「志の島忠先生の思い出」
日本料理研究家の草分けにして大家の、
志の島忠先生と言う方がいらっしゃいます。
90年代の半ばに亡くなられました。
代々、天皇家の料理番の家系で、京都出身の方です。
先生は、東京の中野に料理研究所を設けて、
後進の指導にあたっておられました。
定期的に、京都を代表する料亭に指導に出かけられたりして、
現在、巨匠と言われる方々からも
「日本料理研究の天皇的存在」として尊敬を集めた方でした。
私が撮影を担当した書籍を志の島先生が監修され、
一度、先生の料理研究所を訪ねたことがあります。
撮影を終えたあとに、皆で、撮影した料理をおかずに
昼食をいただきました。
そこで、今でも一番、味覚の記憶として強烈に残っているのが
「味噌汁」と「ごはん」のおいしさでした。
あまりの美味しさに、味噌汁を何杯もおかわりしていると、
先生は、にこにこしながら
「その味噌は、赤味噌と京都の白味噌を合わせたものなんだよ」
と教えていただきました。
ごはんも、何とも言えない炊き上がりで、
やはり、日本料理の基本は、ごはんと味噌汁だ。
と感動しました。
味噌汁は「熱く」ありませんでした。
熱いと味噌の香りが飛んでしまって香りを楽しむことができません。
味も「適温」でないと、引き立ちません。
最近、こういう基本が分かっていない店が多くて困ります。
鮨屋や割烹で「おわん」をいただくと、
その店の実力が分かると思います。
「おわん」がすばらしい店の料理は間違いありません。
私はおわんでその店の品定めをします。
このときの経験は私の遺伝子に深く染み付いています。
この仕事は、志の島忠先生最後の書籍のお仕事となりました。
余談ですが、先生は、北大路魯山人を俗物だと言って嫌っておられました。
私も人間的に魯山人は、好きでなかったので、
その点でも先生とシンクロするところがあったようです。