風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -7ページ目


瞬時に移動できる超人的運動能力、普通の人には聞こえない小さな音まで聞き分ける鋭敏な聴覚、決して忘却しない驚異的な視覚記憶力―常人とはかけ離れた特殊能力を持つ4人は仲間の亘を人質に取られ、老獪な政治家・渡瀬浩一郎のために裏の仕事をしている。

そんな彼らに、世間を賑わしている残虐な殺人集団“アゲハ”の追跡が命じられる。“アゲハ”とは何者なのか。今、壮絶な戦いが幕を開ける―。

「BOOK」データベースより


100円コーナーに「2」がなくて、普通のコーナーで「2」を手に取った。
でも、比べてみると普通のコーナーの文庫本の方が圧倒的に表紙がピカピカしている。

どうしようかなぁ、と悩んだけれど、やはり「1」「3」は100円コーナーのものにした。
どうせカバンに入れておけばヨレヨレになるのだし、と自分を慰めながら。

映画化もされたらしいけど、本多孝好がこんな小説を書くなんて……それも3部作。
続けざまに「2」に入らなかったのは、それほど引き込まれなかったからだろう。



いきなりたくさん人が登場してくるので、頭が混乱した。

目にもとまらぬ速さで、駆け引きや戦いをしているのだろうけれど、どうもピンとこない。スピード感も緊迫感も感じないのだ。本多孝好の得意分野ではないせいだろうか。

「2」「3」で期待している。


おすすめ度 ★★✪☆☆
✪は0.5です。

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海の見える市立図書館で司書として働く31歳の本田。十年間も片想いだった相手に失恋した七月、一年契約の職員の春香がやってきた。
本に興味もなく、周囲とぶつかる彼女に振り回される日々。けれど、海の色と季節の変化とともに彼の日常も変わり始める。注目作家が繊細な筆致で描く、大人のための恋愛小説。

「BOOK」データベースより


BOOKOFFの100円コーナーに並ぶのを辛抱強く待っていたのは、この本。
小説は4人の登場人物の視点で構成されている。

初読の作家さんだけれど、全体的には穏やかで読みやすかった。刺激を求めてはいけない小説。いつもこんな風に物語が展開していく作家さんなのだろう。
すばる新人賞を獲った『国道沿いのファミレス』も読んでみたい。

感想がどことなく素っ気ないのは、読んだ本の内容をことごとく忘れてしまう僕だから、感想を書くには日にちが経ち過ぎていた、という情けない話になる。

でも、感触としては嫌いではない物語だった。

おすすめ度 ★★★✪☆
✪は0.5です。

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スマホの着信音にちらりと見やった掛け時計は、午後の9時30分を過ぎていた。確認した発信者名は、僕を怪訝な気持ちにさせるのに十分だった。

こんな時間にいったい何だろう。そもそも僕に、今さらどんな用があるというのだろう。
ふぅと大きく息を吐いて、僕はスマホを耳に当てた。



「高瀬です。お時間大丈夫でしょうか」落ち着いた声がした。
「あ、はい。大丈夫です」
「驚かないで聞いてください」

不穏な一言に、僕の心臓はトクンと跳ねた。

僕の頭にすぐ浮かんだのは、高瀬と約束したことだったからだ。これだけは守ってほしいと、最後の最後までしつこく確認したことだった。

「もしや、美玖が裸のまま保管展示されることになったのですか⁉」

血液が逆流しそうだった。だとするなら、僕は全力で阻止しなければならない。
そんなことになったら、美玖があまりにもかわいそうだから。

それこそ何が何でも、極秘に進められたアンドロイド計画をマスコミにリークしてでも阻まなければならない。

恥ずかしがりの僕だって、カメラの前でも何でも立ってやる。
日本中の女性に味方になってもらって、これを覆すんだ。

「落ち着いてください門脇さん。大丈夫ですか? かなり息が荒れてますよ」
「ぼ、僕は許しませんよ。どんな手を使ってでもそれを阻止しますからね」

ふっと息が聞こえた。
「なんで笑うんですか。約束したじゃないですか」

「門脇さん、私はこう見えても約束は守る男です。そうではなくて、美玖さんが、そちらに向かったというお知らせです」
僕は壊れたバネ仕掛けの人形のように立ち上がった。

「今、なんて言いました⁉」

「美玖さんが、そちらに向かいました。詳細はご本人から聞いてください」
「高瀬さん、もう少し詳しく教えてください! 事情が分かりません!」

「彼女がここから、逃げたのです」
「逃げた⁉」
「というか、正確には、私が彼女を門脇さんのもとに向かわせたのですが」
「ますます意味が分かりません!」

「もろもろは彼女から聞いてください。タクシーで向かうように指示しました。時間的にはどうでしょう──もうそろそろ着くころかもしれません」
「え……もうこっちに着くんですか?」
「温かく迎えてくれますね」
「それはもちろんです! 本当なんですね⁉」

