風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -78ページ目

僕たちは走ってきた。
まるで何かに追われるように、ひた走った。

時には快調に、時にはまろびながら。
それでも、走ることが負わされた義務であるかのように前に向かった。

いったい何を追いかけているんだい。何から逃げているんだい。
小鳥たちがさえずり笑う。

もう走るのを辞めようと、何度思っただろう。
でも、走っている。

10月の風に肌寒さを憶えるころ、3月の優しい風を思う。
季節が巡り、春になるころ、僕は走るのを辞めるだろうか。

それとも……。


ゴンチチ/窓辺の三月



ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング






7年前に、SNSサイトで知り合い友達になって、オフ会で初めてお会いした「あーる」さんという方との思い出が詰まった曲です。

いつか、彼と肩を組んで歌うつもりでしたが、リストラにあいお金に融通がきかなくなった私の方から、音信不通にしてしまいました。

月日が経ち、ようやく人並みの収入が得られるようになった今、いつかきっと会えるような気がしています。


某Q&Aサイトに「あなたの好きな歌」として立てた質問への答えのひとつです。

ネットの世界にはいろんな人がいます。嫌な思いもたくさんしてきました。
けれど、ネットの力というのも馬鹿にできないのだなと感じます。素敵な出会いもあるからです。

この方の書き込みを正確に直せば、Q&Aサイトで知り合いになり、SNSで親交を深めた仲となります。

そして、この質問を立てたのはなんと去年の7月……昨日開いた僕もびっくりしました。
僕は一年以上もほっぽらかしていたのです。

この方同じ質問にもう一つ、僕の知る人たちとの交友の様子を知らせる書き込みをくれていました。前回とほとんど変わらないHNを使ったので分かったのでしょう。

僕もはっきりとわかるように、「あーる」ではなく「あ~る」です(笑)、と応じました。

ちなみに僕は、そのサイトで4回ほどアクセス禁止の処置を受けました。
その都度メアドを変えて侵入(笑)
だから、上の書き込みもかなり危ないです。でも、親しい人に寄せるこの思いを止められるはずなどないのです。

誰とでも親しくなって、アクセス禁止すれすれの私語を連発する僕なんて、運営から見ると鬱陶しい存在だったでしょうね。

それから、僕のつまらないブログにアクセスしていただいている方たち、いつかお会いしましょう。
何度もオフ会を開きましたが、一番集まった時で20数人だったかな。
それこそ、日本全国から集まりました。

でも、僕が皆さんにお会いするころには、杖を振り回す変なじいちゃんになってるかもしれません(笑)

もちろんここにはいないので届きませんが、お詫びも込めて、僕が「百さん」と呼ぶ人へ同じ歌を贈ります。
そして、みなさんへも。

「青春とは何だ主題歌」貴様と俺/布施明


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング




うーん、何かスカッとしたいなあ……。

そうだ、こんな時は佐藤愛子でも読むか。

1923年11月5日大阪市生まれ、西宮市育ちの小説家。
小説家の佐藤紅緑、女優の三笠万里子の次女として生まれる。異母兄に詩人のサトウハチロー、脚本家で劇作家の大垣肇。甲南高等女学校(現・甲南女子高等学校)卒業。
─Wikipediaより─

御年92歳になる。もうすぐ93歳だ。
昔はなかなかの美人だったと記憶している。

小説も書くけど、この人のエッセーは面白い。
舌鋒鋭いというのとも、切れ味鋭いというのとも、少し違う。

時に怒りもぶちまけ、時にユーモアも交え、バッサバッサと切り捨てる感じが好きだ。痛快というべきだろうか。
この人独特の視点にハッとさせられることも多い。

今度これ買おうかな。↓↓↓↓



待望の単行本がついに発売。実にめでたい!

『九十歳。何がめでたい』というタイトルには、佐藤愛子さん曰く「ヤケクソが籠っています」。2016年5月まで1年に渡って『女性セブン』に連載された大人気エッセイに加筆修正を加えたものです。

大正12年生まれ、今年93歳になる佐藤さんは2014年、長い作家生活の集大成として『晩鐘』を書き上げました。その時のインタビューでこう語っています。
「書くべきことは書きつくして、もう空っぽになりました。作家としての私は、これで幕が下りたんです」(「女性セブン」2015年2月5日号より)

その一度は下ろした幕を再び上げて始まった連載『九十歳。何がめでたい』は、「暴れ猪」佐藤節が全開。自分の身体に次々に起こる「故障」を嘆き、時代の「進歩」を怒り、悩める年若い人たちを叱りながらも、あたたかく鼓舞しています。

自ら災難に突進する性癖ゆえの艱難辛苦を乗り越え92年間生きて来た佐藤さんだからからこそ書ける緩急織り交ぜた文章は、人生をたくましく生きるための箴言も詰まっていて、大笑いした後に深い余韻が残ります。
ぜひ日本最高峰の名エッセイをご堪能ください。


─Amazonより─

そ……そそるなあ。


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング







誠実って何だろう。
正直ということ?

