監督の言うことなら何でも!
監督(演出)の言うことならなんでも聞きます!
っていうのを、いつかどこかの映画制作会見で見たことがあって、ああこれは大変だなぁ、と感じたことがあります。
演出は主演であれ、彼らの一挙手一投足にまで指示することは困難で、かりにそれが全部できる俳優に巡り合えたとしても喜びません。
もちろん外側からの演出に限界を感じているからです。
できない俳優は全部指示されますが、もちろんロボットのようになります。
その通り動けば、書かれたセリフを言えば演技、という訳にはいかないからです。
俳優側も自分が全部できる、あるいは理解できていると考えればとたんに問題を抱えるでしょう。
複数のポジションから作品に携わるようになると、いろいろな見方が生まれて面白いです。
同じ空間にいる価値
面白い台本をいざ観客と同じ空間で俳優を通して立体化させていくということになると、とても興味深いことになります。
つまり映画であれば、スクリーンを通してある種偶像化できるのです。
ひとが実際にひとと出会ったとき、なんだか判らないけど相手を好ましいだとか、ずっと一緒の空間にいたい、と感じることがあります。
あるいはまったくそうならずにむしろ距離を取りたい、だまされたくない、身の危険を感じる、という本能まで反応するかもしれません。
どんなにCMで美人に見えても、実際に会うと退屈だったり、三枚目があるときとても魅力的だったりする。
そうした感覚が消えないようにしたい。
今回はアトリエ公演ということで比較的近い距離で演じることもあり、制作側もだれかと同じ空間で一緒のとき、どう感じるかを大切にしたいと考えています。
逆説的になるけれどもそれはもう言ってみれば、俳優にとって演技でどうにかできる範疇ではないのかもしれません。
かといってじっさい役作りのほか膨大なセリフや演出意図を理解表現しているわけで。
今回客観的に見ることは、自分にとって新しい発見がたくさんあるのです。