図書館で借りた本をなくしてしまうという大失態を、僕は犯したことがある。
最後に鞄に入れていた本であることは間違いないのだけれど、読み終わっていないその本が失せてしまったのだ。
部屋のどこにも見当たらないし、職場にもない。ひょっとして電車の中に置き忘れたのだろうか。
まるっきり覚えていないのが始末に悪い。
どうしよう。弁償すれば許してもらえるのだろうか──そしてそれは、本に付いている定価なのだろうか。
それに加えて、何らかの手数料を取られるのだろうか。
何しろ、公共施設である図書館の本をなくしてしまったのだ。
苦悩する僕の頭に、ひとりの女性が浮かんだ。まるで女神が降臨するように現れたそのひとは、肩を撫でるストレートヘアに、瓜実顔によく似あうオーバルの眼鏡をかけた物腰の柔らかなひとだった。
もちろん個人的な会話などしたことはないのだけれど、親身になってくれそうだ。
僕は他の借りた本を手提げのビニール袋に入れて、恐る恐る図書館に向かった。その人がいますようにと願いながら。
図書館に着き、奥に歩いていくと姿が見えた。おじさんに対応中のようだ。
棚の本を手に取ってチラチラと確認しながらその人の手が空くのを待った。

そんなときに限って、なかなか手が空かない。
その人と一瞬目が合ってしまって、それが躊躇に拍車をかけた。
また今度にしようかな。いや、ここまで来たんだから。
いやいや、是が非でも今日じゃなくてもいいんじゃないのか……。
いや、ダメだ。嫌なことは後回しにしてはいけない。
ほら、手が空いたぞ。今だ、行け!
みっともないぐらいに小走りになった。
「あの……すみません」貸出カードをそっと差し出した。
丸っこいセルフレームの眼鏡が彼女を知的に見せていたけれど、全体的にふわっと柔らかい印象を与える人だった。
「はい。ご返却ですね」眼鏡の真ん中をちょっと押し上げた。
「ええ、そうなんですが……見つからないんです」
「はい?」彼女は小首を傾げた。
「一冊だけ失くしてしまったようなんです」
「あ、そうなんですか」そのひとは驚きもせず、ふんふんと頷いた。
僕はどんな反応が返ってくるのか分からず怯えていたから、少しほっとした。
「探してみましょうか」
「はい? どこを──ですか? 僕の部屋をですか?」
怪訝そうな頭を傾げたそのひとは、その矛盾したやり取りの滑稽さにすぐに気が付いた。
「まさかぁ」おねえさんは、50がらみのおばさんみたいに肩口で手のひらを振った。ものすごくキレのいい変化球が飛んできそうなスナップだった。
ナイスボー
はい?
いえ……
「勘違いをして、もう返しているのかもしれませんから、探してみましょうか?」
「図書館をですか?」
「ええ」
「いえ、それはありえません」僕の言葉に、おねえさんがクスッと笑った。
それが美玖だった。
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