明日を見つめて-confession:告白- -2ページ目

明日を見つめて~野上 薫の告白⑮

[松田社長] の話はこうだった・・・・・・
カラオケ番組などで美声を 聴かせ、更に関取としての地位もそこそこある紫光嵐関とは何度も面識があり、その度に彼も参加した内容でのコンピレーション・アルバム(企画盤)を出そうという動きを見せていたもののなかなか実現できないままで、また紫光嵐関もあまり乗り気ではなかったらしく話が流れてしまっていた。それでも [松田社長] は諦めずに説得を続けていた・・・・そういった経緯の中で、紫光嵐関から私を推薦するから勘弁してほしいという旨の連絡を受け、私は私でそんな事とは露知らずに今ここでこうして [松田社長] から説明を受けているというのだ。
そして話を全て訊き終えた上で選択を迫られた――――選択肢は2つに1つ。
一つは・・・・このまま部屋を出てこの話は聞かなかったことにする
もう一つは・・・・少しでも興味があり、話を聞くつもりなら<研修生>としてアーティストの仮登録をする


どちらにしても私にとっては分が悪い話でしかないように思った・・・・・・・それでも選択を迫られると言うのはとても息苦しく、重く頭の上に圧し掛かってくるような重圧感を強く感じる。
そして私が出した答えは・・・・・・・後者だった。
私の答えを聞くとすぐに簡単な契約書と注意事項が書かれた用紙を手渡され、その場で読むように促された。その内容には基本的な生活内容のことも含め、かなり事細かく書かれており、読んだ時はとても戸惑ったのを今でも覚えている。それでも一通り読み終えて顔を上げるとすぐに [松田社長] がずっと私の事を見ていてくれていたようで、少し心配そうに 『(契約について)どう?』 と声を掛けてもらった瞬間・・・・社長という地位でもこの優しさを持っているから紫光嵐関は自分の話しを断り続けながらも、別の道で [松田社長] の言葉に応えようと考えたのかも知れない・・・・・・そう思った途端、頭に圧し掛かっていた全ての重石が取れて気持ちよくサインをしてしまった。
―――こうして私の今に繋がる分かれ道の方向が定まり、芸能の世界へと足を踏み入れることになった。


・・・・・研修生としてのアーティスト契約をした翌日に、紫光嵐関からお店に連絡が入った。その時私は仕事がお休みで彼から伝言が残された・・・・《1週間後の午後2時に皇居・和田倉噴水公園で待っている》
カレンダーを見るとちょうど春場所(3月場所)が始まる2週間ほど前で、本格的な場所前稽古に入る前日だった事を会った時に本人の口から聞いた。


そして約束の日。
約束の時間よりも30分ほど早くその場所に着いた・・・・和田倉噴水公園という場所は初めて来たけれど、東京のど真ん中にこんな素敵で静かな場所があるなんて思わなくて、足を踏み入れた途端・・・・・『キレ~~~~』 と声を上げて感動してしまった。皇居の入り口からちょっと突き出した一角に位置し、周りを美しい緑で囲まれ、真ん中に大きな噴水があってそれを眺めながら食事が出来るようにと大きなガラス張りのお洒落なレストランがある。まだ肌寒かったけど、それでも日差しは弱いなりに照っていて、少しコートのボタンを緩めても寒すぎない感じだったので、近くにあるベンチに座ってのんびりと噴水からリズミカルに出てくる水の動きを眺めながら紫光嵐関が来るのを待つことにした。


紫光嵐関は時間通りに現れ、私に気が付くと軽く会釈をして近付いてきた・・・・・さすがにあの大きな身体はどこにいてもとても目立つ。それにある程度名のある力士でもあるので、彼を知る人々が遠目に視線を送り、口々に私たちの事を詮索しているように感じられた。しかしそんな事など気にも留めない様子の紫光嵐関は自然体で私の隣に座り、ゆっくりとした口調で先日の件について話し始めた。


『松田さんからお話を伺いました。とりあえず研修生として登録をされたようで・・・・唐突なお願いで本当に済みません。でもこれで今まで松田社長を困らせていた分をお返しできるはずなので助かります。あなたにはどうお礼を言って良いか。それに正直言いますと、私は相撲取りであって歌を唄う柄ではないので・・・・・・』