「彼女にとって悲しい終わりにしない約束を、この私としてくれますか?」
「悲しい終わり、ですか?」

「もしも彼女の存在があなたにとって邪魔なものになっても、蔑(ないがし)ろにしないと、約束してください」
「します! というか、邪魔になどなるわけがないじゃないですか」

「門脇さん、あなたはまだわかっていない。彼女が抱えたどうにもならない苦悩を……これは、彼女を不幸にする行動ではないかと苦しみました。私は彼女のボディの生みの親。少しだけ父親に近い気持ちを持っていることをお忘れなく」

「娘さんを、お嫁に下さい」
「門脇さん」ふぅーと長いため息が聞こえた。

「冗談はやめましょう。怒りますよ。それは無理だし、無茶なのです。門脇さんがお腹の出たおじさんになっても、ヨレヨレのおじいちゃんになっても、彼女はあのままですよ。馬鹿なことは考えないことです。彼女は、必ずここへ戻らなければならない定めなのです」

「冗談のつもりではなかったです。すみません」見えはしないのに頭を下げた。
「彼女は、美玖は……喜んでこちらへ向かったでしょうか」
「もちろん。悲しいぐらいに」

彼女の笑顔が浮かんだ。何もかもを包み込んでしまうようなふわりとした笑顔。
「ありがとうございます」

「それから──」
「はい」
「くれぐれも彼女を騙したりしないでください。優しさからくる嘘以外は彼女を不幸にします。彼女を必要としなくなったら、心を込めて話してあげてください。もしも彼女を不幸にしたら、刺し違える気で私があなたのもとへ向かいます。では」

不気味な一言で、スマホは切られてしまいそうだった。「あ、あの……」
「あ、最後に嬉しいお知らせがあります。彼女は、味の分かる女性になりました。では」

やっぱり切られてしまったスマホに深く頭を下げて、僕は通りに飛び出していた。

雨を呼ぶように強く吹く風が、耳元でボロボロと鳴った。目を細くした僕は乱れた髪を手櫛で梳いた。

風に乗り、潮騒が聞こえた。頭を巡らすと、街灯の光の中に銀の筋が見えた。家々の屋根を打つ雨の音だった。

やがて、通りの向こうから一台のタクシーがやってきた。じっと目を凝らすと、スーパーサインが賃走を示している。

大通りから外れているため車もたいして通らない道だ。電車のある時間に実車のタクシーが通ることなどめったにないから、これに乗っているに違いない。

第一声はなんとかければよいのか考えあぐねたが、気の利いた言葉など何ひとつ浮かばない。

おかえり。

それがいい。僕は彼女の帰る場所になる。この2年間の彼女の苦しみを僕はお返ししなくてはならない。

永遠ではないけれど、彼女の許す限り、帰る場所になる。
僕はただ、戦いに挑む戦死のようにふぅっと息を吐いた。 

夜の闇を切り裂くように、ヘッドライトに雨の斜線を白く浮かび上がらせて近づいてきたタクシーは、やがてハザードランプを点灯さた。



タクシーに乗っていてずっと考えていたことがある。
第一声はなんとかけようと。

雨が打つフロントガラスの向こうに、見慣れた景色が流れてゆく。胸が痛くなる。
「その先を右に入ってください」
路面の水を切る音をさせながら、タクシーは右折した。

「あの先の」私は身を乗り出して指差した。「自販機の手前の建物です」

エントランスのライトに照らされ、影になった彼の姿が見えた。
タクシーを確認して腰をかがめるように顔を突き出している。
わたしは思わず前のめりになる。見当をつけたのか手を振っている。彼は待っていてくれた。

そして、決めた。
引け目など感じたら彼に申し訳ない。

胸を張って、ただいま、と言おう。

タクシーに向かって彼が走り出した。
両手を広げて、まだ止まらぬタクシーの横に覆いかぶさるように息を弾ませている。
「お帰り! おかえりなさい美玖!」

ただいま。
それは涙でくぐもって声にならなかった。


─FIN─

雨の街を/荒井由実



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「それより」高瀬が考え事でもするように、ゆっくりと視線を上に向けた。

