S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング)の瀬川です!
カウンセリング等を行っておりますと、時に、
考える事と悩む事とが混同されがちになっており・・・
どちらも堂々巡りに嵌まっている・・・
というケースも少なからずございます!
そこで今回は2020年10月10日の第326回目のTOPICS『 考え過ぎは(心と体に)毒なのか??? ~やってる感を拭い去り自己承認欲求を活用する~ 』から、その一部をお届けしてみます!
では、進めて参りますが、私が行っているカウンセリングなどにおきましても、やはり、人間関係にまつわるご相談やお悩みは多いです。
そして、その中で、クライアントの方から次のようなお言葉(自問自答)もよくお聞きします。
それは、
私(クライアントの方)が考え過ぎているだけなのでしょうか・・・???
と。
確かにそのようなケースもあるにはありますが、これこそが今回のテーマの趣旨にもなっておりますので、これに関しては後述して参ります!
では、この『 私が考え過ぎているだけなのでしょうか・・・??? 』との内容におきましては、大きく分けて次の2つの傾向がよく見受けられます。
その1つ目は、
考え過ぎというよりも・・・
迷路(袋小路)に入って(しまって)いるが故に・・・
(少し)身動きが取りづらくなっている状態にある・・・
というものです。
別の表現を用いると「堂々巡り」(に近い)状況とも言えます。
確かに、このような状態の時には頭(脳)がフル回転している事もあり、疲労感などを伴ってしまうのも、その通りだと感じます。
では、このようなケースでの対応法の一つをご紹介致します!
それは、
(そもそも存在しない)完璧さなどを捨て(結果への執着を手放し)・・・
「自己承認欲求」を大いに活用し(例えば、これほど「考え抜いている」自分は凄い!など)・・・
(その考えの内の)ほんの一つで良いので「行動」に移してみる!
というものです。
更に、その「行動」で起きる結果への執着も手放すとより効果的になります。
つまり、
二次元の「堂々巡り」を描き続けるのではなく・・・
三次元の「螺旋状」を創り上げる為に・・・
ほんのチョットした後押しを自分に認めてあげれば・・・
止まっていた「核」が自然と動き出す!
という事になります。
そして、2つ目というのは、
「あなた」が考え過ぎているのではなく・・・
「あなた」の「周り(の人々)」が・・・
あまりにも考え無さ過ぎな状態にある・・・
とのものです。
そして、ここには一つの大切なポイントが含まれています。
それが、
「考える」という事は・・・
「自分を知る」作業をしているという事!
になります。
このような流れから、
考える事を放棄している人においては・・・
「自分を知る」事に怖れを抱えており・・・
それが故に・・・
(必ずしも悪気ではなく)考えている「あなた」との「距離感」を保ちたい・・・
とのものになります。
そして、考える事を「放棄」しているとの表現については、極端である事は私も承知の上ですが、
ここでの怖れが・・・
当人も無自覚(無意識)のままに・・・
(相手に対する)妬(ねた)み、嫉(そね)み、疎(うと)ましさ、煩(わずら)わしさ・・・
などの「(極端な)感情」に自分が飲み込まれているのに・・・
「気づけて」いない・・・
という状態になっている(可能性が大)という事です。
これが、
相手が意図して創り出している・・・
(あなたとの)コミュニケーションの欠如(拒否)
として具体的に現れてしまっている事により、(あなたの方においては)疎遠にされている、無視されている、辛く当たられてくる、などの状況として感じてしまうという事になります。
勿論、中には明確な「悪意」を持って、そのような振る舞いをする人がいるのも事実ですが(苦笑)
また、今風に表現しますと、
何かあの人・・・「意識高い系」って見せようとしてて・・・感じ悪くない!?
などの「揶揄」も当てはまるかもしれません(笑)
ただ、このような疎遠や無視されるなどの状況は、とても辛く苦しいものであるのはその通りですし、このような際に「自分が考え過ぎなのでは(自分に非があるのでは)???」などの思いが生じる事も自然な流れであります。
ちなみに、『 当人も無自覚(無意識)のままに・・・ 』と『 相手が意図して創り出している・・・ 』の箇所では矛盾しているのでは?と感じる方もいらっしゃる事と思いますので補足致しますが、
「(極端な)感情」に「気づけて」いないが故に・・・
自分に何が起こっているのか?という・・・
「分からなさ」という点に更なる怖れや不安を感じてしまい・・・
それを解消する為に(方法が分からないまま)意図した「行動」を取っている・・・
という事です。
言わば「誰かや何かのせいにする事で安心感を得たい」という状態になっているとも言えます。
話を戻しますが、ここで活用出来る対処法の一つとしては、
「課題の分離」を行う!