簡単な挨拶のような言葉を私に言ってから、遠くを見つめる紫光嵐関の目は何かを決意したような強い眼差しだった。しばらく沈黙が続く中、噴水から吹き上がる飛沫の音だけが私の耳に届いていた・・・・何か思いつめた様な表情をする彼に私は何て言葉を掛けて良いのか分からなかったので、この静かな時間の中から紡ぎ取った彼の次の言葉を待ち続けた。
そして10分近くたった頃にようやく大きな身体を起こして立ち上がり、私の方に振り向いて心が決まったというような表情を見せながら 『少し歩きましょうか?』 と言った。


≪続く≫


明日を見つめて~野上 薫の告白⑭

名刺を受け取ってから3日間、私は何も行動を起こしてはいなかった。本当にどうして良いかわからず、征ちゃんにひと言だけ事の成り行きを話したけど 『どちらでも好きな方を選べば良いんじゃないの?』 と半分そういう事に深く関わるのを避けるような意味合いの言葉でかわされてしまった。私としてはアマチュアとはいえ、演劇をしている人間だからそっちの方面に関して何がしかのアドバイスをもらえたらと思っていたけど、本人としてはそういった話は基本的に自分で決め、実力に応じてその段階を踏んでいくものだという信念があるらしく、私のようなポッと出たような話においては全くノータッチで傍観する側になっていた。

結局、お店のスタッフに相談してどうすれば良いかの判断を仰いだところ・・・・・紫光嵐関はお客とはいえそれなりに名の通っている人物でもあるし、その人物から渡された名刺にも十分に世間に知られている会社の社長の名前が明記されているという2点の理由から、一度行くだけでも構わないのでは?という事になった。


そして名刺を受け取ってから5日目に、私は名刺に書かれた住所の場所に足を運んだ・・・・・そこは南青山という場所で、最寄り駅で言うと東京メトロ・銀座線の外苑前と表参道で2つの駅のちょうど中間辺りに位置していた。表参道から青山通りを外苑西通りに向かって5分ほど歩いた場所で、ちょうど外苑西通りの通称「キラー通り」の手前に立派なビルを構え、その前をお洒落な装いの人々が行き交っている。会社の前まで来たのはいいものの中に入るのに少しばかり躊躇した・・・・もしかしたら話の行き違いで門前払いになるかも知れないという恐れもあったし、最悪の場合門前払いだけで済まずにそのまま警備員なり警察に捕まったするかも知れない・・・・・・そう考えるとその場から最初の一歩が踏み出せなかった。でもこのまま何もしないで帰るとまた振り出しに戻るだけだった・・・・・私は意を決してビルの中に足を踏み込んだ。


ビルの中に入ると外の喧騒は消え、静かな空間の奥に受付が見えたので、そこに向かって歩く・・・・・歩くたびに自分の足音がカツカツと響き、自分の存在が目立っている感じがして嫌だったし、受付に着いたら今度は受付の女性がとても美人で、自分とでは比べ物にならないという現実感に余計嫌気が差した。受付の女性に名刺を見せ、自分の名前と紫光嵐関からの紹介だという旨を伝えると意外にもすんなりと話が通り、応接室へと案内されて待つ事10分・・・・・・その間、何もすることがなく、緊張感もあったので、視線をあちこちに向けては見た事がない風景に目を奪われた。

窓の向こうに広がる、私の部屋から見える新宿のビル群とは違った緑と調和した、東京の中心地からの眺望をはじめ、見るだけでも超高級と分かる応接セットのソファーの天国のような座り心地と、ピカピカに磨かれて外の光を反射するしている、がっしりとした足と分厚い天板の天然木テーブル・・・・その下に敷かれたフワフワ感豊かなカーペット。そして嗅いだことのない何とも落ち着きを感じさせてくれるフロアアロマの香り・・・・このゆったりとしたスペースからでも十分にこのレコード会社の充実さが分かる。


そうしてあちこちに目を奪われつつ時間を過ごしていると、丁寧に叩くノックオン2回と共に扉が開かれて、テレビでも見た事があるその人が現れた。私はすぐに立ち上がって深々と頭を下げる。

