泳ぐ写真家龍之介 -57ページ目

「シンクロ」

高校時代、水球の選手でした。
試合も練習も結構ハードで、
あっという間にスポーツ心臓になりました。
水に浮いたり、方向転換したり、自由自在に動かないといけないので、
泳ぎやボールハンドリング以外にもいろんな練習をしていました。
その内容は、結構シンクロナイズドスイミングと共通するものがあります。
もっとも基本的なものは、スカーリングといって、
手のひらで水をあおりながら浮いたり、進んだりする技術です。
これができると、体を仰向けに浮かしたまま足を垂直に上げることが可能になります。

練習の合間なんかに、シンクロの真似をして足を上げたりして遊んでいました。
監督から「気持ち悪い(>_<)。頼むからやめてくれ」と言われました。
元祖ウォーターボーイズです。
結構、自分では時代の先端をいっていると自負していました。

いよいよシンクロが始まりました。

新しい技が楽しみです。

「そして誰もいなくなった」

私が、ニューヨークのカラテ道場に通っていた頃、
チャイニーズマフィアの若者が、部下を連れて練習に来ていました。
名は藩と言って、同じ東洋系なので、時々話をしていました。
チャイニーズマフィアと言っても、ティーンエージャー。
あどけない坊やと言った感じですが、
みな筋金入りのギャングでした。

抗争で白兵戦になると、武器よりも、素手で戦う胆力が勝敗を左右すると言うので、
ニューヨーク最強と言われた、当時私が通っていた空手道場に練習に来ていたわけです。
自分たちの命がかかっているので、練習には相当気合いが入っていました。

練習がきついのか、次第に道場に来る彼らの人数が減ってきました。
ある日、藩に、
「皆練習がきつくて、ついてこられないのか?」
と聞くと、
「来なくなったメンバーは皆殺された。」
「街で俺を見かけても、絶対に声をかけるなよ。仲間と間違われて殺されてしまうぞ」
という返事。

当時は、チャイニーズマフィアの抗争は、全盛期で、
チャイニーズマフィアは恐怖の的でした。
確か、ジョン・ローンのチャイニーズマフィアを題材にした映画もその頃
上映されたと思います。

その後、とうとう藩も来なくなりました。
好き好んで、殺し合いをしているわけではないと思いますが、
どうして、そういう運命をたどったのでしょうか。

ニューヨークでの悲しい思い出です。













「ヌデレバさん」

ケニアのマラソン選手、キャサリン・ヌデレバさんは、今回も銀でした。
しかし、いまだ、オリンピックをはじめ、世界選手権のメダル常連選手であることは
凄いことだと思います。

ケニアやエチオピアのトップ選手は、
年間を通じて、世界中の賞金レースに出場しているプロがほとんどです。
特にアメリカではローカルなマラソン大会が多く、
結構な稼ぎになるとか。
ですから、彼女たちは、アメリカに住んでいて、
年中、マラソンに出ているそうです。

アフリカの陸上選手は、体が、東洋人や白人に比べ、頑丈で故障が少ないそうです。
私の記憶している限りでは、
トラブルを抱えて、棄権したりした選手はいません。

しかし、

北京オリンピックを、空気汚染を理由に辞退した
エチオピアのハイレ・ゲブレセラシエ選手 もそうですが、
彼らはマラソンで生活しているので、
体がだめになると、収入もなくなるわけです。
だから、
丈夫なうえに、さらに、体の管理には気を使っているのではないのでしょうか。

ヌデレバさんは、
今日の北京も仕事のひとつとして走ったのかもしれません。
しかし、
あのヘアスタイルとサングラスは、すごみがあります。
素顔は美人さんですけど、
走る姿はど迫力です。
トラックに戻ってからのラストスパートは
とても印象に残りました。

ヌデレバさん! 銀メダルおめでとう(=⌒▽⌒=)