『SEX PISTOLS』のヴォーカルであり、パンクロックの元祖と云われるジョニー・ロットン。本名のジョン・ライドンに改名した初のALBUMがこの作品。ジミヘンドリックやポール・マッカートニーのような音楽の天才はこのバンドにはいない。もっと言うと、アマチュア的なテクニックしか持たないメンバーが、何故これほどラジカルな音を出しえたのか?最近、そんなことばかり考えている。
一言で表現すると、命がけのイノベーション。PISTOLSが、スリーコードのラウドなR&Rの直接性を再現したクラシックな手法だったのに比べ、PILの音は、R&Rのスタイルを解体することで創造するという、言わば電気ショック療法のような激しさに満ちている。当然PISTOLSよりも観念的だし、聞き手も限定される。しかしこの作品が同時代のミュージシャンや一部のロックの聞き手に与えた影響力はすさまじく、この後パンクロックは単純なR&Rビートからニューウェイブと呼ばれる多様なスタイルを持つ実験的な音楽に変化していった。
全曲が革命的と言える出来だが、いま聞いても新鮮なのはアルバムのラストに納められた『FODDERSTOMPF』。レゲエのスタイルのひとつ、DUBの手法を用いたデジタルで無機質な音で『僕は愛されたかっただけ…』という言葉が、裏声で7分余りも繰り返される。
この頃も現在も、ロックやHIP・HOPはグローバルな資本主義の手法で聞き手に流通している。つまり売れるほど儲かるという仕組みを利用して、音楽は切実な聞き手を探しているのだ。当然、より儲ける為のネタとしてロックを利用する人たちも多い。というか、ミュージシャンそのものが、その仕組みに飲み込まれ自らの音楽を見失うケースも多いんじゃないかと思う。『SEX PISTOLS』は、その典型のようなバンドだった。
この作品が、最近のラジカルなアーティスト、NaSやBECKと同じように僕に与える刺激と新鮮さに、普遍性があるかどうかは正直わからない。昔の友人はNaSやBECKを一心に聞くことはない。また、若い友人がPILを聞く機会もほとんどない。僕が少数派なのだと考えたほうがいいのかもしれない。
アマチュア同然のテクニックしか持たないメンバーが、何故これほどラジカルな音を出しえたのか?そこに時代の必然性があったかどうかは別にして、少なくともジョン・ライドン個人の必然性はあったのだと思う。
自らが加担した『SEX PISTOLS』=パンクロッカー=アナーキストという共同幻想。この作品発売後の彼は、あるロック雑誌でこう語っていた。
『アナーキーなんて、中産階級のガキのマインドゲームさ!』