『野上さんでしたね。あ、そんなにしなくても良いですよ・・・あなたはお客さんなのですから。さぁどうぞお掛けください』

そういって私をソファに掛けるようにと促して続いて自分も正面に対座した・・・・・年は40代手前ほどで、テレビで見るよりもしっかりとした大人の印象がある。それに実際にこうして会って見ると・・・・やはり社長としてのオーラがヒシヒシと伝わってくる感じがして、余計に緊張してしまう。そんな私とは対照的に大人の余裕と言うのだろうか?ゆったりと姿勢で私を見つめ、静かで落着きのある口調で話し始めた。


『もう名刺で名前はご存知かと思いますが、この会社の社長をやっています [松田] と言います。すみませんね、こんな所までわざわざ来て頂いて・・・・とりあえずの話は私も彼から聞いておりますので、まずは簡単に事の成り行きを説明しましょう。そうでないとあなたが何故ここに来ることになったのか分からないまま話を進めても、すれ違いが生じるだけですので・・・・・・・・・・・・それで、よろしいでしょうか?』

それに対して私が肯定の意を込めて首を縦に振ると、[松田社長] はそのままの口調で再び話し始めた。



≪続く≫


明日を見つめて~野上 薫の告白⑬

時間も時間だったために大分適当な具合ではあったものの、最初の取り決めとして「最低一人一曲」という平等のハードルが設けられた。ごく少数存在するカラオケが苦手という人からちょっとしたブーイングが起きたものの、特に強い拒否感はなく結局全員がそれを呑むという形で一致した。仕切りの人から時計回りで始まって紫光嵐関が最後から2番目で、その紫光嵐関と仕切り役との間に挟まれて座っていた私が一番最後の歌い手になってしまった。
順々にマイクが回されて歌が歌われていき、歌のジャンルはそれぞれ自分の持ち歌だったり、流行りの曲が歌われ、それに応じて誰かが同調して歌ったり、手拍子をしたり、はたまた歌詞の内容に何か思い出したのかジッと曲に聴き入ったりして思った以上の盛り上がりを見せた。


いよいよと紫光嵐関にマイクが渡って曲の前奏が流れ出すと周りから 「おお~」 というどよめきの声が上がり、それに応じる形で立って一礼をする彼の姿からはとても普段の相撲取りの印象が感じられない。その彼が選曲したのはCHAGE & ASKA の【太陽と埃の中で】 ・・・・・・確か私が生まれた頃の作品で何かのテレビのタイアップにもなったような気がするし、以前にカラオケ番組の中で力士グループの代表として、この歌を彼が歌っているのを見た事があったので何となくだけど曲と歌詞を覚えていた。


CHAGE & ASKA 【太陽と埃の中で】 より歌詞抜粋
名前も国もない 生まれたての元気 all right どんな羽根をくれるの
僕等はいつだって 風邪をひいたままさ
オイルの切れた未来(あした)のプログラム 大事に回してる
追い駆けて 追いかけても つかめない ものばかりさ
愛して 愛しても 近付く程 見えない


テレビ番組でも披露していた独特の低音で力強く歌う姿に唯々魅入ってしまう・・・・それは私だけでなく、この場にいる誰もが彼の歌声に聴き入り、その歌声と歌詞の持つ奥深さをしみじみと感じていた。歌い終えると少し照れたような感じに顔を緩めて微笑み、そして私の方に向かって 「どうぞ」 と言ってマイクを差し出してきたので、受け取ると先程まで握られていた部分が温かく、その温もりと手の大きさがジンと伝わってきて、何とも言えない不思議な感覚に包まれる。
そんな風にアレコレ考えているうちに私が選曲した曲が流れ始め、画面の方に顔を向けるとカラオケらしい単調なテロップに曲名と歌手の名前が浮かんでおり、そのバックには使い回しとも感じられるようなB級のような内容のVTR(プロモーション映像)が写っていた。


大山百合香 【小さな恋のうた】 より歌詞抜粋
広い宇宙の 数ある一つ 青い地球の 広い世界で
小さな恋の 思いは届く 小さな島の あなたのもとへ
あなたと出会い 時は流れる 思いを込めた 手紙もふえる
いつしか二人 互いに響く 時に激しく 時に切なく
響くは遠く 遥か彼方へ やさしい歌は 世界を変える


