朝起きると、飲んでいた部屋には布団が敷かれていて、自分はその布団の中にいた。いつの間にか潰れてしまったらしい。聞けば、二次会なるものがあって、自分はそれに参加する前に廊下で喚き散らしていたとのこと。全くみっともない限りである。

10時頃宿のおばさんに見送られて出発。自分の乗った車はとりあえず長崎に行って昼食をとり、その後南西の野母崎に向かうこととなった。

長崎に着くと街が中華街のようにランタンやら赤い旗が飾り付けられていた。今日は「長崎ランタン祭り」の当日らしい。たまに「ラストエンペラー」、「霊幻道士」などででてくる清朝風の礼服、帽子を被った人が通り過ぎる。

横浜の中華街より断然規模が少ないが、存在感はそれ以上である。今回の旅行に限らず地方都市に行って常に思うのであるが、関東首都圏は、古い町並みや区画を軽視しがちである。福岡や北九州、長崎などはその町の臭いがするような感じすらする。首都圏ではまだましな横浜でさえ長崎に比べると殺風景な感じだ。もっともりヴぁるど氏がかつて「東京は土地が少ないから」とその理由を答えていたが、それも大きいであろう。

中華街でちゃんぽんを食るともう3時近い。レンタカーを返す時間は7時である。勇気を出して野母崎へ急ぐ。リアス式海岸らしく、断崖や小島がよく目にする。同乗していたF井が「ここ行ってみたいなぁ」と長崎の観光パンフの一ページを広げた。見るとどっかり殺風景なホテルのような建物が座る小島である。「どうせバブル期に無計画に作ったキッチュなリゾート島だろ」と軽い気持ちで見出しをみると、「軍艦島」とある。軍艦ときけば直ちに脳内に「軍艦マーチ」が流れる性格なので、好奇心が沸いた。「かつての海底炭鉱のあった島で日本の高度経済成長を支えました」と簡単な説明がある。海軍とは関係ないらしい。なあんだ、と思いつつも遠くに見えるあの無機質で陰気な島への好奇心は消えないでいた。「アルカトラズみたいだね」と軽口をたたきつつ、野母崎の先端、権現山に向かう。

観光パンフに大々的に半ページも割かれて紹介されているのに、権現山展望台までは一車線である。途中で対向車によって後退したり、脇ぎりぎりに詰めたりしたことがあった。しかも途中から断崖絶壁でカーブだらけとなるわけである。運転免許のない自分はまだ気楽であったのである。20分強して展望台入り口の駐車場に着く。ここでもうすごい景色である。

そこから少し歩くと展望台になった。風が強い、寒い。しかし幸いにも夕日が顔を出してくれた。何より360度のパノラマが広がっている。(冒頭写真はその一部。長崎市方面を取ったもの。なお左端の黒点みたいのは軍艦島。肉眼ではもっとはっきりみえたが・・・。) どこか物寂しくもとにかく素晴らしい風景であった。ちなみにこの地点からだと東京より上海の方が近いのである。感動を胸に秘めつつ、時間が迫っているので権現山をあとに。

・・・・・・・・・・。この時は気付くべくもなかった。あの軍艦島はかつて強制連行などの近代日本の暗部を背負いながら、あの八幡製鉄所に良質の粘性石炭を送り続けた島であった。また周囲一キロ前後の広さにかつて5300人が住んでいて、東京より人口密度が高く、それ故日本で最初にコンクリートの高層アパートが建てられた地であった。そして島の3分の2は石炭のズリで埋め立てられたものである。またこの島は1974年以来無人島で島全体が廃墟であったのだ。あげくにはこの権現山展望台、九州では心霊スポットとして知られているそうである。この二日前に八幡製鉄所に行きこうして権現山から軍艦島を見下ろしているとなると、近代日本の英霊に魅入られているのだろうか?

7時10分前に返却所に無事に着く。レンタカー事務所とこの返却所は別の業者であるため時間については鷹揚であった。これならなにも7時にこだわる必要がなかった。なにはともあれそのままそばの長崎空港へ。

8時半に離陸した飛行機は現実から逃避したい自分に対する嫌がらせか、きっかり90分弱という速さで喧騒の東京に着いた。しかしながら、今回の旅行は楽しかった。訪問した場所でもそうだが、移動中の車内でも面白いことだらけである。40期の在学中における諸々のネタはおそらく今回の旅行で清算されたのではないだろうか。これは言い過ぎにしてもとにかく色々な話がきけたのだった。
八時ごろ起床。昨日のかいあって体調は回復してきていた。10時前にホテルを後にする。聞けば昨晩は屋台に行ったとのこと。お酒の値段が東京より格段に安いらしい。むしろ東京が高すぎとのこと。いいなあ、と思うも昨日の自分の体調と財政を考えると仕方がない。

