津屋崎駅にて2004年撮影。
【踏破後、廃線…】の第19回目は、2001年8月に乗りつぶしをして、2007年の4月1日に廃止(営業は2007年3月31日まで)となった、
西鉄宮地岳線(現在の路線名称は貝塚線)の西鉄新宮~津屋崎(福岡県新宮町~福津市)です。
西鉄宮地岳線(現在の路線名称は貝塚線)の西鉄新宮~津屋崎(福岡県新宮町~福津市)です。
現在の廃止区間には西鉄バス宗像による宮地岳線代替バスが運行されています。
また、西鉄新宮~西鉄福間ではJR鹿児島本線と並走する形になっていましたが、西鉄新宮~津屋崎の廃止後はJRに新駅が複数設置され、既存の駅とあわせて宮地岳線を代替しています。
また、西鉄新宮~西鉄福間ではJR鹿児島本線と並走する形になっていましたが、西鉄新宮~津屋崎の廃止後はJRに新駅が複数設置され、既存の駅とあわせて宮地岳線を代替しています。
廃線跡は道路転用されずにほとんどが放置されているようですが、遺構があるかどうかは定かではありません。
尚、写真が少なく、めちゃめちゃな写真しかありませんが、何卒ご了承願います。
(Yahoo!地図を使用)
駅名は西鉄新宮方から、古賀ゴルフ場前、西鉄古賀、花見、西鉄福間、宮地岳、津屋崎の順です。
駅名は西鉄新宮方から、古賀ゴルフ場前、西鉄古賀、花見、西鉄福間、宮地岳、津屋崎の順です。
路線名 | 区間 | 営業キロ | 備考 |
西日本鉄道:宮地岳線(※1) | 西鉄新宮~津屋崎 | 9.9km | 全区間単線・直流1,500V電化 |
(※)軌間1,067mm。
(※)2007年廃止。
踏破達成時 | 2001年8月 |
撮影時 | 現役時2004年9月、廃線後2009年10月 |
西鉄新宮駅にて(2009年撮影)。
宮地岳線時代は中間駅でしたが、貝塚線へと改称された現在は終着駅となりました。
宮地岳線時代は中間駅でしたが、貝塚線へと改称された現在は終着駅となりました。
西鉄新宮駅の終端方より津屋崎方を望む(2009年撮影)。
廃線跡は更地になっていて、バラストが残っていました。
また、廃線跡は道路や住宅などに転用されていませんでした。
廃線跡は更地になっていて、バラストが残っていました。
また、廃線跡は道路や住宅などに転用されていませんでした。
西鉄新宮を発車すると、住宅地を少し走ってから森の中へと入ります。森の北西側には海(玄界灘)が広がっています。そして右側車窓に再び住宅地が見えてくると福岡県・新宮町から古賀市へと変わり、古賀ゴルフ場前に着きます。駅の北西側、森の向こう側には古賀ゴルフクラブがあります。また、駅の南東側約500mの場所にはJR鹿児島本線が走っていて、宮地岳線の部分廃止後に「ししぶ」駅が設置されました(2009年)。
古賀ゴルフ場前を発車後はゴルフ場と住宅地の間を走り、やがて花鶴川を渡ると市街地へと入って西鉄古賀に到着します。東側約500mの場所には鹿児島本線の古賀駅があります。
古賀ゴルフ場前を発車後はゴルフ場と住宅地の間を走り、やがて花鶴川を渡ると市街地へと入って西鉄古賀に到着します。東側約500mの場所には鹿児島本線の古賀駅があります。
西鉄古賀を発車すると住宅街を北へ走り、花見に着きます。
花見を発車後は左側車窓に再び森が現れて、福津市へと変わります。また、右側車窓にも田園を見られるようになります。しばらく走り、西郷川を渡ると市街地へと入り西鉄福間に到着します。東側1km強の場所には鹿児島本線の福間駅があります。
花見を発車後は左側車窓に再び森が現れて、福津市へと変わります。また、右側車窓にも田園を見られるようになります。しばらく走り、西郷川を渡ると市街地へと入り西鉄福間に到着します。東側1km強の場所には鹿児島本線の福間駅があります。
西鉄福間を発車すると、しばらくは住宅地を北上しますが、やがて田園地帯へと変わると右手に山々を望みながら左へカーブして進み、宮地岳に到着します。宮地嶽神社への最寄駅で、特に初詣時は多くの乗降客で賑わっていました。また、開業当初の宮地岳駅は2007年の廃止時とは違う場所にありり、先程の左カーブ地点で逆に右へカーブして宮地嶽神社第2駐車場の辺りに駅がありました。
宮地岳を発車すると左へカーブして、住宅地を北西に進みます。そして右手に津屋崎中学校や福津市文化会館などを見ながら走ると、ほどなくして終点の津屋崎に到着します。
津屋崎駅は島式ホーム1面2線の構造で、終端側(写真手前)の右側に駅舎がありました。
津屋崎駅の終端方を望む。左側に駅舎がありました。
津屋崎駅の駅舎です。有人駅でした。
駅は旧・津屋崎町の中心部にありました。また、駅から少し南西へ歩くと海岸へ出て、玄界灘を望むことができます。
駅は旧・津屋崎町の中心部にありました。また、駅から少し南西へ歩くと海岸へ出て、玄界灘を望むことができます。
私が西鉄宮地岳線の廃止区間を初乗りしたのは2001年8月で、この時の乗車は夜間だったので、3年後の2004年にもう一度乗りましたが、この時が最後の乗車となってしまいました(2004年の乗車記はこちら)。
私の乗車時は貝塚から乗り通しました。列車は貝塚~津屋崎の通し系統と、現在の貝塚線内で完結する貝塚~三苫の系統がありました。津屋崎直通系統の運転本数は毎時2本以上で、多かったか少なかったかは微妙なところでした。
また、私が乗車した時には吊り掛け駆動方式の電車(300形)も残っていました。
私の乗車時は貝塚から乗り通しました。列車は貝塚~津屋崎の通し系統と、現在の貝塚線内で完結する貝塚~三苫の系統がありました。津屋崎直通系統の運転本数は毎時2本以上で、多かったか少なかったかは微妙なところでした。
また、私が乗車した時には吊り掛け駆動方式の電車(300形)も残っていました。
尚、廃止区間は往路も復路も乗客が少なかったですが、特に少ないという状況ではなかったようにも感じました。しかしながら、福岡都市圏内を走る区間ということを考慮すれば、やはり少なかったのかもしれません…。また、並走しているJR鹿児島本線が民営化以降、輸送改善が進んだのも痛かったですね。
まぁ、宮地岳線から天神まで行くのは貝塚での地下鉄への乗換を伴ったり、運賃が地下鉄と合算になる割高感も地元客が西鉄宮地岳線を敬遠していた理由だそうですが、確かにもう少し便利で割安であれば今も廃止区間が現役で残っていたかもしれませんね。
まぁ、宮地岳線から天神まで行くのは貝塚での地下鉄への乗換を伴ったり、運賃が地下鉄と合算になる割高感も地元客が西鉄宮地岳線を敬遠していた理由だそうですが、確かにもう少し便利で割安であれば今も廃止区間が現役で残っていたかもしれませんね。
(参考:Wikipedia)