元は「モンゴルナントカ」というグループの曲らしく、彼女が歌っているのがカヴァーだとは全く知らず、後で知った時にとても驚いた記憶がある。彼女のような澄んだ声は出せないし、人に聴かせられるほどでもない・・・・でも下手なりに一生懸命歌ったら少しだけど気持ちがスッキリとした。
こうしてとりあえず全員でひと回り歌い終え、時間も迫ってきたので終わるだろうと思っていたら意外にも「まだ歌おう」 という事になって、気が付けば朝までコースにガッツリとはめられてしまい、結局カラオケボックスを出た時には空が白み始めていて、時計を見たら5時半を回っていた。カラオケボックスでそのまま解散となりバラバラに駅や家に向かって歩き出す。私も家に帰ろうと歩き始めると、背中から低い男性の声が呼び止めた。振り返るとそこには紫光嵐関がいて、彼の背の向こうには遠くなっていくさっきまで一緒にいたグループの何人かの姿が見える。


私は少し驚いた顔をして彼を見つめ、何かされるのではと少しばかりの警戒感を抱きつつ彼の出方を待った・・・・紫光嵐関は手に持っていた巾着袋から1枚の名刺を取り出して、私の前に差し出した。受け取ってよく見ると芸能系に疎い私でも知っている名前の大手レコード会社の社長の名前が書かれていて、名刺から視線を彼に向き直すと、真剣な眼差しで私を見てゆっくりとした口調でこう言われた。


『頼み事なんですけど・・・・この名刺を持って一度だけで良いので、名刺に書かれている住所に行って頂けませんか?先方(名刺に書かれている社長)には僕の方から事情を説明しておきますから。』


正直・・・・答えに困ってしまった。
こんな展開を誰が考えるだろうか?まして名刺にはテレビなどでもよく名前を聞く有名どころの人物の名前とその役職 (代表取締役社長) が明記され、更に右下には会社のロゴマークも入っている。どう見ても本物であるのは間違いない・・・・でもこれを何故私に手渡してそんなお願いをしているのかが全く見当がつかなかった。

しかしそうして私が答えに困って黙っているのに対して止めを刺すように一言、 「じゃあよろしくお願いします」 と言ってそのまま私を置いて歩き出してしまった。
何も言えずに遠くなっていく紫光嵐関の後姿を見続け、その姿が完全に見えなくなると今度は名刺に視線を落とした・・・・・結局捨てる訳にもいかず、この場でどうするという結論も出ない。半分途方に暮れたような状態の私はその名刺を持ったまま自分の家に帰った。



≪続く≫


明日を見つめて~野上 薫の告白⑫

舞台の話を聞いたのが公演より2ヶ月前で、その少し前から征ちゃんは髪の毛を伸ばし始めていた。本人曰く役作りの一環らしく、髪を伸ばしておけばいざ短髪の役の場合は切ればいいからと言っていたが、伸びた髪は最終的に少し整える程度に切った感じで落ち着き、長髪の征ちゃんは私には少し違和感があって、それが舞台に立っているのだから余計に別人に感じてしまった。
しかし・・・・劇中に青年・隆一郎と、女中役の優子が抱き合う場面があって、その時は演技だと分かっていても心の中は穏やかではなく、本当に征ちゃんが奪われるのではないかと冷々しながら見ていた。
公演は1週間続き、私は3日目の中日と7日目の千秋楽を観劇し、演劇という変化の伴う芸術のありようを目の当たりにした。そして千秋楽終演後には声を掛けてもらって打ち上げにも参加した。演劇の事などほとんど分からない私には、彼らの稽古や舞台上での事、更には彼らを取り巻く演劇・芸能関係の話題など全くチンプンカンプンでついていけなかった。それでもどんな打ち上げにも共通しているのは、一つのことをやり遂げた達成感であって、一観客としてその達成の場に立ち会えたのは正直に嬉しかった。


もう半分ほど忘れかけた記憶から呼び起こした舞台公演のあらましだったけど、普通に本を読むよりも意外と覚えていた。よく文字を綺麗に書いたり覚えたりするにはその文字を何度も書きなさいと言われたもので、それは手から何度も刺激を受けることによってその文字や書き方などを覚えるのに似ている。観ていたにしても色々な事を目を通して疑似体験し、それが刺激になって私の脳を活性化させたのだろう・・・それでも自分の記憶力の良さには驚いた。


