clash


Vocalのジョー・ストラマーがニカラグアの革命政権『サンディニスタ』に触発されて生まれたこの作品は、クラッシュにとって4枚目のアルバム。空中分解してしまったピストルズなきあと、このクラッシュがパンク少年のアイドルだった。前作『London Calling』がとてもよく出来たR&Rアルバムだったので、その延長線上を期待したファンが多かった。しかし、この作品は、レゲエっぽいFunkyな音に乗ったジョーのへたくそなRAPではじまる。1曲目だけで、それまでのFANを失望させるに十分だった。メディアでは好意的な評価が多かったにも関わらず、僕を含め、それまでのクラッシュのファンが絶賛することはなかったように思う。

今聞くと、レゲエやJazzなど黒人音楽の影響を随所に感じさせるこのアルバムの何曲かは、今のクラブでかかっても全然違和感のないくらい、時代を超えた普遍性を持つものだと思う。

この頃のジョーは、左翼的な言い草が多く、日本のパンクロッカーや通のロックファンからの評判はあまりよくない。しかし、実はそんなことは何の問題にもならないくらい、このアルバムの彼の歌には説得力がある。70歳のブルーズシンガーのような枯れ方なのだ。中でも『レベルワルツ』という短いワルツ風の曲は、他のどのパンクバンドも獲得できなった美しさを感じさせる。

この作品を頂点に、その後クラッシュは少しずつ瓦解していく。もし、ジョーが、クラッシュをストーンズのようなバンドにしようと思えばなれたのかもしれない。それを潔しとしなかったジョーの生き方は不器用で損だと思う。このアルバムを聞くたびに、作品の素晴らしさと裏腹に、くやしさのようなものが僕の心に浮きあがってくるのは、それが理由なんだろうか?

聞くたびに深みにはまっていくような、とても素晴らしいアルバムだ。


※ジョー・ストラマー 2002年12月22日没
hikki


この作品がシングルで発売されたのは、イラク戦争が勃発して間もない頃だったと記憶している。それまでのダントツに歌のうまい女の子という印象から、はっきりとしたメッセージを持ったロックシンガーに突然変貌を遂げたかのような歌のリアリティに、思わずシングルCDを買った。

今、聞いてもこの曲は明らかにイラク戦争を起こしたアメリカへの追悼歌だと思う。わかる範囲で彼女がそのことをメディアで語ったことはない。しかし、よく聞いてみればcolorsが人種を示唆している言葉であること、『今の私はあなたの知らない色』と括られる一連の言葉が、ラブソングの形を取りながら、アメリカへの失望感を表現したものであることはすぐに分かる。

彼女は、BECKやプリンスとは違う形でアメリカを愛しているのだろう。様々な人種が暮らすからこそ生まれる様々な人間や生活や文化。POP・MUSICは、その影響を一番ストレートに受けやすい。アメリカで暮らしたことのある彼女なら、アメリカの生み出す文化を愛して当然なのだろう。この歌が、よくある外からのイラク戦争批判に終わっていないのも、彼女がアメリカを愛しているからなのだと思う。

僕はHikkiの熱心なファンではない。しかし、この歌の持つリアリティは、最近の他の日本人のアーティストには感じられない種類のもののような気がする。インディーズからではなく超メジャーな彼女からこの歌が生まれたことに、今も変に感動している。
BECK


BECKは掛け値なしにいいアーティストだと思う。いつもイノベーションを怠らないこと以上に、複雑に歪んだ巨大なアメーバのような自らの母国、アメリカを愛していることがその理由だ。彼のような知的で鋭敏なアーティストが、現在のアメリカで楽に生きられるはずはない。ましてや素直に愛することは難しいだろう。彼の作品は一枚を除いて全部聞いているが、すべてがそんな母国に生きる同じアメリカ人への真摯なメッセージのようにも聞こえる。

今回の作品のタイトルは『MODERN GUILT』。直訳すると『現代の罪』となる。今回は、穏やかなビートと60年代のアメリカンポップスを連想させる不思議な佇まいの曲でアルバムがスタートする。彼の曲は歌詞がとんでもなく素晴らしいんだけど、曲を聴くときには読まないようにしている。そのメロディーや音のスタイル、感触が必然的に選ばれたことのほうが、なんだか大事なことのような気がするのだ。もっと言うと、曲ごとに自分なりに言葉を想像して当てはめてみるのが、BECKの音楽を楽しむコツのような気がする。

