渡部遼介オフィシャルブログ「Ryosuke’ Note」powered by アメブロ -10ページ目

このまま秘密にしておきたい。

 

ここを他人に紹介したくない。


 

このまま秘密にしておきたい。


 

これはWSを開催していて言われた、衝撃的な言葉です。


 

もちろん最大級の賛辞だと解っています。

 

そして、きっとそれ以上の言葉は無いのでしょう。


 

以前からこちらに書いているように、僕は演技講師とはいえ会社として多くの参加者を抱えている訳ではありません。

 

あくまでもじぶんの俳優トレーニングの一環として始めた経緯があります。

 

なので、いつでも多くの出会いに期待しています。


 

もちろんいたずらに不特定多数の参加は認めていませんが、それでもプロ(または志望者)の方には門戸(もんこ)を広げています。
 

それはさておき、しかし驚くのは何よりも、時期も異なり彼らが知り合いでないにもかかわらず、今までに幾度となく聞いたその同じ言葉なのです。


ただそのとき僕は、そもそも彼らには金銭的なリスクがほとんど無いのだから、じぶんでもそう思うだろうな、と妙に納得していました。


 

それからしばらく経って、いよいよスタジオ公演をしようとなったとき、あれ待てよ、と思いました。


 

そもそもこの公演は役づくりの完成精度を上げるのが発端で、その結果作品にすることで観客としての参加者を幸せにするのが目的なはずです。

 

であれば、彼らにとっても最強の共演者が必要なはず。

 

そして一個人で売れていこうとする考えだけでは俳優にとって致命的で、精鋭集団として世に出た方が彼ら自身のためにも良いはずです。


 

たしかに日ごろのWSではじっくりできるから、できるだけ少数のほうがいいのかもしれません。

 

しかしなぜ現在以上に売れないのか、それをいつも考える必要があります。

 

であれば、せっかくのこうした贅沢な時間に切磋琢磨できる同業者が集まる。

 

それこそが、必要ではないだろうか。


外に出て、初めて大海を知るのでは遅すぎる。

 

そんなことを考えていました。

50,000の言い訳

人間の脳はいつでも楽をするように設計されています。

 

とても小さなパーツですが、じつはエネルギー消費量が莫大だからです。

 

 

そのためサボることにかけては、だれもが天才です。

 

50,000の言い訳を一瞬で考えられます。

 

ちなみに年齢があがるにつれ、その傾向は顕著になります。

 

たとえばカメラの前で身軽でいることが、膨大な準備してこなくていいんだ、というのに簡単にすり替わります。


 

ただし例えば海外のメソッドはとても興味深いものですが、少なくとも日本の現場ではそのまま使えません。

 

じっさいの撮影現場の経験を踏まえて逆算しないと、ただの演技研究者になってしまいます。

 

最終的にじぶんがどこに行きたいのかいつでもイメージできていないと、むしろ頑張ったぶんだけじつはあらぬ方向へ吹っ飛んで行ったりしてしまうのは珍しくありません。

 

その場合にはいったん基本に立ち返る必要があるので、初心者よりも遠回りになります。

 

 

頑張るにしろ正しいベクトルを持つためには、やはり俳優としての多くの現場経験が必要なのです。

才能とは

FALという、有志が集まって演技の勉強をするというのを基本毎週開催しています。

 

有難いことに演技講師という肩書では30代後半からですからもう7年以上経ちます。

 

そのあいだに事務所や養成所で教えたこともありますが、基本的には個人で活動しているものです。

 

そして毎週トレーニングするということが、じぶんも俳優としてとても大切で、現在では欠かせないものになっています。

 

 

たとえばだれかに台本の読み方を説明したり、じっさいに撮影現場では何に優先順位が置かれているのか、とか。

 

そういうことをひとつひとつ口にしていくことがじぶんをよりシンプルにしますし、何より参加者が成長していく過程を見てとても勉強になるのです。

 

意外と台本を読めていないんだな! とか、台本のなかにはこんなにたくさんのチャンスが隠れていたのか! とか。

 

 

ちなみに大荷物を持ったままカメラの前に立てませんから、そのあとにはその膨大な情報をどう扱っていくか、というのがテーマになったりします。

 

だけど演技に限らず、見えないもの気づかないものは最初から無かったことになるものです。

 

カメラの前の有名俳優はそれほど中身が無さそうだから、さほど準備も必要ないんじゃないだろうか。

 

 

じつはそこから膨大な財産を見つけないと演じられないんだ、というのが解らないみたいです。

 

 

それすらも学びになります。それを見て新鮮な驚きがあったりもします。

 

だれも、すでにじぶんの持っていることの価値は感じにくいものなのかもしれません。

 

 

まただからといって、それを理解できるのと実際にカメラの前でできるのは雲泥の差があります。

 

そしてそれは、きっと俳優だけに限らないことでしょう。

 

そこがアマチュアとプロの差だと感じるのですが、それを痛感できることこそがじつは才能だと考えています。

 

 

才能という言葉を簡単に使いたくありませんが、もしそれがあるならきっとこれです。

 

 

だから、まわりからいくら頑張っているようにみえても、本人は疲れないのです。