こうして征ちゃんの舞台公演期間が終わりを告げ、年の瀬から新年へと日々は足早に過ぎ去っていき、月日は2月へと突入していた。
節分から立春を迎え、まだ名ばかりの春ではあったものの1月のような厳しい寒さはなく、徐々に陽も長くなって本当の春に向かって人も季節も動き出す中に、私の人生の分かれ道が訪れた。
それは突然にして思いも因らない所から降ってわいた様な話で、それを聞いた私は最初、言われている言葉の意味を理解するのに時間が掛かった。


私は相変わらず夜はキャバクラのバイトをしていた・・・・・水商売と言うのは本当に面白いくらいに色々な人種に出会う。それこそ路上生活者のような人から会社の社長や会長、時には近辺に住む有名・著名人まで本当に様々だ。その様々な人々の中に私の運命を今の方向に運んだ人物がいた。
彼の名は 『秋元 光』。またの名(四股名)を紫光嵐(シコウラン)と言い、この近辺にある相撲部屋の力士で、場所後の落ち着いた頃合を見てごく限られた弟弟子などを連れて飲みに来ていたお客の一人だった。紫光嵐は小兵ながら思い切った相撲をし、特に立ち上がりからの張り手は相手の頬を確実に捉え、その衝撃で相手を一瞬立ちくらませるほどと言われ、また飛び込むスピード感も一級品で、相手の脇差を掴んだかと思った次の瞬間には投げや押し出しの体勢に持ち込んでいて、彼の対戦の時は相手もさる事ながら見ている私たちも一瞬たりとも目が離せないほどだった。しかし・・・・そんな強さと人気がありながら、あまり群れる事を好まず、もっぱらプライベートは相撲から離れてゲーム・酒・煙草・マージャンなどに耽け、相撲以外の僅かな人間関係だけの付き合いに終始しているらしく、そういった両面から 『クーガー(俗に ピョーマー)』 という異名でも知られていた。


その日は夜の11時過ぎ頃にマージャン仲間数人と来店し、店のコーナーボックス辺りに陣取り、すぐに人数と同じ嬢が彼らに付いて、お酒を飲みつつ色々な話に花を咲かせていた。その中に私が入ったのはチェンジによる入替えによってで、本当は私が入る予定ではなかったのだけど、奈津芽先輩から声を掛けてもらえて急遽そうなった・・・・・だけどあの時、もし私が入っていなければ私でない誰かが今の私の立場に成っていたのかも知れない。人生の巡り会わせとは本当に不思議なモノだと思う。
輪の中に入るとたまたま音楽の話題に花が咲いていて、そこでどんな曲や歌手が好きかという話からこの後(お店の閉店後)にカラオケに行かないか?となって、最初は私を含めた殆どの嬢が乗り気ではなかったのだが、彼らの粘り強い説得もありとりあえず1時間位ならということで話が決まった。


私はいつもより1時間ほど長く働いて閉店を迎え、それから約束どおり彼らと共に駅にあるカラオケボックスに向かってゾロゾロと男女10人ほどの集団になって歩き出した。
集団といっても先頭から一番後ろを歩いている間には10メートルほどの開きがあり、その先頭辺りを歩いている紫光嵐関は、力士の中では小柄と言えども一般の人に比べれば十分に大柄な体格であり頭1つ分背が高く、また鬢付油(ビンヅケアブラ)独特の匂いが後ろの方を歩いている私のところまで香ってきて、それだけでも強烈に存在感を感じる・・・・・・遠目で見る限りでは酔った風でもなく、穏やかな足取りで歩いていて、その後姿からはとても取組み時のあの激しさは想像出来ない。下手をすれば別人なのではないかと錯覚してしまうほどだ。
そんな大きな目印の後について10分ほど歩いてカラオケボックスに着き、案内されたパーティルームの部屋に通されると半分くつろいだ感じで歌本を開いたり、ドリンクのオーダーを頼んだりと結構それぞれが適当な体勢になった状態でカラオケタイムがスタートした。


≪続く≫

明日を見つめて~野上 薫の告白⑪

【忘却の柩】(ボウキャク ノ ヒツギ) 第2話
隆一郎は時代が21世紀であるという事実を知らず、また家族は全て別人 (ほとんどの者が弟や妹から繋がった子孫ではあるが) という真実も知らないまま生家へと戻り、偽の家族と生活を共にする事になった。ちなみにこの偽の家族の中で隆一郎の事をそれとなく知っている唯一の人物がいた。それは引退した祖父の役の老人で、この人物・・・・・実は隆一郎の弟の子供で、隆一郎からすれば甥っ子にあたる。弟は同居していた父方の祖父に大変可愛がられていて、それが元で弟は結婚し、子供が生まれた時に自分の子供に別の当て字で祖父と同じ名前を付けて育てた・・・・・そして冬眠状態のまま世紀を越えてしまった叔父の隆一郎とこうして対面してしまった。