つまり・・・
「相手」が抱えている問題と・・・
それは「自分」の問題では無い・・・
と切り離す!
という事です。
勿論、ここで輪を掛けて無視したりなどをしてしまうと「自分のした事は自分に反ってくる」とのように、これこそ「堂々巡り」になってしまいますので、
不即不離(付かず離れず)という心持ちの元に・・・
適度な「距離感」を保ち・・・
「求められた」時には対応をしてあげ・・・
「求められていない」時には静観(あるいは見守り)をする・・・
という「心のスタンス(姿勢)」を取ってみて下さい。
そして、お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、2つ目のケースにおきましては、
「自分を知る」事に怖れを抱えているが故に・・・
「他者承認欲求」に偏り過ぎる傾向が出やすくなる
という面が強化されている反面、
意図してコミュニケーションの欠如(拒否)を創り出しているが故に・・・
その「他者承認欲求」すらも充足させる事が出来ない
という「自己矛盾」に陥っている事に「気づけていない」が故の「混乱や葛藤(心の叫び)」になっており、繰り返しですが、やはり、「そのような(気づけていない)自分を知るのも怖い」という、これも「堂々巡り」とも言えます。
では、ここ迄の内容を簡潔に整理致しますが、1つ目のケースでは 「自分(の)事」や「自己承認欲求」という視点の活用 、2つ目のケースでは 「他人(の)事」や「他者承認欲求」という視点の活用 になり、この二つのケースの「繋がり」と「重なり」に意識を向けると、より「課題の分離」がしやすくなっていくようになります!
なぜなら、
「分離」させる為には・・・
その前に「統合(融合)」を構成している・・・
「各々」を見つけ出す事が必要(効果的)
であるからです。
そして、もしかしたら、次が最大の難問!?であるかもしれませんが、それが、
「考える」事の大切などは何となく分かる気がするけれど・・・
「何を」考えれば良いのかが分からない!!!
というものです(笑)
そして、この傾向は結構多くの人が実際に抱えている(感じている)ものになります。
では、ここでのポイントとなるもの、それは、
「思考」という言葉は・・・
「思い」が「先(最初)」に存在している
との部分です。
そして、この「思い」に働きかけるもの、それが、
「五感」!!!
です。
つまり、
「五感」に入ってくる様々なもの(情報など)を活用するかどうか・・・
それを握っているのが「あなた」です!!!
という事にもなります。
そして、実は、
考える事を「続けられる」という事は・・・
小さな「気づき」が既に・・・
「繋がって」「重なって」いる事の証!!!
ともなっております(笑)
では、最後に「考える」際の留意点(注意点)を一つだけご紹介致します!
それは、
「考える」際には「方向性」を意識する!
というものです。
なぜなら、
「考える」という事には・・・360度、かつ、立体的(三次元)な性質がある
からです。
そして、これは一見すると、幅広くもあり奥行きも申し分ないような性質にも思えますが、時には、
私達の「思考」は・・・
一瞬にして・・・
「点」と「点」を「繋げて」「重ねて」しまう(怖れもある)・・・
という事です。
これは、全く関連性の無い事柄同士を、あたかも強い関連性があるかのような 「錯覚」を起こさせる 事があるという意味です。
不謹慎で不適切な例えかもしれませんが「自殺(自死)」などの心の働きでも、時には見受けられるものですので、頭の片隅にでも良いので置いてみて下さい!
と、このような内容でお届けしておりましたが、今回のアメブロ版では当該TOPICSの前半部分を主としたご紹介であり、後半では更に 潜在意識などの仕組みや働き も取り上げておりますので、興味や関心のある方は参照してみて下さい!
『 考え過ぎは(心と体に)毒なのか??? ~やってる感を拭い去り自己承認欲求を活用する~ 』はこちら