途中の吉野家で食事をとることに。ちょうど本日11時から牛丼が一日だけ個数限定で復活するらしい。別に豚丼でも焼魚定食でも構わなかったが、メンバーの一人が牛丼を物凄く食べたそうにしているし、今日はのんびりとする感じなので30分程待つことにした。

牛丼発売の15分くらい前であろうか、店の雰囲気が一変した。ゆったりした店の空間にみるみる人が埋まっていき、ついには並び始めた。自分らが牛丼(一番安かったのでつい自分も購入・・・)を食べる頃には俗に言う「U字テーブルに座って刺すか刺されるか」の雰囲気がたちこめていたのである。食べ終わって店を出ると、行列は外まで延びていた。それほど吉野家の牛丼はすごいのか、うまいのか。もし現代文明が滅びたとしたら、牛丼とマックは後世の歴史家によって古代の絶品と讃えられるに違いない。(後に関西の店で牛丼を食べ損ねた客が店員を殴りつける事件発生・・・。)

不穏な吉野家を後にして太宰府天満宮へ向かう。天満宮付近は人や車でごった返していた。ちょうど受験シーズンで休日ということもあるのだろう。それにしても天満宮の人気の高さを窺わせる。鎌倉の鶴岡八幡宮を凌ぐ勢いである。参道には古くからの土産物屋や売店が立ち並んでいて、ふと京都を思い出させた。

途中猿回しを横に見ながら天満宮へ入る。ちょうど神官と参拝客が祈祷をしている最中であった。神官の冠、狩衣がシブい・・・。お賽銭をみると千円札がいくつもある。絵馬をみると合格祈願の他に場違いな恋愛に関するものもあった。叶うことになれば道真公は関帝に並ぶ万能神となろう。おみくじを引くと中吉である。万事並なことがかいてある。恋愛くじは・・・・・・・・・ひくまでの度胸がなかった。

天満宮のあとは吉野ヶ里遺跡へ。実は中3の時九州には修学旅行でいっており、この遺跡も訪れたことがあった。しかし、当時に比べはるかに整備が進んでおり、以前見学した箇所がどの部分であるか見当がつかなかった。そして驚いたことにまだ整備工事が続いていたのである。一体何十年工事をやっているのか。雇用保全が目的かとつい疑ってしまう。

吉野ヶ里遺跡の後は大隈重信旧邸へ。閉館間際で時間もあまりなかったが、充分見て回れる内容量である。旧邸の厠前に立て札があり、「大隈公は訪問客のもてなしでいつも忙しく、便通は常に午前八時ときまっていた」とある。日本の国民性からして、おそらく訓示、説教を垂れる際このネタを使った管理職、教職の方は少なくないと思われる。

その後本日の宿武雄温泉京都屋へ。ノープラン、優柔不断の一行には間違いなく最大の訪問先である。外観からして老舗であり、ロビーに入るとアンティークの大群である。「何でも鑑定団」にでたことがあるに違いないと、一人で勝手に決め付けていた。部屋は落ち着いた和室であり、前日の東映ホテルと対照的である。そして最も驚くべきは食事の場所であった。骨董品がいくつもおかれた何十畳もある大広間である。その真ん中十一人分の膳がならべてあった。
これは普段着でいるのは勿体無い、男全員部屋に引き返し浴衣を着て戻る(女子は既に着替えていた・・・)。自分の怠惰な性格からこのような豪華な食事をするのは最後になると思われ、感慨深く食事をとった。

晩餐のあとは風呂へ、屋内、打たせ湯、露天、サウナとゴージャスな設備である。さあ武雄温泉を堪能しよう!と湯船に入ろうとしたら、肩一面に刺青を背負ったおっさんがあらわれる。海水浴場などでかつて見かけた、あの和彫である。時間からして堅気の入る時間に極道が威圧的な体で入ってくるのは甚だ腹立たしい。極道は人がいない終わり間際につかるのが妥当である。露天に一端移ったが、再び屋内に戻る。まだ湯につかっていた。こちらも同じ湯船につかるが、数分と経たない内に充分温まったのかそのおっさんはでていった。ところでこの数種類ある風呂をどう満喫するか。まず暑めの屋内の湯、そして少しぬる目の露天に入る。次にサウナへ。サウナで数分もいると汗が出て、一皮分すっきり抜けた気分である。のぼせた体を水風呂で一端冷やし、また屋内の湯につかる。自分はこれを2、3回繰り返した。かなりいい気分である。とくに露天はいい。肩から下は温かい湯で、肩から上が寒い外気という状況ではかなりの長湯ができそうであった。しかし酒とつまみを買いに行く時間がせまっていて、結局40分弱で風呂を切り上げることに。