「私が今一番心配しているのは──美玖さん」視線を戻してしばし沈黙が続いた。

「今回の別れが一番つらいことになるのではないか、ということです」
「はい」それは充分予測できる。彼と添い遂げることはできないのだから。

「でも、私は彼に賭けてみます」身を乗り出した高瀬が何かを差し出した。
「使ってください」手に取ると、ポケットティッシュだった。

「門脇さんは、とても素直でやさしい人です。だから彼に賭けてみます」
「そうなんです」ティッシュで涙を押さえながら思わず口元がほころんだ。

「しかし──あなたがここを出て、彼のもとへ行くなどということに許可を与えることなどできません」高瀬が背もたれに背中を預けた。

耳を疑って高瀬を凝視した。
瞬時に色も音も失せた世界で、高瀬の眼鏡だけが光を弾いているのを目を見開いたまま見つめ続けた。

なんという人なのだ。心をもてあそんだのか。

突如、静かな部屋に掛け時計が秒を刻む音が響いた。弱った心音のようにも聞こえるその音が、逃れようもない現実の今を知らせた。

「怖い顔をしないでください。あなたは、僕が研究していた味覚、そのために再び目覚めさせられたのです。いいですね」
何の反応も返す気が起こらなかった。

「あなたに対する味覚の実験は僕が時間外に、自らの判断でやったこと。ここまではいいですね」
頷きだけで返した。

「僕は──あなたの味覚を確かめるためにコンビニに向かった。そう、アーモンドチョコレートやらを買うために。その隙に、あなたは逃げた」

「え?」
「逃げなさい」
「え?……はい?」
「許可を与えることはできないと言ったではないですか」

高瀬が封筒を差し出した。
「お財布の中身は確認していないので念のため渡しておきます。少ないですが、お金が入っています。
それと、彼の部屋に住むのはやめておいた方がいい。彼には私から電話しておきます。
落ち合ったら──そうですね、今夜は大丈夫ですが、あなたはしばらくビジネスホテルにでも宿泊してください。状況次第では彼も引っ越した方がいいかもしれない」

差し出された封筒にためらっていると高瀬が微笑んだ。
「遊んで暮らせるほどは入っていませんのでご遠慮なく。心ばかりの餞別です」
「ありがとうございます」

「荷物は──」言いながら立ち上がった高瀬は、キャビネットのドアをスライドさせた。

「私の私物入れですが、あなたのものは下段に入っています。バッグも、伊達になってしまった眼鏡も、あなたがここに来た時のままあります。鍵はいつも付けっぱなしなので、あなたが見つけたと思うでしょう」

「持って行っていいんですね?」
「もちろん。あなたのものですから。このままタクシーで向かってください」
「はい」
「警察は呼べませんから、大掛かりな事にはならないはずです。なにしろ犯罪者が逃げたわけでも、金品が奪われたわけでもありませんので」

「高瀬さんは?」

キャビネットの前から椅子に座りなおした高瀬が首を傾げた。
「私ですか? 私も一緒に逃げるかと尋ねていますか?」両手の人差し指と中指を、胸元でちょこちょこと動かした。
わたしは苦笑した。「それはまた、次の機会にしておきましょうか」

「冗談の分かる人で良かった」高瀬がおかしそうに、くっと笑った。
「責任は問われるでしょうが──まあ、問いたければ問えばいいのです。私ないなくなると研究は一歩も進まないことは誰だって知っていること。その点はご心配なく。困ったときはいつでも連絡してください。そして──ここに戻ってくるときも」

「高瀬さん、感謝します」

「通路には監視カメラが付いています。まずは僕がコンビニに向かいます。1分──いや、荷物を探したと考えられる時間を加味すれば──3分ぐらいでここを出てください。守衛さんと顔を合わせたら、お疲れ様ですと言っておけば大丈夫でしょう。何か尋ねられたら私の名前を出して下さい。
戻った私は、あなたがいないことに気がつき、追いかける。いいですね。せいぜい慌てたふりをして外に走り出ることにしましょう」高瀬はひとつ頷いた。

「ありがとうございます!」




「彼に与えられるものがなくなったとか、自分の役目は終わったとか、もしもそう感じて彼の元を離れるときも、悲しんだりする必要はない。
辛い別れがあったとしても嘆かないでください。穏やかな心で、ここに戻ってください。もしも終わるのなら、それは愛ではない。現実にたじろがないでください」

