そのまま親父から借りたカローラで四国中を彷徨った。車の中から見える様々な景色は僕を癒してくれた。

プリンスのサイン・ザ・タイムとエコー&バーニーメンを交互に流しながら、朝方高知の桂浜に着いた。完璧に一人の空間は僕に頭を整理する時間をくれた。僕はもう一度バンマン時代の出来事やワコと過ごした短い時間の事なんかを考えた。

元々会社勤めに憧れはなかった。農家を継ぐことにもさしたる根拠を見出せなかった。というか、バンドマンで生きていくこと以外に何も考えてなかったのだ。混乱してもしょうがないではないか!そう自分を慰めながら、桂浜の海岸で坂本竜馬が夢見たであろう外国の風景を想像してみた。坂本竜馬が何と戦おうとしていたのかはよく知らなかった。それほどファンでは無かったからだ。そして、僕のように竜馬と自分をダブらせながらこの海岸に来た人たちのことも想像した。きっとみんな孤独だったのだろう。実現しそうもないことは他人に言えない。全ての価値が相対化され順序づけられた今の世の中で、夢を持つことはほんとうは否定されている。ほとんどの若者は適当な夢を持たされているだけなのだ。そして、そのことに気づかないふりをしている…。

それから僕は、もう今は会わなくなった友人のことを考えた。『今は空港で働いている。この間アメリカへ行ってロッドスチュワートを見てきた!』と短い手紙をくれた後、数年間便りのないB。僕らは少しだけ周りの人たちと世界観が違っていただけなのだ。それが生活のスタイルを人とは違ったものにした。その後も何人かの会わなくなった友人のことを思い出した。ほとんどがバンドマン時代の友人ではなく、もっと地味で目立たない奴らのことだった。中学や高校の教室の隅のほうで目立たずにいた彼ら…。さしたる夢も無く、好きなこともない、卒業したら家の近隣のどこか小さな会社で働いていそうな彼ら。僕が思い出したのは彼らのことだった。その時は何故彼らのことを思い出したのか、わからなかった。

夕暮れまで高知の町の隅々を車でゆっくり走り回った。自分に何の関係のない場所は僕を癒してくれた。そしてふとワコのことを思い出した。

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京都でバンドマンを目指していた頃、何回かイベントで一緒になったどんとと初めて会ったのは、まだ彼が京大の軽音で『NANA』というバンドをやっていた時だった。

見かけは汚いロッドスチュワート、清志郎さんを更にサイケに振ったような衣装と歌は強烈に印象に残った。そして偶然にも、その頃よく遊んでいた友達の中学の同級生だった。彼は京都出身じゃなく大垣市の出身だったというのに・・・。

その後も何回かギグ(現在のライブイベント、その頃はこの言い方が主流だった)で一緒になった。RCのコンサートを見に行った時も一緒になったな。あるギグでは『今日は良かったよ!おつかれさん』って言ってくれた。僕より二つ年下なんだけどね・・・。

なんか思い出ばかりが先行してしまった。彼が京都の精鋭のミュージシャンを集めローザルクセンブルグを結成しデビューを飾ったのは、もう20年以上前になる。この作品は2枚目。当時の日本のロックの先端を象徴する出来といっていいと思う。

その後、ボ・ガンボスを結成し、一時はメジャーな存在になる。しかし、結局彼は自分の歌を探しに奥さんのサチホさん(ゼルダ)と沖縄に移住してしまう。

どんとの中学の同級生だったNから『どんとがハワイで亡くなった』と聞いたのはもう7年位前。僕はその頃好きだった彼女にメールをしながらボロボロ泣いてしまった。

この作品『ローザルクセンブルグⅡ』が発売されたのは1983か84年くらいだったと思う。メジャーでは爆風スランプがデビューしたばかり。日本のパンクロックの第2期とも言えるスターリンが全盛だった頃。京都の音楽シーンは、それまでのパンクロック1色から、トーキングヘッズなどのニューウェイブやプリンスの影響を受けたものに変わり始めようとしていた。京都のシーンをリードしていた彼の魂はこの作品に込められている。

合掌

Aは僕が心配だったんだろう。いい奴だ。そして、その期待に応えられるほど僕はいい奴じゃなかった。それが真実だった。僕はあと1ヶ月少しで27歳を迎えようとしていた。このままどこかの会社に就職しても大したことはないだろう。少なくとも世界を変えるような存在になれそうな気はしなかった。いや、ひょっとしたら…うまく生きていくことは難しいとさえ思えた。でも、うまく生きていく!って一体何???紺色のスーツを着てできる限り上司に逆らわず仕事をこなす。家では妻と子供を大切にし、世界の問題や混乱には、それなりの関心はあるが必要以上にこだわらない。金曜日には会社の同僚と飲み、土曜日は家族とゆっくり過ごす。日曜日には愛車で友達や会社仲間とゴルフやサッカーに行く。そんな生活に代わる価値あるものを僕は決して持っているわけじゃかった。いいじゃないの!本人が楽しければそれが一番いい生き方だと思う。でも、僕には関係ない。

僕の頭の中は曼荼羅のように混乱しきっていた。たくさんの思い出が僕を新たな地平に立たせようとしていた。そして、いくつもの愛が僕を社会復帰させようとしてくれていた。その事実に対して僕は…対応しようがなかった。

