役場の臨時職員として半年が過ぎた。僕はポール持ちの仕事にも慣れ、すっかり普通の青年の佇まいを手に入れていた。普通じゃないこと、それは27歳の若者としてはちゃんとした仕事を持っていなかった事くらいだった。今では27歳のフリーターなど珍しくない。しかし、時は1988年。つまり今から20年近く前のしかも農村なのだ。

中学の1年先輩のMと町に飲みに行ったのは、こども相撲大会から2週間くらい後のことだった。Mに連れられ、10席くらいのカウンターが並ぶスナックで飲み始めた。来ているのは渋いオヤジさん達。サラリーマンには見えない。多分自営業なんだろう?と思われる人たちだった。僕らはひたすら馬鹿話でスナック嬢を盛り上げ、カラオケを歌いまくった。僕は声量があるほうではない。しかし京都のライブハウスで鍛えられた喉はカラオケでは大活躍した。

僕はボロの『大阪で生まれた女』やサザンのナンバーをアカペラで歌いまくった。周りのオッチャン達は感心している。僕の脳裏にはストリートスライダーズのDon’t STOPのフレーズがよぎっていた。

      ♪落ちぶれた道化師のパレードはおさらばさ…♪

落ちぶれた道化師…そのまま僕だと思った。スライダーズは思いやりが無いと思った。ここ以外、僕には行く場所なんかなかった。落ちぶれた道化師で結構!そう自分を励ましながら歌いまくった。つまり…やけ酒だった。

以前役場のメンバーと行った2件目のスナックで僕はタイプの女の子に電話番号を聞いた。そして振られた。その頃には携帯がなかった。どうしようもない気持ちで僕はまた飲んだ。1年前には想像もしなかった自分の姿。単なる与太者だった。そんな事を心の中で思いながら、それもいいじゃないか?!なんて思った。要は面倒くさかったのだ。理想の為に自分の夢の為に生きていくのは疲れる…僕はもうそんな生き方には疲れたんだ。一介のポール持ちなんだ!普通の若者以下でもいいじゃないの!最初から僕には無理だったんだ!そんなやけっぱちな想いが次から次へと僕を通り過ぎていった。ほとんどの食えなくなったバンドマンなんてこんなもんだろう!?なんて思った。

僕らは午前3時までベロベロになるまで酔っ払い、たくさんの汚い言葉を吐いた。どんなに取り繕ったって人間なんて完璧じゃない。綺麗な言葉なんて嫌いだ。Mがどう思っていたのかはわからなかった。でも楽しそうだった。やっと農家を継ぐ友達ができた!彼は何回もそう言っていたからだ。僕はその頃ほんとうに農家を継ぐしかないんじゃないか?と思っていた。大嫌いな農業を継ぐ!そう考えると倒錯した快感が生まれてくるような気がしていた。

               でも一体何のため?

ワコからの悲しい電話があってから何日か経った。僕はジグソーパズルを埋めるようなささやかな毎日を送っていた。時間は寒く過ぎていった。そして僕は27歳になった。大半の27歳と比べ見劣りしていたのだろう。しかしそんなことはどうでも良かった。

その頃、僕は新しい恋を探し始めた。

    もう貧弱な精神を焦がすような観念的な恋はいやだ…

そう思っていたが、うまく行かなかった。まず、近くにいるのはお婆さんや子持ちの主婦だけだった。そんな時、珍しく農家を継いだ近所の先輩から『一緒にフィリピンから嫁もらうか?』と相談された。

     …恋を飛び越えてアジアの弱者から嫁とりかい???

僕のそんな気持ちを見透かすでもなく、さらに彼はこう言う。

    『美人で頭もいいみたいだよ…』

僕は一気に30歳年をとったみたいな気分だった。これが現実なのかもしれない。いや、きっと現実なんだろう。車で30分走れば人口約30万人のそこそこの町もある。でも、専業農家を継ぐという選択は30分の隣町よりフィリピンに近いのだ。

その時になってはじめて、ワコに好きに近い感情を持っていた自分に気がついた。ワコにはそんな僕の気持ちが分かっていたのかもしれない。しかし…もう遅い。僕は隣町よりアジアに近い場所から、自分の新しい恋を見つけなければならないのだ。全くトホホのホだ。へのへのもへじだ。田んぼの中の案山子だ。さだまさしの歌のようだ…。

それから、その先輩と小高い山の上にある空き地で、村の子供たちの相撲大会の行司をしにいった。NHKなんかで放映されると、のどかな山村の若者として紹介されるのだろう。しかし、僕も含め彼だって決してのどかではない。さっきまで、美人でインテリのフィリピンの女を金で買おうとしていたのだ。いや、言い方が良くないな。金で異国の地に連れて来ようとしていたのだ。少なくとも頭の中はのどかどころではない。