あれほど嫌だった高瀬の目が深い優しさで満ちている。わたしはこの人を、見誤っていた。
「はい」

「心は、どこにあると思いますか?」
「ここ……ですか?」胸元を押さえて見た高瀬は、こちらまで嬉しくなってしまうような笑顔を浮かべた。

「そうです! 忘れないでください。肉体は滅びても魂は永遠です。心は」手のひらを胸に置いてじっとこちらを見た。

「美玖さんの言う通り、心臓や脳の働きとは関係なく、ここにあります。門脇さんが失って泣いたのは、それです。だからあなたは、何の負い目も感じる必要はない。これが良きイースター(復活)でありますように」

高瀬は、私などここに存在しないかのように、掛け時計を見て立ち上がり、脱走ゲームの始まりです、と呟いて、何かをおかしむようにふっと弱く笑った。

「大丈夫ですね」背中で訊く高瀬に「はい」と強く頷くと、静かにドアが閉まった。
立ち上がり、ふぅと息を吐き、両手で頬を叩いた。


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「あなたは、老いない。それは理解していますね?」
「あ、はい」慌てて居住まいをただした。重要な話が始まるに違いないから。

「あなたは結婚できない。それも理解していますね?」
「はい」

「彼は……門脇さんは、あなたと毎日会ってきた。だからあなたが、2年経っても容姿がまったく変わらないということに気がつかなかった。髪が伸びないことにも。
美容院に行くと言っては、小さな美容室を経営している私の姉に髪を切ってもらった」

「はい。お姉さまにもお世話になりました」
これが本当に血を分けた姉弟かと思うほど、気づかいが細かくてやさしい人だった。

「あの姉はね、私の母代わりだったんです。ま、それはいいですけど」ふっと笑った顔は、高瀬がお姉さんに全幅の信頼を寄せていたであろう幼いころを彷彿(ほうふつ)とさせるものだった。



「髪が伸びないせいで、あなたの髪は徐々に短くなっていった。以前は肩甲骨を覆うほどだった髪が、いまやショートヘアだ」
高瀬が微笑むのにつられるように、私も苦笑気味に口角を上げた。

伸びない髪は厄介だった。美容院に行くと言っては、少しずつ切ってもらった。

「ずっと一緒にはいられません。彼はやがて結婚して子供をもうけるでしょう。それが自然なのです」
「はい」殊勝に頷いたものの、心は浮き立った。やっぱり会える。それもしばらく一緒にいられるのかもしれない。

「会えるんですか?」
「あなたがその気なら、これからすぐにでも」
「会いたいです」

「即答ですね」会いたいの言葉を言い終わる瞬間に、笑った高瀬の顔が急速に遠のき、胸の中に黒い雲が沸き起こっていた。それは銀河のように渦を巻き、心の隅々まで膨らみ、この体を破裂させてしまいそうだった。

そうだ。そうなのだ。
彼がわたしに会いたいと思うなどと、勝手に決めていた。
2年も前からわたしは生身の人間ではない。それを知った今、拒絶されたって不思議ではないのだ。

だとするなら、帰ってくる場所は、ここしかない。

「どうしました?」
「あ、いえ──高瀬さんは、ここにしばらくいますか?」
「ここに? 研究所に、ということですか? 在籍するかと尋ねているんですか?」
「いえ……」
高瀬は怪訝そうな顔をしたが、やがて察したようにひとつ頷いた。

「今日は何時ごろまでここにいるか、ということですね」
私は俯くように頷いた。

「あなたのボディが活動を停止した後、彼はあなたに会っています」
ハッと高瀬を見た。それは事前には知らされていないことだった。最後は期限通りスパッと終わりましょう。それが高瀬の言葉だったから、私たちは別れを惜しむ間もなかった。

「泣く、というのにも色んな表現があります。慟哭という言葉を知っていますか?」
ええと頷いた。

「ああ、司書さんでしたね。あなたの方が詳しいかもしれない。泣くことの表現では、これが一番激しいのではないですか?」
「そうだと思います」

「彼は、活動を停止して冷たくなったあなたの手を取り、頬を撫で、慟哭しました。
すべてのことを知った後です。見ている私が辛くなるほどでした。彼は、あなたの魂が地上から消えてしまったことに耐えきれなかったのでしょう。
美玖さん、あなたはそこに紛れもなくいますよね」
頷いた。