どんな優しい人間にも、自分と同化させてしまいたい!という欲望はある。いや、優しい人間ほど、その欲望は強いのかもしれない。僕は小さな頃からそんな優しさや愛が苦手だった。愛や神を信じる人間の弱さと強さが嫌いだった。そして、そんな自分の憎悪を歌うことで絶対化したかったのだ。

僕はそんなことを思いながら、ゆるゆると毎日をやり過ごしていた。村の将来を憂いながら、今の仕事を着々とこなすSさんやAをはじめとする暖かい人たちに囲まれながら、居場所を探すことに困っていた。僕はみんなのようにいい奴じゃないんだ…。

僕を苦しめた黒い鳥は、もう現れなくなっていた。いや、その頃、僕自身が黒い鳥だったのかもしれない。モノクロ映画の主人公を生きているような毎日。僕は一体何が不満なのだ?数年前にはまった東京のパンクバンド、Frictionの歌の一節を口ずさみながら、僕は車で南に向かった。

      ♪そこに座って何が望みだ…♪

昭和62年10月、偉大なるポール持ちを始めてから二ヶ月が過ぎようとしていた。約400箇所あった被災地の測量も一通り終わろうとしていた。僕はすっかり今時の若者らしく冗談も喋れるようになっていた。ずっとここに居られる訳ではないし、そんな気も無い。偉大なるポール持ちの後は、果たして何をするべきか?などと考え始めた頃だった。友人のAがさりげなく言う。

         『オマエ、ずっと来いよ…』

         『    …    』

突然の一言に僕は言葉を失っていた。昔からAは優しい。未来の見えない僕にロープを差し出してくれた優しさは特に嬉しかった。しかし…、自分の居る場所じゃないような気がした。僕はこの暖かい場所に相応しい生き方をして来なかった。今のジョークたっぷりの僕のキャラは、ここにいる人達の暖かい眼差しに対するリップサービスのつもりだった。

僕はAに何もかも打ち明けようと思った。専門学校を卒業して就職し、3日目で会社を辞めバンドマンになる決意をしたこと。それから2年ほどで東京に出て、結局ビル掃除ばっかりしていたこと。でも、出来なかった…。Aにとっては、僕はある種の憧れに似た存在だということがわかっていたからだ。僕は中学時代、ずっと学級委員や生徒会長をしていたし、そこそこ成績も良かった。それがうわべだけの事実だとしても、彼は未だにその頃の僕を想像しながら付き合ってくれているのは、痛いほどわかっていたからだ。そんな彼に僕を苦しめる黒い鳥の話や、ワコとの出来事、パンクロッカー時代の数々の話をしても理解されるとは思えなかった。いや、理解はしてくれるだろう。共感してくれるとは思えなかったのだ。そして、それは僕らの関係を決定的に遠ざけることになるような気がした。僕はそれが怖かったのだ。もっと言うと、彼の中の遠い故郷をそっとしておきたかった。

Aと僕は高校時代のような適度な距離でうまくいくことは実証済みだった。周りから見ると僕らふたりは似ているほうだった。ロック好きですこし内気な性格。田舎の若者にしては垢抜けているほうだ。ただ本人たちからすると、お互いの生き方が違いすぎることはよくわかっていた。

僕は毎日Aの運転する車の横に乗せられて被災現場に測量に行った。仕事はポールを十字に掲げ、それぞれの数字を読み上げる単純なものだった。しかし、自分にはその仕事が何か偉大なことのような気がした。『大地を診察している』、喩えて言えば、そんな風な気分だった。僕は偉大なポール持ちとして社会復帰したのだ。

Sさんはじめ、建設課の人達はみんな優しかった。中学の頃の僕が普通の少年だったこと、親父が真面目で村の人たちの為に色々尽くしていたことが原因だろう。偉大なるポール持ちは、たくさんの人に支えられながら、すこしずつ感情を取り戻そうとしていた。

Sさんは不思議な人だった。まだ28歳くらいだったはずだが、若者という言葉は彼には似合わなかった。老賢者という言葉が似合いそうなその口調と物腰。彼をそうさせたものは何なのか。その当時はわからなかった。

僕は太陽と愛によって少しずつ変質しはじめていた。それは今までの自分には想像できないことだった。僕が作った漆黒の愛と憎しみで彩られたうたの世界とは違い、カラフルで暖かい世界。しかし、それは僕には眩しすぎて似合わないような気がしていた。

ある日、Sさんの車の横に乗せられ、ふたりでじっくり話す機会があった。彼は建設省の試験を受かっていたのに、家族のことを考え地元の役場に就職したこと。税金を浮かせるためにできるだけ外注を使わず、設計を建設課の職員で行っていることなど…。自分とは全く正反対の考え方に僕は恐縮してしまった。つまり、人は人の為に生きることもできるんじゃないか?なんて思った。そう思ったら、自分のいる場所は一体何なんだろう?ってことも気になってきた。僕を苦しめるアルバトロスは神の使いではなく、僕のエゴが凝縮したものかもしれない?なんて思い始めた。

村の中ほどにある小高い丘に登り、Sさんと僕はしんみり話していた。

『これからますますこの村は大変になるだろうな。誰も農業で食えるなんて思ってない。でも、農業立村!だと村長は言う…』

『国から予算を持ってくる為ですか?』

『まあ、そうかな…。だから、そのお金で道路を作る。何十年後かにきっと役立つと思う』

まるで老人のような面持ちでSさんは僕を見てそう言う。

    『Sさんはきっとヨーダなんだ…』

僕は心の中でそっとそう思い、何事もなかったように煙草に火をつけた。