では、正直って何だろう。
嘘をつかないこと?

嘘は不誠実の証?

私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること。また、そのさま。
─コトバンクより─

僕は嘘を吐くかもしれないよ。
そう、君が傷つかないように、心痛めないように少しだけ。

君も嘘をついていいんだよ、思いやりの嘘を少しだけ。
でも、真っ赤なウソはやめようね、お互いのためにさ。

それも誠実のうちになるような気がするよ。

それからね、今後の君のために言っておこう、優しさは裏切りを孕んでいるよ。その優しさは、自信のなさから来るものだったり、罠だったりする。
本物か偽物か、時間をかけてじっくり見極めることだよ。


誰もが正直じゃない世の中で、Honesty(誠実)ってなんて空しい言葉なんだ。
─オネスティ─

Billy Joel/Honesty



ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング

さて、僕はまた夜勤に戻ることになった。
夜勤は大変だけれど、手当てが付くのが救いだ。

「夜更けのラプソディ」から「午前中のラプソディ」に戻る。もちろん、ブログタイトルは変更しないけどね。

ところで、ラプソディって何でしょう。

狂詩曲(きょうしきょく)またはラプソディ(英: rhapsody、独: Rhapsodie、仏: rhapsodie、伊: rapsodia)は、自由奔放な形式で民族的または叙事的な内容を表現した楽曲[1]。異なる曲調をメドレーのようにつなげたり、既成のメロディを引用したりすることが多い。

19世紀半ばにフランツ・リストが作曲した『ハンガリー狂詩曲』(全19曲)がおそらく最も大規模かつ有名な作品であり、後年の作品はそれに何らかの影響を受けたものと考えられる。

またガーシュウィンの『ラプソディ・イン・ブルー』は知名度が大変高く、ポピュラー音楽の分野にも影響を与えている。

─Wikipediaより─


ラプソディって気分のままに自由に曲を演奏することかな。
「のだめカンタービレ」でおなじみになりましたね。

過去に「ラプソディ・イン・ブルー」のタイトルで短編小説を書いたけど、新しいネタを考えている暇がないので、そのうち書き直そうかな。

今日は寒かったですね。風邪が治りません。

ラプソディー・イン・ブルー バ―ンスタイン 1976



ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング

テレビで「何が一番体温を上げるか」というのをやっていた。
とにかく明るい吉村がスーパーの生鮮売り場の寒いところで、例の「穿いてますよ」のパンツ一丁で実験台になっていろいろやった結果、なんと、赤いパンツが一番体温を上げた。

猿年に赤い肌着を身に付けるといいらしい、というのは僕も知っていた。
そう、もうだいぶ過ぎてしまったけど、今年は猿年。

まあ、猿年は置いておくにしても、赤いパンツは実際に体にいいらしい。

そういえばこの人、割と最近見た。
「あのーすみません」
「はい」
その後の、ちょっとだみ声っぽい言葉を聞かなければ誰だか分らなかっただろう。
「○○はどこですか?」
あ、とにかく明るい吉村だ。

僕は丁寧に教えた。かなりいい感じで腰の低い人だった。

赤いパンツといえば、おばあちゃんの原宿巣鴨。
欲しいな、赤い肌着一式。
近くで探してみよう。

ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング





日本で流通しているほとんどのししゃもが本物ではないことぐらい、みなさん知ってますよね。
本物は1%程度しか存在しないのです。

代用品の名前はなんていったっけかなあ……ということで調べてみました。

もともと、シシャモは北海道の太平洋側の一部でしか漁獲できない日本固有の種類で、昔は漁獲量も多くて日本中で食べられていたものですが、他の水産資源と同様に、乱獲のためか数が減ってしまったのです。今や幻の魚なのですね。


右がシシャモです。ふっくらしてますね。

じゃぁ、僕たちは何を食べているかというと、「カペリン」俗名カラフトシシャモという魚を食べているのです。

一昔前は、身が美味しいオスの中に、少し傷ついたメスの卵を注射器で注入して、「カラフトシシャモ(オス) 子持ち」という形で販売していた所もあったそうです。



なんでそこまでして、味の劣るなんちゃってししゃもを売ろうとするんだろう?
僕にはわかりません。値段は高く設定できないのに。
偽物シシャモなんて食べなくたっていいじゃないか。