「それで充分だと思います。私はね、美玖さん──あなたに涙を与えることができてよかったと、今、心の底から思っています」

頷きにつれて、涙で歪んだ自分の膝も水面に映る風景のように揺れた。


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「急いでコンビニで買ってきたのでミスチョイスもありそうですが」高瀬が少し頬を緩めた。笑った顔を見たのは初めてのことで、それは軽い驚きだった。

封が切られてケースから引き出されたアーモンドチョコを口に運ぶ。

舌で転がし、奥歯で噛む。その瞬間、アーモンドが砕ける食感と、甘いチョコの香りが口から鼻へ抜けた。

「甘い……美味しいです」その言葉以外浮かばない。味わいの渦は心までとろかすようだった。
「あなたの知っているアーモンドチョコの味ですか?」
「たぶん──そうなのでしょう」

久しく遠ざかっていたけれど、人というのはこんなにも凄い味覚を持っていたのか。それはまさに甘美だった。

「自信がありませんか?」
「いえ、なんというか……味覚が鋭すぎて本物よりもおいしく感じることがあったりはしませんか?」

これは素直な感想だった。人を超えた味覚が備わったのではないのかと。

「味覚が鋭いイコール美味しく感じるということはないと思います。味音痴の味覚にしたつもりもないので、それはその味です。遠ざかっていたからでしょう」

「だったら、文句のつけようがありません」
「よかった」高瀬は息を吐くように小さく呟いた。

これから何が起こるか、この時間にどんな終わりが来るのかはわからないけれど、毒を食らわば皿までだと心に決めた。

「ご存知でしょうが、味を感じるのは舌にある味蕾(みらい)というセンサーの働きです」

先を促すように頷いた。アーモンドチョコレートの風味は、飲み込んだ後も鼻腔の奥で広がり続ける。

「味蕾の中には、味を感じる味細胞があって、食物の味を感知しています。感知した味は味覚神経を介して脳の中枢に伝えられるのですが、嗅覚でとらえられた香りなどの情報も脳に伝えられます。食べ物の硬い柔らかいなどの触覚と香りは今までもわかりましたよね」

「はい、香りと食感はわかりました」
「あなたにどうしても与えたかったのが味覚でした。それは私の、科学者としての立場を超えた情熱でした。それは何より、あなたに味わってほしかったからです」

自分のセリフに照れたのだろうか、高瀬はすこし恥ずかしそうに俯いた。この人は、こんなにも優しげな表情をする人だったのか。

「あなたには感情移入をしないように努力してきました。さぞや私を冷たい人間だと思ったでしょう」高瀬は生真面目な顔で頭を下げた。

いえ、小さく呟き首を振った。

「さ、次はこれを」



それはレモン風味の飲料であったり、梅干であったりした。

「ちなみにこれに」わたしが飲んだビタミン飲料の空瓶を振った。
「ビタミンCの効果はあると思いますか?」
「え……ということはないんですか?」
「ほとんどないと思います。キレート化もされていませんし。余談になりました」

「美玖さん」高瀬がまっすぐにこちらを見た。
言葉の風圧を感じて少し身を引いた。わたしをあなたと呼ぶのはいつもの通りだったし、離れている私に対しては、ZERO ONEと呼び掛けるのが常だった。それが──美玖と呼んだ。

その意味は? 一気に鼓動が早くなる。
もしかしたら、彼に会わせてもらえるのかもしれない。ちょっとの間だけでもいいから、きちんとさよならを言いたい。


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ふと目を開けると、白いクロス張りの壁が見えた。

視線を動かすと、埋め込まれた蛍光灯の灯りがぼんやりと視界に入る。どうやらそこは壁ではなくて天井だと気づいた途端、重力が背中をぐいと引っ張った。

横たわっているのは、どうやらベッドのようだ。
ここは、どこだろう。

目を瞬(しばたた)いて天井に当てた視線をぐるりと動かすと、見覚えのある場所だった。いつもの所だ。一か月に一度検査を受けていた研究所。
メンテナンスと呼ばれるのが嫌だった、あの場所。