近くのコンビニで酒を買うのであるが、なかなか面白い。裏口から入れるのであるが、普通に小さいドア一枚である。もっとも地方では普通とのこと。またピンキーのプリン味があったりした。食べてみるとしばらくプリンの後味のような味がした後でミントの味が広がるのである。

ユニークなコンビニを後にし、宿へ。いよいよ部屋飲みである。

十日から十二日にかけて剣道同好会の同期の卒業旅行に参加。七時半福岡行の飛行機に乗り込む。飛行機は中3以来7年ぶりである。したがってまた7年ぶりに離陸の際あの下半身の妙な(?)感覚を味わうこととなった。

逆風で20分遅れで福岡空港に着。そこで前日に現地入りしていたりヴぁるど氏の眠そうな出迎えをうける。眠そうな髭面にヘッドホンが付けられているその様は敬虔な某信者のようだ・・・。

空港を出てすぐのところにレンタカーを乗りに行く。あてがわれた三台の車を前に一同は立ちすくんだまま。実は計画好きと目されていたりヴぁるど氏を含め、全員ノープランなのであった。全員一致の行動を採るか、それとも車ごとの自由にするか。無計画な上に優柔不断であるためやっと各車に乗り込んでもそう早くは動かない。

ようやく動き出した。自分の乗った車では他にりヴぁるど、M野、F井各氏である。この濃い面々でとりあえず北九州のスペースワールドへ行くことになった。

一時間強かかって北九州に着く。スペースワールド横に逆さになった看板が付けられたラーメン屋で昼食をとる。壁には「マナーの悪い客お断り」とあり、なにやら物騒な雰囲気である。店のおばさんも恐い・・・。このおばさんがベロー〇ェ某店にデビューすれば竜虎相争う、の状況が生まれ、見事中和できそうである。にもかかわらずラーメンはとても美味しかった。とんこつスープはゴクゴクと飲める感じである。

スペースワールドといえば、中学受験の際、八幡製鉄所の跡地にできたテーマパークとして習った記憶がある。当時はバブル崩壊から日も浅く、賑やかなイメージがあった。しかし、いざ入ると薄気味悪いほど閑散としている。客より従業員の方が多い。絶叫系のマシーンが主であるが、待ち時間は0分である。また敷地の真ん中にあるドームにはいると一人もおらず、照明が照らされているのみである。遊園地の殺人事件に相応しい状況だった。宇宙をテーマにした遊園地であるため、それらしいモニュメントがおかれてあるが、こうした状況では不気味さが増すだけで、ダリの絵みたいである。

飛行機の離陸で既にブルっていた自分であったが、甘かった。絶叫系をここで五回くらい乗ることになったのである。「もっと楽しもうよ」と言われたが、人はこうした絶叫系に何を楽しむのだろうか。自分に限って言えば、間違いなく恐怖感が楽しむ対象としてある。人間が命の危険にさらされた時、体から警告が発せられるのである。そもそも絶叫系はそうした警告の感触をエンジョイするものではないのか。

シュールな遊園地をエンジョイした一行はすぐ脇にある八幡製鉄所の高炉(冒頭写真)へ。てっぺんに「1901」の文字。ここで外観ばかり見回っていたが、みんなの姿が見えないことに気付き、慌てて車に戻る。しかし車には誰もいない。高炉に引き返すと、みんなが戻ってきた。高炉の中を見ていたようだ。高炉の中に入れることに気付かなかった不覚を後悔したが、時間がない。北九州を後にした。

福岡に戻り渋滞の中、30分遅れで天神の福岡東映ホテルに着。一息ついて、中洲に徒歩で向かうことに。小遣いが既に5000円台であったので内心寒い思いをしつつ歩く。寒いといえば九州は「南国」、「火の国」であるが冬の九州は普通に寒かった。場合によっては東京より寒い。この時既にのどが腫れてきていた。風邪をひく前兆である。そういえばりヴぁるど氏ものどが腫れていた。彼はもともとのどが腫れていたが、その上に焼酎を飲んで、かつての同窓生と徹夜して今日を迎えているらしい・・・・・・。

中州までいっていろいろ探したが、この11人を収める店が見つからない。また東京で言えば歌舞伎町のようなこの場所で夕食もどうかと思われる。とりあえず二手に分かれて自由となったが、結局最初訪れた店に空席ができたので、めでたく11人全員でモツ鍋を囲うことができた。

風邪ひき防止のため人一倍鍋の脇にある唐辛子を入れまくって食べた。色からしてキムチ鍋のようである。しかしできのいい唐辛子のようで食が進む上に体も適度に温かくなった。最後に出されたちゃんぽんをみんなでおかわりを繰り返し、結局二時間強居座った。

