泳ぐ写真家龍之介 -92ページ目

「人脈を広げる」

私は、全く見知らぬ土地(海外、特に欧米)でひとりで、生活を始めるときには、

まず、近くに、教会か、空手道場があるか?探すようにしています。


ニューヨークでは、まったく知り合いのつてもなく生活を始めました。


そして、すぐに、近くの教会と空手道場に通い始めました。

特にアメリカでは、教会はどこにでもありますし、

空手道場も田舎まで普及しています。


教会も空手道場も、ある意味、コミュニティです。

日本と違い、老若男女、多種多様な職業の人々がコミュニティを形成しています。

警官からシシリアマフィア、チャイニーズマフィアが混在しているところなんて、

教会か空手道場しかありえません。

神の下では皆平等、道場師範は、人種、職業による、差別、対立を厳しく禁じていました。

警官もマフィアも教会や空手道場にいる限り、仲が良かった?のです。


このおかげで、私は、何不自由なく、生活の知恵やアドバイスを得ることができましたし、

安全に関する知恵も、警官、軍人、チャイニーズマフィアのおにいちゃんから

仕入れることができました。

思いがけない、仕事でのコネクションも得ることができました。

そして、

なにより、かけがえのない友人が何人もできました。


中南米から不法越境してくると、皆、まず教会に集まってきます。

そして、そこから生活が始まります。

教会のコミュニティは宗教というものを抜きにしても、

人間個人、家族の次に位置する、単位です。

そこには、「会社」は含まれません。

「会社」は「生活」ではないからです。


欧米やシンガポールから転勤で、東京に住むことになると、

平社員から、極東支社長クラスまで、

まず、例外なく、教会に通ってくるようになります。

生活を始めるにあたっての情報を得るためです。


東京では、


アングロサクソン系は、港区のセント・オルバンス教会に集まります。

ドイツ系は大森界隈の教会、

ユダヤ系は、日赤本社近くのシナゴーグ(ユダヤ教会)です。

モスリムは確か駒込にあるモスクだったと思います。


そうすると、瞬く間に、あらゆる層、職業間にコネクションができあがり、

生活互助システムが作られます。

そして、集まる毎に、

頻繁に情報が交換され、

情報収集、ビジネスチャンスに繋がっていきます。


中国の場合だと、華僑のコミュニティでしょう。


日本が情報戦に弱いところは、

このような、世界に広がる網の目のようなコミュニティがないことにつきます。

日本では、商社やNGOが、頑張っていて、その役割を担っていると言えますが、

なんせ、規模が違いすぎます。


多くの人々が無欲で集まってくるところ、

そこにこそ、有益な情報と、ビジネスチャンスが隠されているのです。











「桜文鳥」



ミクシーの里親募集で、我が家にやってきた桜文鳥の雛が

やっと成鳥しました。


桜文鳥は、白文鳥と違い、成鳥すると、模様や色が、

劇的に変化します。

それが楽しみとも言えます。


右が雛のとき、左が成鳥です。同じ鳥です。

名前はサチと言います。


落ち着きがないですが、性格は最高です。

よろしくお願いしますです!

「志の島忠先生の思い出」



日本料理研究家の草分けにして大家の、

志の島忠先生と言う方がいらっしゃいます。

90年代の半ばに亡くなられました。

代々、天皇家の料理番の家系で、京都出身の方です。


先生は、東京の中野に料理研究所を設けて、

後進の指導にあたっておられました。

定期的に、京都を代表する料亭に指導に出かけられたりして、

現在、巨匠と言われる方々からも

「日本料理研究の天皇的存在」として尊敬を集めた方でした。


私が撮影を担当した書籍を志の島先生が監修され、

一度、先生の料理研究所を訪ねたことがあります。

撮影を終えたあとに、皆で、撮影した料理をおかずに

昼食をいただきました。


そこで、今でも一番、味覚の記憶として強烈に残っているのが

「味噌汁」と「ごはん」のおいしさでした。


あまりの美味しさに、味噌汁を何杯もおかわりしていると、

先生は、にこにこしながら

「その味噌は、赤味噌と京都の白味噌を合わせたものなんだよ」

と教えていただきました。

ごはんも、何とも言えない炊き上がりで、

やはり、日本料理の基本は、ごはんと味噌汁だ。

と感動しました。

味噌汁は「熱く」ありませんでした。

熱いと味噌の香りが飛んでしまって香りを楽しむことができません。

味も「適温」でないと、引き立ちません。

最近、こういう基本が分かっていない店が多くて困ります。


鮨屋や割烹で「おわん」をいただくと、

その店の実力が分かると思います。

「おわん」がすばらしい店の料理は間違いありません。

私はおわんでその店の品定めをします。


このときの経験は私の遺伝子に深く染み付いています。


この仕事は、志の島忠先生最後の書籍のお仕事となりました。


余談ですが、先生は、北大路魯山人を俗物だと言って嫌っておられました。

私も人間的に魯山人は、好きでなかったので、

その点でも先生とシンクロするところがあったようです。