「私が誰だかわかりますか?」
声に首を回すと、メタルフレームの眼鏡を掛けた男がわたしを見下ろしていた。

「高瀬さん」
「起き上がれますか?」
「あ、はい」肘をつき、ベッドから起き上がった。

人の心の機微を感じ取れないクールな科学者、そんな雰囲気を纏った彼は、やはり苦手だった。

「こちらへどうぞ」ドアの向こうは問診をする部屋だった。ベッドから足を下ろして立ち上がり、高瀬の後に従った。

「どうぞ、お掛けください」勧められた椅子に腰を下ろすと、いつものようにギッとスプリングが鳴った。

「彼──は」
「はい?」高瀬が一瞬怪訝そうな顔をした。
「話は終わったんですか」

あぁ、と納得したような顔になった高瀬は、掛け時計に合わせた私の視線を辿るようにそれを見た。

「あなたが門脇さんとお別れしてから半月ほど経っています。その時計の8時は夜を指しています」

すべてが終わってから半月。なぜ今、意識をもってここに存在しているのだろう。理解に苦しむ状況だった。

きっと何かが起ころうとしているにちがいない。沸き起こる得体のしれない不安に、私はちいさく頭を振った。

「なぜ意識を持っているのか不思議に感じますか?」
言葉は相変わらず丁寧だけれど、やはり好きになれない人だった。そして今は、空恐ろしい感じすらする。
わたしは何かの実験台にされるのではないのか。

わたしは、「はい」と頷いた。

「汗は、気化熱を利用したもの。それはご存知ですね」
「ええ、はい。平熱を保つためですね」

この人はいったい何をしようとしているのか。彼はもうそばにいない。助けを求める人はいないのだ。

「それは成功しました。もっとも人間のかく汗とは成分が違いましたが、あなたはほぼ完ぺきに人に近づきました。しかし、五感、すなわち視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚のうち、味覚だけは不完全なままでした」同意を求めるようにじっと視線を合わせてきた。

「はい。美味しくなかったです」視線を避けるように頷いた。

「この技術はペットで応用されるのでそれでもいいのですが、私は人と同じ味覚を追求しました。それはこの3年の内に、かなり自信の持てるところまで漕ぎつけました」
ごそごそとかばんの中から取り出したのはレジ袋だった。

「甘味・塩味・酸味・苦味・うま味。これが五味というのはご存知でしょう。それに加えて、第6の味覚と呼ばれる脂肪味も判別できるように仕上がっているはずです」

「しぼうみ、ですか?」
「脂質、脂肪のあぶらです。脂っこいものは好きですか?」
「いえ、あまり好みません」



「そうですか。ここには脂肪味を感じるようなものはありませんが。さ、そこに掛けてこれを食べてみてください。あ、テーブルを持ってきましょう」

部屋の隅にあった折り畳み式の小さなテーブルを運び、高瀬が乗せたのはアーモンドチョコレートだった。

恐ろしいことではなさそうでほっと胸をなでおろした。味覚の研究の続きのようだ。そのために私は、ふたたびこの体に戻されたのだろう。

けれど、実験台であることに変わりはなかった。それを考えると、気が進まなかった。

目覚めたとて、わたしはもう、どこへも行けないのだ。
わたしがここに存在している理由は、味覚の実験台に過ぎない。

人として存在した尊厳さえ奪われた、わたしは囚われのモルモットだ。虫かごの中に入れられて、二度と空を飛べない蝶だ。


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「彼女はここでトレーニングを受けました」高瀬が右手を肩口に広げた。

「歩くこと、座ること、階段の上り下り。走ること、転がること、ジャンプすること。物を投げること背伸びをすること。
箸やフォークナイフを使って食事をすること、スプーンでスープを飲むこと。
言うまでもないことですが──」高瀬が眉根を寄せた。「彼女は食事をもっとも嫌がりました」

瞬間、僕の体は鞭で打たれたようにビクリと震えた。
目を閉じて俯いて、詫びるしかなかった。

「それから、映画を見ること、本を読むこと、笑うこと。
普通の人間ならできるすべてのこと。──近くの公園でブランコも漕ぎましたし、滑り台も滑りました。
当初はぎこちなかったそれらがスムーズにできるようになるのに半年を要しました。私は彼女に、疲れる、というメカニズムも与えました。だから彼女は、訓練の終わりにはいつも疲れ切っていました。それでも頑張りました。今となれば声は届きませんが、どうぞ褒めてあげてください」



高瀬の肩の向こうで、掛け時計が午後の2時を指した。
僕はただ、小鳥のさえずりすら聞こえない迷宮の深い森に迷い込んでいた。

「やがてこの技術はペットで実現するでしょう。余命の少ないペットの記憶を移し替えることで蘇ることができるのです。これは、最初で最後の試みでした。ZRRO ONEは永遠に封印されます。なぜだかわかりますか?」