夕日が村を包み、子供たちは三々五々帰路につきはじめた。僕らは今度町に飲みにいく約束を固く交わし、お互いの住処に帰っていった。僕が帰っていったのは住処だった。

black&blue


僕の人生を変えた音楽・・・すこしおおげさに言ってしまうと、それはストーンズのこの作品『Black&Blue』になる。

1976年の作品だから今から31年前、その頃ストーンズは日本でそんなに人気がなかったように思う。
僕は高校1年になったばかりで、丁度1ヶ月前に発売されたレッドツェッペリンの名作『プレゼンス』ばかり聞いていた。プレゼンスも勿論良かったけど、このブラック&ブルーを買ってから、毎日このレコードばかりがターンテーブルに乗ることになった。

一曲目のホットスタッフのギターのイントロが最高にカッコイイ。ミックジャガーやキースリチャードはまだ30代前半だろう。
それからしばらくストーンズにはまり、過去の名作を聞きまくったが、この作品だけが異色な感じがした。
つまり、R&Rバンドというより、まるっきりルーツミュージックなのだ。

こんなに黒っぽいストーンズの作品はそれまでもその後もない。スト-ンズ本来の姿、黒人音楽ファンのスタンスで作られたこのブラック&ブルーは今聞いても新鮮。

この作品はひとりの田舎の高校生の感覚を変えてしまった。



四国一周の旅から帰り、僕は久々に明るい気分になっていた。

               俺には捨てるものが何もない…

そう思えてきたのだ。『時には孤独や空腹に耐えながら自分を支えてきた夢を僕はもう持っていない。要はそのことをどう考えるかなのだ。元々特に夢を持たない人たちは多いような気がする。いや、ほんとうは心の中に持っているのかもしれないけど、それを実現できる人はすくない。つまり僕のようにある種命がけで夢の実現に取り組めたことは幸せなのだ』そう考えればいいのだ。

僕は久々にローリングストーンズの『Time waits for No One』を聞こうとして、その曲が入っているレコードを持ってない事に気づいた。

            しょうがねえや、まあ『Black&Blue』でもいいか…

そう思いながら、レコードをターンテーブルに乗せた時その時、電話のベルが鳴った。

    『もしもし…』
 
           『  …  』

                『誰かな…?』

                      『私、…お医者さんが病気だって…』


ワコだった。思ってもみないワコの電話に僕はうろたえた。

    『もしもし、ワコ?病気だって…もしもし』

         『隆…、元気?』

             『ああ、かなり元気になった…』

                『私、病気だって…お医者さんがそう言った』

                     『ワコ、きっとその内良くなるよ。だから楽にいこう』

                         『   …   』
  
                             『きっと良くなるから、人生は悪いことばかりじゃない…』

電話を切ったあと、僕は激しく泣いた。ボリュームを絞ったステレオからストーンズのメモリーモーテルが聞こえていた。

♪…She got a Mind of her own. And she use it mighty fine.…♪

           もうやめよう…

僕はワコに何もできない…ということを思い始めてから、ワコからの電話は徐々に少なくなっていった。最後に電話があったのは、僕が偉大なるポール持ちとして復帰する1週間前のことだった。

           お元気で…

ワコは言葉少なく、そう言って電話を切った。

僕は今まで自分からそれほど完璧な別れ方をできたことがなかった。大抵の場合、又ね!と言ってしまう。さよなら!とかお元気で!なんて言えたことがなかった。ワコは大した奴だと思った。

二日目の夕方から愛媛の松山を目指して車を走らせた。生まれて初めて見る風景、苦しくなるほどの自然がうんざりするくらいの濃度で僕に迫ってくる。周りがすこしずつ暗くなるにしたがってうっすらと星が見えてきた。

           もうやめよう…

僕は過去の僕に何もできない…そう思うしかなかった。バンドマンとして世界を変える事は僕にはできなかった。それにAやSさんといういい人たちにも再会できたのだ。今さら過去の自分を穴のあくほど見つめることはない。僕は社会復帰したんだ。もう大人だ。というか、もう社会人だ。ステージを降りても僕はずっとパンクロッカーだ。何も変わったことなんかない。僕は…昔のままだ。

矛盾した理屈で僕は僕を奮い立たせようとした。数え切れない孤独の代わりに僕は青空を盗んで君にあげたい!そうだ、僕は君に青空をあげたい!でも、一体…君って???

それは少なくともワコではなかった。ひょっとしたら、昔、教室の隅で過ごしていた目立たない僕自身だったのかもしれない…。そして、それを認めることで僕はやっと普通の男になろうとしていた。