僕の処女小説『アルバトロスを探せ』のふたりの主人公のうちのひとり、つまりLA生まれのDURANのキャラは、ほとんどBECKに近い。書いているときに意識はしなかったんだけど、日本人の僕が想像する理想のアメリカ人に近いんじゃないだろうかと思っている。

彼の音楽は過去のロック、それもどちらかと言うと、マイナーなアーティストの曲のリフレインやビートをヒントにしていることが多い。それがブルースであれ、パンクであれ、HIP・HOPであれ、実にうまくBECKの音になっているのが特徴だ。本質的にはHIP・HOPのアーティストがサンプリングするのと似ているんだろうな。どんな音楽も同じ平面に持ってきて加工している感があるのだ。

比較的資質の似ているだろうと思われるアーティスト、プリンスやレディオヘッドと比べると、その音楽の外見に一見派手な風情はない。しかし、前述のふたりに勝るとも劣らないクォリティとセンスのある音楽。やっぱり君は最高だよDURAN!…いや、BECK!
PIL


『SEX PISTOLS』のヴォーカルであり、パンクロックの元祖と云われるジョニー・ロットン。本名のジョン・ライドンに改名した初のALBUMがこの作品。ジミヘンドリックやポール・マッカートニーのような音楽の天才はこのバンドにはいない。もっと言うと、アマチュア的なテクニックしか持たないメンバーが、何故これほどラジカルな音を出しえたのか?最近、そんなことばかり考えている。

一言で表現すると、命がけのイノベーション。PISTOLSが、スリーコードのラウドなR&Rの直接性を再現したクラシックな手法だったのに比べ、PILの音は、R&Rのスタイルを解体することで創造するという、言わば電気ショック療法のような激しさに満ちている。当然PISTOLSよりも観念的だし、聞き手も限定される。しかしこの作品が同時代のミュージシャンや一部のロックの聞き手に与えた影響力はすさまじく、この後パンクロックは単純なR&Rビートからニューウェイブと呼ばれる多様なスタイルを持つ実験的な音楽に変化していった。

全曲が革命的と言える出来だが、いま聞いても新鮮なのはアルバムのラストに納められた『FODDERSTOMPF』。レゲエのスタイルのひとつ、DUBの手法を用いたデジタルで無機質な音で『僕は愛されたかっただけ…』という言葉が、裏声で7分余りも繰り返される。

この頃も現在も、ロックやHIP・HOPはグローバルな資本主義の手法で聞き手に流通している。つまり売れるほど儲かるという仕組みを利用して、音楽は切実な聞き手を探しているのだ。当然、より儲ける為のネタとしてロックを利用する人たちも多い。というか、ミュージシャンそのものが、その仕組みに飲み込まれ自らの音楽を見失うケースも多いんじゃないかと思う。『SEX PISTOLS』は、その典型のようなバンドだった。

この作品が、最近のラジカルなアーティスト、NaSやBECKと同じように僕に与える刺激と新鮮さに、普遍性があるかどうかは正直わからない。昔の友人はNaSやBECKを一心に聞くことはない。また、若い友人がPILを聞く機会もほとんどない。僕が少数派なのだと考えたほうがいいのかもしれない。

アマチュア同然のテクニックしか持たないメンバーが、何故これほどラジカルな音を出しえたのか?そこに時代の必然性があったかどうかは別にして、少なくともジョン・ライドン個人の必然性はあったのだと思う。

自らが加担した『SEX PISTOLS』=パンクロッカー=アナーキストという共同幻想。この作品発売後の彼は、あるロック雑誌でこう語っていた。

『アナーキーなんて、中産階級のガキのマインドゲームさ!』
ふわ~!

長い眠りからやっとさめたぁ・・・。

そろそろ、小説書こうっと。

これからもよろしくぅ(>▼<)って、みんな忘れてるだろうな。。。



ryuより