思わぬ質問に僕は首を横に振った。
「人類が不死になってはならないからです」噛んで含めるように高瀬は口にする。

「生きとし生けるものはすべて、終わらなければならないのです。それを、定めと呼ぶ人もいるでしょうが、肉体が滅んで終わりではないからこそ、必要な死なのです。死とはある意味、目覚めだからです」

高瀬は、僕を慰めようとしているのだろうか、それとも持論を展開しているだけなのだろうか、判断がつきかねた。

彼女の変化に僕は気づかなかった。
それが、この高瀬の技術だとしたら、おどろくべきことだった。

「彼女はどうなるのでしょう」僕はなぜ諦めているのだろうと思った。けれど、僕の意思では、もうどうにもならないことなのだということはわかる。

「大切に保管されます」
「服は着せてもらえるのでしょうか」
「ああ、そうですね。反対意見もありそうですが、それは私が何とかします」

「お願いします」僕は深く頭を下げた。
それでもやはり浮遊感は消えることなく、僕の体と心をほんの少し、地上から浮かせていた。

じゃじゃーん。彼女がそう言いながら現れるのではないのか、そう思って話の間中背後のドアに意識を集めていた。
けれど、ドアの向こうに何の気配も感じることはなかった。

高瀬の言葉が嘘ではないだろうことは、心が拒みながらも呑み込まざるを得なかった。しかし、事実として受け止めつつあるものの、感情が処理することを拒んだ。

彼女はもう、僕の前に二度と姿を現すことはない。
その現実は重い。

浮かんでいた僕の体は、恐ろしい重力で床に押し付けられた。

美玖を返してくださいと叫ぶほど子供ではなかったけれど、27歳という年齢はすべてをあきらめで受け入れるほど、大人でもなかった。

こんな終わりが来るとは知らず、いつまでも続くと疑わなかったもの。もしもこれを愛と呼ぶのなら、愛とはなんと無残なものなのだろう。

彼女に負担を掛けた僕が、一番悪い人間だった。
僕が一番、往生際の悪いダメ人間だった。

「門脇さん、最後に、お会いになりますか?」
「会えるんですか?」

「未練が残らないように、すっぱり。そう決めていたのですが……彼女は横たわっています。死んでいるのでも、眠っているのでもなく、機能を止めて、ただ、横たわっています。一切の反応はしません。それでよければ、会いますか」
「はい。お願いします!」僕は前のめりになった。


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「もちろん葬儀も行われたました。彼女のご家族、ご友人も参加されてのご葬儀にあなたも参列されました。幸いというととても失礼ですけれど、あなたを知る人はいませんでした。会社にも、あなたと彼女の関係を知る人はいませんでした」



「あなたは、友人の一人として参列されました」

「彼女はもうこの世にいません。だから戸籍も存在しないのです」

「それでもあなたは望んだのです。彼女と暮らしたいと」

「彼女も愛されて幸せだったでしょう」

高瀬は、いつまでこの話を続けるつもりなのだろう。

ときおり見せる高瀬の痛ましそうな目も、水面に落とした墨汁のように広がる、怒りとも失意とも表現しかねる黒々としたものを振り払うことはなく、ささくれて、尖って、ねじれた思いを持て余した僕は、俯くように爪を見た。

おっきい、と彼女が言った自分の爪を、ただ見つめた。

おっきい、おっきい、と人差し指の腹でつるつると撫でた感触だけが、ひとつの終わりを告げるように蘇る。

確かに、今考えればつじつまは合う。
彼女が天職とまで口にした図書館に復職しなかったこと。実家と連絡を取り合っている様子がなかったこと。

そう、彼女は図書館に勤めに出ることも、実家に帰ることもできなくなっていたと考えれば──。

そうだ──忘れていた。
彼女は、家具も衣類もまったく持たずに僕の部屋にやってきたのだ。
新しい生活を始めるから、真っ白しろで始めます、と笑っていたのだった。

僕はもう、納得せざるを得なくなった。

「それは」僕は視線を高瀬に戻した。
「彼女も望んだことなのですか? 了解したことと望んだことは違う気がします」

「彼女は、あなたの希望を受け入れた、といった方が正しいかもしれません。自分はもう存在しないのに、人造の体を借りた記憶が生き続ける……それは誰も経験したことのないことです。それでも彼女は勇敢にも踏み切った」