話は変わって、これは僕も知っていることだけど「おひょう」って聞いたことありますか?
体長1~2メートルはある、でっかいカレイの仲間のことです。

ランチとかで白身魚のフライなんて書いてあったら、まず、おひょうかメルルーサです。
名の通った魚ならちゃんと書きますよね。イサキだのスズキだのアカウオだのって。

居酒屋でお刺身盛り合わせに乗っていて名前を表示していない白身魚だったら、おひょうです。
回転寿司のえんがわの代用魚だったりするのです。

話は戻って、スーパーのパッケージなどにはちゃんと表示しないと偽装になるので、書いてあります。
からふとシシャモって。

からふとシシャモ「オス」って書いてあって卵があったら、何やらかしている分かりますよね。

もうやめようよ、こんなこと。


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング



今日はお休み(^^♪

仕事を終えて、午前様で帰りつき、さて、ゆっくりお酒を飲んでブログでも書こうと思っていたら、たいして飲みもしないのに寝てしまった(笑)

起きて洗濯機を回して、あ、まだ干してない……。
チャンネルを変えたら「世界! ニッポン行きたい人応援団」の再放送をやっていた。

どうやらスペインから和太鼓好きの家族を呼んだらしい。
途中からなので、どんな人たちなのかはほとんどわかっていないけど……。

サプライズで「佐渡」行きを告げられて大喜びの夫妻。
そう、佐渡で太鼓といえば「鼓童」



YouTubeで「鼓童」を一曲聴いた後だった僕は、ちょっとびっくりした。

渋谷のBunkamuraオーチャードホールで彼らのステージを見たのは、もうずいぶん昔の話になる。



時が経つのって、早いな。

鼓童(こどう、Kodo)は、新潟県佐渡市小木を拠点に国際的な公演活動を展開するプロ和太鼓集団である。設立は1981年。
─Wikipediaより─

さて、洗濯物を干そう。


Kodo - Spirit of Taiko



ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


結ぶのは契りだろうか、それとも縁だろうか。

契りというのは、お互いが裏切ることがないように交わす強い約束。当然のごとく、そこには裏切りの匂いが漂うから、少し違うような気がする。
いや、裏切りさえも約束のうちなのだろうか。

縁はというと、「袖振り合うも他生の縁」が思い浮かぶ。でも、正確には「多生の縁」だということはずいぶん以前のブログに上げた気がする。

「多生」とは、六道を輪廻して何度も生まれ変わるという意味だから、「多生の縁」は、前世で結ばれた因縁のこと。

意味合いとしては、人との縁は偶然ではなく前世の因縁によって起こるものだから、どんな出会いも大切にしなければならないという教え。

ということは、ほどけてしまう縁もたくさんあるけれど、意味のない出会いはないし、別れもまた然りということになる。

誰を恨むことなく、静かに受け止めて生きてゆくのが、摂理に適っているのだろう。

僕たちは自らが結んだのだろうか、それとも結ばれていたのだろうか。

答えは、結ばれる約束をしていた、ということになるのかもしれない。

それは生まれる前の、遠い遠い約束。
だから、どんな出会いもどんな別れも、間違いではないんだ。

だから明日は、もっといい日に。


作詞:作曲/野田洋次郎(RADWIMPS)

この蒼くて広い世界に
無数に散らばった中から
別々に二人選んだ糸を
お互いたぐり寄せ合ったんだ

結ばれたんじゃなく結んだんだ
二人で 「せーの」 で引っ張ったんだ
大きくも 小さくも なりすぎないように
力を込めたんだ


Aimer(エメ)/蝶々結び



ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


ふと目覚めた朝、その日が休日だと思い出したときに訪れる、甘やかな解放感。

まるで猫にでもなったような心地よい気怠さと、無時間を漂う浮遊感。
何物にも縛られない気ままな時間の始まり。

カーテンの隙間から漏れ入る日差しにさえ、やさしさを感じるまどろみ。



これに似た開放感を、ずいぶんと昔に味わっていたことを思い出す。

そう、あれは放課後だった。
バスケットゴール、鉄棒、広い校庭、長く伸びる影。

「どこ行こうか」
「揚げパン食っていこぜ」
みんな、解放感を満喫していた午後。

僕たちは常に何かに縛られて生きてきた。だからこその解放感なのだ。その何かはきっと、生きるため。

社会に出れば言わずもがな、生きるために働く。
働くために生まれてきたわけではないのに、と細く長いため息を吐く。

道は他にもあるのではいかと思ったりも……。


放課後の音楽室/ゴンチチ



ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング