五新線【阪本線】・五条~城戸の未成線跡(奈良県五條市。2012年訪問) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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今回は、奈良県の五条と和歌山県の新宮を結ぶ目的で紀伊半島中部を南北に貫く路線として計画された
五新線のうち、五条~当時の大塔村・阪本間を阪本線として先行して建設したものの結局は鉄道路線として開業せず、大半の区間をBRTとも言えるバス専用道として暫定開業させた区間を含む
五条~城戸について簡単に紹介します。

  

五新線は吉野杉などの木材を搬出する目的の路線として戦前の1939年に着工されましたが、戦争やルート決定までの紆余曲折で時間を費やした関係で工事が中断されました。そして戦後に工事が再開され、1959年には五条~城戸の路盤が完成しました。しかし西吉野村(当時)の反対、近鉄や南海が関与する姿勢を示した事などで混乱したようで、結局は大半の区間をバス専用道路に整備して暫定使用の上で、バス路線の阪本線として五条~城戸が開業しました(開業時期不明)。
その後も城戸から先の区間の建設工事が続き、阪本まで完成後は全区間に線路を敷設する予定でしたが、国鉄再建法施行により1982年に城戸~阪本の工事が凍結され、五条~城戸についても時代の変化(車社会化)もありレールが敷かれる事なく大半の区間がバス専用道として存続する事になりました。

  

そして1987年に専用道を走るバスの運営が国鉄から西日本JRバスへと変わりましたが、年々利用客が減少し続け、2002年10月1日に西日本JRバスは撤退し、その後は奈良交通により路線が維持されました(自治体から委託の形で)。しかし便数は減少を続け、土休日は1往復のみの運行となっていました。そんな中、専用道にある衣笠地区のトンネルの状態が悪い事から2014年10月1日に専用道を走るバス路線が廃止され、現在に至ります。

  
  

今回は徒歩探訪が容易な五条駅周辺、そして専用道として使用されていた区間を同時に紹介します。

  

尚、バス専用道を走る路線バスの乗車記を過去にUPしています。
参考にして下さい(記事はこちら)。

  
  

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(Yahoo!地図を使用。緑色表示はバスの走行ルートです)

  
  

路線名   区間   営業キロ   備考  
国鉄:(※1)五新線【(※2)阪本線】  五条~城戸  約11.7km  未成線  
(※1)五新線は五条~新宮の路線として計画されていました。      
(※2)阪本線は五新線のうち五条~五條市大塔町阪本地区を先行開業させる予定で路線名が付けられました。     
(※)開通していた場合は全線単線、非電化。軌間1,067mmになっていたと推測されます。      

  
  

探訪・撮影時   2012年8月  

  

  

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(1)起点の五条駅にて。1番線ホームの城戸方、駅舎寄りにスペースがあります。
五新線が開業した場合には0番線ホームが設置されていたのかもしれません。

  
  

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(2)五条駅からしばらくの間、五新線は和歌山線と並行して西へ進む予定でした。
しかし、単線分のスペースしかない箇所も多く、五新線が開業した場合は和歌山線の線路を借用していたかもしれません。

  
  

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(3)さらに進むと五新線の未成線は左へカーブして和歌山線と分かれます。
この付近の未成線用地は写真左側へカーブしている未舗装の道路に転用されています。
また、この付近にはSLが静態保存されています。

  
  

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(4)和歌山線と分かれた五新線は、台地から平地へと進みますが、平地部分はアーチ橋が建設されていました。
交差する国道24号線の拡幅で一部撤去されましたが、現在も大半が残存しています。

  
  

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(5)アーチ橋で市街地を抜けると吉野川を橋梁で渡る予定でしたが、アーチ橋は土手の手前で途切れています。

  
  

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(5)五新線は吉野川を渡る予定でした。
過去の空中写真を見ると橋脚は建設されていたようですが、現在は撤去されたようで痕跡はありません。

  
  

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(6)吉野川を渡った後、五新線は市街地の西側を築堤区間で南下していました。
築堤が残存しています。五條病院から遠くない位置に野原駅が設置される予定でした。

  
  