お店をでて一行は一端ホテルに戻る。ホテル手前のスーパーで何人かは酒を購入している。ホテルの部屋で飲むのだろうか。しかし福岡の寒さと思わしくない体調から、自分はすぐ寝ることに決めていた。結局有名な中洲の屋台に入ることはなかった。未練はなかったが、体調と財布の中が良ければ行っていただろう。そう思うと少し残念ではあった。
前日は同好会のOBと現役の対抗試合なる企画があった。ここ数日のバイトによる精神の衰弱と、当日の寒気でかなり行く気がしなくなっていた。フジテレビの戦略通り、「特ダネ!」に引き続き「答えてちょーだい」を横になって見ていた。こうなると更に無気力になるのである。

しかし空気を読む、というよりむしろサボる度胸がないので重い足を運び、早稲田の戸山サンライズへ。以外にOBが多く現役が少なかったが、それでも何試合か一人二回できる機会があった。無気力にもかかわらず、意地汚さからかつい希望してしまい、二回試合やった。結果は両引き分け、一本も取れず。

いい加減気付いたのだが、少なくとも同好会では稽古は怠けてのんびりやり、試合になるとやたら動く、飛ぶ、打ってくる人が多いのである。自分は逆で稽古は動くが、試合で固まり、力も入ってしまうのである。
試合であろうが稽古であろうが、自分の剣道を遂行し、相手を圧倒する。この目的のためには拘りを棄てなければならない。

その後は例の如く「まんぷく亭」で飲みである。例の如く度胸がないのでズルズルと参加。後輩諸氏の作戦、もとい惰性によって手ひどく飲まされた。八時半でとりあえず宴席を切るとのことであった。その後同店で二次会があったそうであるが、そんなことを伺う余裕も関心もなかった。

なぜならば本八日朝に羽〇道場の稽古があるからである。しかも後輩が自ら希望して見学に来るというのである。案内役が酔い潰れて来ないなどというのは決してできなかった。

にもかかわらず、半蔵門線を二往復し結局終点中央林間に流され、そこで終電もなくなった。しかし翌朝の稽古には家にある刀を持って絶対行かねばならない。何が何でも家に帰らねばならない。どうすべきか。

今年初ではあるがタクシーに乗った。電車に三時間揺られても着かなかったのに、今度は20分で着いた。この上もない天の為せるイヤミである。ちなみに料金5760円。まあこれで無事解決・・・。

明け方目が覚める。時計を見ると出かけるべき時刻より20分遅れている。しまった!後輩との待ち合わせ時間に間に合わない・・・。いつもは駅まで20分で行くところを走って10分でいった。苦しい呼吸、肉がきしむ両脚、迫る発車時刻。この時になってようやくあの「3、2、1、***!!」コールに嫌悪を覚え始めたのであった。

駅の入口に着いた途端、肩に担いでいた竹刀に結わえていた道具袋のバンドがとれ、袋がどさりと落ちる。その時である。上架に上り電車の轟音が響いた。改札を抜け、40階段を駆け上ってあの電車に乗らねば、20分遅刻である。しかし乗り果せれば10分の遅刻で済む。

道具袋を竹刀に掛けて肩に担ぐ暇はなかった。片手に刀とバック、片手に竹刀と道具袋をもって駆けた。まるで田舎のオバちゃん― 買出しを終え、一週間分の生活雑貨が満載された手提げを一杯もって一日数本のフェリーに全速で乗り込もうとする ―である。視界の横から同様に中年サラリーマンが駆けていた。おお、同志よ、もといお疲れ様です・・・。

いよいよ勝負どころの階段・・・!ところが、よりによってこのサラリーマンが疲れきった諦念の相で階段のまん前で走るのをやめてしまった。
「どけ!」小さい声であるが確かにそれは自分の声であった。そんな自分に驚いている暇もなく、改札でだした定期をしまう余裕もなかった。定期を口にくわえ猛駆、どうにか乗れた!!

小学校以来シルバーシートに座ったのは今朝が初めてであった。公共道徳を犠牲にしてまで猛進した報いか、無事後輩を羽〇道場に案内することができたのであった。
バイトが再開。9時出勤、上がりは5時以降。ここ数週間、かなりサラリーマンのルーティンに近づいている。前より時間の経つのが早く感じる。体がバイトに馴染んできているようだ。しかし、今月下旬は11日間連続バイトである。この思いの真価が問われるのはその時に違いない。

昨夜は飲みであった。前晩が飲みであったバイトはたまにあったが、大抵二日酔いで手先、立回りがおぼつかなかった。酷いのはそのまま後輩の家で寝潰れて無断欠勤と言う時もあった。

しかし昨晩の飲みでは40人強にも拘らず早引きである。そしてお暇の前にトイレにゆき、摂取したアルコールを排出した。その処置は極めて冷静かつ念入りにであって、結局無事に家に帰れたし、恐らく初めての二日酔いのない朝を迎えたのであった。まさしく意志と理性の勝利である。