甥っ子である祖父は少々痴呆の気があり、隆一郎を見ては何か不思議なつながりというか、以前に会った事があるような事を口にしては会話の微妙なズレを生み出し、その度に皆が一斉に祖父を制して何もなかったように振舞った。しかし違和感は徐々に大きなものへと変化し、ついに隆一郎がこの家に戻ってからずっと家族の者たちに言いたかった言葉を口にした。。
『純子さんに一目会わせてほしい。今どこにいるか教えてくれないでしょうか?』
その瞬間・・・・家族中がゾッとし、そのまま何も言えなくなってしまった。


実を言うと・・・・大友純子という人物は隆一郎との愛が引き裂かれ、彼が家を飛び出して消息を絶ったという事実を知ると、後を追うように身を投げたという。しかし命を落とすことが出来ず、一命を取り留めてしまった・・・・・愛に破れその上、死にきれなかった心がどれほど辛かっただろうか?その彼女の事を想い、両親だけでなく友人・知人・・・・更には入院先の病院の人々までもが彼女に優しく手を差し伸べて気遣った。そんな彼らの優しさが伝わったのか?彼女の中にあった死の選択は徐々に生きる希望へと変わっていき、沈んでいた表情にも笑顔が戻る。そして彼女は自分自身で隆一郎への想いを完全に捨て、新しい未来を歩みだす決意をし、彼とは別々の方向を向く人生を進み始めた・・・・・その後、隆一郎ではない運命の人と結ばれ、天命尽きるまで幸せに暮らしたという。
この話については隆一郎が戻ってくる際に何度も説明を受け、彼が彼女の事を尋ねても決して真実を伝えてはならないと厳しく言われており、その言葉が家族の者たちの頭を過ぎる・・・・・真実は時にして残酷であるとは、まさにこの事ではないだろうか?


しかしそんな残酷な真実にも落とし穴があった。
それは二人いる女中役の一人で名を永瀬優子と言い、優子の先祖に当たる人物の旧姓に大友という姓があった・・・・・・・・・・・そう彼女は大友純子の子孫にあたる人物で、今回の南極での山科隆一郎発見の一報を聞いて、大友姓に繋がる真実を隠して彼の生家へ女中役として忍び込んだのだ。
優子は小さい頃から母親より、昔話として隆一郎と純子の儚い恋物語を聞かされて育った。そして20歳の誕生日に純子が隆一郎宛に書いたとされる手紙を母親から受け継ぎ、山科隆一郎に繋がる人物が現れた時にこの手紙を渡すように託されていた。


優子は周りの隙を見て隆一郎に近付き、母から託された大友純子が書いたとされる手紙を渡し、そして全ての真実を語った。
隆一郎は最初、真実に対し半信半疑の態度を取ったが、優子から手渡された手紙に自分が愛した大友純子という女性を見出し、そして時代/世紀を越えてまで生きている自分と、時代の流れに順じて生きた彼女との間に生じた膨大な時間による距離感に打ちのめされ、そして部屋にこもってしまう。
部屋にこもった隆一郎は一人、遠く過ぎ去った時間と遥か昔になってしまった<自分が南極に向かった時>について深く考えていた。そしてある考えにたどり着くと長く締め切った扉を再び開き、優子にある願いを提案する。


『自分が眠っていた時間を振り返りたい・・・・そして今、生きているこの時代の世界を見たい。』
その願いを聞いた優子は、隆一郎を連れてこの家を出る決意をする。国家機密的な人物としての人生ではなく、ごく一般の人間として生きたい。家を飛び出した隆一郎は、まだ見ぬ未知なる世界に向かって優子と共に旅立つ。

あの時代に純子と果たせなかった多くの事を、彼女の子孫である優子の協力を得てやっていこう。新しい未来の扉を開いた隆一郎は、希望に満ちた顔をして駆け出した。


【忘却の柩】-終幕-



≪続く≫