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(7)野原駅予定地から南へ進むと、五新線は国道168号線をオーバークロスする予定でした。
橋台が残存しています。
専用道を走るバスはこの場所から五新線へアプローチしていました。

  
  

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(8)これより先、城戸までの五新線用地は2014年までバス専用道路に転用されていました。
路面こそアスファルトですが、鉄道路線の雰囲気は出ています。
写真は専用道霊安寺バス停付近にて。

  
  

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(8)専用道霊安寺バス停にて。
道路と平面交差する地点も多く、五新線開業時は踏切になっていたと思われます。
かつては一部の交差点に遮断機もあったらしく、専用道を走るバスが優先でしたが、
後に一般道側が優先に改められ、専用道を走るバスが一時停止をしていました。


 

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(9)霊安寺を過ぎると、段々と山深くなってきます。
そして丹生川を渡ると生子(おぶす)トンネルへと入ります。
トンネル内部は暗く、また単線分しかないのでバスは減速してトンネルを通ります。

  
  

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(10)生子トンネルを抜けて丹生川を5回渡ると賀名生(あのう)地区を進みます。
この付近に賀名生駅が設置される予定でした。

  
  

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(11)賀名生駅予定地を過ぎても五新線は山間部を通ります。
さらに丹生川を渡ります。川の右側の道路は国道168号線で、この国道が整備されて快適に走行できるようになったので、専用道のメリットが薄れました。

  
  

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(12)その後もトンネルを数本くぐり、丹生川をもう一度渡ると専用道黒渕バス停に差し掛かります。
五新線(阪本線)はかなりの山間部を走る予定でした。もし開業したとしても、いずれ廃止になっていたかもしれません…。

  
  

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(13)さらに山間部を進むと、バス専用道としては終点となる城戸駅用地に到着します。
結構広いスペースが確保されています。

  
  

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(14)城戸駅予定地にて。バス停の待合室は国鉄バス時代からのものです。
国鉄バス~JRバス時代、バスは城戸で転回して五条駅方面へ戻っていました。
奈良交通時代はここから一般道へ下りて、西吉野温泉へ直通する便も設定されていました。

  

もし五新線が開業していたら、少なくとも2線ある駅になっていたでしょう。

  
  

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(14)城戸から先も、阪本まで建設工事が続けられていました。
高架橋の先にある城戸トンネルは入口が閉鎖されています。
また、高架橋の下には、かつての西吉野村の中心部だった城戸の集落があります。

  

城戸~阪本にもトンネルや橋梁などの遺構が残っていますが、私は調査できていません。ご了承下さい。

  
  

(おしまい)  

  

  
廃線跡探訪の注意点  

私が五新線を探訪したのは2002年、2012年の2度で、いずれも五新線用地を転用したバス専用道を通るバスに乗っての探訪でした。2002年は西日本JRバス時代で、2012年は奈良交通時代でした。2012年は五条駅付近も徒歩探訪しました。尚、専用道を走るバス路線は2014年9月をもって廃止されています。

  

五条~城戸の距離は約11.7kmですが、現在は大半の区間を走っていたバスが廃止されているので断片的に探訪する事となります。何度も迂回を余儀なくされ、山間部では並行する国道に歩道が設置されていない箇所が多く危険なのでお勧めできません。またレンタサイクルも坂道が多く疲労が蓄積する可能性があるのでお勧めできません。自動車でポイントを絞って探訪するか、並行する国道168号を走る路線バス(本数は少ないです。時刻は要確認)の車窓から眺めるにとどめるのが現実的です。尚、五条市街の吉野川以北にある遺構は五条駅から徒歩でも探訪できます(所要時間1時間~1時間半)。

  

食料・飲料について、コンビニや飲食店は五条駅近くや市街地に散在するくらいです。自動車ですと五條市街東側の国道沿いにある飲食店へも行く事が可能です。

  

五新線を探訪される場合はリスクを伴うので、交通安全に気をつけて下さい!

  

  
接続路線  

接続駅   接続路線  
五条駅   JR西日本:和歌山線  
  
(参考:『鉄路に魅せられて』、地理院地図、Wikipedia)