高瀬は椅子に背中を預け、ふぅーと息を吐いた。

「ZERO ONE は完璧でした。けれど、残念ながら彼女に人間並みの味覚を与えることはできなかった。それを大変申し訳ないと感じています」

「味覚? 味が分からなかったということですか?」
しばし口を引き結んだあと、「はい──大雑把にしか」と高瀬は俯き加減に頷いた。

「味蕾という味を感じる器官はご存知でしょうが、人の味蕾の数は約一万個ほどあります。犬は約2000個、猫は約500個と言われています。
美玖さんの場合、塩味や酸味、苦みは感じることができたはずですが、旨味はもちろん、甘味もあまり感じなかったはずです。言ってみれば猫に近かった──当初はそれでもよかったのです。人を造ろうなどとは思っていませんでしたから」

退院して一緒に住むようになって、料理好きの彼女が新しいレパートリーにあまり挑まなくなったのはこのせいなのだろう。

「我々の力が足りませんでした。これについては研究を進めていますが、彼女の場合は──間に合いませんでした」高瀬はひじ掛けに両手を載せて、深く頭を下げた。

外食をしても彼女はいつも美味しそうに食べた。

美味しい、これすごく美味しい。
彼女の笑顔が、フラッシュのように蘇る。

それも食べなよ。これも食べなよ。美味しいね。
食事は、彼女にとって苦痛だったのかもしれない。
僕は無神経なことをしていたんだ。ひどく残酷なことを。


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「僕は騙されていた、と──そういうことですか?」
「いえ。誰もあなたを騙したりはしていません。それはあなたの記憶のせいです」

高瀬は、苦い薬を飲み込む猶予を与えるように、中指の先でメタルフレームの眼鏡を押し上げた。

「僕の、記憶?」

「あなたの記憶を書き換えることについては、彼女も、むろんあなたも了解していたことです。最後の日々をいつもと変わらず過ごすために」

「最後の日々?」
「そう。2年前でした。2年前のあの日──彼女はこの世を去りました」

「何を言ってるんですか? じゃあ、僕はいったい、誰と過ごしていたというんですか!?」

「美玖さんの記憶とです」
「馬鹿らしい。早く美玖を戻してください。彼女はこの部屋に入って行ったんですよ。僕の見ている目の前で」

「彼女が死んだのは、正確に言うなら2年と半年前になります」
僕の言葉に耳を貸そうともせず、高瀬は続けた。

「彼女の体の作動チェックに半年を要した、ということです」

「それは、あなたと彼女がここにきてから退所するまでの期間です」

「あなたの中の記憶は、もっと短くなっています。その記憶が、作られたものです」

高瀬の口から発せられる言葉は、とうてい信じられるものではなかった。

「アンドロイドである ZERO ONE に高い知性と身体能力、人と寸部も違わぬ肌の質感、声を与えることはできました」

「ZERO ONE は技術を確かめるための試作品でした。それを実在する人物にしようと言い出した人がいました。馬鹿らしい妄想です。やってはならないことです。神を冒涜するに等しい行為です」

置かれた状況に戸惑う僕の心など、さらさら斟酌する気もないらしい高瀬は、話を続けた。

「しかし、それは実行に移されました。アンドロイドは感情を含め内的要素に乏しいのが欠点です。それを補うのが、人として生きた記憶を移し替えるということだったのです」

この話は、あまりにも現実離れしていた。僕の思考は受け入れを拒むかのように動きを止めた。

「結婚を申し込まれたそうですね。ZERO ONE は、あぁ失礼──美玖さんは泣きました。なにしろ戸籍がないのですからね」高瀬は小さく何度も頷いた。

「記憶と人造の肉体との融和。それは大きな成功のひとつでした。しかし、やってはならない成功でした」宙の一点を見つめ眉を歪めた。

「あの日、あなたに付き添われた美玖さんはこの研究所を出ました。あなたの記憶では違う場所の病院になっているはずです。が、あの時、美玖さんはすでにこの世にはいませんでした。ZERO ONE の中で彼女の記憶が生き続けたのです」



冗談話にしては長すぎる。
僕をこんな状態に置いてどこかでほくそえんでるなんて状況は、美玖には考えられない。

この話は、嘘ではないのかもしれない。

夢の中にいるような浮遊感は、のべつ湧き出る思考を阻むかのように脳を薄もやのように包み込み、僕は意味もなく、壁に掛けられた丸くて白い時計を見たりした。
事の次第を上手く咀嚼できない僕は、ただ、ぽかんとしていた。


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