座っている。ガラス越しに見える通りには、こんな時刻でもいき交う人々がひっきりなしだ。
 その通りの向こう側の公園には、タイの女神をモチーフにしたような噴水があり、その彼女の水平に伸ばした腕の上には、外灯の光に照らされて羽をオレンジ色に輝かせた数羽の鳩がとまっている。

「――はあ、そうですか。それじゃあ、いったい、どういった調査依頼なんでしょう?」

 そう訊き返しながら、長谷は思った。
 彼女が言うには、どうやら単なる浮気調査ではないらしい。けれど、どう転んだって、たいした調査じゃないんだろうよ。きっと、浮気調査とどっこいどっこい、ってとこなんだろう。会社勤めを辞めて自分で事務所を開いて、もうかれこれ七年探偵稼業をやっているけれど、舞い込んでくる依頼のほとんどはつまらん浮気調査の類だ。いい年コイた連中が、惚れたの腫れたの、どっちが悪いのこっちが悪いの、離婚だ慰謝料だと騒ぎたてちゃって、ほんとみっともないったらありゃしない。けれど、そんなどうでもいいような他人の揉め事に首をつっこんで、わずかな報酬をいただいて、オレは細々と生きているんだな。いい加減、うんざりするよな。たまには、大企業の極秘事項に絡んだ産業スパイとの壮絶な戦い――みたいなハードボイルドな依頼があっても罰は当たるまい。

「わたしはある事情があって、彼女について調べなければならないの」

 女は音もなくホットミルクを一口飲んで、言った。

「彼女がいったいどういう人間で、どのような生活を送っていて、そして彼女を取り巻いているまわりの人間は、彼女に対してどのような印象、イメージを持っているのか――。つまり率直に言うと、まわりの人間が、彼女のことをどう思っているのか? そういったことについて、総合的で、客観的で、冷静な評価をいただきたいの」

To be continued.

終末の唄_010

 会話が途切れると、バスの中はしんと静まり返った。すべての音が深い山の懐に吸い込まれていくようだ。
 ぼくはバスの中を見渡してみた。乗客の中には何度か見かけたことのある顔もあれば、今日はじめて見る顔も何人かはいた。
 ここにいる〈境界〉のひとたちは、だれかからこのクリニックの紹介を受けたか、あるいは偶然にどこかからこのクリニックの噂を聞きつけたかして、いまこのバスに乗り合わせているのだ。なぜなら、このクリニックは広告や宣伝の類は一切行っていないし、電話帳にさえ載っていないのだから。

 ぼくの場合は、あるフリーライターの紹介だった。
 以前ぼくはこのライターが雑誌に掲載するために書いた診療内科についてのルポタージュの記事を校正したことがあり、その記事の中に、このクリニックのシャンプーメソッドの体験記が載っていたのを憶えていたのだ。
 睡眠障害がはじまってしばらくして、ぼくはその記事のことをふと思い出した。そこでぼくは思い切って、そのライターに連絡を取ってみたのだった。

「すっごく効くよ。きみのそんな程度の病気なら、二、三回もセラピーを受ければ、すぐに治っちゃうよ」
 彼の事務所の中で、そのライターは細い足を組んで、回転イスを左右に振りながら軽い調子で、言った。
「何て言うのかなあ? ただの、シャンプーじゃあないんだ。言うなれば、こう、脳ミソを取り出してだね、それを丁寧に、丁寧に、洗浄するって感じかな? 細かい皺の中に埋まった汚れを、その美しい、ほっそりとした指先で、こういう風に、愛撫するように、ウォッシュするわけさ。それは、じつはね、脳の中心にあって、感情を制御する働きの『前部帯状皮質』というヤツが、ぎゅっと縮小して凝り固まってしまっているのを治す行為なんだそうだ。
 まあともかく、ぼくらはそんなことは何もしらないで、そのうちにすやすやと気持ちよく眠ってしまっているんだ。そしてそれが終わって目覚めたあとは、もうまるで生まれかわった感じなのさ。疲れも悩みも、何もない。何もかも、まっさらって感じ」

 彼のそのことばに希望を抱いて、ぼくはこのクリニックに通うことにした。けれどぼくの場合、事態はそう簡単には好転しなかった。今日ですでに七回目のセラピーになるのだけれど、ぼくの症状はまったくよくなってはいない。

「そういうことも、あるわ。ちからを抜いて、リラックスして、気長に治しましょう?」と、チェン先生は言う。

 通路を挟んでぼくの斜めうしろに座っている彼女も、このバスの中で何度か見かけたことのある顔だった。二十歳ぐらいだろうか? いつもサンタのような赤いコートを着て、おかっぱ頭の長い前髪の中に顔を隠すようにして、俯いている。自分の存在をできるだけ外の世界と接触させないようにしているみたいだ。

「彼女、解離性同一性障害なんだぜ? いわゆる、多重人格なんだ。まあ最近じゃあ、それほど珍しくもなくなっちまったけどな」

 事情通の柿ピーが、いつかぼくにそう教えてくれた。彼女の症状もぼくと同じく深刻で、治療も長くかかっているようだ。
 ぼくがじっと見つめていると、その視線に気づいたのか、彼女はふと小さく顔をあげた。そしてぼくと目があうと、彼女はすぐにまた俯いて、その顔を髪のカーテンの中に隠してしまった。

「気長に治しましょう」
 ぼくは声には出さずに彼女に、言った。

 それにしても、とにかく眠い。身体がいつも、つよく眠りを欲している。微熱のときのように、身体がふわりと地面から浮いているようだ。
 けれど、ぼくは眠らない。そう決めたんだ。あの〈銀色の男〉に、ぼくの夢を好きなようにはさせたくない。だから、ぼくは眠らない。

 バスは山の頂上の少し手前で左折し、クリニックへ続く真っ直ぐな長い坂の乗り入れ道を、ゆっくりと登っていった。

To be continued.