ZERO ONE「16」 | 風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」

「僕は騙されていた、と──そういうことですか?」
「いえ。誰もあなたを騙したりはしていません。それはあなたの記憶のせいです」

高瀬は、苦い薬を飲み込む猶予を与えるように、中指の先でメタルフレームの眼鏡を押し上げた。

「僕の、記憶?」

「あなたの記憶を書き換えることについては、彼女も、むろんあなたも了解していたことです。最後の日々をいつもと変わらず過ごすために」

「最後の日々?」
「そう。2年前でした。2年前のあの日──彼女はこの世を去りました」

「何を言ってるんですか? じゃあ、僕はいったい、誰と過ごしていたというんですか!?」

「美玖さんの記憶とです」
「馬鹿らしい。早く美玖を戻してください。彼女はこの部屋に入って行ったんですよ。僕の見ている目の前で」

「彼女が死んだのは、正確に言うなら2年と半年前になります」
僕の言葉に耳を貸そうともせず、高瀬は続けた。

「彼女の体の作動チェックに半年を要した、ということです」

「それは、あなたと彼女がここにきてから退所するまでの期間です」

「あなたの中の記憶は、もっと短くなっています。その記憶が、作られたものです」

高瀬の口から発せられる言葉は、とうてい信じられるものではなかった。

「アンドロイドである ZERO ONE に高い知性と身体能力、人と寸部も違わぬ肌の質感、声を与えることはできました」

「ZERO ONE は技術を確かめるための試作品でした。それを実在する人物にしようと言い出した人がいました。馬鹿らしい妄想です。やってはならないことです。神を冒涜するに等しい行為です」

置かれた状況に戸惑う僕の心など、さらさら斟酌する気もないらしい高瀬は、話を続けた。

「しかし、それは実行に移されました。アンドロイドは感情を含め内的要素に乏しいのが欠点です。それを補うのが、人として生きた記憶を移し替えるということだったのです」

この話は、あまりにも現実離れしていた。僕の思考は受け入れを拒むかのように動きを止めた。

「結婚を申し込まれたそうですね。ZERO ONE は、あぁ失礼──美玖さんは泣きました。なにしろ戸籍がないのですからね」高瀬は小さく何度も頷いた。

「記憶と人造の肉体との融和。それは大きな成功のひとつでした。しかし、やってはならない成功でした」宙の一点を見つめ眉を歪めた。

「あの日、あなたに付き添われた美玖さんはこの研究所を出ました。あなたの記憶では違う場所の病院になっているはずです。が、あの時、美玖さんはすでにこの世にはいませんでした。ZERO ONE の中で彼女の記憶が生き続けたのです」



冗談話にしては長すぎる。
僕をこんな状態に置いてどこかでほくそえんでるなんて状況は、美玖には考えられない。

この話は、嘘ではないのかもしれない。

夢の中にいるような浮遊感は、のべつ湧き出る思考を阻むかのように脳を薄もやのように包み込み、僕は意味もなく、壁に掛けられた丸くて白い時計を見たりした。
事の次第を上手く咀嚼できない僕は、ただ、ぽかんとしていた。


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